2011年12月のメッセージ

生きるということの物理学

哲学的素養も宗教心もまるで持ち合わせてない極めて即物的な人です。そんな私でも、津波によって家族全員が消滅した話を聞くと「生きるということの意味」を考えさせられます。かつて御巣鷹山で親しい同級生の一人が奥様と一人娘と一緒に亡くなったとき、その意味することの答えが見つからず落ち着かない日々を過ごしたことを憶えています。生きるということが子孫を残すためならば、子供が育てば人生は終わることになります。利己的な遺伝子は、高齢化社会を必要としないはずです。しかし、人が生きるということは利己的な遺伝子の目的を超えた別の意味があるはずです。私はすでに父が死んだ年齢に達してしまいしたが、死ぬまで働いてそして亡くなった父の生きた意味を、今も捜します。余生を送ってほしかったと思うからです。私が好きだった叔父は80歳まで人生を謳歌しました。子供もいなく叔母にも先立たれ、仲の良かった兄弟も全員亡くなり、最後には生きる意欲を失ってしまったかもしれません。彼がこの世を去って、私は彼の生きた意味を捜します。

生まれてきても結局は皆死んでしまうのだから、生きることの意味はない。数学的には生まれてプラス、死んでマイナス。合計はゼロ。早く死んでも長く生きても、生きることを苦しんでも楽しんでも、死んでしまえばそれで相殺。この発想は、物理学としては正しくありません。物理学の世界では、保存されるのは結果の位置ではなくてプロセスにおけるエネルギーの総和です。エネルギーは位置から運動、運動から熱、電気、化学エネルギーなど交換しますが、その総和は保存されます。

私にとっては、人生も物理学で説明してしまいます。それは足し引きゼロではないのです。祖父と父親がビジネスに成功して大儲けをして、息子がモナコのカジノで浪費して、結局はすってんてんでもとの貧しさに戻れば、プラスマイナスはゼロ、、、ではないのです。エネルギーとは振幅を二乗して得られます。儲け(+)は二乗します。損(ー)も二乗します。そして二乗すればどちらもプラスの値をとります。それを時間総和すると、エネルギーが得られます。繰り返し起こるプラス人生とマイナス人生をそれぞれのタイミングで振幅を二乗し、それを積分するとエネルギーが得られます。振幅(成功と失敗、躁と鬱、儲けと損失など)の繰り返しが多い(変化が激しい)ほど、エネルギーは高くなります。60Hzの関西の電力は50Hzの関東よりも大きいのです。600Tzの可視光よりも1,200THzの紫外線の方がエネルギーは高いのです。

日本人はしばしば、足し算と引き算だけで損得を考えますが(だから結果だけを重視して、辛抱して待つ)、人生も社会も非線形(二乗の上に三乗、四乗があります)な系です。結果ではなく、それに至る苦しみがエネルギーを生むのです。動けば動くほど大きなエネルギーが得られます。日本では、学校の成績の分布を正規分布で近似して平均値より高いか低いかで人を選別しますが、平均値は生きると言うことを示す値ではありません。平均値からの差の二乗、則ち分散値が大切な値です。平均値からどれだけ離れているか、それはプラスでもマイナスでも良く、その二乗が人の評価です。平均値はエネルギーをもたらさないのですから、平均値を議論している日本が分散値を議論するアメリカにエネルギーでは勝てません。多様性とエネルギー、パワー(エネルギーを単位時間での)は同じです。

物理学が教えることは、エネルギーは保存されるということです。宇宙は無から生まれて無に戻っても、それは存在しなかったと言うことではありません。人生も同じこと。失敗することも成功することも、どちらもエネルギーを生み出します。苦しみも楽しみもエネルギーを生み出します。その結果は保存されます。保存先は遺伝子ではなく、即物的には芸術作品であったり建築物であったり会社であったり製品であったり論文であったり友達であったり、すなわち人や社会に残します。

津波で亡くなられた家族は、私達の心にものすごく大きなエネルギーを与えました。彼等の物語は、どんな大きな成功を収めた人の話よりも遥かに大きなエネルギーを持っています。そのエネルギーは孫子の代まで伝えられて、人々の心に残り続けることでしょう。死んでしまえばゼロではなく、エネルギーは保存されます。先月に触れた「困ってる人」の話は、彼女のビルマの活動の充実感と他人には理解できない難病の辛さを経験されることによって、ものすごいエネルギーを生み出しました。生み出されたエネルギーは、消えることなく保存されます。 Steve Jobs(英語版は日本のアマゾンで購入しても日本語版の半額です。しかも写真が寄り多くハードカバー!)の絶頂と絶望の繰り返しの人生もまた、彼が生み出した製品以上に大きなエネルギーを生み出しました。若くして亡くなったことはとても残念ですが、彼の生きた意味は十二分にあったのです。

最近また、本屋さん大賞を読みました。百田尚樹の「永遠のゼロ」です。戦記物かと勘違いさせられて途中で投げ出しそうになりましたが、最後まで読んでみて本当に大きなエネルギーを授けられました。役人と朝日新聞批判がとても痛快でしたが、そんなレベルのエネルギーではありません。まさに、生きるということの物理学を、私に教えてくれました。特攻隊で死んだ宮部久蔵さんの壮絶なる人生は、物理学の法則にしたがって大きなエネルギーを生み出したのです。「Steve Jobs」と共に、お勧めです。すべての人は、早かれ遅かれいずれ死にます。Swiftのガリバー旅行記の「不死人間の国」ではエネルギーが増えることも減ることもない国です。死なない(死ねない)人の醜さが語られます。私達が生きて死ぬことの意味を、なんとなく物理学で整理してみました。物理学的には厳密な定義に合っていないくだりもありますが、細かなことは気にせず趣旨を理解いただければ幸いです。哲学を知らなくても宗教も知らなくても、物理学が生きるということのヒントを教えてくれる本屋さん大賞でした。SK

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