心・脳と欲求・感情

■自分の心を研究しよう (生命言語心理学)

「自分」のことをもっとよく知ろう⇒⇒初めての「心身問題」の解決

まずは、自分の「心とからだ」を統合している 脳 についてネ。

でも、もっと大切なことは、生命とは何かについて考えてみることかも・・・。

図は、脳のようには見えないけれど、人間の脳と身体(心と体)の模式図なのです。

手足はないけど筋肉の所に手足があるのです。でも、どうも格好つかないので、皆さんの想像力で人間らしい姿を考えてください。

でもこの図は、高等動物に共通するモデルで、まだ人間の言語が組み込まれていません。言語を組み込み言語的思考をする基板(神経系)とそれを支える身体との関係を図示しています。

まず注目して欲しいのは、図の上の左右、【刺激・知覚】と【環境・反応】についてです。すべての生命(単細胞からその集合体である高等な植物・動物まで)が、化学反応のように、また作用があれば反作用があるように、さらに縁起の現象ように、生命の基本の行動パターンは、無限の<刺激反応性>なのです。

次は、刺激とは何か?ということです。刺激は無限の環境情報であり、生命にとって有益な刺激もあれば、有害な刺激もあります。生命は、常に環境から与えられる刺激が、有益かどうかを選択・判断しなければなりません。

そこで、動物では、結合した細胞が機能分化して、知覚器官で受容し、選択・判断し、それを反応器官(筋肉等の効果器)に伝達する神経系を進化・発達させました。神経系の中でもっとも発達したのが人間の大脳です。

人間の特徴が大脳の発達にあるとは言っても、人間も動物なので他の高等動物と同じく欲求感情・行動の中枢があります。生命を維持するのは視床下部・脊髄で、基本的欲求をコントロール(内的恒常性を維持)します。運動は小脳が支配するのはよく知られています。

環境の刺激にまず反応するのは、欲求と感情・情動です。 さてこれらの反応はどのように脳内で処理されるのでしょう。例えば次のようです。

内的欲求 ⇒ 外的刺激 ⇒ 知覚受容 ⇒ 情動反応 ⇒生理反応(自律神経系)→ 捕食行動 ⇒欲求充足(快的情動反応)

(例: 空腹 ⇒ ビフテキ ⇒ おいしそ~、ワクワク ⇒ 唾液が出る ⇒食べる うま~い、満足!)

安全欲求 ⇒ 外的刺激 ⇒ 受容・情動反応 ⇒ 欲求不満 ⇒生理反応(自律神経系)→ 適応行動(意志的感情反応)

(例: 友達・安心喜び ⇒ 裏切り・ショック ⇒ 失意・怒り ⇒ どうする?⇒ 旅に出よう!ルンルン♪ )

⑥ 情動・感情についての脳内のメカニズムは、よくわかっていません。上図では<大脳辺縁系>にある【扁桃体】や【帯状回】が関係しています。辺縁系の一部である【海馬】は記憶と関係し、海馬を興奮させる情動刺激は記憶されやすいとされています。

視床下部の興奮は、自律(交換・副交感)神経系を通じて内臓や分泌腺に伝えられます。情動反応によって心臓の鼓動が高まり冷や汗が出たりするのは、適応反応・行動への生理的準備反応です。

以上が、私たちの日常的な生活で起こる、欲求と情動・感情に関係する脳と身体の生理的反応です。これらの刺激反応性は、高等動物でもほとんど変わりません。しかし、人間の本質となる刺激反応のメカニズムは、<大脳皮質連合野>で起こり、言語刺激が関係する感情・思考・意志による自己制御的・理性的な働きです。

言語(刺激・情報)は、対象(情報)の認知と情報の記憶・伝達の必要から進化発達しました。そして、その認知・記憶・伝達の情報処理の過程で、対象が(what)どのように(how)あるか(be)という論理的過程が出現し、その言語的思考による感情と行動の抑制とともに、新たな対象の想像・創造が可能になりました。

私たち人間が、自分のことを理解するというのは、まずは上記のことを知ることです。その上で、さらに理解すべきなのは、人間は常に新たな世界を創造し、自らの行動を抑制・制御し、幸福な人生を送れる可能性があることです。自分についてのさらなる研究はここから始まります。

◇人間の心、自分の心を「もっと」よく知ろう。

まずは、心の三要素―欲求・感情・言語の相互関係を理解しよう!

 高等動物は「個体と種族の維持」という生存欲求の実現を目ざして生きている。欲求実現の判断基準は感情反応として表れ、実現(欲求充足)できれば快感情反応、できなけ(欲求不満であ)れば不快感情反応が起こり、さらに不快(不満)を避け快(満足)を求める反応行動が継続する。

 人間では、通常、言語機能によってそれら(欲求と感情)の因果関係(what, how, why)が思考・想像され、学習・記憶・虚飾・肥大化した欲求と感情の関係(観念)が人間的文化・文明として展開していく。

他人に頼らず、自分で自分の心をよく知れば、自分の心を抑制し制御することが可能になります。そのためには、心の成分とも言える欲求(欲望)と感情(気持ち)についてもっとよく知る必要があります。

あなたが日常に何を求め何に感動し、何を避け何に傷ついているか、そのときの情景と欲求と感情を振り返って みましょう。

あなたが何かをしたい(して欲しい、求める)とき、それが実現せず嫌な思い(感情)や、腹立たしいこと、むかつくことなど、こんなはずではなかった、と期待はずれの否定的な反応である場合、とくにそんな場合が自分の心を知るのに最適です。

というのも、欲求は生きる力でもあるのですが、人生には期待はずれ、嫌なこと、苦しみの方が多いからです。そしてそれらの否定的感情にどのように対処するかが、人間の成長や評価に関係し、そのような困難を解決したことが、自分自身の自信につながるのです。

困難への対処能力は、自己の知的肉体的能力を高めるだけでなく、自己の心の問題への冷静な解決能力と豊かな心自体を育むのです。

※☞ 事例: 心の構造と働き

心の形成と個性・人格――相互理解のために   詳しくは→心とは何か

① 心は、欲求・感情・言語の三要素によって構成されている。

② 心は、強弱・敏鈍・粘淡を伴って言葉や行動(表情を含む)にあらわれる。

③ 心は、内面を見ることができず、外面で隠し欺くことができる。

④ 心は、遺伝(気質)と環境(教育)によって形成され、知的自覚によって変容できる。

⑤ 心は、個人の行動様式を規定する個性や人格の本質である。

 心がどのような構造と機能を持っているかがわかっても、その働きの仕方・様式は人によってそれぞれ異なり個性的です。個性は、生まれつき遺伝的に規定される生得的要素(素質・気質としての欲求と感情の反応様式)と、生後の生育環境によって形成される習得的要素によって多様な反応・行動様式となります。また習得的要素では、言語習得と共に幼少期の環境依存的・受動的形成と思春期以降の自律的・主体的自己形成によっても異なり、多様で特徴的な人格(価値観や判断・行動様式)をもつことになります。

 欲求(保体と種の存続の動因)について言えば、強さと弱さ(強弱)、敏感と鈍感(敏鈍)、粘着と淡白(粘淡)など個性的な反応様式は、内部知覚やホルモン調節、筋肉や臓器、神経系などの遺伝的要素に影響されます。言わば内的恒常性の維持・調節に関わる生化学的生理的反応様式の違いが、欲求についての心の個性(性格)として現れます。

 人格を形成する二次的欲求については、感情の反応様式が大きく関わり、快不快の強弱・敏鈍・粘淡や、言語による合理化(意味づけ)などによって学習・習得され、対象に対する欲求(好み)の違い(好悪、肯定・否定などの感情反応)が、個性に反映されます。対人関係の中では、好き嫌いや会話の仕方などの社交性・指導性に個性があらわれ、運動や技芸の面でも得意・不得意の違いが目立つようになります。とくに、未来への夢や言語的目標を実現するために、欲求が意志的感情と結合すれば、目的を目指す「強い心(意志)」を形成することができます。

 感情(快・不快・意志)については、欲求と深い結びつきがあり、欲求実現・充足の具体的選択と方向付けを行います。例えば、幼少時に音楽に関心を示し、保護者がそれを支持・援助することによって快感を得れば意志的感情を育て、生涯に音楽的才能を発揮することができます。また、宗教的雰囲気の中で育ち、肯定的感情を学習すれば宗教に親近感を持ちますが、逆に否定的な嫌悪感を抱いて学習すれば宗教嫌いになります。

 言語については、欲求や感情を意味づけ(合理化)強化しますが、思春期には言語的思考による「心の吟味」が行われる場合が多く、欲求や感情自体をコントロールする言葉や知識を求めます。今までのものの見方や考え方に疑問を持ち、確実な世界観や人生観を求め、自分の個性を実現できる主体的な生き方をしようとするのもこの時期です。

 心の三要素(欲求・感情・言語)は、成長の過程に於いて、相互に関係を持ちながら個性や人格を形成します。自分や他人の心の共通性を知ることができるようになれば、自分に自信がつき、意見の食い違いや対立への洞察がすすみ、もっと容易に問題の解決をもたらせるようになります。

 人の望むこと(何を望むか)、感じること(どのように感じるか)、そして知識(言葉)の内容とはたらきを知ることは、個性や人格の違いや限界を克服し相互理解を深める第一歩になります。人間の心の相対性(限界)の理解は、深層心理や潜在意識、魂や神などのつかみ所のない概念をこえて、人間理解と持続的幸福を容易に得られるようになります。


◇ 汝自身を知れ

① 人間の「生命性」の自覚 : 生理・心理的存在(こころとことば)

② 自己の「価値性」の自覚 : 生育・社会的存在(わたしとみんな)

・ものの見方考え方、いかに生きるべきか(哲学)

・文化・社会・経済・政治とその歴史を知ること(人文科学)

①について

「生命性」の自覚とは、植物・動物を含めた地上の生命の共通性とくに動物の生存活動との共通性、つまり個体と種族の維持がどのような原理と構造によって行われているのかを知り、内的恒常性維持と種の繁栄のための欲求と感情の働き について知ること。

 そして、外的環境と個体との刺激反応性――外界の不断の変化をどのように認知し適応的行動をとっているのかという認知行動様式の理解、とりわけ神経系・大脳の発達による個体の統合・制御と言語の獲得の意義について知ること。

 それによって、心の三要素(欲求・感情・言葉)として成立する人間の心の構造と働きを解明して、個体的自己(私自身)の心のコントロールと社会関係の紛争を抑制し平和を維持しやすくすることができる。

②について

「価値性」の自覚とは、人間が自分自身の生存(この世に生きていること)に、どのような価値や意味(いかに生きるべきか)を与えるかということです。私たちは現代社会に生を受け、様々な環境の中で生育・成長して、この社会についての知識をもち物質的・精神的・文化的生活を送って、やがて個体としての生存を終えます。

 この間百年程度生きるわけですが、日本人の多くは、古来からの神社的・仏教的伝統や、戦後の憲法・民法的制約の中で、商業主義的な情報や消費文化に流され追い立てられて生活しています。「人生とはそんなものだ、深く考えることはない。今を楽しんで、死んだらそれでお終いさ。」というのでは、あまりに自分の人生を軽んじていないでしょうか。

 そこで提案です。この多様な価値観の競合する閉塞した時代状況の中で、科学的検証に耐え、今までの生命と人間の活動によって築き上げられた文化と文明の成果と伝統を守りながら、新たな価値を見いだそうではありませんか。しかもその人類共通の普遍性を持つ価値は、人間の本質である生命における言語獲得の意義の究明によって可能になるのです。まず自分自身の生存の意味について考えましょう。「汝自身を知れ。」スタートはそこから始まります。

◇ マズローの欲求階層説批判

 アブラハム・マズロー(1908-1970)は、人間性心理学の提唱者とされており、人間行動の動機や人格の研究において、それまで主流であった精神分析や行動主義と異なる第三の勢力として出発した。精神分析や行動主義とは対照的に、主体性・創造性・自己実現・個人の成長促進といった人間の肯定的側面を強調した人間観にもとづく心理学で、臨床に携わる一般のカウンセラーやセラピスト、教育者に歓迎された。しかし、人間欲求や本性についての事実認識や至高経験等の価値的位置づけにおいて、科学的検証が困難であり誤りや限界が見られる。

 まず人間性(存在)の本質において科学的な観点から、欲求に価値や優劣を伴う5段階の階層(hierarchy)を設けるべきではなく、もし設けるとしても動物的な基本的欲求と、人間的な二次的欲求の二分類に限定し、価値的記述は科学的心理学とは分離し、哲学や倫理学のなかで積極的肯定的生き方として論じるべきであった。我々が今まで述べてきたように、基本的欲求とは個体と種の維持・存続を目的とする生理的社会的欲求であり、人間的な欲求とは言語的構想力を前提とした創造的・発展的欲求である。どのような言語的構想(「いかに生きるべきか」「何を肯定すべきか」等々)を持つべきかは、まさに人間としての生き方の問題なのである。

 次いで、マズローの強調する「自己実現欲求(the self-actualization need)」の問題性は、人間性の肯定的側面を強調するあまり(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)、人間的欲求の否定的側面から目を背け、人間や社会の真実への探究の障害になるということである。現実の人間の利害関係を隠蔽し、集団的人間管理や組織経営に悪用される恐れがある。自己実現(成長や発展を含む)自体は推奨されるべき倫理的目標ではあるが、排他的な競争に勝ち、選ばれた一部の人間にしかなし得ない自己実現では、心理学の顔をした人間管理の特権的イデオロギーといわれても仕方がない。例えば経営学で重視される企業内の自己実現は、排他的競争を助長するし、人間管理のみを強調する管理主義を、自己犠牲・奉仕的労働を合理化することに利用されかねない。また、マズロー自身が意図することはなかったが、否定的・排他的欲求が極端な場合、搾取的自己実現(労働者の酷使)、暴力的自己実現(暴力団、戦争の英雄行為)、全体主義的自己実現(独裁、カルト宗教)という歪んだ非人間的自己実現が実際に起こっている。

つづきはここへ