2015年8月のメッセージ

大学は2学期制がいいのか、それとも4学期制?

高等学校であんなに 勉強したはずの英語が、大学に入るとあっという間に忘れてしまって、受験の時のレベルには戻れないと言われています。受験という目標を失ったせいなのか、 大学の教養課程の英語の先生の教え方が良くないのか。英語に限らず教養課程に限らず、およそ大学の授業で学んだことはずっと以前から今日に至るまで、どこ の大学で学んでもなかなか身につきません。だから教養部を廃止せよとの文科省の圧力で,東大以外の日本の大学はすべて教養部を廃止し、入学後直ちに専門課 程の先生が教育に関わるようになりました。その結果は何の効果も生み出さなかったように思います。ゆとり教育も大学院重点化も国立大学法人化も、ポスドク 十万人計画も大学発ベンチャー1千社計画も、結果を見ればおよそいい結果を示したものなどありません。そして誰も責任を取らないのです。

最近は、国立大学の人文社会系学部を縮小整理するようにとの国からの指導(?)がありました。もちろんこれも失敗に終わると思います。リベラルアーツを大切にせずに職業訓練と成果主義中心の教育は、短期的には効率は良く見えても国際的に尊敬される人たちを育てることはできません。知性、教養、品格、倫理観を大切にしない人材養成は、国益になりません。

失敗だらけの教育改革が続きますが、一つだけ良いかもしれないことがあります。それは大学の学期制度の変更です。今までの2学期制度を4学期にするよう各大学に指導があるようです。私の勤める大学は3学期制を選びました。3学期制は日本の小中高の学期制と整合しており合理的だと思います。しかし、この制度導入には大激論がありました。そしてそれは、今なお続いています。先日の総長選挙で新しい総長が選出され、3学期制の実施を取りやめるのではないかと言う憶測もあります。

私がその昔に勤めていたアメリカの大学は4学期制(クオーター制)でした。春夏秋冬の4学期です。そのうち夏学期は休みですから日本の3学期制と同じにみえるかもしれません。しかし、夏学期は夏休暇ではなく学生達は他大学や学外でインターン活動をし、単位を修得します。秋入学は日本以外の多くの国で採用されていますが、それは必ずしも9月あるいは10月始まりを意味しません。オーストラリアや南アフリカのように南半球の国では、夏休みは日本の冬にあるので、2月か3月に入学します。

さて、なぜ3学期制あるいは4学期制が良いと私が考えるのか、それは同じ科目の授業を1週間に複数回学べるからです。今の日本の大学では同じ科目の授業は週 1回しか開かれません。その日が国民の休日だと、2週間後まで授業がありません。それでは学んだ内容をすっかり忘れてしまうのです。学期の長さが半分にな ると、同じ回数だけ授業をするためには週に2回同じ科目の授業が行われます。アメリカでは、授業は最低週2回あります。週3回も普通です。

もし高校で英語の授業が週1回なら、先週に学んだ単語や文法は1週間の間にすべて忘れてしまうことでしょう。数学も同じです。それ以外の科目も同じ。大切な授業ほど,週に多く開講されます。学ぶと言うことは繰り返しが必要です。

ピアノを週1回だけ練習し ても,決して上手くなりません。楽器は毎日練習することが大切です。スポーツも同じです。週1回ジムに通ってマシントレーニングしても、筋肉は鍛えられま せん。せめて週2回はジムに来ないと効果がないと言われます。月に一度英語の勉強をしてもダメです。少なくとも週2回、できれば毎日でしょう。

この当たり前のことが日本の大学では理解されないのです。私が属する学部では3学期制を導入はするものの、週2回の授業を連続して開講し週1回にすることが計画されています。週1回の授業では間が開きすぎて身につきません。「学ぶ」と言うことの基本すら分からない人たちは、教える側にも学ぶ側にもとても困ったことです。

2学期制でも3学期制でも4学期制でも、私は構いません。同じ科目の授業を週に2,3回受ける事が、学ぶ人たちにとって大切だと思うのです。確かに教える側の教授にとっては週2回は面倒でしょう。2回分まとめて週1回の方が楽でしょう。しかし、それでは教育者失格なんです。

大学人の知性と教養と品格に期待するのみです。

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