2016年8月のメッセージ

強父論

母が死んで3度目のお盆が来ました。いま、主のいなくなった家に残された膨大な量の書物や写真や置物、絵画などを整理しています。母の遺品とガラクタだけでなく、30年余り前に他界した父の遺品や本、写真アルバム、旅行土産なども、母は捨てることなくそのままにしていました。祖父(母の父)の家から母が持ってきた遺品もまた、山のようにありました。自分が死ぬときに、「これは残しておけ」「これは捨ててよし」「これは誰それに差し上げよ」と書き置きをしてくれれば助かるのですが、人は計画的に死ぬものではありません。後に残った人たちが悩むしかありません。

母の家を改修することになり、少しずつ遺品整理をしているうちに私自身のことが気になり始めました。私が死んだ後たくさんのものを残して、皆を困らせてはいけない。私にとって大切な品が他の人にとって価値あるものとは限りません。この機会に私のものも整理することにしました。数十冊残っていたナショナルジオグラフィックは、それぞれ思い入れのある写真が掲載されている号ばかりでしたが、きっとどっかに行けば手に入るはず。全部捨てました。小説や随筆集などの書籍も、また買えばいい。CDもDVDも要らない。戦争前の世界地図(父が残してました)、、、うーん、捨てよう。昔からの文藝春秋がたくさんあります。それぞれ後に残しておきたい記事が載っています。最近はもっぱらスキャンダルのスクープ記事で週刊文春の方が目立っているようですが、なんといっても菊池寛の「文藝春秋」です。芥川賞、直木賞の文藝春秋です。圧倒的な情報量と読み応えです。立花隆さんなど常連のライターの記事と連載記事がおもしろくて捨てがたい。捨てるがために、また読み始めてしまいます。

毎号最初に出てくるのは、阿川弘之さんの随筆でした。あいうえお順かと勝手に思い込んでいましたが、そうではありません。阿川さんの文章は古い仮名遣いが使われますし、さほど印象は強くありません。むしろ阿川佐和子さんのエッセイに頻繁に面白可笑しく出てくる、時代錯誤の夫で父親という登場人物として親しみを感じていました。処分するがために文藝春秋を読み直している最中に、阿川佐和子さんの新刊が出ました。題して「強父論」。

また笑わせて貰おうと思って本屋さんに買いに行ったらどこも在庫切れ、「第2刷が出るまでお待ちください」とのことです。ネットのアマゾンまで在庫切れです。ところが、「Kindle版なら購入できます」とあります。iPadを購入したものの電子書籍はこれまであまり活用するがことなく印刷した本ばかりを買っていましたが、今回はKindleで注文しました。あっという間にiPadへ配達(配信?)されました。値段が印刷ものよりかなり安い!しかも、電子版なら私がいなくなった後に子供達に処分を悩ませなくてもいい。あと何分で読み終われますという時間が出るのがうるさいのですが、あっという間に読み切りました。例によって抱腹絶倒です。恐怖論ではなく「強父論」。やっぱり我らが佐和子さんです。

さて、お盆です。お仏壇も掃除が必要。その引き出しを片付けると、古いノートが出てきました。中を開けると懐かしい父の文字でいっぱいです。結構字がきれいだったんだなあ。ノートの中身は3部作です。最初は、昭和17年に父が父の祖母に聞いて書き留めた河田家の系譜です。出身の北木島(岡山県)での系譜と村の地図が詳しく書かれていました。その後何度か書き加えられて、修正も施されています。父も祖父も長男でしたから、系譜を私(長男)に残そうとしたのだろうと思います。昭和52年に私が結婚した日の夜に、最後の修正が加えられていました。第2部には、自分の病気のことが詳しく書かれていました。父は昭和57年に最後の病に倒れ、昭和59年に亡くなっています。若いときからの病状や思いが詳しく書かれています。自分が死ぬまで、できれば読まないでほしいとも記されていました。父が死んだ後、母も書き足していました。そして第3部は父より前の世代の家族についての説明があり、自分の父(私の祖父)の記述で終わります。最後の文章は、

「父(私の祖父)は、若くして母(私の祖母)が亡くなった後、息子4人の父親と母親の二役を務めてくれた。 ー中略ー 厳父ではなく慈父であった。」

私の祖父は私にとっては静かな人でしたが、母や祖母、叔父達からはとても気の短い人だったと何度も聞かされていました。佐和子さんは弘之さんのことを「瞬間湯沸かし器」とよく書かれていますが、同じです。法事をお願いしたお坊さんに「お経が長い」と言って、追い返したという話も聞きました。でも、父にとっては強父でも厳父でもなく、慈父だったのです。

私の父も相当に気が短く、彼が死んだ後にいろんな人からすぐ怒るしとても怖かったと言われたことを思い出します。でも父もまた、厳父ではなくまさに慈父でした。世間では間違いなく、私も気が短いと言われているだろうと思います。我が親戚の中では、おっとりしていると言われていましたが。

私はとても「強父」にはなれていません。「厳父?」これも違うでしょう。威厳がないのは時代のせいかもしれません。「慈父?」そんな「自負!」はとてもありません。そんなくだらないことばかりを言ってるから、陳腐ならぬ珍父かもしれません。

定年退職の日が近づき、大学の研究室でも私のがらくたを片付け始めまています。今の時代はシュレッダーとスキャナーがあるので大助かりです。物品を片付けると、その分思い出が戻ってきます。

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