2012年9月のメッセージ

Breakfast at Tiffany's

古今東西、老若男女、ニューヨークに行くと5番街の宝飾品店「ティファニー」を訪問されるだろうと思います。そしてできたらティファニーのカフェのテラスで朝食を楽しみたい!?

今や日本の地方都市にも展開されているティファニーですが、5番街の本店は特別です。ここは映画「ティファニーで朝食を」の舞台です。この映画は宝飾店「ティファニー」と女優「オードリー・ヘップバーン」と主題歌「ムーン・リバー」で有名です。日本映画が原作の映画タイトルを安っぽいタイトルに変えることを私はこのメッセージでも何度も批判していますが、この映画は日本での映画タイトルも原作と同じタイトルです。よかった!

ところで、ティファニー本店にはもともとカフェもレストランもありません。だからここで朝食はとれません。映画でもオードリーが「ティファニーで朝食」を取ってるシーンは出てきません。お店の外で立ち食いしてるシーンは出てきますが。

さてこの映画には原作の小説があります。Truman Capoteの小説のタイトルも「Breakfast at Tiffany's」。村上春樹によって翻訳されています。小説でももちろんティファニーで朝食を食べるシーンは出てきません。オードリーが演じるホリー・ゴライトリーが語ります。

「いつの日か目覚めて、ティファニーで朝ごはんを食べるときにも、この自分のままでいたいの」(村上春樹・訳)

自由奔放に生きる主人公ホリーは、動物に例えると子猫のよう。小説には、誰にも媚びることなく、それでも人に甘えて、傷つきやすく不器用にそして自由に生きるホリーの人生が描写されています。映画のラストは、ホリーが雨のニューヨークに車から放り出してしまった「キャット」(ホリーが飼ってる猫の名前です)が見つかって、2人が抱擁するシーン。抱擁する2人の間に、猫はしっかりと抱かれています。しかし、カポーティの小説では猫は見つかず、2人は抱擁することなくホリーは去っていきます。そして、猫は別の落ちつき場所をみつけました。まさにキャット、猫のように自由奔放に生きる女性の小説でした。

「キャット」と言えば、この夏の話題は「コピーキャット」でした。ここからが今月のメッセージの本題です。この夏、アップル社がサムソンを訴えていた裁判が結審し、サムソン製品の販売がアメリカで禁止されました。iPhoneやiPadを生み出したアップル創業者のSteve Jobsは、亡くなる前の一年間、iPhoneやiPadに形も中身もそっくりの製品を作るサムソンを「copycat」と呼び、激しく非難しました。「コピーキャット」とは文字通り「コピーをする猫」。日本語なら「猫まね」とは言わず「猿まね」でしょうか。

犬と違って、猫は飼い主が芸を教えても真似はしません。猫まねはないのです。猫の名誉のために言いますが、猫は知能が低いから真似をしないのでは決してありません。猫は飼い主に媚びない自由人(自由猫?)です。猫は賢いから人まねをしないのです。

それなのにどうして「コピーキャット」なんでしょう?

専門家の見解とは異なっているかもしれませんが、私には「copy」にはネガティブなニュアンスがあるように思います。私が何年も構想を練って満を持して始めた研究テーマを見て、いとも簡単にまねる研究者がいると、その人たちを私はcopier(コピー機)と呼びます。猿まねと言うよりは盗人です。何かをまねることはそれを盗むことでもあります。猫はまねはしないけれど、盗むことには長けています。餌を前にして「待て」はできません。隣の家からでもどこからでも食べ物を盗みます。copycatは「まね猫」というより「泥棒猫」と訳した方がいいかもしれません。

私は、学生さんには先人の英知に学んで、たくさん人まね・猫まねをしてほしいと思います。子供達が口まねをして言葉を覚えていくように、徹底的にまねをして下さい。子供達がまねをしきれずに失敗をして大人に間違いを直してもらって学んでいくように、学生さんもたくさんの本を読んで論文を読んで先達に学んで下さい。たくさん間違って、先生に直してもらって下さい。

だけど給料をもらうようになったら、もうまねはダメです。それでは貴方から新しい科学は生まれません。給料泥棒です。論文数は増えても新しい科学は生み出せません。泥棒猫になってはいけません。教授はもちろんのことポスドクも、人のまねはダメです。他の人の研究に改良を加えるというのは、オリジナルな研究を盗んだ上に辱めるというさらにいけない行為です。他のふたつの研究を組み合わせるというのは、盗みを二重にすることです。博士課程に入ったら、まねないと言うことも学んで下さい。新しい科学を生み出すと言うことは、人の研究をまねないということです。

人の研究をまねずに科学を生み出すということは、簡単なことではありません。だから誰でもが科学者になれるわけではないのです。もし、まねずに科学を生むことに自信がなければ、科学者を目指さずに別の職業を探しましょう。ポスドクという不安定な雇用時期は、だれでもが職業科学者になれるのではないということを見極める期間でもあります。

この夏、わたしは国内外のたくさんの学会の開催に関わり、またたくさんの学会から講演の招待を受けました。国内で関わった学会は4日間で4千件の論文が発表されました。毎年そんなにたくさんの新しい発見や発明があるんだろうか、と思われることでしょう。もしかしたらそこにはたくさんのコピー(盗作)があるかもしれません。学生さんには学習中の成果発表があってもいいでしょう。しかし、それにしてもこの論文数の多さには圧倒されます。この世に限りなく新しい音楽が生まれ続け、留まることなく新しい商品やサービスのビジネスが始まるように、科学技術も限りなく膨張していくのでしょうか。私はcopyが大嫌いなので、私の研究室からはあまり多くの発表をすることができません。学会への貢献が足りないと見られるかもしれません。しかし、人まねでない本当の科学を創ることはそんなに簡単ではないのです。大量生産の発表の中に確率的にいくつか優れた科学が含まれるとは限りません。少量の中にこそ良質の科学が多く含まれるかもしれません。もし自分の科学の質を知りたければ、個人の論文のインパクトファクターのような数値があればいいかもしれません。個人が書いた全ての論文に対する引用件数を、書いた論文数で割ると、簡単にそれらしきものがでます。Hインデックスという評価値もあります。しかしこんな数値で判断すること自体がナンセンスかもしれません。コピー論文はカンニング行為だとしてそれまでの点数を0点にするぐらいの評価法を使わないと、みながそれぞれの個性を磨いてオリジナルな研究を開拓することはないような気がします。コピー、イミテーション、模倣、盗作。韓国や中国の製品ばかりがいま世界から批判されていますが、対岸の火事ではないと思います。

9月26日、「ティファニーで朝食を」の主題歌「ムーンリバー」のアンディー・ウイリアムスが亡くなりました(映画では彼は歌っておらずオードリー・ヘップバーンがギターを弾いて歌ってました)。「アンディー・ウイリアムス・ショー」は、私たちの世代がアメリカに憧れた原点のひとつでした。合掌。

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