2010年7月のメッセージ

野球賭博!?

日本は、働く人のほとんどが「サラリーマン」の国です。サラリーマンは和製英語ですが、文字通りサラリー(給料)を毎月もらう人のことです。すなわち、賃金労働者です。資本主義社会で働く人には、「給料を払う人」と「給料をもらう人」の二種類の人しかいません。マルクス・エンゲルスの「共産党宣言」では前者をブルジョア、後者をプロレタリアートと呼び、仕事の種類や役割の違いというよりも階級の違いとして捉えます。すなわち、プロレタリアートは貧困層という本来の意味ではなく、賃金労働者の階級と定義されます。

現代の日本では、このプロレタリアート(すなわち賃金労働者)であるサラリーマンが、ブルジョアである経営者・資本家よりも人気があります。学生たちはこぞってサラリーマンになることを目指し、マスコミも「就活戦線」と称して、学生は社会を煽ります。日本の就職は、いわば集団的「ひと買い」です。私はこの就職活動を見て、奴隷解放以前のアメリカでアフリカから連れてこられた黒人の奴隷たちが「競り」にかけられて売られる映画のシーンを思い浮かべてしまいます。

なぜ日本の若者(若者だけに限らない?)は、企業に「雇われたい」のでしょうか。なぜブルジョアよりもプロレタリアートに憧れるのでしょうか?経営者は大変だけど労働者は無責任で気楽だ、と考えるのでしょうか。大会社は安定していて潰れないし(自営業は潰れる)、大会社では適当に働いても給料がもらえる(自営業はしんどい)と考えるのでしょうか。

不思議なことに、この「組織依存」意識は、学歴や大学のランクが高くなるほどより強くなります。すなわち日本では、自立心は学歴に反比例するようです。このことは我が国の人材育成と育成された人材の活用において、深刻な問題を生みだしています。国民の貴重な税金を投入する国立大学およびその大学院で長い年数をかけて育てた人材が皆、人や企業に雇ってもらうことを求めるなら、誰が新産業を創出し、誰が人を雇うのでしょう。日本の未来の最大の不安は、ここにあると思います。私は高学歴の人がみな、賃金労働者になるのではなく、起業家にもなって欲しいと願っています。

しかし、会社を作り人を雇う以前にまず自分自身を食わせるだけの収入が必要です。会社に頼らず自立して生きることは大変です。情熱だけで生き抜くことはできません。そのためには、手に職をもつか資格を得るのがいいでしょう。大学特に一流大学の卒業証書はサラリーマンになるには必要な資格ですが、お寿司屋の板前さんにも大工さんにも、美容師さんや看護士にも、高校の先生にもなれません。私の場合は学生時代に高校の教職免許を取りました。

そんなことを考えているうちに、私はまさに「超」高学歴(のなれの果て?)の理系博士とポスドク向けに、自立をして社会に役立つ仕事に就こうと呼びかけ、そして塾を作ってしまいました [1] 。名称は、科学者維新塾(通称「科新塾」)。幕末の大坂の「適塾」が単なる蘭学塾という役割を超えて、新しい時代の夜明けに活躍する人材を輩出したように、閉塞感の漂う平成の今に、「超」高学歴の人たちに日本の未来を救って欲しいと願って始めた塾です。長い長い学業生活を終えてめでたく博士を取得した後は、企業や大学の奴隷になるのではなく、自由に生きてもいいのです。社会の人たちに育てられたこの身を、今度は世界の人たちのためにあるいは地域の人たちのために使いたい、と考えてもいいのです。科学を学んだ経験を活かして政治に携わるのもいいし、サイエンスライターやSF作家として科学を社会に伝えるのもいいでしょう。ジャーナリストや起業家として世に貢献するのもいい。その複数を試みるのもいいでしょう。「超」高学歴なら、単に自分だけが生きていくのではなく、さらにたくさんの人たちの生活も支える知恵と気概もあるはずです。会社を興して人を雇って、社員に給料を支払って社員と家族の生活を支える人たちが、このクラスから生まれて欲しいと期待しています。中小企業、あるいはベンチャービジネスの創業者です。

私自身も、国立大学教授の兼業兼職規制が緩和されてすぐに会社を創業しました。そして早くも7年半が経ちました。

ベンチャービジネスを経営していると、いろんな人から様々なアドバイスをいただきます。創業当時は大学発ベンチャー経営の専門家と称する方々やTLO関係者から(頼んでもいないのに)、色んな注意を受けました。今でも大企業に勤める先輩の方々や官僚、大学関係者から様々なアドバイスを戴きます。それらのアドバイスは、示し合わせたかのようにみな同じです。当初は「投資を受けろ」「特許を出願しろ」と「右上がりの5ヶ年の売上高予測のグラフを描け」でした。最近では「上場よりも売却を検討せよ」「海外進出せよ」が多くなってきています。

申し訳無いのですが、私はこれらを完璧に無視してきました。むしろその反対を意図的にやったこともあります。たとえば、投資は受けず借金をしました。自ら起業した経験のない人達の、人から聞いたtheoryの受け売りなど決して信じませんでした。 いわゆるMBAの人達の話には、特に用心しました。人と同じように会社も千差万別ですから、彼等のパターン化したケース・スタディーなど、役には立ちません。過去のケースになど頼ってはいけないと考えました。会社を売却して儲けることや上場をゴールとするような人の話も、無視しました。私には会社経営において博打をする才覚も知識もないからです(サイエンスにおいては、博打の才覚も知識もあります)。

会社とは、創業者とその仲間の人生そのものです。人生を賭けてやるに相応しい仕事だと思います。松下幸之助さん、井深大さんと盛田昭夫さん、本田宗一郎さん、最近ではSteve Jobsや孫正義さんなど、自分の人生をかけて自らの会社を育てあげられました。サラリーマンの人たちには、私財と人生を投資してやるこの事業の醍醐味や喜び・苦しさはわからないかもしれません。商品を定めて仲間を集めて会社を設立して、そして事業を安定化させて、さらに発展させる。これは簡単なことではありません。思わぬ落とし穴や嫌がらせや不運が絶えることなく続きます。

私の周りで自ら会社を興した人の話は、とても参考になりました。アメリカでレーザー関連のデバイスを製造する会社を興した友人のアドバイスは、特に役に立ちました。30年間、ハイテクで小さなファミリービジネスを続ける彼から教わることは沢山ありました。「ベンチャービジネスとスモールビジネスは全く異なる事業であって混同しないように」という彼のアドバイスによって、私たちはスモールビジネスから始めるのだという決断を明確にすることができました。

会社を続けることは大変なことです。順調に経営して来られた会社が30年目に倒産の危機に陥り、負債を一人で背負って自己破産してしまった知人からは、どんなに失敗しても負けずに前向きに生きると道が開けるのだという、現実を学びました。失敗談を聞くことが一番勉強になります。しかしこれはなかなか聞き出せません。私が始めた会社に参加してくれる仲間は皆、その前の仕事や人生で苦労をしてきた人達です。その経験が小さな会社においてはとても役に立ちます。

会社にとって一番大切なものは「人」です。そしてその次に大切なものは、「コンテンツ」だと思います。「コンテンツ」とは、お客さんが金を払ってくれる我が社の商品あるいはサービスのことです。いくら投資を受けて金があっても、コンテンツが優れていなければ会社はいずれは破綻をします。継続的に新しいコンテンツを提供し続けることが重要です。創業当初における私の会社での役割は、第1に「人」を見つけること、第2に「コンテンツ」を生み出すこと、このふたつに尽きます。その両方が得られれば、後は経営の専門家や開発の専門家、営業の専門家である仲間達が会社を発展させてくれると信じています。

科学者出身の起業家は、このコンテンツ作り(特に継続的なコンテンツ提供)が得意だと思います。科学者とは、まさに常に科学のコンテンツを生み出すのが仕事だからです。それを商品あるいはサービスのコンテンツに置き換えればいいのです。

先月のメッセージに出てきたiPadは、まさにSteve Jobsが生みだしたアップル社の最新コンテンツです。Macintosh, NEXT、Pixar、iPod、 iPhone、そしてiPad。失敗も含めて(例えばNewton)、コンテンツが次々と出てくることがApple社の元気の源でしょう。ニンテンドーやユニクロなど、成功している会社からはコンテンツが生まれ続けています。そして、コンテンツが生まれなくなった会社は、会社の買収・売却や統合・合併など、マネーゲームに走っているように思います。買収・売却や統合・合併よりも、「新商品」が会社を救うと考えたいものです。

今や時の人となった蓮舫さんは、若くして亡くなられたお父様に「5年後の自分をイメージするように」と言われたそうです。ビジネスそしてサイエンスもまた、漫然と進めるのではなく5年後をイメージすることが必要だと思います。サラリーマンはあなた任せですから、「5年後にどこの部署で何をしているかは分からない」ということでいいでしょう。しかし超高学歴の博士課程の学生やポスドクの人たちには、「5年後の自分」を具体的にイメージして欲しいと思います。そのイメージ通りには決して事は運ばないでしょう。しかし計画無しには結果は生まれません。5年後に政治家になるためには今月には何をして、今年中に何をして、来年、そして3年後は何をしているのか、その具体的イメージが必要でしょう。会社経営には、5年後に向けて具体的に実現可能でかつ思い切り背伸びをした「コンテンツ」の計画が必要です。投資家向けではなく、自分達の計画です。ということで、ナノフォトン(株)は目下、会長主催の開発企画会議を集中的に開催しています。

お相撲さんも学生さんも協会理事やポスドクになるよりは、野球賭博やパチンコの方が面白いのは当然です。でもそれよりも、起業そして会社経営の方が遥かに面白いはず。皆さん、賭博をやるなら大博打を打ちましょう!?SK

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