2005年9月のメッセージ

郵便局のない村。

私の長女は、ボリビアのアマゾン奥地の小さな村に住んでいます。もう2年半になります。都会から遙かに離れたこの村に、日本から郵便が届くことはありません。もし怪我をしたり病気をしたりお金がなくなったりして(実際に盗難にあったり病気になったことがあります)、彼女が私たちに助けを求めたくても、そこから日本に郵便が届くことはありません。いま選挙で争点の、過疎地の郵便局がなくなるかもしれないという話題は、我が家ではすでに現実です。

でも、私たちは困っていないのです。全然、困っていないのです。彼女が携帯電話を持っているからです。郵便が届かないアマゾン奥地の村でも、携帯電話が繋がります。日本もボリビアも、電話会社は民営です。いろんな格安電話サービス会社があり、彼女とは、毎週、電話で話しています。ボリビアのどこへ行っていても、携帯電話を掛ければ繋がり、音が遅れることなく、まるで隣にいるような音質で話をしても、1分44円です。郵便はがきは、国内宛でも、50円です。

さて、日本の過疎地。過疎の人たちは、本当に郵便のユニバーサル・サービスを求めているのでしょうか?1年にどれぐらいの数の郵便を出して、受け取られるのでしょうか?郵便サービスが何よりも大切だと言っているのは、特定郵便局長と政治家とメディアだけではないでしょうか?是非、過疎に住む人たちの本音を聞いてみたい、と思います。

過疎の人たちには、郵便よりも電話やファックスの方が必要なのではないでしょうか。ボリビアに住む娘には、郵便よりも、日本食や日本の本を送りたいので小包・宅急便サービスが欲しいのですが。残念ながら、彼女の村までは小包は届きません。次女はロンドンで、長男はメルボルンの大学で学んでいますが、仕送りはインターネットで送金します。一度登録すれば土日でも夜中でも送信できるので簡単だし、手数料も格安です。郵便局からは送金しません。宅急便も電話もインターネット銀行も、すべて民営です。

わたしは、過疎の人にとっては、郵便屋さんよりも、お医者さんが必要なのではないだろうかと思います。郵便局よりも、薬局が必要ではないだろうかと思います。郵便局よりも、米屋や魚屋さんが必要ではないだろうかと思います。郵便局よりも、自転車やバイクを修理してくれる自転車屋さんやテレビや洗濯機を修理してくれる電気屋さんの方が、必要なのではないかと思います。

これらのお店やお医者さんや薬局は、すべて民営です。医院・病院・薬局などは、過疎地では国営がいいように思いますが、どうしてこれらは民営で、郵便局だけが国営(公社とは言っても、実際は国営)でなければならないのでしょうか?

もし選択できるなら、過疎の村の人は郵便局よりもコンビニを選ぶのではないでしょうか?コンビニは宅急便の取次もするし、どこの銀行の口座を持っていてもATMで出入金できます。POSシステムのおかげで、それぞれのお店毎に、地域に必要な商品が揃っています。郵便局よりもコンビニの方が、日常生活に役立つお店ではないでしょうか。今、都会から田舎へと日本中にコンビニが広がりつつあります。携帯電話の受信範囲が急速に広がったのと同じです。郵政公社が新たにコンビニ・ビジネスを始めなくとも、すでにノウハウのあるローソンやセブンイレブンに任せればいいと思います。これまで郵便と郵貯・簡保だけをしていた特定郵便局長は、郵便局は閉じて、新たにコンビニ会社と契約し、コンビニをオープンすれば、もっともっと地域の人にきめ細やかなサービスができると思います。

郵便など届かなくても、人は死なないのです。国家が関わることは、国民の生命・安全を守ることに限るべきだと思います。もし電電公社が民営化されなければ、競合する電話会社は現れておらず、電話料金は今なお著しく高いままであったことでしょう。過疎の人たちが、いまのように安い料金で携帯電話を使うことはなかっただろう、と思います。

文明は、進歩します。紙ができて、石に字を彫ることはなくなりました。郵便制度ができて、飛脚はいなくなりました。電話が民営化されて、お年寄りまでがファックスや携帯電話を使うようになり、さらにいまIT時代が訪れ、世界の人がネットでチャットやテレビ電話をする時代が来ています。ショッピングもバンキングも授業も、インターネットでする時代が来ています。郵便のユニバーサル・サービスが、絶対守らなければならない日本の良き伝統・文化だという人たちには、国民の声は届いていないのではないでしょうか。

と言うわけで、私は郵貯・簡保の廃止に加えて郵便局も廃止論者です。閉じた後の局舎はクロネコヤマトの集配所兼コンビニとして、さらにできれば、診療所兼薬局として使ってください。

自民党はともかく小沢一郎さんまでが、郵便のユニバーサルサービスを守ると主張されるのには、失望します。民主党の岡田克也さんは、私と同じ高校の2年後輩です。自民党の竹中平蔵さんは、大学の元同僚です。このふたりは、国の将来に対してとても誠実な発言を繰り返しています。ふたりに手を組んで欲しいと思う私には、今の選挙は悩ましいです。選挙の日、私は中国で阪大と中国科学院の提携のシンポジウムに行くので、今回は初めて不在者投票をしていこうと思っています。

ところで、9月1日に、私が発起したナノフォトン株式会社は、新製品を記者発表しました。その準備と、その直後からの学習院大学での集中講義のために、今月のメッセージが少し遅れました(今月に限らない?)。9月1日に向けて、社員や関係者の皆さんに夏休み返上で働いてもらい、そのおかげで素晴らしい性能とデザインの製品と素晴らしい結果が得られました。ここ半年ほどメディアから遠ざかっていた私も、久しぶりにメディアに少し出ました[1]。

ナノフォトンが作るような、いわゆる最先端ナノテクノロジーのツールは、欧米の企業がほぼ完全に日本市場を支配しています。日本の大企業が作る先端計測装置は、ほとんどすべて外国製品のコピーです。ナノフォトンは、透明な細胞を「染めず」にカラーで見る「レーザー顕微鏡」を、世界で初めて発表しました[2]。日本のマーケットで新しい製品を問うことは、とても難しいことです。如何に魅力的な商品であっても、どこにも売っていない商品を買うベンチャースピリッツは日本の研究者にはほとんどなくて、如何に高性能の製品でも、できたばかりの小さな会社の製品を買うベンチャースピリッツは日本の大学や国立研究所にはほとんどなく、開発企業だけがベンチャースピリッツを持っていても、先端科学ビジネスは成り立たないのです[3]。

ベンチャービジネスを経営すると、つくづく日本社会は、新しいことや変化を嫌う社会であることを思い知らされます。構造改革も郵便局廃止(あるいは民営化)も道路公団の民営化骨抜きも、日本社会の変化を拒むカルチャーが妨げているような気がします。でも、本当はそれは日本のカルチャーではなくて、変わらないことで得をする人たちに騙されているのだと思います。ナノフォトンは、研究者や大学のこの呪縛を愚直に取り除いて、私たちの技術を売っていきたいと思っています。

[1] 朝日新聞・9月3日夕刊(東京3面)、日経新聞・9月2日朝刊(大阪15面)、他多数。

[2] ナノフォトンホームページ : http://www.nanophoton.jp/

[3] 河田 聡「もうベンチャーと呼ばないで!」、Laser Focus World Japan、2005年9月号(9月10日発売)。

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