2014年3月のメッセージ

船長が責任感のある人だったら?

ひどい事件です。船長も船員も海軍もマスコミも船主も、対応を誤りました。その人たちのみならず、その国の教育とか文化までが批判されています。儒教もキリスト教も機能しなかったようです。アナウンスを守り逃げ出さなかった生徒たちは、百田尚樹さんの小説「永遠の0」の登場人物たちに重なります。

とはいえ、犯人捜しと反省だけでは亡くなられた人たちは救われません。このメッセージでも何度か書いたテーマですが(たとえば2005年6月:脱線事故で107人を殺した人たち)、現代文明社会において事故や事件を完全に避けることができません。予期せぬテロや悪意のある犯罪、責任者の突然の失神など、人が起こす失敗や悪意を全て事前に予測してそれらを完全に防ぐことはできません。気象や地震などの自然災害を全て事前に予測して、それらを完全に防ぐこともできません。機械の安全性能を高めても、予期せぬ停電や金属疲労、発火、漏電などを完全に防ぐことはできません。船長や船員が最後まで船に残って乗客の救出をするのは当然ですが、それでも急速に傾き沈んでいった船から高浪の中での救助はかなり難しかったでしょう。人災、天災、事件、事故は完全に防ぐことはできません。海の上に浮く船は突然に沈むことがある、高層ビルは突然に倒壊する事がある、防潮堤を越える予想を超える高さの津波が来ることがある、ことを覚悟しなければなりません。

私の提案は、千年に一度の大津波に耐えることのできるスーパー堤防を造らないことです。いつ来るか予想のできない南海トラフ地震に備えて、町を大改造しないことです。深度6まで壊れない耐震改修をしないことです。座礁しても転覆しない船を造らないことです。むしろ、危機管理意識がなくなります。その代わりに、堤防が破壊されても人が死なない方法を考えましょう。津波に対しては、宇宙船のようなふたの付いた球状の船(というかタンク)を開発してそれを各家庭や学校に用意することを、以前に提案しました。津波で家が流されてもそれに乗ってぷかぷかと浮いて何日か救助が来るのを待つのです。予想を超える大地震に対しては、建物がつぶれても逃げ出す通路が確保できるようにして、壊れた建物から逃げ出せるようにします。堅牢な建物を建てるのではなく、人が生き残って逃げ出せる建物を設計し建築するのです。沈まない船ではなく、船が短時間に裏返っても乗客が死なない船を設計し製造するのです。たとえ救命胴衣や救助ボートがあっても、船が転覆しては逃げようがありません。裏返っても逃げる出口のある船を設計してください。目指すべきは事故0ではなく、死傷者0です。守るべきは船ではなく人の命です。事故のない船ではなく、沈んでも乗客が助かる船です。

犯人捜しをするマスコミからそんな議論がなかなか出でこないのが残念です。理研事件の対処と同じです。予測と事前防止ばかりが問われることも心配します。論文発表にもし不正があったとしても、不正が二度と起きないように厳しく研究者を取り締まるのでは、誰も大胆な仮説に基づく論文を書かなくなります。論文さえ書かなければ、誰も疑われる恐れはないからです。研究費を獲得して研究しなければ、誰も研究費の不正使用で疑われることはありません。それでは科学の進歩がありません。再現性と実験ノートという安全にばかりこだわるのではなく、科学者がミスしたり過ちを起こしても生き残れる社会に、日本の科学コミュニティーが成長することを願います。たった1回だけの成功、実験ノートが2冊だけでも構いません。そこに科学が生まれたかどうかが大切です。研究者がいくつものミスを経験しても生き残れる道を作ることが大切です。若者が萎縮して仮説を述べず論文を書かなくなったり、若者が旅行をしなくなることが心配です。

航海には予想外の発見やトラブルがあります。アドベンチャーのない航海は楽しくありません。科学と教育とは人生の航海です。アドベンチャーの連続です。そこにあまりに安全性を求めては、計画通りの予定通りの退屈な科学と教育になってしまいます。イノベーション創出形成拠点のプロジェクトで当初の計画に対する意識が希薄だと批判する委員は新たな発見やトラブルの対応ができず、船の転覆では真っ先に逃げ出されるかもしれません。今回の多くの間違いは是正しなければなりませんが、科学と教育と航海に危険があることは忘れずにアドベンチャーを楽しんで欲しいと思います。

[1] 2005年6月のメッセージ:脱線事故で107人を殺した人たち

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