2012年7月のメッセージ

論文の読み方

世に論文の書き方の本は、数多あります。私自身も「論文・プレゼンの科学」という本を出版しています。初めて卒論を書く人、初めて科学論文を投稿する人、初めて学会発表をする人、初めて学位論文を書く人に向けて、論文の書き方をアドバイスしました。しかしなかなか学生達の論文を書く力は向上しません。なぜなのか考えました。

そして、分かりました。どうやらみんな、まだ論文が読めていないのです。読めないから、書けないのです。私の研究室では毎週月曜の朝に、Paper Review Seminarが開かれます。研究室によっては雑誌会とか輪講会とか呼ばれるゼミです。学生達が、自分の気に入った学術論文や自分の研究テーマに関係した論文を読んで、皆に説明をします。ぼんやりと聞いていると、発表は立派に聞こえます。著者に成り代わって実験や理論、結果など学術論文に書かれていることを細かく説明してくれます。でも、著者の顔が見えてこないのです。著者の心が見えないのです。論文とは「人」が書いたものです。そこには必ず書いた人の意志、「こころ」があります。大発見に興奮してみなに伝えようとしているとか、論文を書かないと学位が取れないので未完成ながら書いているとか、ライバルよりも先に発表したくって焦って書いているとか、一連の仕事の途中結果として整理したものを書いているとか、論文執筆への動機があり、読者へのメッセージがあるはずです。もし直接、著者が論文について話してくれれば、それが伝わって来るはずです。しかし、このようなメッセージは本文中に露骨には出てきません。じゃあ、著者に聞きましょう!「あなたの論文を皆に紹介することになったのですが、どうしてこの研究をなさったのか、どうしてこの論文を書かれたか、お教えいただけませんでしょうか?」。メールをして尋ねてみるのもひとつの方法です。もっとも、返事はもらえないもしれません。

私の研究室では全てのゼミは英語で議論されます。もともと英語で書かれた論文を英語で紹介することは、そのまま読んでしまうことになりかねず、しかもiPadを持つ聴衆は論文のPDFを手にして聴いているので、発表はとても難しいだろうと思います。

論文の細かな内容は、聴衆それぞれが直接に原著論文のPDFを読めば分かります。分からないことは、この論文の背景です。著者はなぜこの研究をしてなぜこの論文を書いたのかを調べましょう。今のIT化時代では、それはさほど難しいことではありません。著者が複数の場合はそれぞれの人について調べましょう。誰がこの研究テーマを思いついて、誰が研究チームを構成して、誰がサンプルを用意して、誰が装置を作って、誰が計算をして、誰が実験をしたかを整理します。複数のグループ(例えば物理の研究室と化学の研究室とか、理論グループと実験グループとか、装置を持つグループとそのユーザー・グループとか)の共同研究なのかも、知る必要があります。最も重要なことは、誰がこの研究を行うことを決めたかをしることです。研究の主導者は英語ではPIまたはPrincipal Investigatorと呼ばれ、論文の著者表記の欄では星マークが付けられていて、Corresponding Authorと呼ばれています。Nature等の雑誌では、個々の著者がどのようにこの論文に関わったかが最後に書かれています。この人達のこの論文以前の、そして以降の人生を追ってみましょう。

人が研究をするには、かならず動機があります。道でうっかり転んだら道ばたに新種の花を見つけた、みたいなことです。よく転ぶ人の方が発見が多いかもしれません。近接場光学の分野のパイオニアのお一人のDieter PohlさんはチューリッヒのIBM研究所で光科学の研究をしていましたが、当時その隣でHeinech RorerさんがSTM顕微鏡を発明したのを見て(後にノーベル賞受賞)、光で同じことができないかと考えて近接場走査光学顕微鏡を発案しました。もし、彼が光学の研究者でなく隣にRohrerさんがいなければ、この発明は彼から生まれなかったかもしれません。私が金属針を使った近接場顕微鏡を発明できたのは、その頃私が表面プラズモンセンサーの研究とレーザー走査共焦点顕微鏡の研究を同時にしていたことと、微小開口を持つファイバー型の近接場顕微鏡に原理的に矛盾を感じていたからです。他の誰にもない環境下にいたのです。私の2光子光重合の研究はNatureという雑誌に載り引用件数が千件を優に超えていますが、この研究をしていた当時は、光重合性ポリマーを光メモリの記録材料に使うプロジェクトを推進していましたが、そのころ2光子蛍光顕微鏡が流行りつつありました。そんな状況にいた研究者は他には多分になかったので、私が最初に発表できたのだと思います。もし、私のその頃以前の他の研究論文を調べてみれば、私の発明がなぜ生まれたのかに気づくはずです。私は学生時代以来ずっと顕微鏡研究に関わり、特に超解像という光の波動性の限界を超える顕微鏡の開発を続けていました。一方、研究予算獲得のために、光メモリなど時節にあったプロジェクトを立ち上げることもあります。

科学とは人が創るものです。重力も微分方程式も光のトンネリングも、ニュートンが作ったのです。りんごが木から落ちるのを見て万有引力の法則の発想を得たという話があります。先駆者がどうやって新しいことに気づいたり作り上げたのかを知ることは、科学を学ぶ最大の醍醐味です。得られた結果よりもその動機が面白いのです。論文には、どんな装置を使ったかとか、どんな風にして試料を作ったかとか、どんな温度でどんな時間で実験したかとかが詳しく書かれています。それらを説明することも大事ですが、なぜそんな装置を使ったのか、なぜそんな風にして試料を作ったのかとか、なぜそんな温度にしてそんな時間で実験したのかも、興味深いことです。そこに実験者の人と「こころ」があるからです。

『研究室に来てみたら、光でナノを操る研究をしていました。そこには、レーザーが使われて金属ナノ構造が使われていました。細胞の中からラマン散乱という光が出てくるのを検出する実験が行われています。』研究室に参加したばかりの学生は、自分の研究室についてそう説明することでしょう。でも、それだけではダメです。研究の動機、「なぜ」がありません。なぜこの研究室ではそのような研究が行われているのかを調べてみて下さい。紹介しようとする論文が「なぜ」書かれたのかも、調べましょう。そうすれば著者の「こころ」に近づけるかもしれません。

発明や発見した結果よりも、発明者や発見者自身について知りたくなりませんか。例えば、千円札の野口英世さん。幼い頃に左手を大やけどした英世がアメリカ帰りのお医者さんに手術をしてもらったこと、それがきっかけとなり後に医者になりアメリカに渡ったこと、ガーナで黄熱病の研究をするうちに自分も発病して亡くなってしまうことなど、子供の頃に伝記を読んで感銘を受けたものです。彼が研究した黄熱病という病気そのものよりも、野口英世さんがなぜその研究をするに至ったかの話の方が、ずっと皆の関心を得たはずです。昔はみな伝記を読んで科学者を目指しました。今はどうなんでしょうか。科学は勉強しても、その発明や発見に至る人間性に余り関心がないように見えます。

実は大学の授業も論文紹介と同じです。科学を教えると言うことは、事実を教えるだけではなくその科学を生み出した「ひと」とその「こころ」を教えることです。そうでなければ、WIKIPEDIAみたいな学生や教授ばかりが増えてしまい、日本から科学を生み出す人がいなくなります。著者がどうやって論文に書かれている科学を生み出したのか、を学びましょう。論文を読みながらこれをトレーニングすれば、科学を創るということがそのうちにできるようになると思います。産業を生み出す、ビジネスを生み出す、サービスを生み出す、アートを生み出す、どの分野においても同じです。iPhoneやiPadに詳しいよりもSteve Jobsの発想法を学んで下さい。

心のない論文はありません。論文とは人に読ませるために書かれたものであり、独り言ではありません。論文を書く立場の人は、読む側の立場に立ってあなたの論文を見直してみましょう。それが論文を書く力を生みだすはずです。SK

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