2003年12月のメッセージ

王立大学

大学の事務局から、私が姉妹校締結の取りまとめをした阪大の姉妹校のアルアハウエイン大学の形態について問い合わせがありました[1]。国立・公立・ 私立の中から選べというのです。

これには困りました。アルアハウエイン大学はモロッコの国王が、モロッコのイフレインという高地に建てたアメリカンスタイルの新しい大学です。いわば 王立大学です。モロッコは王国なので、王立イコール国立のように思えますが、アラビア語とフランス語で教える他の一般の国立大学と違って国王が直接作ら れたので、これは公立大学なのかなという気もします。しかし、サウジアラビアの国王と一緒に作られた大学(もう一つはサウジアラビアに作る予定)なの で、これは私学のような気もします。

要するに、国立でも公立でも私立でも、そんなことどうでもいいじゃあない、と思うのです。日本では、この違いは限密のようですが、外国ではそんなに簡単に国立か公立か私立かの大学の区別をすることはできません。たとえば、オクスフォードやケンブリッジ大学は私立、それとも国立?これらの大学のカレッジは歴史的にも現在も完全なる私立であり、しかしユニバーシティ(学生も教官の両方に属する)は、現在は国立的でもあり、もう、どっちでもいいじゃあないかって思うのです。

世界の大学は、少なくとも先進国においては、すべて法人格を持っており、1校を除いてすべてが国立だと言われているオーストラリアの大学ですら[2]、私から見ると、日本のいかなる私学より私学的経営をしています。国の私学助成と厳しい監督(21世紀COEを含めて)下にある日本の私学を私学と呼ぶなら、世界中の大学は、すべて私学というのが妥当でしょう。

そして、日本の国立大学も100年の歴史を経て、ようやく世界の大学システムに仲間入りすることになります。国立大学の法人化です。「独立」行政法人だから国の監督から独立して運営していくのだろうと思いたいのですが、「国立」大学法人だから、やっぱり今まで同様、国が箸の上げ下ろしまで世話を焼き、独立して「法人」運営ができないようにする企みも見え隠れしています。法人なら国立ではないはずですが、「国立」大学「法人」と名付ける巧みさは、流石ですね。

国家からの学問の自由を主張される大学人が、大学の独立法人化を拒否して、いまの国立大学制度の維持を求められるのは、私には矛盾に写っています。もし反対するなら、道路は造り続けるけど大学教育の金は削ろうとする政策に直接的に反対するべきであり、国の直接的管理が減りうる独立法人化制度を批判するのは、的はずれに思います。もちろん、役人はあらゆる網を掛けて自分達の管理下に大学を置こうとされますが、反対するべきはそのことであって、法人化の反対ではないと思います。

私は、もっと進めてより完全私学化(学校法人化)が望ましいように思います。法人化を反対する方々の気持ちの中には、私学の意義を認めずに、国立大学だけが日本の学問と教育と科学技術に貢献しているという、奢りを感じます。

全く同じことは、郵便局の民営化にも当てはまり、国営は信用できるけど民間は信用できないと言う発想が見えます。国家主義が危険だと言っている人たちがむしろ、国家崇拝(反民主主義)に陥っている気がするのです。

国立か公立か私立かを議論しているのは、今や世界中で日本の「役人」と「大学人」ぐらいであるということを、言いたかっただけなですが、また、重たい話になってしまいました。

世界を例に出すまでもなく、日本の中でも学生や社会の人にとっては、それぞれの大学の成り立ちが国立でも公立でも私立でも、どうでもいいことでしょう。それそれの大学がどんな教育を提供してくれるかの方が、ずっと大切なのです。

もし成り立ちの議論をするならば、たとえば阪大が国立なのかどうかすら微妙です。教養部は旧制大阪高校と旧制浪速高校を前身としますが、浪速高校は府立でした。薬学部は、元々は私立です。明治19年設立の私立の「大阪薬学専門学校」が、戦後に阪大に無償寄付にされて、日本最初の国立大学薬学部になりました。産業科学研究所は、関西財界や有志の寄付によって昭和14年 に阪大に設立されました。工学部の中にいくつかの学科は戦後に大阪府立大学と再編して交換しています。このように、阪大は国立でありながら、私立大学といってもいい歴史を含んでいます。さらに、阪大の原点とされる適塾と懐徳堂は、全くの私塾です。藩校が中心であった江戸時代に、私塾として福沢諭吉や大村益次郎を育てた緒方洪庵の適塾は、これからの大学の運営のありかたの理想形態を示唆してくれます[3]。

王立大学を国立か私立か公立か判断を迫る大学事務局の質問には、失笑してしまいますが、こういった分類好きの日本人カルチャーが、人種差別や職業差別に及ぶとなると、笑い事ではすみません。国立の方が偉いという思いが、法人化の議論などで随所に見られるからです。

理系と文系という言葉、先輩と後輩という言葉、兄と弟、姉と妹など、日本語にしかない厳密な区別・差別用語が、日本人の日常会話では頻繁に出てきます。

漢字言葉(和製中国語)はたとえ造語であっても正しい日本語だけど、カタカナやアルファベットを使うのは、間違っていると言う国語学者達も、極めて偏狭な外国語差別主義者です[4]。ユビキタスという新しい概念の言葉を漢字に訳そうという無教養な言語学者は、ユビキタスは英語でもフランス語でもなくどこの国でも新しい言葉であって、無理に中国語(和製漢語)に訳す必要がないことが分からず、新聞紙上では、ますます差別主義的論調が増えてきています。

国立か独立行政法人か公立か私立か、という差別主義的議論から、教育の中身の議論[5]に早く移って欲しいと思います。SK

[1] 私は、このアルアハウエイン大学の教授を兼任(客員)しています。3年前にこの大学にナノフォトニクス研究室を設立し、阪大と姉妹校締結を結び、阪大から学生を毎年送り続けています。

[2] 今月はオーストラリアのメルボルンからのメッセージです。阪大と姉妹校締結を結んでいるスウインバーン大学のマイクロフォトニクスセンターのオープニングの来賓挨拶に来ています。この大学とも毎年複数の学生を数ヶ月の期間、交換しています。

[3] 朝日新聞の井上久男記者に、阪大の前身の適塾を題材にした司馬遼太郎の「花神・上」(新潮社)を教えて頂きました。阪大FRCサロンでも、適塾の教育や経営、運営をお話しいただきました。

[4] 今年2月の河田 聡のメッセージ

[5] 河田 聡「点数より人を見る時代へ」未踏科学・創造、No.385 (2003年9月号)

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