日本サルトル学会会報 第70号 2022年 2月
Bulletin de l'Association Japonaise d’Études Sartriennes No 70 février 2022
日本サルトル学会会報 第70号 2022年2月
研究例会のご報告
2021年12月18日に下記の通り、初の試みとして対面ハイフレックス(=ハイブリッド)方式により、第48回研究例会を開催しましたのでご報告いたします。今回の研究例会では、中村督氏(南山大学)による研究発表がおこなわれました。以下、報告文を掲載いたします。
第48回研究例会
日時:2021年12月18日(土) 16 :00 ~ 17 :30
場所: 対面ハイフレックス(=ハイブリッド)開催
立教大学池袋キャンパス A 202 教室
研究発表:中村 督(南山大学)
「戦後フランスにおける知識人史の再検討—『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』におけるサルトルの位置と機能について」
司会: 竹本 研史(法政大学)
中村督氏の発表「戦後フランスにおける知識人史の再検討—『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』におけるサルトルの位置と機能について」は、フランスの代表的なニューズマガジンであり、「知識人の雑誌」として知られてきた『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』誌(以下、「『N.O.』誌」と略記)において、とくに大きな位置を占めていたサルトルがどのような役割を果たしてきたのかについて、『N.O.』誌におけるサルトルの位置がどのように形成され、同誌の理念や方針に影響を及ぼしたのかを明らかにしたものである。
中村氏は、『N.O.』誌に関して、年表やジャン・ダニエルらの言葉に基づき概要をまず説明したうえで、『N.O.』誌におけるサルトルの位置と機能について、(1)同誌にとってサルトルへの協力はどのような意味をもったのか、(2)同誌のなかでサルトルをめぐる集合的記憶はどのように形成されたのか、(3)同誌の歴史においてこの集合的記憶がどのような機能を果たしたのか、以上の観点から検討をおこなった。
(1)について中村氏は、サルトルからの『N.O.』誌への協力については、彼が創刊号以来1970年くらいまでは定期的に投稿していること、またアンナ・ボスケッティらの言葉をひきながら、サルトルが時局に関して緊急の発言をする場として同誌が用いられていることを紹介した。他方で中村氏は、『N.O.』誌の創刊号で果たしたサルトルの「機能」について、(a)サルトルの語りの意義と、(b)サルトルが表紙を飾ることの意義の両面から分析がなされた。前者については、同誌とサルトルの発言の一致から、サルトルが同誌の編集方針を語る形式になっており、「68年5月」でも「聡明で熱意溢れるジャーナリストとしての役割を果たした」(アニー・コーエン=ソラル)点が指摘された。後者についての分析からは、『N.O.』誌にとってもサルトルは好都合な知識人であり、サルトル(=知識人)と『N.O.』誌(=ジャーナリズム)が一蓮托生の関係にあったことが明らかにされた。
中村氏はまた、(2)の側面に関して、『N.O.』誌の周年記念号などでのサルトルへの言及やサルトルの死去の際に再掲されたサルトルに関する過去の記事、あるいは重要な局面におけるサルトルの記事を取り上げながら、サルトルと『N.O.』誌との文化史的・社会史的意義を強調しつつ、(a)「68年5月」に際してのサルトルおよびアラン・ジェスマールとの対談後における文言をめぐる問題、(b)「いまこそ、希望を」掲載の可否問題、(c)1997年にジャン・ダニエルによって取り上げられた、戦時下でのサルトルの昇格人事をめぐる憶測など、両者の微妙な関係も併せて論じた。
さらに中村氏は、サルトル没後の「危機の時代」において、1981年に左派政権が誕生した際の左派メディアとしての問い直し、および1980年代前半に相次いだ知識人の死や存在感が希薄化したことによる「知識人の雑誌」としての問い直し、というアイデンティティの危機と反省が『N.O.』誌でなされたこと、ならびに、「知識人の沈黙」や「知識人の終焉」といった一連の言説に対して、『N.O.』誌が知識人の役割の変化を強調しつつ、『N.O.』誌自身が養成することによって「知識人の発見」をおこなう必要性や、知識人の存在意義の肯定の必要性に迫られたこと、以上を『N.O.』誌が危機の克服の方法として採ったと討究した。その一方で、ブルデューと『N.O.』誌との関係についても論じられ、ブルデューにとって「敵地」であった『N.O.』誌に彼が寄稿した意義を、「知識人の終焉」という言説に抗して「知識人の擁護」をおこなおうとする点でブルデューの見解と『N.O.』誌の思惑が一致した結果、創刊号においてサルトルが果たしたのと同様の役割を担うことになったと主張した。
最後に中村氏は、問いかけとして、「サークルの時代」(1964-72年)、「成功の時代」(1972-81年)、「危機の時代」(1981-86年)・「発展の時代」(1986-95年)という、『N.O.』誌の3つの時期におけるサルトルの位置と機能、「サルトルからフーコーへ」とは異なる、「サルトルからブルデューへ」という系譜、知識人とジャーナリズムとの関係の再考の3点を挙げた。
会場からは、サルトルと『N.O.』誌とのより詳細な関係についてや、インターネット社会におけるメディア研究や世論形成について、フランスの文化史・社会史における言論誌の位置付けなどについて活発な議論が交わされた。当日の司会を務めた者として1つ付言すれば、ミシェル・ヴィノック『知識人の時代』を筆頭に、サルトルを知識人史の系譜に置く研究は数多いが、フランスの文化史・社会史において「サルトル」というアイコンあるいは現象をどのように位置付けるべきか、というのはあまり存在しないと言えるだろう。その点で、中村氏の今回の発表は非常に意義が大きく、速やかな活字化が大いに期待されるものであった(竹本 研史)。
サルトル関連文献
*論文
・郷原佳以「ジャコメッティを見るサルトルとブランショ : 距離について」、『言語・情報・テクスト : 東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻紀要』、第28号、2021年、17-35頁。
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