2006年7月のメッセージ

物忘れ

高校生のころ、体育の授業がある日には体操服のはいった袋を持って学校に行きました。雨が降りそうな日には、さらに傘を持ちます。そんな日に、電車の駅を降りて学校に向かって15分ほど歩いていると、私は手に傘と体操服しか持っていないことに気が付きます。傘と体操服を忘れないように気にしていたら、教科書やノートの入っている鞄を電車に忘れたのです。何度も、この失敗を経験しました。忘れ物のひどさは、昔からの私の特技といえます。暗記や記憶することが、私はとても苦手なのです。

高校では英語と歴史が特に苦手でした。自分が生まれる前の、自分で行ったことのない国の歴史を覚えたり、日常に話す機会や必要性のない英語の単語を暗記することがどうしてもできなかったのです。数学に強かったのは公式を暗記しなくてもその場で作り上げればよいからだ、とうそぶいていました。初めての観光地や街で見る景色に、見覚えがあることが時々あり、自分には予知能力があって前世にこの町に来たのだと思って、友達や家族に話したら、前に行ったことがあるじゃないと言われました。予知どころか、経験したことを忘れてしまっていたのです。同窓会も、苦手です。昔の友達や先生のことを思い出せなくて、挨拶するにも緊張します。私についての皆の思い出話がでてきても、肝心の当人が覚えていなくて、話題について行けません。昔のどんな失敗話がでてくるのか、冷や汗ものです。

昔のことを覚えていないだけでなくて、実はほんの直前のことも覚えていません。お風呂で頭を二度洗ってしまったり、朝に二度歯磨きをすることなど日常茶飯事です。いつでもどこでも、捜し物をしています。部屋を出てすぐに忘れ物に気づいて、戻ってきます。こんな風に私の記憶というものはすぐに消えてしまうので、私にとって補助メモリはとても大切な存在で、やたらと自己流の手帳利用法や名刺整理法を開発し、パソコンの効率的活用法を開拓します[1]。それは、自分の記憶力が乏しいのを補助するための非常手段なのでしょう。後述の「博士の愛した数式」の博士が服にポストイットを貼りまくるのも[2]、「明日の記憶」の主人公・佐伯がメモをとりまくってポケットの中がメモで一杯なのも[3]、まるで私自身のことのようです。時々(いや、しばしば)私をとても記憶力のいい人だと勘違いされる方がおられますが、実は全く逆で、足りない記憶力を補うために、忘れてもすぐに情報が取り出されるように、あるいは忘れる前に繰り返し確認するよう、いろいろな工夫をしているのです。これらの方法は独自に編み出したのにもかかわらず、野口悠紀夫さんの超整理法と続超整理法・時間編、超勉強法に非常によく似ています[4]。「義脳」光メモリの必要性を、提案をしたことすらあります[5]。「WEB進化論」に出てくる情報の共有化や共同編集作業にひどく感激するのも、自分の記憶力の危うさを情報ネットや参加メンバーがカバーしてくれるからです[6]。

阿川佐和子さんは、エッセイ「無意識過剰」の中で、風呂を上がった後に、まだ身体を拭いていないことを忘れて下着を付けかけた話を、告白しています[7]。私と同類の人種はこの世に大勢いるようです。この本では、話題がどんどんエスカレートして、脱がずにトイレに座った人の話や、トイレの蓋の上に座ってしまった話、便座を降ろさずに直接座った話などが、ぼけ自慢としてが続きます。こうなると「どじ」と「ぼけ」の違いがわかりにくくなりますが、、、。

「本屋さん大賞」を受賞し映画にもなった小川洋子の「博士を愛した数式」では、記憶が80分しか続かない博士が、ほほえましく描写されています[2]。博士はボケてるのではなくて交通事故による障害ですので、本人にとっても周りにとっても深刻な筈なのですが、とてもほのぼのしていてほほえましいのです。本屋さん大賞の2位(別の年)を受賞した荻原浩の「明日の記憶」では、主人公の記憶は少しずつ失われていき、病状が進行します[3]。若年性のアルツハイマーを、湿っぽくなく爽やかなタッチで書かれていて、まるで実話かドキュメンタリー映画のようです。徐々に大切な人たちの顔を忘れ、大切な人たちに迷惑を掛けていくようになる、そのことを自ら知っていながらそれから逃げる方法がない、それでも精一杯生きていくことの難しさに、小説を読んで共感を覚えられた方も多いと思います。80分で記憶がなくなるほうが、日々に脳細胞が減って記憶力が薄れていくことよりもまだ幸せなような気がしてしまいます。病気とは進行していくものであり、次第に悪化する病気と闘いつつも一緒に暮らしていくことの困難さを、改めてこの本で学んだ気がします。

昔は、年をとって物忘れや勘違いがひどくなると「おれも耄碌(もうろく)したものだ」といって、老人の特権のように言っていたものですが、いまでは痴呆は脳の病気として理解され、最近では認知症と呼ばれます。英語ではdementiaでその直訳は痴呆ですので、日本語訳は意味が逆転しており、この命名に対して多くの抗議活動があります。しかしこの抗議がマスコミには取り上げられることはなく、マスコミも素知らぬ顔でこの間違った日本語を使っています。ただ、このような日本の言葉狩りは、そもそもが言葉を変えたがる人達の差別意識の裏返しなので、簡単には終わりません。そのうち、貧乏人も金持ちもちびものっぽも、使ってはいけない言葉になるのでしょう。日本とは、格差や違いを許さずにすべての人が同質で平均で中産階級であることが求められる社会なのです。

さて、私の物忘れのひどさ、記憶力の弱さは病気から来ているのか、気になります。まだ私の脳細胞は減少過程に入っていないと善意に仮定するならば、私の脳には新しい情報がおそらく毎日、毎分、大量にインプットされるために、古い情報を自動的に消しているのかもしれません。最近、この結論にいたって「それならまあ心配することもないや」と開き直ることにしました。

いまの私の記憶力の弱さの最大の悩みは、研究でも教育の関係ではなく、3種類の目薬と4種類の錠剤を、間違えずに決まった回数と決まった数だけ点眼及び服用することです。先に点眼した目薬が流れ出さないように、目薬は5分間隔に点眼しなければならないのですが、5分経つとどれを点眼したのか、分からなくなります。錠剤は朝だけの錠剤と朝晩、朝昼晩の3種類があり、これまたどれがどれだか分からなくなるのです。それどころか、薬を飲むために水を用意して、水だけ飲んで薬を飲むのを忘れてることが日常なのです。薬の原因はストレス性アドレナリンを抑えて、眼圧と血圧を下げることが目的なんですが、薬とにらめっこをしてむしろストレスを溜めているようです。本当は、周囲にはストレスを与えても自分はストレスなど感じない人なので、薬は早晩要らなくなるはずです、ご心配なく。SK

[1] たとえば、私の名刺の整理の仕方は、名刺を会社名や人の名前で整理しないことです。毎日頂いた名刺をコピー機に並べて、A4用紙にコピーをとります。そこに日付を書いて、日にち順にフォルダーに挟んで終わりです。相手の名前を覚えていたり相手の会社名を覚えているなら、分類も意味があると思いますが、私の場合は、「こないだの、それ、あの会議であった人、背の高い眼鏡を掛けたあの人とコンタクトをとりたい」といった類が、名刺探しのほとんどなので、日にちで探すしかないのです。というわけで、名刺にはめがね・はげ・のっぽ、など当人に見せられないメモや似顔絵が描いてあるのです。

[2] 小川洋子「博士の愛した数式」、新潮社、2003;新潮文庫、2005。

[3] 荻原浩「明日の記憶」、光文社、2004。

[4] 野口悠紀夫「超整理法」、中公新書、1993;続「超整理法・時間編」、1995;「超」勉強法、講談社、1995。もし私の記憶が正しければ(?)ひとつ目は有名なるKJカードを否定した名著、ふたつ目は6割準備を教える名著、みっつ目は単語暗記でなく限られた文章の丸暗記を主張する名著です。

[5] 河田 聡、「ナノ・バイオ・フォトニクスの将来:光で作る義脳」in 「光産業の将来ビジョン:ボーダレス化の中での進化と展開」3.3.8章、(財)光産業技術振興協会、2004。

[6] 2006年4月のメッセージ「WEB2.0」;梅田望夫、「WEB進化論」、ちくま新書、2006年2月。

[7] 阿川佐和子「無意識過剰」、文藝春秋、1998;文春文庫、2002。表紙の絵でアガワさんが鞄を持っているのと、持っていないのとの違いがある。

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