2003年6月のメッセージ

夕映えの街

米軍機が富士山に引っかかって原爆を落としたら富士山が爆発し、西日本と東日本の交通が遮断される。日本は東西が分断され、西側はいわゆる連合国支配となり、東側にはロシアが侵攻してくる。こんな設定の小説(ドラマ)が、かつてありました。矢作俊彦の「あ・じゃ・ぱん」です[1]。井上ひさしの「吉里吉里人」を越える、たしか最も「目方」の重い小説だった思います。架空の事故を元にした物語なのに、いまの現実の日本を実にうまく風刺していて、面白かった(少なくとも前半は)記憶があります。分断された西側はとてもラテン的でおおらかというかいい加減、規則よりも自由を楽しむ超自由主義・超資本主義の国であり、東側は人間よりも規則や組織が優先される極めて官僚的なる共産主義国家という想定です。新潟あたりに闇で貿易するグループがいるあたりまで、うまく現実をパロディー化していました。南北朝鮮よりも、むしろ現在の日本の東西の文化的違いのパロディーです。

大阪の地下街では人が全くバラバラに自分の道を進んでいます。梅田の阪神と地下鉄と阪急百貨店を結ぶ地下街、5叉路とでも言えばいいのでしょうか。これを通りきるのには、バラバラに歩く人達を横切るのです。流れが群れになっていないので、右へ左へ一人ずつ人をよけながら歩きます。これが、東京並みに皆が列をなして歩き出したら、きっと、信号機が必要になるでしょう。地下鉄の階段の上り下りも、かなりバラバラです。東京の地下鉄の階段は上りと下りのサインがあるのですが、大阪ではそこにあるのは、広告です(ただし旧国鉄のJRは、大阪でも上りと下りが示されているそうです)。

私は、信号が赤でも車が来ていなければ、車道をわたります。東京では皆に唖然として(あるいは軽蔑の眼で)見つめられますが、これはニューヨークでもロンドンでもシドニーでも普通のことです。車は信号機を守らなければならないけれど、人は車さえいなければ道路を渡っていいと考えているのでしょう。信号を守らない私に対して、東京では猛然とクラクションを鳴らして車がつっこんできますが、大阪では車は歩行者をよけてくれます。ドイツでは、人(警官を含めて)は赤信号でも平気で車道を渡りますが、バイクレーンを歩くと、自転車に轢かれそうになります。

文化だけはなく様々な仕組みにも、東西の違いは見られます。まず、東西では電力の周波数が異なります。東京電力のエネルギー不足に対して、中部電力がエネルギーを売っていますが、信州などで巨大な変換機(60Hzから50Hzへ)が動いています。関西の私鉄(南海電車を除く)の線路の幅は、新幹線と同じで広軌ですが、関東ではほとんどの私鉄が狭軌です。だから東京の私鉄はJR在来線と乗り入れができますが、大阪ではJRへの乗り入れはありません。エスカレーターで急ぐ人は、ニューヨークやロンドンと同様に大阪では左を歩きますが、東京では逆です。(メルボルンは東京式だったように思います)。

全国一律というのは人間味がなくて、旅行の楽しみがありません。ヨーロッパの旅行が楽しいのは、国ごとに町ごとに制度や文化、言葉が違うからでしょう。1国2制度や特区が話題になりますが、場所によってその地方にあった制度や文化が認められるのがいいと思います。

先日、大阪の梅田貨物駅跡地(東京で言うと汐留、通称大阪北ヤード)の再開発コンペがありました。私は、都市設計も建築も全く知らず、また大阪市に住んだこともなく大阪の町に出ることもほとんどない人なのですが、どうしてもこのコンペに応募してみたくなりました。その理由は、日本の都市再開発がそれぞれの土地の歴史や文化を基礎にしていないことに、大変苛々していたからです。個性のある街つくりに興味を持ったわけです。

数年前に新しくできた京都駅の駅ビルは、中に入ればすばらしいのですが、私はなぜあの建築物が京都駅前になければならないのか、納得がいきません。京都は、町のどこからでも東山、北山、西山が見え、南には東寺の五重塔が見えたのですが、巨大な箱形のビルは京の町を南北に分断し、千年の都の借景文化を壊してしまいました。あの巨艦ビルは、アラビアの広大な砂漠にあれば、太陽の光にきらきら輝いてとても美しいだろうと思います。でも、なぜ京の町に必要なのでしょうか?

梅田の貨物駅跡地(北ヤード)にも、大阪に不必要な建物群が建っては欲しくありません。そこには、何があるべきなのでしょう。「大阪の失われた栄光の過去、失われた都市の個性」を復活する再開発でありたいと思います。かつて、大阪は八百八橋、水の都でした。瀬戸内海から川を通じて、米や商品が運ばれて来ることにより、人と情報とビジネスがこの地に集約されました。北ヤードの再開発プランとして、そのころの大阪のイメージを復活させたく、北ヤード全体を運河で囲み、その中にも縦横に運河が交差する町を提案しました。町の中は車と信号機を一切排除し、人は自由に街の中を歩きます。車は地下を通り、地上の道路はすべて人の往来のためにあるのです。そして、運河には船が回遊します。

大阪は、人を輩出する町です。江戸時代には阪大の前身である適塾や懐徳堂などの私塾が生まれ、福沢諭吉をはじめ維新の日本を支える人材をたくさん輩出しました。商社や証券会社、銀行、化学、製薬、鉄鋼など日本のほとんどの産業が大阪から生まれ、芸能、芸術、学問、文学などにおける新しい流れの多くは大阪から始まりましたが、それは大阪の町が新しい冒険をする人材を育てた結果です。大阪の商家には地方から人が集まり、丁稚奉公をして互いに学び刺激しあい、そして独立して新しい産業や新しい会社を興しました。

北ヤードも、ふたたび世界の人が集まり学ぶ町にしたいと思います。大阪が元気がなくなったのは、大学が郊外に移転し、町に大学に学ぶ若者や外国人がいなくなり、学者や研究者、大学関連の産業やベンチャービジネスがなくなったことが、大きな要因だと思います。大学を町の中心に持たない町からは、新しい産業や芸術、学問などを生み出す人がそこから生まれないのですから、そんな町はいずれ滅びます。

北ヤードは、人が学ぶ町であり学ぶ人が住む街であって欲しいと思います。大阪の町が失ったのは、大学であり、学生であり、大学発ベンチャーです。オクスフォードやロンドンなど、大学のある水の都は常に時代の先端を歩み、若者の街であり、そして観光の名所です。そんな世界の若者が憧れる町を作りたいと思うのです。

そんな思いを具体化して、はじめは一人で出すつもりだったのですが、7人の仲間に恵まれて、一緒に案をまとめ北ヤード計画のコンセプトコンペに出しました。そして、970件の提案の中から、私たちの案は優秀賞に採択されました。

大阪は夕陽の街です。大阪湾に沈む夕陽の照り返しでオレンジに輝く建物を、運河の向こうに見る日がきっと来ると信じています。SK

[1]矢作俊彦「あ・じゃ・ぱん」上・下、新潮社、1997年(確か1.6kg)

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