サルトル研究会会報 第12 1998年 8

Bulletin du Cercle d'Etudes Sartriennes no.12 aout. 1998


 サ ル ト ル 研 究 会 会 報 第12号 1998年 8月


サルトル研究会 第6回例会開催の報告



 第6回例会が1998年7月11日(土曜日)14時半から法政大学市ヶ谷キャンパスにて開催されましたので、ご報告申し上げます。


1.研究発表


「引き裂かれた自己──意味と魔術について」

発表者 永野潤氏(都立大学助手)      司会者 清 眞人氏


 周知のごとく、前期サルトルの実存の哲学において「演技」は一つの実存的範疇として現れる。サルトルにおいて「あるところのものであらずあらぬところのものである存在」が意識の定義だとすると、意識とは本質的に自己を演技する存在だということになるはずだからだ。そして、この意識の自己演技性というテーマは「自己欺瞞」という概念、あるいはまた「魔術的」という概念、これらを「実存」的存在者としての人間の生態を描き出すための基礎範疇として要請することとなる。永野氏はこの事情に考察の焦点を合わせる。その場合氏の視角を特徴づけるものとは何か?

 サルトルにおいて、根本的には意識はいかなる問題を発条として自己演技の欲望に、いいかえれば自己への「魔術的」たぶらかしに駆り立てられるのか。永野氏の解釈によれば、それは「不安」が開示するところの、いかなる支えを持たない絶対的な無償性、絶対的な偶然性、絶対的な無理由性の自由、いわば「瞬間」の魔のごときものとして立ち現れる「自由を蝕む自由」の自己認知の問題を発条としてだ。この自由は、人間がその日常的生において自分の行為あるいは存在に「理由」なり「意味」を授けることを可能にしていた、ある意味秩序へのいわば原信憑・自己拘束というものを突然みずから無化してしまう恐るべき「解放」的な自由なのだ。それはサルトル自身にとっては「自己の根源的企てを全面的に変容させる回心」の「瞬間」を与えるものとして意義評価される。とはいえ多くの人間にとっては、それは「理由」や「意味」を所持することが与える安息から人間を「解放」してしまう解体的なはたらきを持つが故に、それの認知はむしろ忌避されるべきものなのだ。この認知の自己欺瞞的忌避、それが、あたかも「もの」が「原因」に規定されているように自己を「理由」や「意味」によって規定された「もの」に比すべき存在的な堅固さを持った存在であるかに演技すること、あるいは自分の行為とその意味との間には無化的な分裂などありえず、行動の情熱性において身体と意識とは統一していると「魔術的に」自分自身をたぶらかすことなのである。いわば、それは「演技から逃れるために演技する」(永野)ことなのだ。原本的な事態は、行為はそれを意味づける十分な理由・身体化された根拠をはじめから失っていて、反省的な無化の演技的宇宙に宙づりになっているということなのだ。

 永野氏は、サルトルのこの原本的な演技性のテーゼはデリダの「エクリチュール」の戦略と極めて類似した立場を意味すると解釈する。

 ところで司会者にとって興味深かったのは、永野氏がレインを引照して、そうしたサルトルの原本的な演技性のテーゼなり「自由を蝕む自由」の表象は、レインの立場からいえば精神分裂病質者の生きる実存状況を特徴づける「存在論的不安定」と呼ばれるべき事態に合致すると指摘したことだ。つまり、レインが人間のもっとも深き存在論的疎外の事態を見出すところに、永野氏は反対に一つの根源的な「解放」的契機を捉えるわけだ。「日常性」の自明性を解体し、そこからの「解放」を得るための。

 このレインと永野氏との一にして同じ事態に関しての評価の対立は興味深い。というのも、後期サルトルの思索を視野に入れた場合、司会者には、レインと永野氏との対立は後期サルトルと前期サルトルとの〈対立〉と重なってくるような気がするからである。

(文責:清 眞人)


「サルトル ツーリスムの系譜学」発表者:黒川学氏      司会:森田秀二氏


 都会人サルトルはまた、異邦の地においてツーリストたらんとした人でもあった。従来、正面からとりあげられることのなかったこのテーマが主にDepaysement(D)とLa Reine Albemarle(RA)の二作品の精密なテキスト分析を通じて展開された。ツーリスムは文化史的な枠としての「エキゾチスム」とサルトルに固有の「冒険」という二つのテーマ群との関連で論じられうるとし、前者について発表者はポール・モーラン以前(自国文化の優位性)とモーラン以降(人類学的視線)を対比させたうえで、両者の上空飛翔的態度と異なるサルトル的エキゾチスム(「恥ずべきツーリスト」の意識を抱えたツーリスト)を抽出した。また、Dの構成の一貫性を擁護した上で、『嘔吐』などのlivresqueな冒険ではなく、ナポリ=他者との遭遇を契機とする新しい「冒険」意識がみられるとした。明快な構成による説得力に富む発表であった。

(文責:森田秀二)


2.総会


 研究発表後、総会が行なわれ、以下の事項が報告ないし協議されました。

1) Groupe d'Etudes Sartriennes(GES)への会費一括払いについて

 6月にパリで行なわれたGESの総会で、日本人加盟者の会費支払いを今までの個人別から一括払いにしてほしい、との要望が出されたことを受けて、その具体的な方法が提案され、協議の結果、承認されました。当CES会員はすべて、特に拒否を表明しない限り、自動的にGES会員となり、CES会費支払いの際にGESの会費も含めて納め、事務局から一括して送金、GESの会報も一括して送ってもらうという方法で、すでに、アメリカとイギリスのサルトル研究会ではこの方法が用いられています。個人的に支払いたい者、またはGESへの加入を望まない者は、早めに事務局まで連絡してください。


2) 電子化について

 当研究会では、今まで会員の皆さんに対し郵便による連絡を行なってきましたが、手続きの簡素化と経費節減のため、徐々に連絡網の電子化を進めたいと考えています。総会では、この方針について議長から説明があり、会員に協力が要請され了承されました。

手始めとして、会報をE-メールで受け取れる人は事務局まで一度メールを送り、アドレスを知らせてください。


 また、インターネット上にサルトル研究のホームページを開くことも提案されました。すでに、澤田氏および永野氏はそれぞれホームページを作成しつつあるので、これらを基盤として充実を図ろうとの方針が出されました。ちなみに、ミシェル・コンタ氏もCNRSで立ちあげていますが、内容はまだ整っていません。


 さらに、将来的にサルトルのテクストのコンコルダンス作成を含めた電子化を図ることが必至であるため、その際の国際チームに日本からも参加することを今から考えておくよう、提言がありました。


3)今後のCESの運営について、会合、会報発行等の期日をおおよそ指示する年間行事表の作成を行なうことが提案され、承認されました。


4)会計担当の黒川学氏から以下のとおり97年度の会計報告および98年度予算案の提出があり、承認されました。



1997年度会計報告書

(1997年4月1日~1998年3月31日)

1. 収入の部


会費

76,000

雑収入

3,132

前年度繰越金

79,437



合計

\158,569


2.支出の部


例会費

3,000

通信費

43,890

物品費

8,227

印刷費

5,675

雑費

8,000

予備費

9,400



合計

\78,192


収支決算:収入-支出=80,377円(次年度繰越金)  会計担当:黒川学 会計監査:武田昭彦




1998年度会計予算案

1. 収入の部


前年度繰越金

80,377

会費

70,000

雑収入

3,000



合計

\153,337


2.支出の部


例会費

4,000

通信費

40,000

物品費

10,000

印刷費

6,000

雑費

10,000

予備費

12,437

次年度繰越金

70,900



合計

\153,337



例会のあと、法政大学近くで懇親会が開かれ、多数が参加しました。


☆ 6月20,21日にパリでGESの大会が開かれました。以下は石崎晴己氏による報告です。

本年度のGESは6月20、21の両日にわたって、ソルボンヌのルフェーヴル大教室にて行なわれた。特に第一日は、カミュ研究学会 Societe des Etudes Camusiennes との共催で、8人の司会者と16人の発表者を両学会が均等に分け合う形で行なわれ、いつになく盛会であった。午後の部の最初にはロジェ・グルニエが、二人の思い出などについて語った。なおデリダが同じ形で登壇することも計画されていたようだが、実現しなかった。

興味深い発表が多かったが、未発表の Jean sans terre とカミュの『転落』を対比しつつ、今世紀の有罪性としてのショアーとの関連を示唆する Jacques Lecarme や、マッカーシー旋風時代を主題とする放棄された風刺的戯曲の案(セリーヌの『教会』を思わせる)について報告した Michel Contat のものが、特に刺激的であった。またわが澤田氏の発表 La litterature comme appel - la question de la communication chez Sartre はサルトル的倫理学読解の新たな構想を提起するものとして、大いに反響を呼び、高い評価を受けた。

 総会では、来年以降のテーマとして、デリダやブルデューの名が上がり、また会費徴収の方法の改善など、会の組織の整備が議論されたが、わが偶然的日本代表団(澤田氏と筆者に、東大の坂井由加里氏を加えた)も大いに発言したことを付記しておく。

                    石崎晴己