2015年9月のメッセージ

ガラパゴス諸島の平和

大陸から離れた島国である日本には、何百年もの間に独自のことばや芸術、文化が生みだされ、それらは外来文化の影響を受けることなく熟成されてきました。今、歌川国芳の浮世絵がパリで大きな話題になっていると聞きます。文楽(人形浄瑠璃)や歌舞伎,落語は外来からの影響を受けることなく独自の大衆文化から独特の芸術へと昇華しました。「仮名手本忠臣蔵」にみる仇討ちと切腹や「曽根崎心中」に代表される世話物に出てくる心中など、海外の人にはまるで理解しがたいであろう概念(あの世や輪廻を信じる日本人には合理的ですが)を生み出したのです。これらいわゆる元禄文化は、徳川三百年の「鎖国」という特殊な社会環境が生み出したと思います。切腹や心中などの物語は、日本人の狂気と神秘性を欧米人に感じさせます。

鎖国は、文化をガラパコス的に進化させます。ダーウィンがビーグル号に乗って離島であるガラパゴス諸島にやってきて、そこで見た生物たちの進化と同じです。オーストラリアにおいても他の大陸から離れて動物が進化したため、カンガルーやウォンバットのような有袋動物が進化しました。これらは胎盤を持たず、胎児を子宮内ではなくてお腹にある袋の中で育てるのです。

今回の参院の集団自衛権の議論をテレビを見ていて、日本の安全保障政策も日本のガラパゴス進化論なんだなあと気付かされました。集団自衛権がいまの憲法に違反しているであろうことは、全くその通りだと思います。それぞれの時代に合わせて憲法を変えていくことができない日本、そして自国だけが平和であればいいかのように他の国の人には聞こえる集団自衛権反対論は、いまもなお日本が鎖国をしているようにも見えます。集団自衛権反対の人たちの話を聞いていると、かつて日本が国際連盟を脱退し一国だけの論理を世界に向けて主張してきた戦争前夜をむしろ思い出させます。やっと東西冷戦が終わったのに,今度は世界中で内紛が起こり集団的テロが起こり、多くの難民がEU諸国に押し寄せる中、それらに背を向けて我が国だけの一国平和主義を主張することの危険性を感じてしまうのです。

私も「安保反対」「原潜帰れ」「ベトナムに平和を!」の世代ですから、いま集団的自衛権に反対する人たちの心配はよく分かります。しかし、東西冷戦の中で米軍が日本から原潜や原子力空母が出陣してベトナムの市民やベトコンたちを殺戮していた時代と比べて、今世界で起こっている無差別テロと行き場のない難民の救済についてどうすべきだというのでしょう。一方、大国の暴力的な他国の領土を略奪する国が存在することは、朝鮮戦争の頃と変わらないように見えるでしょう。これらのことを総合的にかつ冷静に分析して、集団的自衛権について絶対反対といってヒステリックになるのではなく冷静に議論することが必要だと思います。

日本の小学校や中学校、高校には児童会や生徒会があります。そこでは生徒達が全員で選挙をして生徒会会長を選出し、会議では多数決で物事を決めることが教えられます。この子供達がテレビで見るのは、自分たちに気に入らない法案を実力行使で廃案させようとして国会で乱闘している人たちの姿です。平和安全法制(反対する人たちは戦争法案と呼んでいます)を時間切れ廃案するために,ピンクのハチマキをした女性議員が女性の壁となって、参院議長達を9時間も理事会室に監禁して委員会開催をさせなかったり、議場では用意されたプラカードを何名がもって騒ぎます。負け組のサッカーチームのサポーターでも、もっとマナーがあります。これを子供達はどう見ているか、民主党の国会議員の人たちは考えたことがあるのでしょうか。良識の府と呼ばれ国の最高決議機関であるべき参議院でこのような実力行使をした政治家達は、子供達に対して恥いるべきです。自分の子供に対して自分の孫に対して、あなたの行為を正当化させることができますか?学校では、このように理性なく会議を破壊する生徒は先生に厳しく叱られます。自分の思い通りにならなければ国会の場で暴力行為に出て騒いだり、喪服を着て数珠をもって議会で一国の総理を罵り議場の階段を上がったり下がったりして時間を稼ぐ参議院議員にはおよそ国会議員の品格があるとは思えないのです。

なぜこんな人が国会にいることのでしょうか?それは、皆が彼に投票したからなんです。皆と言っても東京一区の人たちですが、いずれにしても国民から選挙で選ばれたことが、彼の権力でありまた責任でもあるはずです。

このような品格と知性に欠ける人たちは実は前回の衆議院選挙でアベさんの経済政策や原子力政策は批判したものの、集団自衛権についてはほとんど論点にしませんでした。むしろそれを認める発言をした方も多かったようです。議会制民主主義では、選挙でもって多数議席を確保して自分達の主張を通すべきです。選挙の時には議論せず、国会が始まると国会の周りにシンパを集めてデモ行進をさせて国会内では乱闘する。これでは民主主義ではなくてクーデターです。かつてのフィリピン、最近ではチュニジアやエジプトのように長年もの間に独裁政権で民衆が弾圧されて、民主主義がなかった国家ではクーデターは理解されます。しかし、選挙に不正がほとんどなく議会制民主主義が成立している国家で、暴力的に自分の意見を通すために議決させないようにするのは本当によろしくありません。

日本は自国だけの平和だけを目指して鎖国し、そしてガラパゴス化する。そう思わざるを得ない事件でした。マスコミもまた議会制民主主義を否定しています。選挙結果を民意と考えず、国会の周りの騒ぎを民意と思っているようです。選挙時期でもないのに、常に世論調査を行ってそれを民意として記事に書きます。しかし、議会制民主主義では選挙でもって政権を交代するのです。選挙の時にマスコミはそれぞれの政党の集団的自衛権についての考え方やマニフェストを記事に書いて論争を促すべきだったと思います。仮に一度国会で決まったことだって、次の選挙で多数の議席を奪いかえせば覆せます。選挙速報をエンタテイメントにするのではなく、政策論争を記事にするべきだったと思います。

日本は、アジアの先進国としてかつてのガラパゴス諸島になるのではなく、他の国と協力していくことを議論してもいいと思います。自国だけが平和であれば他の国でテロによる大量殺人や難民がうまれても興味がなく助けないどころか知らん顔では、国連の常任理事国にはなれません。自分たちの思い通りにならなければ、再び国連脱退というような勢いは危険です。戦後70年の間に、世界は著しく変化しました。日本の政治家は、国会において自分の意見が通らなければ暴力的になるのではなく、異なる考えの人の気持ちを良く理解し、特に世界の他の地域の人たちが日本に何を求めているかを考えて欲しいと願います。

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