2008年1月のメッセージ

科学者になろう!

たくさんの年賀状が届きます。そのなかでも特に嬉しかったのは、「迷ったときには河田先生ならどうするんだろうと考えます」と書いてくれた卒業生からの賀状です。博士号を取って企業に就職した人からの賀状です。

人は悩んだとき迷ったとき、どうやって道を選ぶのでしょうか。ウェブ進化論[1]の梅田望夫さんは、ウェブ新時代の若者に3つの言葉を贈っています[2]。「Only the Paranoid Survive」、「Entrepreneurship」そして「Vantage Point」です。それぞれに梅田さんの素晴らしい説明があるのですが、それは原著を読んでください。それぞれを訳すと、『病的なまでに心配性な人だけが生き残れる』、『自分の頭で考え続け、どんなことがあっても絶対に諦めない』、そして『見晴らしのいい場所に立つこと』、だそうです。

ウェブ新時代に生きる若者への3つの言葉は、偶然にも当然にも私の「科学者として生きていく」ためのメッセージと全く同じなんです。古今東西、人の生き方は変わらないものだなあと感嘆した次第です。年賀状をくれた学生は、「学生時代に河田研で考え方を学んだ」と書いてくれました。科学者の考え方はまさにこの3つの言葉で表すことができると思います。

科学する人は、より高い場所から大局的にものを見る目と心が必要です。教科書には様々な原理や公理が真実の如く書かれていますが、それらは真実ではなくひとつの見方に過ぎません。より高い場所に上がれば、全く別の風景が見えてきます。「Vantage Point」すなわち「見晴らしのいい場所」に立つことは、科学する人には最も大切なことです。ガリレオガリレイは文字通り見晴らしのいい場所に立ち、地球が回っていると確信し、ニュートンも見晴らしのいい場所に立ってりんごが木から落ちるのを見て月と地球の間にも引力があることを知りました。物理的な位置ではなく、科学を見る位置です。人は立つ位置に立つことによって、主張することや思想することそして生き方までが変わります。「より見晴らしのいい場所」を探すことは、ネット時代の若者や科学者のみならず、すべての人にとって大切なことだろうと思います。学生やスタッフが研究テーマを選ぶとき迷うとき、安易に流行のテーマを受け入れることなく「より高い位置」に立つように勧め、一つの論文を読むのにもその著者が「どの位置」に立ってこの論文を書いたのか徹底的に調べるよう勧めるのは、立つ位置によって見える風景(科学)が異なるからです。

たまたま幸運にも見晴らしのいい場所に辿り着き、そこから世界を眺めて新しい科学を作り出すことができたとしても、まだ残念ながらそれを実証する力は備わっていないかもしれません。見晴らしの悪い場所に住む大勢の人たちは、簡単にあなたの科学を認めてはくれないでしょう。そこで二つ目の言葉、「Entrepreneurship」『どんなことがあっても絶対にあきらめない』努力と執念が必要です。およそ後世に残る卓越した科学者に対して、彼の生きる時代の社会が彼の主張を簡単に認めてくれたことはほとんどありません。エジソンは「99%の汗と1%のひらめき」だと言います。『自分の頭で考え続け、どんなことがあっても絶対に諦めない』人が科学を創るのだと思います。「そんなことはできない」「そんなことはあり得ない」と言われて、初めて科学が始まるのです。「Entrepreneurship」、『自分の頭で考え、どんなことがあっても絶対に諦めない』ことが科学者には必要です。

私は、研究者仲間や大学の同僚に、私の研究提案とプロジェクト活動の無謀さ大胆さをよく指摘されます。多分まわりには。私の行動がいつも意表を突く乱暴なものに見えているのだろうと思います。しかし(ここからは期待ですが)、近い距離で一緒に仕事をしている研究室の仲間は、私の『心配性な』部分をよく知っていると思います。どんな科学も技術も、たとえどんなにわずかであっても綻びがあれば、いつの日にか壊れてします。妥協することなく、緩んだビスをすべて締め直す細心さが必要です。特に、人間関係がからむ仕事(協働研究や大型プロジェクト運営、シンポジウム開催)では、相手への『病的』(言葉は不適切ですが)なまでの気配りが必要です。それが欠けると、どこかで協力関係に綻びができます。「Only the Paranoid Service」、『病的なまでに心配性な人だけが生き残れる』だろうと、私も思います。

ここまで書くと、この3つの言葉は科学者であることの条件だけではなく、古今東西、「挑戦」をするすべての人達の心得と言えることが分かるでしょう。『挑戦をする人』とは、組織に依存せずに個人の責任で生きる人です。

例えば、プロ野球選手などのプロのスポーツ選手です。どこかのチームに所属していても来年は解雇されるかもしれない、あるいは来年は他のチームにいるかもしれない、組織に依存しない人たちです。努力をし自分を信じ己を知り高い場所を探す人たちの選手人生は、驚くほど短いものです。だからこそ、少年達の憧れの職業であると思います。野球が好きな人は大勢いると思いますが、自分の大好きな趣味を職業にしてしまう人達は本当に幸せな人たちであり、この3つの言葉はまさにプロ選手を目指す若者のためにあるように思います。そういや梅田さんはWEB時代に挑戦をする若者達を「ネット・アスリート」と呼んでいます[2]。画家や音楽家、小説家なども同じです。好きなことが趣味を超えてお金を生む職業になることは素晴らしいことですが、そのためには技術的な才能以上に、細心でかつ信念がありさらに見晴らしのいい場所を探すことが必要です。

「科学者」も趣味が高じた職業の一つです。「科学者」と「研究者」は全く異なります。研究は職業ではなく「行為」です。歩いたり食事をしたり眠ったりするのと同じです。あらゆる職業や生活において、人は様々な目的でもって「研究」をします。卒業したら「研究者」になりたいという学生がいますが、研究は職業を意味しません。

「科学者」と言えば、普通の人は鉄腕アトムの「お茶の水博士」やBack to the Futureの「ドク」を思い浮かべるでしょう。「ドク」とはドクターの短縮形で、親しみを持って博士を呼ぶときに「ドク」て呼びます。汚れた白衣を着て髪の毛はボサボサで一心不乱に実験していつも楽しそうで、子供達の友達です。なぜかしわがれ声です。ジュラシックパークに出てくる博士もそうです。自由でわがままでお洒落で、皆に好かれるのが「科学者」「ドク」です。好きなことをしてそれで給料を貰って、夢を追って生きていけるのだから、科学者はいいですよね。

芸術家、スポーツ選手、科学者などのアマチュアからプロへの道は、今月のテーマである3つの格言を守ることです。自分を信じ、細心の注意を払い、vantage pointに立つことです。起業家も同じ人種でしょう。組織のためにではなく自分と社会のために、目指すに相応しい職業だと思います。

私は学生の時から科学者に憧れていたわけではありません。科学者になって初めて、こんな素晴らしい職業はないと気づいたのです。だから皆さんに勧めるのです。科学者を目指しましょう。理系離れといわれ、ゆとり教育の犠牲者と言われ、君が代を歌えと強制され、塾に通わされセンター入試の勉強を強制されて、目標を失っている君たち。まだちっとも遅くはありません。今からでも科学者を(そして芸術家を、起業家を、アスリートを)めざしましょう。退屈のない人生、間違い無しです。いま、経団連が卒業の1年前の4月に学生に採用内定を出すという大学での落ち着いた教育を破壊する身勝手な協定を勝手に作り、まるで獲物を追うようかの如く各企業が学生を就職させようと煽ります。この就職フィーバーは、世界的に全く異常で滑稽な現象です。周りが就職活動で落ち着かなくなったときこそ、自分の選ぶ人生と職業についてじっくりと考えてみましょう。

こんなことをあちこちで話していると[3-8]、先日の紫綬褒章受賞のお祝いの会で、皆さんから「河田さんの常識は世間の非常識」とのお褒め(?)の言葉をいただいてしまいました。我が意を得たり。この場を借りて、会にお越しいただいたたくさんの皆さんに厚く御礼申し上げます。今年もよろしくお願いします。SK

[1] 河田聡2006年4月のメッセージ:WEB2.0(族・とりあえず論)

[2] 梅田望夫「ウェブ時代をゆく」筑摩選書、2007年11月

[3] スペシャルインタビュー:河田 聡「科学の常識を超えたい」大阪大学新聞新聞2007年12月20日号。このインタビューをしてくれた記者(学生さん)は私の話を気に入ってくれたらしく、1面の「今月の格言」の欄に、私の言葉「おめでとうと言われるよりのありがとうと言われる人でありたい」を、選んでくれています。

[4] 井上康志「河田先生の受賞をお祝いして」分光研究2007年12月号。一番長く一緒に研究をしている井上先生が私のことを書いてくれた初めての文章で、こう私は彼に見られているのかと知り、感激しました。

[5] 河田 聡「研究者人生を3倍楽しむ方法」学術月報2007年1月号。ここでは科学者ではなく研究者と書いています。

[6] 河田 聡「ガリレオの指」オプトロニクス2007年1月号

[7] 河田 聡「ヒトはなぜ論文を書くのか」:Laser Focus World Japan、2006年6月

[8] 河田 聡「巻頭言・科学は自由にお洒落に華やかに」分光研究、2006年1月

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