サルトル研究会会報 第22 2001年 8

Bulletin du Cercle d'Etudes Sartriennes no.22 aout 2001


 サ ル ト ル 研 究 会 会 報 第22号 2001年 8月


サルトル研究会第11回例会の報告


 第11回例会が下記のように開催されましたので、ご報告申し上げます。


  日時:2001年7月7日(土)14時   会場:白百合女子大学 本館5階 9510教室

 


末次弘氏(東洋大学) 「サルトル哲学における無の問題」


 発表の前半では『存在と無』における複数の「無」概念の相互関係と「意識」「自由」「対自」概念との微妙な交差関係が解きほぐされ、人間存在が無を内的構造とする意識と同格であることが示されて、それゆえサルトル哲学が観念論に陥りうることが指摘された。後半ではこの疑念に対して、現象の存在が意識に依拠せずそれ自体としてあることを示した「存在論的証明」および対自の偶然性・事実性をとおして反証が展開された。最後に、それでも「即自」概念の不備ゆえ対自の「絶対的出来事」が成立せず、また身体が即自に還元される等の難点が残ることが結論として提示された。質疑応答では対自自身の無と対自によって存在される無とを区別する必要があるとの見解、バークリーの観念論的命題の反駁に果たして成功しているかとの疑問、そして父親の不在という伝記的事実と「無」概念との関係をめぐる考察が提出された。

司会・文責 生方淳子氏(国士舘大学)



鈴木正道氏(東京外国語大学)「書かれえぬもの---ロカンタンの幻の小説を求めて」


 『嘔吐』には「生きる/語る」という二律背反カテゴリーに加え、「書く」という第三のカテゴリーがある。鈴木氏は『嘔吐』のみならず、「エロストラート」「ある指導者の幼年時代」などの作品にも「書く」というカテゴリーを読みとり、そこにみられる閉鎖的・攻撃的な美学(「閉じるエクリチュール」)を指摘する。アンガージュマン以降、サルトルにおいて「書く」というカテゴリーは攻撃性は維持しつつも、そのベクトルが現実の開示と読者とのコミュニケーションという二重の開放(解放)を目指すようになるが、鈴木氏はサルトルが手を染めた各ジャンル(小説、演劇、伝記)についてベクトルの変容を描いた後で、無の創造によるアンガージュマン(マラルメ論)が可能であると似たような資格で、「閉じた世界」を創造したロカンタンが一種のアンガージュマン作家である可能性を示唆した。

司会・文責 森田秀二氏(山梨大学)


総会 17:30から運営委員の澤田直を議長に行われた。昨年度の会計報告と来年度の予算案(会計担当運営委員:黒川)が諮られ、承認された。また、昨年度行われたシンポジウムのアクト(発表記録)発行に関して、サルトル研究会の分担金の問題が話し合われ、必要の場合のみ、会もしくは発表者が負担ということになった。かねてより、懸案であった名称変更の問題が提起され、実質に併せて日本サルトル学会へと変更することが決定した。これにともなう会則変更などは運営員会で議論される。仙川で行われた懇親会にも半分近くのかたが参加され、盛況となった。


☆ 次回(第12回)の例会は関西で行う予定です。(発表を希望される方はご連絡ください)