いろいろな疑問があります。
①いつから日本酒ができたのか?
日本酒の製造技術がいつから現在のようになったのか。
②日本では、昔、古代は、どんな酒を飲んでいたのか。
③日本酒の変遷について
ということについて、調べてみました。
現在の日本酒(清酒)の製造技術は、「古事記」に百済から日本にやってきた須須許理(すすこり)さん、
別名仁番(にほ)さんが造って天皇に献上したという記述があり、それが定説のようになっていますが、
白鶴酒造の小泉先生は、そんなことないよと言っています。では、文献を見ながら探っていきましょう。
元々日本では日本酒しかなかったのかというと、むしろ縄文時代から山葡萄を壺のようなカメに入れて自然発酵させたワインを嗜んでいたことが発見されていますが、稲作が盛んになる弥生時代の紀元前5~10世紀とされています。米を用いた酒をそのまま濾したものを用いるようになりました。この頃のお酒は、お米を口に入れ噛んだものを一度容器に移し、そのお米を発酵させて造っていました。この方法で造られたお酒を「口噛み[の]酒(くちかみ[の]さけ)」といいます。
酒造りの史料としては最古の『延喜式』によれば、白酒は神田で採れた米で醸造した酒をそのまま濾したもの、
黒酒は白酒に常山木の根の焼灰を加えて黒く着色した酒(灰持酒)であると記載されています。
お酒の神様は女性
『記紀』にあらわれた酒に、「神阿多都比売(カムアタツヒメ)、またの名は木花咲耶姫(コノハナノサクヤビメ)が醸された「天甜酒(アマノタムサケ)」、スサノオの大蛇退治に登場する「八塩折の酒:、さらに『記紀』には記されていませんが、『大隅国風土記』には、「口かみの酒」として、村の家々に水と米を与えて一箇所に男女が集まり、米を噛んで酒槽(さかぶね)に吐き入れ、酒の香りがしてくるとまた集まってこれを飲んだと記されています。酒解神(サケトケノカミ)は大山祇神(オオヤマツミ)の別名で木花咲耶姫の父。
【日本酒の原点】寺田本家の菩提酛仕込みから
中世(10世紀~)寺院で興った「僧坊酒」の系譜に連なり、戦国の世、奈良(奈良市南郊、菩提山町)の菩提山川の清流をさかのぼった辺りに所在する「菩提山正暦寺(ぼだいせんしょうりゃくじ)」で創製された「諸白(もろはく)」(掛米・麹米ともに白米で仕込んだ酒)が日本酒造りの原点であるといわれています。
(参考文献、Web)
◆古事記 「百済の朝貢」
日本最古の歴史書。和銅5年(712年)に太安万侶が編纂し第43代元明天皇に献上された。
ちなみに、元明天皇は女帝です。なおかつ、父親は「大化の改新」で超有名な中大兄皇子(のち天智天皇)
「また秦(はた)の造(みやつこの祖、漢あやの直あたへの祖、
また酒(みき)を釀(か)むことを知れる人、
名は仁番(にほ)、またの名は須須許理(すすこり)等、まゐ渡り來つ。
須須許理(すすこり)が世に醸(か)みそめしことなぐしほど過(すぐ)さずば事やなからん
須々許理が醸(か)みし御酒に われ酔(ゑ)ひにけり 事無酒(ことなぐし) 笑酒(ゑぐし)に われ酔ひにけり 」
「ああ酔よった、須須許理すずこりがかもした酒に心持よく酔った。おもしろく酔った」
(参考文献、Web)
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古事記: 校註版、現代語訳版 - Google ブック検索結果
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映画「君の名は」にも登場した「口噛み酒」とは? 日本酒と神社の深~い関係 | 酒ガイド[日本酒] | ienomi style[イエノミスタイル] -おウチで飲む、食べる-
◆播磨国風土記
奈良時代(710年~794年)初期に編纂された播磨国の風土記。
平安時代末期に書写された写本が国宝に指定されている。
「大神の御粮(みかれい)沾(ぬ)れてかび生えき
すなわち酒を醸さしめて 庭酒(にわき)を
献(たてまつ)りて宴 (うたげ)しき」
(意味)
神様に供えたご飯が濡れてそこにカビが生えてきたので、
それでお酒を作って神様に献上して酒宴を行なった、
(参考文献、Web)
米と食文化 | 播磨国風土っ記ん(ふどっきん) - 兵庫県 播磨国風土記
◆麹
小泉先生の“酒の噺” | 知る・楽しむ | 白鶴酒造株式会社 麹の発見と麹の名前