サルトル研究会会報 第15 1999年 7

Bulletin du Cercle d'Etudes Sartriennes no.15 juillet 1999


 サ ル ト ル 研 究 会 会 報 第15号 1999年 7月


サルトル研究会 第8回例会開催の報告



1999年5月29日(土)、第8回例会が青山学院大学において約30名の参加のもとに開催されましたのでご報告申し上げます。内容は以下のとおりです。


1.研究発表


「演劇作品における「対話」の可能性;『キーン』を中心に」

発表者:翠川博之氏(東北大学大学院)      司会者:岡村雅史氏


 劇作『キーン』はサルトルの作品中最も思想性がない娯楽作品と見た人があり、一方この見方に激怒した人もあるとのことである。つまるところ、やはりこれはロマン主義劇のオブラートの中にサルトルの哲学的テーマが盛り込まれていると見受けられる。翠川氏の発表はこの『キーン』を取り上げ、中でも主人公と女優志願者アンナとの会話に焦点を当て、そこにみられる言葉の持つ身体性という視点からサルトルの存在論に迫ろうする試みであった。役者にひたりこんで、自己同一性の稀薄なキーンがことばの身体性を失ってしまい、「役者のことば」でアンナを攻撃するのに対し、彼女は挑発的に「身体化」したことばでキーンの演技のベールを剥ぐ。その結果彼は自らのことばに身体を回復させる。この会話の暴力性に着目した氏の発表はまとまりよく、また我々の視野を拡げてくれるものでもあり、質疑応答の中にその波紋を見ることができる。質問を列挙すれば、まず同じく役者であった『嘔吐』のアニーが観客を切り捨てて挫折したが、キーンは観客に振り向いて自己同一性を取り戻したといえるのか?

 キーンの他者は制度的で、そこから離れたアンナとの会話によって相互了解が成り立つというのは飛躍ではないか? また通常のコミュニケーションとは異なる劇的言語では情報伝達力は弱く、普通の身体的会話との比較は難しいのではないか?そして『存在と無』以来の対他の関係はキーンの最終的変貌によって乗り越えられたのか? 『自由への道』のダニエルとその友人の暴力的対話はことばの身体性とみなせるのか?ロマン主義劇でブルヴァール劇風でもあるこの戯曲は他者論と関係があるのか? 一方、アンナは他の文学に現れるサンボリックとしての女性達と比較してどう位置付けられるか?

 等々の問題提起は発表者だけでなくサルトルの作品そのものに投げかけられたものでもあり、また我々にとっての今後の課題ともなっている。

 最後に、翠川氏は菅原和孝『身体の人類学』や佐々木健一『せりふの構造』に少なからずインスピレーションを受けたとのことである。完成度の高い劇的言語体系を従来と異なったアスペクトから切り込んだ氏の発表は、より興味深い境地を拓いていくように思われる。 (文責:岡村雅史)


≪ Sartre et la passion antisemite ≫

発表者: Herve COUCHOT 氏(東京外国語大学客員助教授)      司会者:澤田直氏

コメンテーター:鈴木正道氏


 これまでともすれば第二次大戦後のアンガージュマンの周辺に生まれたテクストと考えられていた『ユダヤ人問題に関する考察』に焦点を当てて、クショー氏はそれが実はサルトルの思想の展開を考える上で重要な示唆を与えてくれることを述べる。まず ≪passion≫ という言葉が『存在と無』においては自己の存在から自己をひきはがす自由としての人間存在の「受難」を意味しているのに対して、『ユダヤ人問題』ではユダヤ人に対する憎しみに固まる「情念」、即ち自由を否定する態度を意味するように変化していることを指摘する。それから反対意見をかたくなに拒むこのような態度が、岩の比喩を通して『一指導者の幼年時代』のリュシアンの反ユダヤ主義にすでに見られることを述べる。さらにサルトルはこの中編小説に於ては精神分析を嘲弄していたのに対して、『ユダヤ人問題』では反ユダヤ主義を分析するのに「ヒステリー」、「欲動」といったフロイトの精神分析の概念を用いていることを指摘する。この反ユダヤ主義の情念と人間存在の自由の矛盾する関係の問題は後年、「ノイローゼ」と創造の関係の問題へと引き継がれることになる。書く行為としての自由に伴う多かれ少なかれ病的な動機という「状況」を一層考慮して、サルトルは第二の『文学とは何か』としてフロベール論を書いたのではないか。他方クショー氏は、『ユダヤ人問題』がその歴史的情報の不十分さ、そこに描かれる反ユダヤ主義やユダヤ人の姿の抽象性ゆえに様々な批判をされてきたことを指摘しつつも、サルトルのテクストが反ユダヤ主義、さらに人種差別の問題を考察する上で現在性を失ってはいないと結ぶ。

 日頃余り注目されないテクストを主に扱いつつ、サルトルの哲学思想、アンガージュマンの実践、さらには創造にまたがる問題系を豊かに掘り下げたため、様々な質疑応答が活発になされた。サルトルの論の要となる「ユダヤ人とは他の人々がユダヤ人と見なす人間である」といことに関して、結局ユダヤ人問題の特異性とは何なのか、そもそもユダヤ人とは何なのかという、古くて新しい問いに立ち戻る形で、我々の議論はひとまず「お開き」になった。 (文責:鈴木正道)


2.総会


研究発表後、総会が開かれ、以下の議題が取り上げられました。


1)GES会報の発送と代金支払いについて

昨年7月11日の総会での決定を受けて、GESの会報を特に辞退の申し出があった者を除きCES会員全員に郵送したが、代金の支払い率が60%に過ぎなかったとの報告が担当の澤田氏からありました。今後どうするかが話し合われ、原則としては全員に購入してほしいが、辞退も認めるという方針を再確認しました。代金未納の方は早めにお支払いください。


2)会員相互間の連絡および会報への寄稿、会報の発送に関して、電子化への協力が再度要請されました。


3)澤田直編による『日本におけるサルトル文献(補遺2)』1996-1999 が配布されました。


4)会計担当の黒川学氏より以下のとおり1998年度の会計報告ならびに1999年度予算案が提出され、承認されました。



1998年度会計報告書

(1998年4月1日~1999年3月31日)

1. 収入の部


会費

72,000

雑誌頒布収入

63,000

雑収入

132

前年度繰越金

80,377



合計

\215,509


2.支出の部


例会費

5,490

雑誌購入費

64,560

通信費

42,830

物品費

7,736

印刷費

10,800



合計

\131,416


収支決算:収入-支出=84,093円(次年度繰越金)  会計担当:黒川学 会計監査:武田昭彦




1999年度会計予算案

1. 収入の部


前年度繰越金

84,093

会費

80,000

雑誌頒布収入

90,000



合計

\254,093


2.支出の部


例会費

10,000

通信費

50,000

物品費

10,000

印刷費

10,000

雑誌関連費

90,000

雑費

10,000

次年度繰越金

74,093



合計

\254,093


例会のあと、青山学院大学近くで懇親会が開かれ、20名が参加しました。


☆今年も例年通りGroupe d'Etudes Sartriennes( GES )の大会が6月19-20日の二日

にわたってソルボンヌにおいて行なわれました。以下は澤田直氏による報告です。


 土曜日のテーマは「デリダとサルトル」。デリダ本人が一日中出席するということもあって、300人ほどの聴講者が会場に詰めかけ、朝から活況を呈した。発表者と並んで壇上に座ったデリダは最初、緊張した面持ちで司会のP.Verstraetenの紹介を聞いていたが、最初の発表者であり、サルトル、デリダそれぞれに関する著書をもつC.Howells(オックスフォード)が、自分はサルトルもデリダもどちらも同じくらい好きなので、自分が好きな二人の作家の間に友情があってほしいのだ、と告げ、デリダが「サルトルは大好きですよ。彼の説にはすべて反対だけれども……」と答えて会場を湧かせるあたりから、たいへん和やかな雰囲気になった。Howellsの発表は、特に哲学の分野において、デリダの批判からサルトルの思想を擁護するような内容のもの。続くM.Sicard(パリI)は、両者のポンジュ、ジュネ論の丹念な比較を行なった。午後は、若手の研究者の、直接はデリダと関係はないが野心的な発表の後、デリダ論「エクリチュールと反復」の著者であるD. Giovannangelli(リエージュ大)の「存在と他者、存在論か亡霊論か」が会場を湧かせた。『存在と無』に見られるスペクトル的なものを指摘する発表に、デリダも盛んに応酬し、討論の雰囲気が整ったところで、会場とのやりとりになった。質問の主なものだけ挙げれば、メルロ=ポンティの評価、後期のサルトル、レジスタンス問題など。デリダは、若いときにサルトルのお蔭で様々なものを発見したと述べ、サルトルの存在意義を大いに認めるとともに、知識人のアンガージュマンをはじめ、サルトルの基本的態度には賛成だが、具体的な実践のあり方にはまったく反対だと断言した。また、作品の評価に関しても全面的に否定的だったが、『嘔吐』だけは別で、大好きな作品であり、それについての講演を行なったこともある、と述べたのが印象的であった。議論の興奮のさめやらぬなか、デリダの来訪への感謝の大拍手で初日は幕を閉じた。

 20日は哲学、文学など併せて7つの発表があったが、一般に否定的に語られがちなサルトルと精神分析の関係に関して、精神病理学の立場からサルトルのヒステリー理論を積極的に評価するF.Richard(パリ8、精神病理学)のものが、特に示唆と刺激に富んでいた。


GES総会での主な議事は次の通り。

※来年度の大会のテーマ(「サルトルとボーヴォワール」、「サルトルとフーコー」、「サルトルとブルデュー」、「フロベール論」など。決定は冬の理事会で)。

※会費の値上げの決定(現行130F→150F)。

※ GES、北アメリカ・サルトル研究会、日本のサルトル研究会の会員のアドレス・リストの相互交換(情報交換の円滑化のため。ただし、扱いは慎重にする必要がある、という意見が大勢を占めた。各研究会に持ち帰って検討。)

※ホームページ問題(当面、電子化に関して一番進んでいる日本のサルトル研究会のホームページの中にGESの情報をフランス語で流す)。

※ GESのConseil d'administrationに新しく澤田直が選出された。

今回は日本からは、稲村真実、坂井由加里、澤田直の三名が参加した。


☆会員の連絡先の公開とGES会報の頒布についてアンケートを同封しますので、ご回答をお寄せ下さい。


☆『キーン あるいは狂気と天才』の本邦初演が予定されています。是非お出かけ下さい。

出演・江守徹 演出・栗山民也 新国立劇場 中劇場(初台)

10.4-23 月木金6:30PM 火水2:00PM 土日祝1:00PM

*10.19(火)6:30PM S-6300 A-5250 B-3150(発売中)

問い合わせ先:新国立劇場 Box office 03-5352-9999

☆出版情報:松浪信三郎訳『存在と無』(上)(初版1956)の新装版が人文書院から発行

平井啓之・渡辺守章訳『マラルメ論』(初版1983)ちくま学芸文庫から再刊