2002年11月のメッセージ

酔っぱらい運転のミニバイク?

週末だけ台北に行った。会議場とホテルの移動の車の中、前後左右に入り乱れて走るミニバイクの群に、スターウオーズの空中戦のシーンを思い出す。日本と違い車線数が多いので、圧巻である。北京ではこれが自転車に変わる。左のバイクに当たらないよう右に寄れば、右のバイクに当たりそうだし、前のバイクに当たらないようにスピードを抑えれば、後ろのバイクが迫る。 運転手が全方位に注意を払っているようには、見えないのに、どうしてぶつからないのだろうか。魚群や鳥群のように、全体として交通システムが統制が取れている。

あらゆるテクノロジーが飛躍的に進化したこの30年、自動車や交通システムだけは、まるで進化していないような気がする。30年前、大阪万博の頃には、30年後の今頃はきっと新しい交通システムができて、交通渋滞も交通事故もなくなっていると想像していた。現実は、交通事故は減らず(エアバッグのお陰で死ななくなったが)、道路の渋滞は解消されるどころか酷くなり、駐車違反も絶えることなく、車はいまだに走る凶器である。本質的な進歩は見られない。

私が期待している車社会は、規制する車社会ではなく自由な車社会である。制限速度が無くてどこでも全速力で車を走らせることができ、酔っぱらい運転もOK、それでも事故が起こらない車の社会である。残念ながら今のところは、速度違反は罰金で、酔っぱらい運転は重大な犯罪である。今の状況で事故を完全になくしたければ、制限速度は時速5キロにするのがいい。酔っぱらい運転をなくすには、酒の販売を禁止すればよいが、これは文明とは言わない。文明の利器とは人を便利にする道具である。当然危険は伴う。制限速度もアルコールの%濃度基準も、危険と文明の微妙な駆け引きの産物である。

文明には危険が伴う。危険を減らすためには規制を強化しては文明は死ぬ。規制よりも、より高い文明を磨いくのがいい。酒を飲んでアクセルを踏みきっても、ぶつけようとしてもどうしてもぶつからない車を造ることが、文明である。

現在の日本の国の極端な規制は、文明の進歩を否定する。大学の教授が兼業をすることが違法・犯罪であるという規制が緩和されそうであるが、大学教授が兼業を通して世の中を知ることを危険視してきた日本社会は、大学の文明進化を否定してきた。交通事故を0%にするためには、車の利用を全面禁止すればいい。航空事故を完全になくするには、飛行機を禁止すればいい。公害を完全に撲滅するためには、原子力のみならず火力発電所を完全廃止すればよい。環境を完璧に守るためには、道路をなくせばよい。しかし一度文明の利器の便利さを知った人類にはそれができず、微妙なバランスで生きていくしかない。交通事故を起こさない、倒れない、それでいて制限速度なく酔っぱらい運転できるミニバイクが欲しい。SK

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