2003年11月のメッセージ

いまどきの年寄りは、、、

今月のメッセージでは、大阪再生の最後の切り札、世界の人の憧れの街となりうる世紀の「大阪北ヤード計画」(国際コンペを実施、970件の作品から3点が入選)を、大阪市の役人達がどうやっていまなし崩しに破壊しつつあるか、その市民への裏切りと国際コンペのへの冒涜と役所の利権構造を暴こうと書いてみたのですが、大阪市長選直前でありかつ市役所内からの市長立候補者がおられるので、選挙妨害になる恐れがあり、残念ながらネタを変えることにします。

そこで今回は、「いまどきの年寄り」の話をしてみたいと思います。今回の国政選挙で、80歳を超える元総理大臣が二人、ついに国会議員を引退されることになりました。私は、原則として定年制度の否定論者です。体力や能力は人それぞれであり、特定の年齢において皆が一斉に衰えるものではありません。アメリカの大学では、定年制は年齢差別として、とっくの昔に廃止されています。

しかし、元総理のおひとりの主張はそういった次元の話ではなく、生涯比例区推薦1位という約束が党との間であったとの主張です(もう一人には何も主張がないので論外です)。しかし、これは談合です。体力がなくなっても判断力に衰えができても、死ぬまで推薦1位を保証するという党とご本人との約束は、党員や有権者を愚弄した談合です。

かつては「風見鶏」といわれて周りのムードを先読みできる人だった元総理が、こんな下手な議論をされるとは、はやり年齢の衰えによるものでしょう。ましてや、非礼であるとか手順が違うとかの訴えは、ヤクザの言いがかりと同じで(ヤクザさん、ごめんなさい)、公共のメディアを通じて主張する話ではありません。後藤田正晴さんも、朝日の「私の視点」(11月4日)で、非礼と手順を最後の理由にされており、老人惚けは伝染しています。

こんな居直りをする年寄りが出てくるからこそ定年制が必要であることを、皆に教えてしまったことは、結果的に元首相の実に皮肉なジョークになりました。「いまどきの若者」は礼儀を知らず約束を守らないというのが、85歳の元・党総裁の正直な感情でしょう。でも「いまどきの若者」である61歳の現・党総裁には、「いまどきの年寄り」には潔さがなく、未練たらしく醜く見えたようです。

星野監督のさわやかな引退報道があっただけに、元総理の引き際の悪さは一層、ぶざまです。たった2年で45歳の若い原辰徳監督を解任して原氏より11歳年長の堀内恒夫氏を後任に指名した巨人軍を批判し、自らは惜しまれながら引退しつつ10歳年下の岡田彰布氏を後継指名した星野さんのさわやかさに拍手を送る社会の声が聞こえないとは、元総理も耳が遠くなったか頭が呆けてきたのかの、どちらかでしょう。

私が高校生の頃、私の憧れの噺家の桂米朝さん(当時45歳ぐらい)は、ラジオ大阪の「題名のない番組」という番組[1]で、「自分は55歳で引退する(確か、正確にはガンで死ぬと、予言されてた)」と言い続けておられました[2]。そのころのサラリーマンの一般的な定年の年齢が55歳ですから、合理的な引退宣言だったのかもしれませんが、米朝さんは私の父とほぼ同じ世代(彼の2歳上)でしたから、強烈な印象を私に与えてました。

そして、私はいま、そのころの彼の年齢をとっくに超えてしまっています。実際、50歳を過ぎて以来、いつ引退すべきかよく考えるようになっています。活躍中の先輩達に嫌みになってはいけないので、年長者の前では言わないようにしていますが、研究室のスタッフや学生に、研究の発想や直感、理解力で負けると感じるようになったら引退したいと思います。そして、それは何歳で訪れるのだろうと考えます。今のところ、父の寿命に併せて8年後と決めています。研究以外の業務に時間をとられることが多く勉強していないので、来るべき日はもっと近いかもしれません。

そうこう思っていたら、米朝さんの弟子の桂枝雀(59歳で自殺)の一番弟子の桂南光さん(私と同い年)が、最近、55歳でサンケイホールの独演会をやめると豪語(?)しました。彼もきっと、米朝師匠の番組も聞いていただろうと思います。

元漫画トリオの上岡龍太郎さんは、超売れっ子だった58歳のとき、芸能界を引退しプロゴルファーを目指して渡米すると宣言され、「忠臣蔵」の芝居を最後に芸能界から姿を消されました。最近の彼の本によれば、プロゴルファー・デビューは間近(?)。なぜもっと早く隠居しなかったのかと、後悔しているとのこと[3]。

人は自分の過去の成功体験・失敗体験の基づいて、いろんな判断をしますから、その経験のない若者の判断ややり方について、年寄りはどうしても説教をしたくなるものです。しかし、過去と現在そして未来では時代も環境も著しく違うのですから、いまどきの年寄りの説教は、しばしば時代錯誤でピントはずれになります。

自分が責任を持てない未来について、その時代を生きるいまどきの若者に任せるがいい。

定年退職後の人生は、第2の人生と呼ばれます。二つの異なる人生を楽しむことは、私の憧れです。そのための準備は、早めに始めたいですね。私は一つの人生しか生きられなかった父に代わって、8年後を準備していますが、まずは、そこまで生きることですね。いずれにしても、そのときに「いまどきの年寄りは」と言われないよう、「いまどきの若者は」とは言わないように生きたいものです。

今年、妻がついに高校の教師を辞める決断をしました。自分の子供達より年少の子供達の教育をすることにためらいを感じたのだと思います。私も、大学でその立場になりつつあります。

ところで、55歳で人生を終わるつもりで計画をしておられた米朝さん。いまは数えで80歳の人間国宝。今もお元気そうで、とても魅力的です。私も、こんなことを言いながら長生きするかもしれません。そのときは、ぜひ愛らしい老人になりたいものです。SK

[1] ベトナム戦争・安保反対の激動の時代に、アナクロ二ズムでハイ・インテリジェントなラジオトーク番組。途中からはスポンサーが付かなくなり、それでも放送を続けていました。米朝さんと小松左京さん(そのころはなんとまだ30歳代、日本沈没以前の話です)と、菊池(中島)美智子アナウンサー。先日、阪大FRCが大阪・中之島で「鉄腕アトム大誕生日会」をしたとき、私にとってのスーパーアイドル(?)・小松左京さんが飛び入りで参加してくださいました。そのとき、阪大出身のSF作家の堀晃さん(http://www.jali.or.jp/hr/index.html)から「小松左京マガジン」の存在を教えていただき、あとで、「題無し(題名のない番組の略称)」の特集号(5号)も頂戴しました。その時代を関西で生きた人には必見です(http://www.iocorp.co.jp/magazine/magazine.htm)。

[2] ひょっとしたら宣言は55歳ではなくて、50歳だったかもしれません。どうも、僕は記憶力が悪いので、自信ありません。最近、私が強く思うことは、記憶力は男女に差があるということです。光メモリを例えにすると、女性はCD‐Rで(一度記録したら消えないで、いつ間でも昔のことをしつこく覚えている)、男はCD‐RWです(上書きができるので、新しい記録で前の記憶は消えて、都合がいい?)。

[3] 上岡龍太郎・弟子吉治郎「隠居のススメ」青春出版社、2003同、「引退ー嫌われ者の美学」青春出版社、2002

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