下記の通り、第55回研究例会が公開シンポジウムとして拡大開催されましたのでご報告いたします。
日時:2025年7月13日(日)12:30〜19:00
場所: 立教大学池袋キャンパス 7101教室およびZoom
12:30 日本サルトル学会総会
2024年度収⽀決算、2025年度予算の承認
会誌『サルトル研究 エレウテリア』の進捗の報告
新入会員紹介 (昨年12月以降の新規加入者5名、入会順、敬称略)
植田純弘(社会人)、三浦真空(専修大学大学院)、長野正(社会人)、大川拓真(新潟大学大学院)、菊池彩乃(弘前大学)
新入会員挨拶 大川拓真
13:00 立教大学文学部文学科フランス文学専修主催 日本サルトル学会・日本プルースト研究会共催
公開シンポジウム
「戦後日本におけるフランス文学受容とその社会的インパクト ― 鈴木道彦の足跡をとおして」
以下、総合司会者および第2部の司会者による報告です。
趣旨説明と基調報告
昨年11月11日に、設立以来サルトル学会の会長を務められたフランス文学者の鈴木道彦先生が亡くなられた。20世紀後半の日本において、フランス文学の紹介・翻訳と研究を牽引してきたお一人であることは言うまでもない。先生のご業績はサルトルにとどまらず、『失われた時を求めて』(集英社、全13巻)の個人全訳とプルースト研究、フランツ・ファノンの紹介など多岐にわたる。それを踏まえて、今回のシンポジウムは、実践活動も含めそのお仕事を多角的に検証すべく、立教大学文学部文学科フランス文学専修の主催、日本サルトル学会・日本プルースト研究会の共催という形で行われた。
会場には、サルトル研究者、プルースト研究者を含めて先生と生前に交誼のあった人々が100人を超えて集まり、オンラインでも70人を超える参加者があった。先生を最期まで支えられた松子夫人もご来場下さり、登壇者の言葉に熱心に耳を傾けておられた。
第1の基調講演は、長年のご友人であり、多数の仕事を一緒におこなった海老坂武氏(フランス文学者)の「鈴木道彦とサルトル —— 記憶のはざまから」。1961年の出会いからはじまり、翌年のファノン関係の初めての共訳、1963年から66年の海老坂氏留学の際の手紙のやりとり、1966年から68年ごろサルトル4人組と呼ばれた平井啓之、竹内芳郎を含めた交流について語った。その後、1966年のサルトル来日時の会見の様子や、1968年前後に鈴木の活動がサルトルやファノンから、李珍宇(小松川事件)、山崎博昭殺害事件、脱走兵支援運動、金嬉老事件への関与などへと広がったことについて述べた。最後は、68年以後、鈴木がサルトルをどのように評価したのかについても語ったあと、『嘔吐』のexistence解釈に関する見解の相違や、時間があれば語り合いたかった主題などに触れて30分の稠密な話を閉じた。長年の友人ならではの貴重なエピソードをメモもなく洒脱なユーモアを交えながら滔々と語る姿が印象的で、聴衆の心を打った。
第2の基調講演は日本プルースト研究会会長で、鈴木に続いて『失われた時を求めて』の個人全訳(岩波文庫)を行った吉川一義氏(京都大学名誉教授)の「鈴木道彦先生の想い出をめぐって」。修士論文執筆時に最初に小金井の自宅を訪ねて、助言を乞うたのが最初の出会いだったと話しはじめ、ただ修士論文については「きみの全共闘シンパの想いが反映されていないのが残念だった」と言われたというというエピソードを披露。それを口火に吉川氏は、これまでおそらく公の場で触れることのなかった自身の学生運動への参加の経験について語った。鈴木の『失われた時を求めて』全訳の完成を祝う会や米寿の祝賀会で交わしたやりとりを述べたあと、鈴木のプルースト論の大きな特徴のひとつが、当初から同性愛やユダヤ問題に踏みこんだ解釈が示されたことであったことを指摘。学問と実践とを区別せず、信念を貫く行動の人であった鈴木先生の生き方を、今後の指針にしたいとして話を閉じた。二人のプルースト研究者の敬愛のこもった緊張関係が実感できるすばらしい話であり、会場の全員が固唾をのんで耳を傾けた。
第1部報告
第1部では、「プルースト、サルトル、第三世界」と題して、それぞれの分野で鈴木の衣鉢を継ぐ3人による報告が行われ、異なる領域において、鈴木道彦がきわめて大きな業績を残したことが実感された。
最初に中野知律氏(一橋大学名誉教授)は「プルースト研究史における鈴木道彦」と題して、『失われた時を求めて』の個人完訳の出版に関して概観した。原典のエディションとの関係にも目配りしつつ、1996年に始まり2001年に完結した集英社版13巻本の全訳の前後に、1992年には2巻本の抄訳版、2003年には3巻本の抄訳版『失われた時を求めて』を出したことの意義について語った。つづいて、鈴木がいち早くプルーストの「批評」テクストに注目したことの重要性を、1960年刊行の翻訳を中心に語った後、「生成研究」の草分けでもあったことを、1959年発表の論考 « Le “je” proustien »(「無名の一人称」)の先駆性に触れつつ確認した。最後に、プルーストをめぐる「評伝的文学論」の試みについて、1970年代後半〜1980年代の論考の意義を中心に概観し、作家をその時代に位置づけて考察する姿勢と時代のなかで研究する姿勢の照応について述べた。たいへん緻密で整理の行き届いた講演であった。
第2の報告は、竹本研史氏(法政大学)の「鈴木道彦と/のサルトル——「知識人論」を中心に」。鈴木とサルトルの関係を、「知識人論」の観点から紹介した。鈴木が関心を抱いたのが何よりも「政治的なサルトル」であったことを確認することからはじめ、『異郷の季節』、『越境の時』、『余白の声』などを中心に読み解き、アンガージュマンと「独自的普遍」というテーマを鈴木がいかにして掘り下げようと試みたかが示された。さらに、鈴木がサルトルの思索から最も影響を受けたのがとりわけ「全体化」と「暴力論」であった点に着目しつつ、全体化については、「全体化」がアンガージュマンのことであると鈴木が断言しつつ、それが「独自的普遍」と結びついていることを強調した点に注目。他方、暴力論については、それが責任と連係していることに着目し、この視座こそが鈴木が取り組んだ在日の問題へと繋がるとした。最後に、68年5月をフランスで目の当たりにした鈴木のサルトルに対する距離の取り方や、鈴木自身のありかた、晩年の鈴木が語るサルトル再評価とサルトル以後の知識人の不在についても言及がなされて発表が締めくくられた。
3人目は、カリブ海文学のみならず、ブラックカルチャーに関して刺激的な著作を次々と出している中村隆之氏(早稲田大学)による「第三世界と政治的想像力——鈴木道彦におけるファノン」。2018年に鈴木に行ったインタビューのときの思い出から話を始め、鈴木において実存と結びつかない研究はありえないという点をまずは強調。それに続いて、脱植民地化運動と民族問題という主題に関して、鈴木がフランスの問題だけでなく、いち早くアメリカの黒人問題にも関心を寄せたことに着目。「黒人」を作ったのは支配者たちであり、差別は支配者たちが自分の利益のために巧妙に築き上げた神話であると述べている箇所などを紹介し、鈴木において、アルジェリア独立戦争、ファノンの紹介、在日朝鮮人の問題がいかなる意味で地続きであるのかを鮮やかに分析した。鈴木にとってファノンを翻訳紹介するという作業は、学術的な次元に留まらず、自らの植民地問題にかかわる責任を問い直すことであり、そのような実践的な次元と乖離した形での学術的な活動は鈴木においてはありえなかったという点があらためて強調された後、鈴木のこのようなアンガージュマンの態度を、自分たちの世代の研究者がいかに継承しうるか、そして、継承するべきかという問題を提起して、論を閉じた。(澤田直)
第2部報告
第2部では、「戦後の世界および日本とフランス文学」と題して5人の発表が行われた。それぞれに異なったアプローチで鈴木道彦の多岐にわたる業績を立体的に照らし出し、そのレガシーを私たちがどう受け継いでいくかを考えさせるものだった。
まず、小林成彬氏(國學院大學)は、「鈴木道彦の一九六〇年代―越境/異郷」をテーマに「時代のつきつけてくる課題と格闘をした」鈴木道彦の姿を浮き彫りにした。「その伴侶として、思想の対話相手として、サルトルがいた」との位置付けのもと、鈴木が1954年にプルースト研究の目的でフランスに留学した際、到着直後にアルジェリア戦争が勃発したこと、独立派を支援したサルトルと出会い、「文化と戦争」が共存するヨーロッパをサルトルと対話しながら問い、考えたこと、そしてその経験が鈴木を1960年代日本において在日朝鮮人問題との取り組みへと向かわせたことを鈴木の著作を引用しながらていねいに語ってくれた。個人的にも18歳の時から私淑したかけがえのない師であったとし、その思い出も交え、偉大な先達の「越境」する偉業に心打たれたと述懐する若手サルトル研究者の深い敬意に満ちた発表であった。
続いては、「鈴木道彦 境界を越える勇気」という題で澤田直氏(立教大学名誉教授)が鈴木の業績全体を俯瞰的にまとめ、その意義を明らかにした。鈴木が、研究分野を越え、複数の文化を架橋し、翻訳をとおして異なる言語を結ぶという3つの点で、果敢に境界を越えたことを振り返り、その3つをつなぐものとして「他なるものをどう理解するか、それを通して自己をどう理解するか」という問題に取り組んだと主張した。鈴木の豊饒な仕事の中から、特に他者理解と自己理解というテーマに焦点を合わせ、そのツールとしての想像力にも言及し、シュルレアリスム、ファノン、セゼールらとの関わり、そして翻訳における「異議申し立て」の意味にも目配りした総括的な発表だった。最近まで共に翻訳の仕事をしてきた協力者としての体験談や鈴木の謹厳にして至誠な人柄を偲ばせる証言も聞かれた貴重な発表であった。
3番目は、一転してピンポイントの発表となった。合田正人氏(明治大学)による「autistique/artistique? ―その顛末」で、表題通りひとつの単語の解釈をめぐる謎解き仕立てのサスペンスに満ちたものだった。合田は学部時代の3年間、鈴木道彦ゼミにて指導を受けたというが、その際に講読した『文学とは何か』の一節に関して、鈴木の解釈が数年間を経て変化したという。ゼミでは、autistique という語は1文字違いのartistique の誤植だろうと言っていた鈴木が、のちに誤植ではないと考えるに至ったという。その変化の謎を合田は、鈴木自身の著作に表れた病跡学的考察を踏まえた上で、ヤスパースやミンコフスキー、それらと接点を持つ『イマジネール』などを通して解いていく。在日問題との関わりや『自我の超越』の解釈にもこのautisme に対する鈴木の注目度の高まりが関係しているとして、最後はフロベール論における自閉症との関連性をえぐり出した。1文字の違いから出発して鈴木の知的探索の足跡を追う目の覚めるような意外性のある展開だった。
4番目には鵜飼哲氏(一橋大学名誉教授)が、『アルジェ/東京』から見えるもの、聞こえるもの」と題して鈴木道彦への献辞の添えられた「ドキュメントの哲学」書について語った。セルア・リュスト・ブルビナによる『アルジェ/東京 ― アジアにおける反植民地主義の密使たち』(須納瀬淳・黒川学・坂井由加里訳、人文書院近刊)である。著者は鵜飼氏の仲介で鈴木道彦を日本に訪ね、その出会いを軸に本書を構想したという。鈴木を「反植民地主義の密使」のひとりと見なし、アルジェリア独立闘争の成功を政治的・外交的側面からではなく密使たちの「ミクロ」な働きから見てそれがバタフライ効果を生んだとする。アルジェリア人革命家のマフムード・Tが獄中から鈴木に宛てた書簡も同書から引用し、鵜飼はフランス文学者である鈴木が同時代のフランスについて「正しい判断」をしたこと、つまりこの国の過ちを過ちとして告発したことを重視する。闘う文学者として鈴木の同志でもあった彼は、「以降、戦後日本のフランス文学受容はこの判断と無縁には成立しないはず」との重い問いを投げかけた。
この反権力の闘士としての鈴木へのオマージュを受ける形で最後に登壇した永野潤氏(東京都立大学)は、「鈴木道彦と〈宥めない左翼〉」と題し、鈴木を師と仰ぐ「私たち」に鋭い批判の言葉を向けた。私たちは闘う鈴木から影響を受けたとは決して言えず、もはやサルトル、鈴木、竹内芳郎のように世界の状況に真剣に向き合い責任を負おうとしていない、と厳しい𠮟責の言を放ったのである。氏は、鈴木がサルトルの対抗暴力の理論を制度化された暴力への抵抗の力として肯定しつつ、その堕落に警告を発したことを取り上げ、私たちがその暴力論を磨き闘い続けるどころか、「社会運動フォビア」に陥っており、せいぜい「宥める左翼」に落ち着いてしまっていると指摘する。植民地独立、ベトナム戦争反対、在日問題、羽田闘争などに関わった鈴木の確固とした言葉を引用し、「闘う左翼」を受け継ぎ伝えていかねばならないとのアピールを発する力強い発表であった。
以上5人によって喚起された鈴木道彦像をどのように受け止めるか、会場の参加者にも発言を求め討論を実施する予定であったが、司会者の不手際により時間切れとなってしまったのは非常に残念であった。お詫びしたい。(生方淳子)
東京大学駒場キャンパスで8月27日(水)、28日(木)に『墓場なき死者』のリーディング公演が企画されています。
https://x.com/2ndConfessi0n/status/1943924107596509270
在日朝鮮人2世の映画作家・朴壽南(パク・スナム)が娘とともに撮ったドキュメンタリーが8月2日に公開されました。https://eiga.com/movie/104272/
論文
宮澤 桃子「倉橋由美子『どこにもない場所』におけるサルトルの模倣と超越」、『都大論究』第61号、東京都立大学国語国文学会、2024-08、p.33-47
高嶋裕一「唯物論における Engagement の立場;Sartre 思想の再解釈 — 第 I 部「存在と無」読解 —」、
岩手県立大学総合政策学会 Working Papers Series 176号、2025-01-12、p.1-275
古永, 真一「バタイユとサルトル : 罪についての討論をめぐって」、『人文学報. 表象文化論』第521-10号、東京都立大学人文科学研究科人文学報編集委員会、2025-3-28、p.71-83
東京都立大学機関リポジトリみやこ鳥
畑田晃佑「サルトル第二の倫理学における主体性に関する教育学的考察」、『哲学・思想論叢』第43号、筑波大学、2025-03-31、p. 60(1)-46(15)
宮澤 桃子「一九六〇年代の日本文学を再考する : サルトル受容を中心として」、『論樹』第34号、論樹の会編、2025-04、p.30-39
一九六〇年代の日本文学を再考する : サルトル受容を中心として | NDLサーチ | 国立国会図書館
高嶋裕一「唯物論におけるEngagement の立場;Sartre 思想の再解釈—―第II部「実存主義」を巡る論争 ―」、岩手県立大学総合政策学会 Working Papers Series 181号、2025-06-06、p. 1-282
・日本サルトル学会では、研究発表・ワークショップ企画を随時募集しています。発表をご希望の方は、下記のメールアドレスにご連絡下さい。なお例会は例年7月と12月に開催しています。
・学会誌(電子ジャーナル)『サルトル研究 エレウテリア』第3号は、現在、応募原稿の査読など編集作業を進めており、本年11月に刊行の予定です。その後に、次号への応募を開始します。
・サルトル関連文献には漏れもあるかと思います。ご自身で新たに発表された論文や著書などがあればお知らせいただけるとありがたいです。
・会報が住所違いで返送されてくるケースが見受けられます。会員の方で住所、メールアドレスが変更になった方は、学会事務局までご連絡ください。なお、会報はメールでもお送りしています。会報の郵送停止を希望される方は、事務局までご連絡ください。
日本サルトル学会 AJES Association Japonaise d’Etudes Sartriennes
〒102-8160 東京都千代田区富士見2-17-1 法政大学人間環境学部 竹本研史研究室
c/o Kenji TAKEMOTO, Hosei University, 2-17-1, Fujimi, Chiyoda-ku, Tokyo, 102-8160, JAPAN