2008年12月のメッセージ

一粒の柿の種

私は「科学とは文学である」と授業や講演会で話します。宇宙の起源も生命の起源も、見た人はいません。猿からヒトに進化したところを見た人もいないでしょうし、原子殻の周りを電子がまわっているのを見た人もいない。科学者はそれをまことしやかに真実として語ります。私は、宇宙の起源も生命の起源も量子論も進化論も、文学あるいは『物語』だと思います。そんなこともあるかもしれない、という『お話』です。石油を燃やすと地球の温度が上がるというのも、私にとっては小説です。小説としても科学としても、アル・ゴアの『不都合な真実』より小松左京の『日本沈没』の方が、ずっと質のいい『物語』だと私と思います [1] 。

私は優秀な科学者は優秀な小説家だと信じています。物語を書けない人は、科学者にはなれないと思います。先月にマイケル・クライトンが若くして亡くなりましたが、彼は『アンドロメダ病原体』、『ジュラシックパーク』、『プレイ』、『恐怖の存在』など小説や、テレビドラマ『ER緊急救命室』などで超売れっ子の小説家でした。しかし、彼はハーバード大学で人類学と医学を専攻したのですから、科学者であったともいえます。

優れた小説や映画は、科学者の目から見ても、科学的に作られています。それはテーマが科学的であるとか表現のテクニックが優れているという意味ではなく、物語性が科学的に優れているという意味においてです。山あり谷あり、伏線が至る所に張り巡らされています。実話を基にした映画やドキュメンタリーは、科学としては小説ほど面白くありません。

科学者として成功する条件は優れた物語・小説を書くことができることである、と言っても過言でないと思います。計算が得意であるとか、手先が器用であるとか、努力家であるとか、勉強がよくできるとかよりも、科学者にとって大切なことは物語を書けることです。人の思いつかないテーマで、人の思いつかない展開から人の思いつかない結末へとストーリーを考えることのできる人が、小説家(科学者)になれるのです。

私の周りには、大勢の研究者や学者、学生がいます。その人達の誰が本物の科学者であるかの見分け方は、実は簡単です。物語(研究テーマ)を作り出すことのできる人が科学者なのです。それも、お金を払ってもその本を買って読みたいと皆がいうような小説を書くことのできる人だけが、プロの科学者(小説家)になれるのです。人まね、流行の追っかけ、学位論文から進歩しない人は、科学者になろうとしていません。小説を書くが如くに、科学を創るのです。いくつ論文を書いたとか、どれだけ研究費を稼いだとか、どれだけ授業をしたとかは、科学者とは全く無関係な行為です。ましてやどれだけ大学の管理運営に関わったかなどは、むしろ科学者ではないという証明ですらあります[2](下記の柱脚参照)。

渡辺政隆さんの『一粒の柿の種』というエッセー集が、9月に発刊されました[3]。渡辺さんもまた東大の農学部の博士ですが、今は作家(正確にはサイエンスライター)であるといっていいでしょう。私は科学者から小説家を育てたいと思い、来年1月に『科学者維新塾』を立ち上げますが、渡辺さんはまさにそれを実践されています。この本で彼は、一部の専門家だけではなく一般の人にも広く分かりやすく科学を説明できる人が本当の科学者であることを、多くの実例を示して説明しています。ダーウィンの『進化論』やガリレオガリレイの『天文対話』なども、一般の人に対する啓蒙書であったようです。

歴史を学びたければ、薄っぺらくてメッセージが何もない高校の教科書を読むよりは、私は司馬遼太郎の小説を読んだ方が勉強になると思います。科学を学びたければ、不親切な大学の教科書などは読まずに、一般人向けの書物を読む方がずっと勉強になります。リチャード・ドーキンス、ピーター・アトキンズ[4]、ジェイムズ・グリック[5]、スティーブン・ストロガッツ[6]、私自身もこれまでにこのメッセージや雑誌の書評で、科学者が書く一般向けの科学書を何冊も紹介してきました。 ほかにもファインマンやシュレーディンガー、ホーキンズなど多くの著名な科学者が、一般の人向けに書物を記しています。

日本では「理系」と「文系」を分けて考えます[5]。文学を書く科学者は欧米に比べて著しく少ないと思います。上述の渡辺さんや『ゾウとネズミの時間』の本川達雄さんのほか、最近では『生物と無生物の間』の福岡伸一さんなどがおられますが、決して多くはありません。しかし、今のように論文数や大学の管理運営などが科学者に求められなかった時代の日本は、科学者は文学者のごとく 大らかなであったようです。私が学生の頃は、朝永振一郎さんの『物理学とはなんだろうか』やロゲルギストの『物理学の散歩道』を貪り読んだものです。

『一粒の柿の種』では寺田寅彦や中谷宇吉郎がでてきます。寺田寅彦が夏目漱石にシュリーレン写真を見せたくだりを読むに至って、私は思わず『三四郎』を本屋に買いに行きました。そして今読んでみて、三四郎がいかに科学的に書かれた小説であり、田舎と都会、学問と女性のはざまで揺れ動く三四郎の心理を科学的・文学的に観察していることに加えて、漱石が自然と人の『光と色』を小説の中で正確に科学的かつ文学的に捉えていることに、驚かされました。文学も科学者の目で改めて見ると、新しい発見が得られます。『三四郎』については雑誌の新年号[7]に書いたので、またそちらをご覧ください。

年末には、私は複数の雑誌に新年号への記事を頼まれます。今年は雑誌の廃刊が続きました。『論座』に続いて、『月刊現代』も1月号で42年の歴史幕を閉じるそうです。立花隆・柳田邦雄・保阪正康さんから井上久男さんまで月刊現代の常連が46人、最後のメッセージを書いています。今回は井上さんに戴いた最終号を大切にします。年末には朝日ジャーナルの筑紫哲也さんに次いで、加藤周一さんも亡くなられました。雑誌の廃刊は若者の活字離れよりも、ネットのせいではないだろうかと思います。人々は、他人の推敲された文章をしっかり読まなくなり、匿名で他人を攻撃するネットから情報を入手するようになりました。ネット文化は、昨今の理不尽な犯罪の増加と無関係ではないと思います。お正月には、ネットから離れてゆっくりと科学と文学に親しんでみてください。ということは、来月はこのメッセージもお休みかな?? SK

[1] 河田 聡 「不都合な科学」 Laser Forcus World Japan : 2009年9月号

[2] 大学の管理運営にどれぐらい貢献したかで教員を評価する大学は、科学を破壊します。私が所属する研究科では、毎年これを教員に報告させてます。

[3] 渡辺政隆『一粒の柿の種」岩波書店 2008。 私は、この本でヒトはチンパンジーから進化したのではなく、幼児化したのだということなどを、多くを学びました。

[4] 河田 聡「ガリレオの指」オプトロニクス : 2007年1月号

[5] 例えば、河田 聡 「フレッシュマンのための読書ガイド:理系文系を超える」日経サイエンス:2004年5月号

[6] 河田 聡 2008年4月のメッセージ : sync

[7] 河田 聡 「三四郎が見た光と色の科学」 O plus E:2009年1月号

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