2006年3月のメッセージ

とりあえず

例年2月、3月は、新年度に向けて学生達が期待に胸を膨らませ心を躍らせるシーズンです。研究室では卒業年度の学生達が実験道具や生活道具を片づけはじめ、次の学年の学生達が研究室選びのために見学に来ます。小学校以来、先生の言うとおりに受動的に学習してきた学生達が、初めて能動的に自分のやりたい研究を選ぶのですから、みなとても興奮しています。自分の興味のある研究はどの研究室に行けばできるのか、その研究室にはどんな装置があってどんな先生や先輩がいるのか、就職に有利な研究室はどこなのか、興味津々です。

学生達があまりに真剣になるので、研究室の配属を決める作業は大変です。学生の希望は特定の研究室に集中しますが、日本の大学社会は理想的共産主義社会ですから(例えば入試制度を見ればよく分かります。点数だけで人を選んで人の個性の違いを認めません[1])、各研究室に同じ人数の学生を分配するべきという論理が、学生の希望や学生の個性よりも優先されます。

研究室を見学に来る学生達に、私はまず、卒業したらどうするのかを尋ねます。学生達は、必ず戸惑った顔をします。いまは研究室を選んでいるのであって、それも決まっていないうちから、卒業後のことなどまだ分からないって訳です。そこから、私の説教が始まります。小学校から15年間も勉強してきて、いまだに何になりたいのか分からないような、そんな何も考えずに生きてきている奴は税金泥棒だ、と叱ります(国立大学の教育は授業料よりも税金で賄われているのです[2])。そして、村上龍の13歳のハローワークを読むように勧めます[3]。小学校を卒業する13歳の子供達に世の中には514もの職業があることを教え、サラリーマンは514の一つに過ぎないことを知ってもらいます。

将来に「夢」を持ち、夢の実現のために一生懸命努力しても、その夢が叶うとは限りません。オリンピックに出ることを夢見て、幼い頃からフィギュア・スケートの練習を続け、遊ぶ時間もなく血のにじむ努力をしても、それでもオリンピックに出られる可能性などほんの僅かです。結局は、夢とは違う職業に就いてしまうことがほとんどでしょう。しかし、オリンピックに出たいという夢を持たない人がオリンピックに出られることは、全くありません。恵まれた才能と強い精神力と弛まぬ努力をして、運に恵まれて、それらすべて揃わなければ、オリンピックで「金メダル」を得ることなどできません。しかし、その「夢」すら持たない人に「金メダル」が転がり込んで来ることなどありえないのです[4]。ピアニストになりたいと思っても、お金持ちになりたいと思っても、芸能人になりたいと思っても、政治家になりたいと思っても、プロ野球の選手になりたいと思っても、そのために一生懸命努力をして準備をしても、夢が実現できるとは限りません。しかし、その準備や努力、覚悟をしてないのに、突然美味しい話が転がり込んでくることはもっとあり得ないのです。

将来の夢の質問に戸惑った後の学生の答えは、「とりあえず大学院に行きます」か、「とりあえず就職します」か、「とりあえず試験(就職試験、国家試験、大学院入試)を受けてみます」のいずれかです。私は「とりあえず」大学院には来て欲しくはありません。「夢を実現するために、大学院に行きたいのです」と言って欲しいものです。もっとひどいのは、親が望んでいるからとか彼女が望んでいるから、という答えです。「人」として自らの意志がなく、ロボットのような無責任な回答です。

ロボットには自分の意志はなく、組まれたプログラムに従って動きます[5]。ロボットが会社に入れば、開発でも製造でも営業でもアメリカ駐在でも単身赴任でも、会社に与えられるがままどんな仕事でもします。食っていくためには仕方がないと、初めから居直って夢を持たず、夢のために血のにじむ努力をせず、自らロボットになろうとするのは、人間として悲しいことです。

「とりあえず」が似合う言葉は「フリーター」です。「とりあえずフリーターになる」。これなら合点がいきます。フリーターは、会社の鎖に繋がれるより自由に自分の夢を探して生きる人種、とも考えることができます。ただし、社会の人が全員、本気で夢に向かって生きるようになると、世の中はフリーターと失業者だらけになってしまうので大変です。夢に向かって努力をしても、夢はあくまでも夢であり実現できないことがほとんどですから、結果的に企業に生きている人達は、非難されるべきではありません。ただ、夢を持たずに初めからとりあえずという言葉を使って、諦めてロボットになってしまう若者に、私は失望しているのです。

「とりあえず」族はとりあえず就職したりとりあえず進学するのですから、どこに就職しようがどの研究室に行こうがあまり構わないように私には思えますが、逆に彼らは会社名や大学名・研究室には非常にこだわります。彼らには就職するか進学するかよりも、どこに就職するかどこに進学するかの方が大切なようです。松下に行くべきか東芝に行くべきか、どちらが自分にとって得か損か、そのふたつを一生懸命比較をして悩みます。松下に行って何をするかには強いこだわりはなくて、「とりあえず」入社してから考えるか会社に任せる積もりなのです。会社に行っても、その業務は様々です。例えば放送局に就職したら、カメラマンになるのか、放送技術者になるのか、アナウンサーか番組企画やプロデューサーか、営業か労務管理か、などなど。でも、それは決めずに、「とりあえず」どの放送局を選ぶかを悩みます。

私は、実はこの「とりあえず文化」は現在の若者の固有文化ではなく、日本の悪しき伝統ではないかと考えています。日本海軍は真珠湾を奇襲攻撃してアメリカと戦争を始めましたが、その後にどうやって戦争を終わらせるかはまるで考えていませんでした[6]。「とりあえず主義」は戦争の最後まで一貫しており、アッツ島が玉砕してもサイパンが玉砕しても硫黄島が玉砕しても、沖縄が陥落しても、終わらせ方を考える人はいなかったのです[6]。とりあえず物事を始めて、つじつまが合わなくなってくれば切腹して終わりというのは、日本人の体質なのでしょうか[7]。最近でも、いつどんなタイミングで撤退するかはまるで決めずに、「とりあえず」イランに自衛隊を送ってしまいました。

宵越しの金は持たない、明日は明日の風が吹く、、、、。日本は古来「とりあえずの文化」なのかもしれません。「とりあえず」という言葉は、英語にはありません。「とりあえず大学院にでも行きます」「とりあえず就職します」「とりあえず試験でも受けてみます」、これらを英語に訳すことができません。

「とりあえず、このラットの細胞で実験してみます」という学生がいます。「とりあえず」殺されて実験に使われては、動物は本当に可哀想ですし、「とりあえず」の実験に研究費が使われては納税者もたまりません。国の政策も同じです。大学関係では「ポスドク1万人」とか「留学生1万人」「21世紀COE」「大学発ベンチャー1000社」「大学の独立法人化」などなど、次から次へと重要な教育政策が作られますが、「とりあえず」政策を作るものの、その後は野となれ山となれで、日本にポスドク溢れさせて社会に迷惑をかけています。日本の官僚や政治家は、典型的な「とりあえず人種」なのです。エリート官僚や政治家でしてそうですから、学生に「とりあえず」と言うなというのは無理なのかもしれません。

確かに若いうちから、自分の将来をそんなにしっかりと見定めることは難しいことだと思います。将来の夢が2つも3つもあって、どちらにすればいいのか決まらないことは当然です。それで将来を悩むのは、若者の当然の姿でしょう。でも夢がひとつもなくてとりあえず就職する人に人生の金メダルを取れるはずはなく、ホームレス予備軍です。

というわけで、私の研究室は「とりあえず」という言葉を禁止しています。とりあえず、ね!? SK

[1] 河田 聡、2006年1月のメッセージ「3σのうそ」

[2] 阪大の支出はざっと1,000億円、それに対して授業料収入はその1割の100億円です。

[3] 村上龍「13歳のハローワーク」幻冬舎、2004年。私も、日経サイエンス2004年5月号「フレッシュマンの読書ガイド:理系文系を超える」でこの本を推薦しました。

[4] トリノ・オリンピックでただひとりの日本人メダリスト、荒川静香さんは「あっぱれ」ですね。彼女はオリンピックに出て金メダルをとることが夢ではなくて、アイスショーに出ることが夢だと、受賞のインタビューで答えておられます。アイスショーのプロ・スケーターとして生きていくためには、オリンピックの金メダルが役立つから金メダルが欲しかった、と挨拶で答えています。アスリートではなくエンタテイナーを目指すのだそうです。すばらしい夢だと思います。

[5] 「ロボットは人を襲ってはいけない」というのは、手塚治虫さんの鉄腕アトムに出てくる「ロボット憲章」です。しかし、それでもロボットは自らの意志を持とうとします。鉄腕アトムはもちろんのこと、映画「マトリックス」やマイケルクライトンの最近の小説「プレイ:獲物」など、ロボットが意志を持つことはロボット小説の永遠のテーマです。それなのに、いまや人が「とりあえず」意志を持たなくなる、とは、、、。

[6] 保阪正康、「あの戦争は何だったのか」新潮新書、2005、は必読です。如何に当時の軍部が無責任に「とりあえず」戦争を始めて、「とりあえず」戦争を続けたかが、詳しく書いてあります。司馬遼太郎の「坂の上の雲」でもまた、日露戦争での二百三高地の闘いでの、乃木大将の「とりあえず」闘う無戦略ぶりが書かれています。

[7] 河田 聡、2003年1月のメッセージ「無条件降伏」

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