2006年5月のメッセージ

物言えば唇寒し、、、。

連休前に阪大病院で眼の手術を受け(たいしたことは無いのでご心配なく)、その後ちょっと休養しているうちに、今月のメッセージが遅くなってしまいました。その連休中に、卒業生のひとりが会いに来てくれました。お父上が50年前に始められた会社を、解散したとのこと。私は、以前に「学問の誕生・成長・老化」というタイトルで講演をし、学問の寿命は人の寿命と同じで50年から100年だと説きました[1]。企業の寿命も同じだと思います。およそこの地球に生きとし生きるものには、誕生と成長と老化があり、一年に四季の変化があるのと同じです。寿命とは、人が地球が社会が生きていることの証です。スウィフトのガリバー旅行記で一番悲しい国は、長寿の国です。人生に終わりのない人たちは、その退屈に苦しみます[2]。卒業生は、見事に会社を終わらせることができたようです。

最近苦しんでいる大企業と言えば、アメリカではGM、日本ではソニーでしょうか。かつて世界初のトランジスターラジオや世界初のレコードプレーヤー、ウォークマンなどを発表して人々の憧れの存在であったソニー・ブランドも、創業者の死後は、「iPod」を真似たり(パソコンメーカーのアップルが産み出したオーディオ機器)、「ニンテンドー」を真似たり(花札メーカーが産み出したゲーム機)、「液晶テレビ」を真似たり(シャープはブラウン管は製造せずに液晶テレビを数十年掛けて開発した)、まるでタイプの異なる会社になってしまったようです(最初のマックのノートブックがソニー製だったのに、結局はウインドウズのパソコンを作ってしまったのもその例)。会社の寿命もまた、創業者の引退・退場で終わるようです。それは決して失敗とか間違いではなく、会社もまた世に生きるものとして、ごく自然なことだろうと思います[3]。

連休中の社会面でのニュースの中では、大阪市の同和行政において病院に投入された320億円の税金と同和地区での駐車場管理法人への市からの数十億円の補助と売上げの横領に関する話題がありました。同和行政も、戦後の歴史の中で一つの寿命を全うしたかもしれません。同和問題に対してはとかく意見を言いにくい雰囲気があり、それが30年にわたる不正を関係者が見て見ぬふりをしてきた理由だろうと思います。後ろめたさを「お金」で解決するという、およそ差別解消と異なる間違った対処がなされたのです。ひとりで生活することすら困難な障害者や、言葉が通じずに苦労する外国人、国籍がないが故に差別される在日外国人など、いろいろな被差別に対して有限の税金を活用する必要があり、タブーのない議論をする環境と文化を認める新しい時代が来るものと信じています。

今年の1月と先月に「3シグマのうそ:格差社会」について私自身の考えを述べてきました。この話題は被差別問題にデリケートに絡み合います。激励のメールを色々いただきましたが、自分の本名を明かさずに私の考えに批判するメールもあります。村上龍の「半島を出よ」では、自分の意志で社会に適合しようとしない人たち(負け組?)が、日本を救います。地位や学歴、名誉を持つ人たちを勝ち組とする考え方は偏狭であり、同情することが被差別者の救済になるとは限らないと思います。まずは、自由な発言が許される社会が必要です。

その意味で連休のもう一つの話題、「新・教育基本法」と「共謀罪」は、人々の自由な発言や意見、行動を脅かす危険な法案だと考えています。まるで今の北朝鮮のように、愛国心を教育することを強要する国は、住む人たちにとって幸せな国ではないと思います。若者達に愛される国になるように、政治家はもっと謙虚になるべきでしょう。地域住民の活動ですら制約しかねない共謀罪は、市民が求めているものではありません。小泉さんは靖国に行くも行かぬも本人の自由という考えですから、彼の人生観はこのふたつの法案と異なる筈であり、これを強行することはないと信じたいと思います。小沢さんもまた、「愛国心は強制するものではない、愛される国にならなければならない」と言われていますから、十分にストップしてくれると信じたいと思います。

最後に、連休中の新聞一面の最大の話題、憲法に少し触れてみたいと思います。平和憲法が今年で60年、還暦を迎えました。これもまたやはり寿命を全うしたかもしれません。戦後教育を受けた日本人(特に安保反対とベトナム戦争反対で青春を過ごした我々の世代)には、同和問題と共に憲法改訂の話も長らくタブーでした。誰しも弱者に優しくあるべきは当然であり、戦争や人殺しをしてはいけないことも当たり前です。でも、過去の人が作った憲法に、今を生きる人が従わなければならない、というのは無理があります。憲法とは英語ではConstitutionですから「憲法」とは変な和訳です。聖徳太子の17条の憲法なら意味が通じるのですが、Constitutionは国の構造・構成(支配者と被支配者など)を示すものであり、我が国が共和国なのか合衆国なのか王国なのか、誰が国を統治するのか、社会主義なのか民主主義なのかを示せればいいように思います。その意味から日本国憲法では、まず第一条で天皇制を謳うのでしょう。全くもって憲法を勉強をしたこともなく興味すら持ったことのない私が自分勝手な見方で全く乱暴ですが、直感として、「戦争をしない」とか「軍隊を持たない」とか言うのは世界に向けての宣言であって、Constitutionの条文には馴染まないように思います。いま、護憲論者の半数は、憲法がなければ日本人はまた戦争をしてしまうかもしれない、と考えます。日本人は信用できないと言う発想です。護憲論者の残り半分は、憲法9条があっても解釈を拡大して自衛隊を持てばいいと言う発想です。規則は骨抜きにしていいという発想です。国民をバカにするか規則をバカにするかの違いです。改憲論者は、現在すでに違憲状態にあるから憲法を現状に合うように変えよう、と言う考えです。違憲状態を解消するためには、自衛隊を廃止するというなら論理的ですが、現状に合うように憲法を変えるのなら、護憲論者と同じで、憲法をバカにしています。いずれにしても、憲法の条文の解釈や見直しの論議ではなく、日本語の「憲法」の定義そのものに寿命が来てしまい、その結果、憲法が骨抜きにされているような気がします。

松尾芭蕉に「物言えば唇寒し秋の風」という句があります。広辞苑によれば、もともとは「人の短所を言ったあとには、淋しい気持がする」と言う意味だったそうですが、「なまじ物を言えば禍を招く」という意に転用されるようです。季節は初夏が近づきつつありますが、今月は唇に寒さを感じています。SK

[1] 阪大フロンティア研究機構編、「社会と大学は連携から「融合」へ:阪大FRCの挑戦」、大阪大学出版会(2003)。

[2] ジョナサン・スウィフト「ガリバー旅行記」(平井正穂訳)岩波文庫(1980)の第3編。グラナダ渡航記。小説の中では、不老人間の国グラナダと日本との間には貿易があったとされており、実際ガリバーはグラナダの後に日本を訪ねており、第3編11章には短いが日本航海記を書いている。

[3] いま日本では、科学の世界で学会や研究会、学術誌が激増しています。時代の変化が激しい今日、新しい学会や研究会ができるのは当然のことですが、古い学会が合併したり解散するという話は聞いたことがありません。そのために研究者は、学会を維持するがための学会活動が忙しく、そのために研究時間を割いているという笑えない話を至るところで聞きます。誰しも、会長を拝命したならば伝統ある学会を自分が会長の時に解散するのは、過去の人たちに申し訳なく、学会を維持しようと頑張ります。この解決策は、創始者が退任されたら原則その学会は解散する、というルールを設立時に書いておくしかないように思います。

Copyright © 2002-2009 河田 聡 All rights reserved.