2014年2月のメッセージ

鍵泥棒のメソッド

誰も気づいてないと思っていたのですが、指摘されました。実はこのページ、かなりサボっていました。日本の大学は毎年2月3月には、通常の試験に加えて卒業試験や学位審査、入学試験などが集中し、国の様々なプロジェクトもこの時期に多くの書類提出や報告を求めます。簡単に言えば、年度末の予算消化です。この時期にすべてを片付けなければならないという国の仕組みです。その結果、多忙でした。加えて今年の3月には学会の会長に任命されてしまい、学会の総会、理事会、年次会、その中のいろんなシンポジウム、さらには日英のワークショップを自分で開いたので、2週間に10回以上挨拶をする羽目に陥りました。世の中は春休みだと言うのに、、、、、。

今月のメッセージに期待されているのは、理研の女性研究者による不正論文の疑いについてのコメントでしょう。デリケートなので、それは無理です。騒動が起きた後ではノー・コメントです。

ただし、私はこの騒動前の昨年11月に論文の9割は再現できないという現実」というメッセージを書いています。それを読んでください。まるで今回の事件を予見していたみたいです。今回の事件については、起きる以前からこのページを含めてあちこちに私は何度も何度も書いています。

「君をオリンピックの陸上の選手にする」と、あなたが言われたと考えてください。これまで大した実績もなくて無名なあなたにとっては、名誉なことです。大きなチャンス到来です。選手になった後「日本を代表する選手なのだから、金メダルを取ってくれるよね」と期待され始めます。所属会社、上司、周りの友人、オリンピック選手になれなかった多くのライバルから、大きなプレッシャーを受けます。「勝てないんなら、オリンピック選手を受けるべきべきではない。」「絶対、勝たなければならない」「お国のために」、、、。そして、、、、見事優勝しました。マスコミから絶賛を受けます。苦手なインタビューにも応じなければなりません。気がつけば、周りからねたみを受けるようになっていました。あの人どうしてオリンピック選手に選ばれたんだろう。あの人はそんなに速かったっけ?

しばらくして、あなたがドーピングしたのじゃないかとの噂が出始めました。自分では何も言っていないのにいろんなデータが発表されて、過去の失敗も報道されます。栄養ドリンクを飲んだだけなのか、ドーピング注射をしたのか、、、、。すでに試合は終わってまったので、事実は分かりません。

スポーツ選手にメダル取得を強要したり、科学者に限られた期間に成果を求めるよう圧力を掛けたり、教育者に無理を強いてはいけません。女性だからとか若いからとか言って特別扱いしては、可哀想です。元首相がコメントするなど、もってのほかです。この問題は個人の話ではなく、文化の問題であり組織における構造的な問題です。反省したり責任を取るべきは、成果を過度に期待する組織や文化の品格の不足にあります。

分光研究という学術誌に「科学は自由におしゃれに華やかに、、、」と題した巻頭言を書いたことがあります。成果とか締切とか競争は、科学や教育になじまない言葉です。これらは、科学と教育の品格を破壊します。「「カッコイイ」研究を支援する」とか「科学とは創るもの、流行りは追わない、組み合わせはしない 等というタイトルでも、原稿も書きました。

もし仮に著者たちに過失や意図的な捏造があったとしても、私は許してあげてほしいと願います。それよりもそれを生んだ構造を問題にしましょう。何の努力も冒険もしない人には、失敗はありません。失敗は成功の母です。科学の基本は「たくさんの失敗が成功を生む 」にあります。「失敗を許すこころとしくみ 」が、科学者には大切です。過ちが起きうるような文化と構造を無くすることに力を注ぎ、失敗した人たちに対しては許すこころと社会の余裕が必要です。今回の騒動をきっかけに役所や組織からの締め付けがさらに酷くなり、悪循環が生まれて、科学者のこころに余裕がなくなることを心配します。個人の過ちについては忘れましょう。傷ついた人たちの復活を期待します。

忘れると言えば、1月末にまた自転車で転けました。その前後の1時間の記憶が戻りません。大学に着いたら怪我をしていたので、どこかで転けたはずなのですが、その記憶が無いのです。正確に言うと、転けて脳しんとうを起こして記憶がなくなったのか、記憶を失ったから転けたのか、どちらか分かりません。怪我はたいしたことないので、心配ご無用です。その頃、ちょうど堺雅人さんと香川照之さんの映画、「鍵泥棒のメソッド」を見ました。内田けんじさんという脚本家はほんと凄いですね。とてもよくできた映画です。銭湯で石鹸に滑って頭を打った便利屋の記憶が戻らず、売れない役者の別人と入れ替わってしまいます。この映画を見ると「自分の過去を無くすことも悪くないなあ」と思います。記憶を失った結果、新しいデータを記録できるのです。合計してメモリ容量が増えて得をした気分です。「明日の記憶」や「博士の愛した数式」が絶望感だけではないのは、毎日毎日メモリがリセットされて新しいデータ記録をしているからかもしれません。売れない役者の鍵泥棒は良くないことですが、便利屋に新しい記憶をプレゼントしたのですから、許してあげるのがいいです。

STAP細胞も、頭を打ってその細胞が自分が誰か分からなくなってしまったようなものです。強い刺激で自分がどんな細胞かの記憶を失うと、リセットされてほかの細胞に変わってしまう、そんなこともありうるかもしれないなと思います。

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