2004年10月のメッセージ

アメリカ人が行方不明

今、フランスのボルドーで日仏ナノテク会議に出席中です。この会議に日本から来ている人たちに聞くと、皆、最近はアメリカよりヨーロッパに行くことが多くなってきたと言います。フランス人も、アメリカよりアジアに行く機会が多くなってきたと、言います。私自身も40歳ぐらいまではアメリカ一辺倒だったのが、40代からはヨーロッパへ行くことの方が多くなり、最近はアジアが多くなりました。

先月は韓国で近接場光学の国際会議にいましたが、そこでの最大の話題は「アメリカ人がいない」ということでした。アメリカ人は、一体どこへ行ってしまったのでしょう。

私はアメリカにちょっと複雑な感情を持っています。1950年代小学生の時、私の父はミシガンに暮らしました。私は、船便で届くキャンベルの缶詰とネスカフェのインスタントコーヒーに、父の住むアメリカを想像したものでした。戦前・戦中に高校・大学を卒業しドイツ語しか学んでいない父は、戦後に英語の国で苦労したことだろうと思います。ベトナム戦争反対・原潜寄港反対・安保反対など反米ムードの青春を過ごしていた私が最初に訪れた外国は、それでもなおアメリカでした。初めて給料をもらったのも、最初の子供が生まれたのもアメリカでした。交渉したら給料が3倍に上がったことに感激したのもアメリカであり、上司のグラントが途切れたら失業するのだと、雇われることの不安を学んだのもまたアメリカでした。

今もアメリカの学会からは頻繁に招待されますし、親友もたくさんいます。アメリカ映画は相変わらずやたら見ていますし、ニューヨークタイムズのベストセラー小説は読み逃しません。イチローの大リーグでの活躍に、珍しくスポーツ面を読むようになってきています。

それなのに、最近のアメリカに対する違和感が、拭えません。マイケル・ムーアの映画のせいではありません。サイエンスの国際会議にアメリカ人がいないことは、情緒的なことではなくて、いまここにある現実なのです。アメリカに国際性が無くなったのでしょうか?そんなことはありません。アメリカで開かれる会議は、国内学会であってもとても国際的です。米国物理学会、米国化学会、米国光学会、材料科学会など国内学会であるのにもかかわらず、外国人の参加がとても多く、またアメリカの大学からの発表であってもその出身は中国であったりロシアであったりドイツであったりして、民族的には実に様々です。アメリカは、今なお最も国際的だと言えます。

アメリカという国は日本とかフランスとかのように一つの国を指すのではなく、それ自体が「地球」であり「世界」です。「日本シリーズ」に対応するアメリカの野球の最終決定戦は、まさに「ワールドシリーズ」といいます。「ハリウッド」はアメリカの映画の中心ではなくて「世界」の映画の中心です。ニューヨークにある国連も「世界」の中心でしょう。

このような状況ですから、アメリカ人はアメリカ以外の世界に出かけることなく、いながらにして「世界」を手にし「世界」を知ることが出来るのです。あるいは、そう信じています。

しかし、アメリカの中で知る世界は、本当の世界のほんの一部でしかありません。アメリカ人が本当の世界を見ないで、CNNやFOXニューズでだけ世界を判断することは大変危険です。アメリカの外に出ないアメリカ人だけが、むしろ世界の中で取り残された田舎ものになっている、とすら言えます。これは、日本の中で東京が抱えている問題と同じです。神戸に大震災が来ても神戸に全然行かなかった村山首相や、沖縄にヘリコプターが落ちても沖縄に行かなかった(北方領土見物には行った)小泉さんは、本当の日本を知らない田舎ものになっているのです。日本中で全国の人が移動する中、東京の人だけが東京に閉じこもっていて、本当の日本を知らないのです。

グローバリゼーションの本来の意味と違うグローバリゼーションが、一極集中によって生まれています。このことに対して、ヨーロッパの人たちははっきりと意志を示し始めています。アメリカ以外で開かれる国際会議が増える中、アメリカ人だけが取り残されています。アメリカで開かれる国際会議は巨大なスケールのお祭りであり、たくさんのセッションが同時に開かれます。そこで、多くの研究者は自分の発表だけをして帰ってしまいます。アメリカ以外で開かれる国際会議は不便な場所で開かれます(今、私のいるボルドーはパリからTGVで3~4時間掛かります)。参加人数も少数ですが、簡単に帰れる場所ではありません。英語が下手で表現力が貧しくても、数日を一緒に過ごすことによって、人と人の互いの仲間意識と信頼関係が築きあげられます。

この地球には今、アメリカという国際社会とアメリカ以外という国際社会の二つがあるように思えます。アメリカとはメディア情報のあふれる効率的な世界であり、アメリカ以外の世界は不器用で非効率ながらとっても人間味の溢れる世界です。

今年は2度韓国に行きましたが、韓国人は拉致事件を知らないことや、韓国でも少子化がより深刻であることなど、日本では気づかないことを学びました。フランスで皆と話して学んだことは、フランスでは未だ構造改革が遅れており、フランスでは日本が構造改革に対して進んでいると皆が思っていることなどです。こんなことは、実際にそれぞれの国に行って友達とたくさん話をしなければ分からないことです。耳学問よりも実体験が大切でしょう。

私の研究室では今、オーストラリア、中国、インド、イギリス、フランス、イタリア、フィンランド、モロッコ、チュニジアの研究者が日本人と一緒に働いています。幕末の大坂に緒方洪庵が営んだ適塾では、日本の全国津々浦々から様々な階層と様々な経験と様々な志をもつ若者が集まって、30畳の部屋で共に暮らし共に競い共に学んだそうです。そこでの個々の経験と互いのネットワークが、まさに新しい「世界」を幕末の日本に産み出したと言えます。緒方洪庵は言っています。「蘭学を学んでも必ずしも医者になる必要はない」。異なる価値観や互いの目的を認め合うことが、広い「世界」に生きることだと思います。アメリカの研究者には、もっと世界を旅し世界で働き世界で暮らすことを経験して欲しいと思います。

老子に「和光同塵」と言う言葉があります。その光を和らげてその塵を同する。光とは自分の知徳を指し、知恵がありながら俗世間(塵)に混じって生きる、と言う意味だそうです。世界に飛び出し人と知り合って、人は育つのです。eラーニングやネットワークで学問が学べるのにそれでも大学という場所が必要なのは、人と人が互いに知り合うためであり、ネット放送やオンラインジャーナルで互いの研究を学べるのにフランスの田舎で会議をするのも、人と人が互いに知り合うためだろうと思います。SK

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