2009年9月のメッセージ

棄てる

長く使ってきたものを棄てることには、大変な決断が必要です。まだ使える、あるいはまたいつか使うかもしれない、と思います。長年一度も使わなかったものですら、一度ぐらいは使ってからと思って、捨てられません。オフィスや家では、毎日たくさんの雑誌や本や資料が増えてきます。またたく間に、資料の山ができます。このゴミ山を減らすために、合間を見つけて、まだ見ていない雑誌や資料に目を通します。まるで「棄てる」がために、読んでいるかの如きです。

限られた空間で快適な生活をするための最大の仕事は、「棄てる」ことです。人間は際限なく「もの」を生産するので、棄てるプロセスがなければ、地球は要らないものや棄てられたゴミで溢れかえってしまいます。

ひょっとしたら人類の歴史って、「棄てる」ことばかりやってきたのかもしれません。人の命が、そうです。子供が生まれるのに、年寄りが死ななければ、地球は人で溢れてしまいます。死んでしまった人一人ずつに立派なお墓を作れば、地球はお墓で溢れかえってしまいます。無縁仏になることが必要です。棄てるのです。

「棄てる」ということは、次の世代に空間を与えることなんです。棄てられた人や動物は地中で腐って長年経って石油に変わります。棄てられた植物もまた地中で腐っていき、いつの日か石炭になります。棄てられても、生きたということは無駄ではなかったのです。

最近、岩波の雑誌「科学」が、「物理の散歩道」50周年特集号を発刊しました。50年前の「物理の散歩道」の最初ふたつは木下是雄先生のエッセーで、そのふたつ目のタイトルは「棄てる」です。エッセイのはじめに、ファイリングについての教科書の文章の引用がでてきます。

「保管とは要らなくなった書類を棄てることだ」

そして、

、、、日本のお役所には、決して取り出すことのない書類が縄で縛って山積みししてある。その保管 ーではなく死蔵ー のために無駄に使われている空間は、、、、、

と続きます。そうなんだ、保管するということは、棄てることなんだ。

野口悠紀夫さんは「超整理法」で一般人にも有名になられましたが、この本の趣旨は「書類は整理するな」。そして「溢れたら棄てろ」です。書類の保管場所を厳しく制限して、新しい資料が来たら、古い書類は中身を読まなくても見なくても次々と棄てるのです。

日本人は、整理好き・保管好きです。古いものをなかなか棄てられないので、新しいものを受け入れる余裕がありません。新しいものを受け入れられないということは、「変化に弱い」ということです。伝統や慣習、祖先を大切にすることは大切ですが、このままでは墓場がどんどん増えていき、新しい住宅を建てる場所がなくなってしまいます。

2009年8月30日。

ついに自民党政権が棄てられました。

明治維新も敗戦も「革命」ではありませんでしたが、今回の選挙結果は日本始まって以来初めての「革命」だと言っていいと思います。人民一人一人の一票でもって時の政府を倒したのですから、無血・非暴力「革命」です。先進国・民主国家で唯一、一党支配が60年以上続いて官僚が国を支配して来たのを、人民がはじめて倒したのです。

今回、自民党が国民に棄てられたのは、自民党が古いものを棄てることができなかったからかもしれません。自民党はもういらなくなった荷物を、あまりにもたくさん持ちすぎたのです。郵便局も独立行政法人も天下りもアニメ御殿もたくさんの無駄遣いも、棄てられませんでした。途中で突然仕事を投げ出した元総理や、酔っぱらい会見財務大臣や、女性は産む機械発言の厚労大臣や、絆創膏農水大臣を、自民党は棄てられなかったのです。要らないものを棄てられない政党が、国民に棄てられたのは皮肉です。今回に自民党を棄てた人たちが作った「みんなの党」や、昔に自民党や社会党を棄てた人たちが作った「民主党」が勝ったのです。

「棄てる」ことは、難しいことです。未来永劫絶対要らないと断言できるものなど、ほとんどありません。ほとんどのものは、いつか使えるかもしれないし、ないよりはあった方がましです。部屋の中が、頭の中が、国の中が、墓場だらけになっても、墓場が要らない訳ではありません。それでも、棄てましょう。棄てないと新しいものが入りません。

2009年8月30日、私は上海にいました。選挙は不在者投票です。私の研究室を卒業して、他の大学で准教授として活躍している2人の研究者に会いました。2人から、私がこれまでどうやって新しい研究テーマを決めてきたのか(創出あるいは発掘、選定)について尋ねられました。その答えは簡単です。

今のテーマを棄てるのです。

私は、新しいアイデアが浮かんだら、今までやってきた研究をすべて止めます。もうすこしで成果が出る、まだ色々やることがある、今論文を書きかけている途中である、等の状況において止めることは大変です。でも、棄てます。実際にその研究をやってきている学生やポスドクからは強く抵抗されます。でも、棄てるのです。博士後期課程の2年目で学部・修士からやってきたテーマを棄てる確率は、多分50%に及びます。

今の研究を棄てなければ、新しい研究で成功することはありません。学位を取るまで、あと1,2年ならなおさらそうです。古いテーマを棄てることでもって、新しい研究に専念できるのです。長年の間で、止めてしまったテーマは数限りなくあります。それを続けておけばその分野で大きな成果を上げたであろう、といわれる研究が多くあります。それでも、棄てるのです。

私の大学のオフィスは普通の教授室より狭いのですが、それでも書類の山はなくすっきりしています。理研の主任室は本当に空っぽです。研究員の方が遥かにたくさんの書類や本を持っています。私は書類と本の量は、研究成果に反比例すると信じています。書類や書物をたくさんため込む人は棄てられない人だからです。私の「引っ越しの勧め」は、そのためです。

今回棄てられた政党は、残念ながらもう復活しないと思います。棄てたものは、もう要らないのです。明治維新の後に江戸幕府は復活しませんでした。これまで抱え込んだしがらみを棄てて、新しい組織を作って、それから国民に訴えるのがいいだろうと思います。

マスコミだけは、まだまったく古い政治を棄てられていません。「継続性が大切」と社説に書かれます。国民は、その「継続性」を棄てたのです。いつまでも古い政治・政局評論ばかりを続けていると、マスコミも国民に棄てられてしまうかもしれません。ダムを棄てる、高速道路を棄てる(道路から金を取らないことは世界では当たり前のことなんですが)、独法を棄てる、政権交代直前の駆け込み基金を棄てることなどについて、マスコミと評論家はとても心配らしく、問題点をことさらに強調されます。国民が棄てたものをマスコミはまだ棄てられないようです。日本は、世界と比べて新幹線や飛行機料金が異常に高すぎます。これは、競合する高速道路に金を取るからです。少々心配があっても、棄てて大丈夫です。

身を棄ててこそ浮かぶ瀬もあれ

その覚悟が、政治家やマスコミに問われているのだと思います。SK

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