熊本県球磨村神瀬、曹洞宗神照寺住職
岩崎哲秀さん
第39回 宗援連情報交換会「能登半島地震における宗教者による支援活動の広がりと現状」
5)岩崎哲秀さん(熊本県球磨村神瀬、曹洞宗神照寺住職)
私は曹洞宗の僧侶で、能登町において支援活動をさせて頂いている。
令和2年豪雨災害では日本三大急流の一つである熊本県の球磨川が氾濫し、山腹崩壊による被災で65名が亡くなった。熊本県球磨村の被災地から、能登半島地震被災地へ支援に入った。
能登町には1月〜3月で計4回行き来し、29日間活動している。宿泊はOpenJapanの施設を使用させて頂いた。その施設ができる前は、一緒に港で車中泊した。
支援先は、公民館・自主避難所・集会所・在宅避難者・能登町聖書教会・プロテスタントで、輪島市での真宗大谷派炊き出しチーム・浄明寺崖超(きしはるか)さん・奥羽チーム(福島宮城岩手)TEAM二本松の佐々木道範さんに対して、お米を届けたりという支援もさせて頂いた。
全国から4トンのお米(無洗米)、レンジでチンするパック(ご飯)。生野菜、果物、お肉、チーズ、納豆、プラ容器、サランラップ等。ヘッドライト、乾電池、おむつ、生理用品、衛生品、避難所備品。これらを我々は基本的に二人でお送りしている(熊本から行った私と金沢で荷物を受け取ってくれるお坊さんと)。
各避難所を回り、炊き出しで調理場担当のお母さま方に必要な食材をお聞きして、それを往復6時間かけて金沢市内で購入して届ける。時には、避難所でゴミが大量に集まってきたときに、「カラスが悪さするのでネットを買ってきてくれ」等も頼まれた。避難所運営で必要なものを御用聞きにして、できれば翌日中には届けるという作業を29日間やってきた。
炊き出し活動も行った。各避難所・学校関係・役場職員・支援者・病院・先生看護師・介護士みんな被災されている。1月6日に現地に入った時、避難所はおにぎり1日1個とかいう状態で温かいものを初めて食べた。1月後半に行った病院でも、先生方・全国から集まったDMATも缶詰とカップラーメンとかしか食べていない状態。その支援者へも支援してきた。
復旧作業としては、屋根のブルーシート貼り。ユンボで海に流された建物の解体、回収。被災住宅の片付けなども。復旧作業で被災した寺院の本堂の片付け。停電地区に発電機のレンタル支援なども行った。
活動のペースは、1ヶ月に一度のペースで実施してきた。基本的には全国の被災地域住民が熊本・福島・岩手・宮城からと被災地に集まってきている。
専門ボラを行う団体が各被災地域で行政のサポートとして入る。この団体がネットワークをつなげる形で、福祉・重機作業・炊き出し・学校支援など各々の得意分野を活かして調整されている。どこに行ったらよいか分からないという場合は、こうした団体にご連絡を取って、ボランティア作業を始めて頂ければと思う。
今回は、私はお米を全国から集めさせて頂いた。臨床宗教師でもあるので、日本福音ルーテル広島教会の牧師さん・浄土真宗本願寺派、そして真宗大谷派ご門徒から預かったお米を届けた。基本的には超教派、超宗派で活動させて頂いている。
いま既に仮設住宅ができてきている。集会所スペースで避難所から仮設に移ったひとたちの声なき声を聞き、受けとめることができればと毎日サロン活動させて頂いている。
---------------------------------
島薗:物資支援を共にされた金沢の僧侶はどういった方か。
岩崎:同じ曹洞宗の僧侶。私も被災した経験から被災地域には宅急便が届かないという現状を知っているので、宅急便の受け入れが可能な金沢市内に「観世ふぉん電話相談」という団体がある。その相談員と活動を開始した。
島薗:臨床宗教師のネットワークが機能する可能性は。
岩崎:私は九州臨床宗教師会に所属しているが、概ねまだだろうと思う。能登半島で活動するには車中泊が必須となる。いまサロン活動は具体的ではないと思うが、これまでの被災地を見ていても、今回の能登町は長く続くだろう。臨床宗教師として関わることはありうると思う。
馬目:OpenJapanさんとつながったきっかけは。
岩崎:OpenJapanさんは4年前に被災したときに、我々の完全孤立した集落に1年半ベースを張って頂いた。リーダーのひーさん等がいたのでいま現在、集落が何とか再生している。行政職員よりもノウハウを持っていて、より支援の届かない人たちの探し方、つなぎ方を知っている。
中村直人(読売新聞西部本社):私は人吉出身(球磨村の近隣)です。臨床宗教師としての活動を今後行ううえで課題はあるか。サロン活動の場所確保にも制約は。
岩崎:宗教の看板をもっていても、仮設を運営する自治体の許可を出せば可能となる。その際には、臨床宗教師は公的な場所(病院・学校・避難所)でも布教活動をしないという約束事を担保にどのサロン活動でもできると思う。それは東日本大震災で発生した臨床宗教師の根底に理念でもある。
以上