2011年4月のメッセージ

失敗してもいいんだよ

阪神大震災で私たちは、地震は予知できない、予想を超える大きさの地震は起きうる、ということを学んだはずでした。いかに周到に準備をしても地震を防ぎきる事はできないけれど、地震が起きた後の被害(すなわち人災)を最小にすることはできるはずであることも、学んだはずでした。阪神大震災が起きた後、火の手が町の至る所で上がりました。当時の総理大臣は自衛隊を出動することを躊躇い、ヘリコプターから消火剤を撒くことを拒否しました。その結果、神戸の町は焼き尽くされて、多くの人がそこから逃げることができずに亡くなられました。政権を担っていた社会党は国民の信頼を失い、時代から取り残されてしまいました。消火剤を撒くとそれによる被害が出るかもしれない、その不安が決断を妨げました。

失敗したときの批判を恐れて、絶対に失敗しないことだけしかやれなかったのです。リスクを負ってまで挑戦することの勇気が、なかったのかもしれません。

今回の地震の後の騒ぎを見て、阪神大震災で、政府は何も学んでいなかったような気がしています。今回の地震の後、地下鉄やJR、新幹線はすべて止まり、高速道路は閉鎖されました。その結果、東京の町には至る所に行き先を失った人が溢れました。大きな余震は来なかったので事なきを得ましたが、人で溢れた道路にもし阪神大震災の時のように建物が倒れてきたらどうなっただろうと思うと、ぞっとします。なぜ一晩中全ての交通を止めて、都民を危険な状態にしたのでしょうか?

鉄道会社や高速道路会社は、失敗をして責任をとらされるのが怖かったのではないでしょうか、失敗しても挑戦するという勇気に欠けていたのでしょう。

車を走らさなければ、高速道路上では事故は起こりません。高速道路会社は、責任を取らなくて済みます。鉄道も同じです。でも全ての交通が止まると、誰も逃げることができずに、大きな二次災害を生う危険性が増します。揺れが止まれば、交通は復旧させるべきだったと思います。鉄道会社各社も高速道路会社も、どんな小さなリスクも取りたくないのかもしれません。融通が利かないというか、自己保身的でずるいというか、官僚的というか、、、。

総理大臣や官房長官がテレビに出てきて、「念のために」乳児は水道水を飲まないように、と言います。放射能汚染された水を1リットル飲んだら、乳児にはどんな障害が生じるのでしょうか?なんの説明もなく、不安を煽る。「念のため」って、どんな「念」ですか?

乳児達に「念のため」ではなくて、総理大臣や国、すなわち自分たちが後に責任を取らなくて済むように、「念のため」なのではないでしょうか。誰にも分からない数値だけを伝えて国民に恐怖を与えるのではなく、その水を飲んだら、どのぐらいの確率でどのようなことが起きるのかを、正確に伝えるべきではないでしょうか。総理大臣は、「万が一」と言う言葉を何回も使われました。1万回に1回の危険を恐れて逃げ回っていては、被災者達の生活は成り立ちません。

茨城のほうれん草の出荷を「自粛」せよ、福島の牛乳の出荷を「自粛」しなさい、と言います。「自粛」ってなんですか?販売を国が禁止すれば、損失を国が保証しないといけないから、「自粛」なのでしょうか?有害でない食料の販売を禁止することをは違法だから、「自粛」なのでしょうか。これも責任回避です。

いかなる責任も負わないように、自粛と規制でがんじがらめにするのは、役人的、官僚的発想です。日本の国が欧米と比べて、医学において移植手術などの先端治療が遅れているのも、信号機が溢れて渋滞だらけで道路行政が遅れているのも、個性を殺す入試中心で教育が遅れているのも、全て官僚的発想、官僚主義によります。官僚とはどんなミスもしない、どんな責任も取らない(とれない)ようにあるべき職業ですから、官僚政治とは前例主義で規制がんじがらめ国家を作り上げてしまいます。前例のない予想を超える災害では、「念のため」「万が一」「自粛」「前例がない」という無責任な言葉が、人心を傷つけます。

失敗してもいいんです。

失敗しても大丈夫だよって、皆が考えるようにならなければ、国は復興できません。

放射能値が基準値を超えているからといって、皆が逃げていては、原子炉は永遠に修理できません。誰かがリスクを負って人々を助けに行かなければ、東北の復興はありません。修理に派遣された作業員が放射能を浴びる可能性は大いにあります。官僚主義では、発電所は修理できません。いかなる失敗も生じてはならないと考えるなら、人々は家に閉じこもるしかありません。町に出れば放射線が飛び交っています。平時であっても外に出れば交通事故に遭うかもしれません。否、家にいても階段で転けるかもしれません。これでは人は身動きできません。日本の官僚は徹底的に厳しい規制を掛けることによって国民を守っているようでありながら、実は自分たち自身を守っているのかもしれません。失敗はあってはならないと考えているかもしれません。

役人、官僚の皆さんも、ミスをしてもいいんです。「失敗しても大丈夫だよ」って国民が言ってあげなければ、国は復興できません。国民に代わってその役割をするべきはマスコミかもしれませんが、マスコミもまた官僚的です。

政府やマスコミが国民を管理・支配したければ、もっとも簡単で効果的な方法は民衆の恐怖心を煽ることです。ヒットラーがそうでしたし、今の北朝鮮や日本の戦前もそうです。「敵が来るぞ」と叫べば民衆は浮き足だし、統制が取りやすいのです。大政翼賛会を作って、国民を統制的に支配することができます。今もまた、災害を利用して大連合を声高に言う政治家や評論家がおられます。

「bureaucratism」とは日本語では「官僚主義」と訳されて、広辞苑では「官僚政治に伴う一種の傾向·態度·気風。専制·秘密·煩瑣·形式·画一などを特徴とする。官庁だけでなく、政党·会社·組合など大規模な組織に伴うこともある。」とあります。「役人」には二つの用例があり、一つは「役人根性」。これは、「 役人に通有な性質。いばったり、融通がきかなかったりする性質」と説明されています。もうひとつは、「役人風を吹かす」。これは「役人であることをかさにきていばる」とあります。いやあ、実に嫌われていますねえ。しかし、私にとって「官僚主義」とは、「現在のみならず未来においても自らにいさかかの責任も及ばないように、他人に過剰に規制を加えること、あるいはそれを強制すること」です。0.001%でもそれ以下でも、誰かに批判される恐れがあるとなると、たとえ法律がなくとも解釈や脅しでもって規制を設けることを是とする主義です。

日本の弱さは、官僚の皆さん以外にマスコミや大学の教員や、あらゆる人が「官僚化」していることです。失敗がとても怖いのです。批判されることが怖いのです。あらゆる批判のリスクを回避しようとします。地震の後の今、様々な必要な社会活動(私の周りでは学術学会や入学式など)が中止されています。止めておけば、他人から批判されないからです。失敗しないからです。でも、止めたり逃げたりしていては、救出も復興もありません。

失敗してもいいんです。私達がやるべきことは、リスクを負うことです。そして、リスクを負ってその結果として失敗した人を、責めないことです。

今日4月8日に、私の研究論文が「サイエンス」という雑誌に掲載されました。ニューヨーク、ロスアンジェルス、ロンドン、ドイツ、ブラジル、ロシア、いろんな国の新聞社から電話インタビューを受け、私の仕事が世界各国のメディアに取り上げられました。私の論文は表面プラズモンを使ってカラーホログラムを作るという研究で、緑の葉っぱの付いた真っ赤なアップルが、立体的に浮かび上がった写真が掲載されています。しかし、この日本の研究成果を日本のメディアは全国紙を含めてほとんど全く掲載されませんでした(除く、読売新聞大阪本社版、日刊工業新聞)。日本の新聞社やテレビ局は、いまは原子力発電所の事故の話題以外の科学記事は掲載しません。震災一色です。真っ赤なリンゴが立体的に浮かび上がるプラズモンホログラフィーの発明は、楽しいニュースです。そんな楽しいのんきなサイエンスのニュースを載せるのは不謹慎との批判が怖いのでしょうか。読者は、悲しいニュースばかりを知りたいのではありません。

失敗してもいいんだよ。

追記:今朝(4月10日)、我が友・佐藤銀平氏が亡くなりました。彼には、やりたいことがまだまだ山ほどあったと思います。サイエンスライターとして科学技術と科学者の愉快と情熱を社会に伝えてくれました。つい一ヶ月前の3月6日の平成洪庵の会では、「サイエンス・コミュニケーション"一考"」というタイトルで仲間達に話をしてくれる予定でした。講演の準備もできていたのですがドクターストップが掛かり、お話を聞けませんでした。それでも中之島までタクシーで来てくれて、皆の前で「次回に話します!」といってくれたのに、、、、。新聞やテレビでは日本には地震と原発だけしかないようですが、地震や放射線被害と無縁の人にも、一人ずつにそれぞれの悲しみと苦しさの人生があり、文字通り必死の生活があったことを、忘れないでいたいと思います。銀平さん、ありがとう。そして安らかにお休みください。 合掌。河田 聡。

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