※現在ページ内ジャンプのリンクが無効となっており、スプレッドシート内のリンクをクリックすると個別の映画の解説ではなく、「宗教別」もしくは「地域別」のサイトに移動する仕様になっております。ご不便をおかけして申し訳ありません。
目次
2007年、スウェーデン/イギリス/ドイツ/デンマーク/ノルウェー、監督:ピーター・フリント、舞台となる地域:中東周辺
12世紀という時代と十字軍をモチーフに、テンプル騎士団に所属する主人公の恋や戦い、また、エルサレムでのサラディーンとの出会いを描く。主人公は、敵であるサラディーンの高潔さにひかれ、互いに尊敬の念を抱くようになる。かつてのように、十字軍が聖地奪回のための正義の戦いとして物語られることはなく、むしろ、その残虐さや騎士団総長の無能さが描かれている点に現代的特徴を見出すことが出来る。
2006年、フランス、監督:ジェラール・ユスターシュ=マチュー、舞台となる地域:フランス
トラピスチヌ修道院に暮らすアヴリルは、正式な修道女となることを目指す修練女である。ある日彼女は、他の修道女から自分に実の兄がいることを知らされる。ひそかに修道院を抜け出し兄を見つけだした彼女は、兄とその恋人の男性と共に過ごすうちに、次第に一人の女性としての生き方を見つけていく。修道女として一生を過ごすのか、それとも一人の女性として世俗の生を謳歌するのか。アヴリルの中に生じた葛藤が描かれる。
2019年、アメリカ、監督:ジョーダン・ピール、舞台となる地域:アメリカ
幼少期、両親と訪れたサンタ・クルーズの遊園地で迷子になり恐ろしい体験をしたことがトラウマとなっていたアデレードだが、のちに結婚して二人の子どもを授かり、裕福で幸せな生活を送っていた。夏季休暇を彼女のトラウマのあったサンタ・クルーズにて過ごすことになった一家は、その夜、彼らとそっくり同じ顔をして赤い服を着た奇妙な4人組に襲われる。逃げ込んだ友人宅でも友人たちと同じ顔をした赤い侵入者たちが一家を惨殺しているのを目にしたアデレードたちは、赤い服を着た彼らの正体に気づき始める。宗教を主題とするよりも、アメリカにおける人種差別や貧富の差を根底的なテーマとして描いたホラー映画だが、作中の重要なシーンで旧約聖書のエレミヤ書11章11節が効果的に使われ、彼らに襲い来る災厄を暗示している。
2013年、フランス/イギリス、監督:スティーヴン・フリアーズ、舞台となる地域: アイルランド、 アメリカ
1952年のアイルランド、未婚のまま10代で身ごもった主人公のフィロミナは、体面をおもんばかった父親の意向で修道院に入れられる。男児を出産したものの、息子はある日、車でどこかへ連れ去られてしまう。50年後、フィロミナは出会ったジャーナリストと息子探しをはじめ、修道院によって息子がアメリカの家庭に売られていたことを知る。アメリカに渡った彼女たちは、次第に真実を明らかにしていく。家族の愛というテーマの他に、信仰についても観客に深い問いを投げかけるものとなっている。
2017年、アメリカ、監督:スチュアート・ヘイゼルダイン、舞台となる地域:アメリカ
熱心なクリスチャンの妻との間に3人の子どもを授かり幸せに暮らすマックだったが、ある日子どもたちと出かけた湖で、末っ子のミッシーを誘拐犯によって殺害される。遺体も見つからないまま、マックは神を疑い絶望のなかで生きるが、ある雪の日彼は家のポストに入れられた不思議な手紙に導かれ、奇跡に満ち溢れた「小屋」を訪れる。信仰を持ち誠実に生きながらも悲劇に見舞われるのはなぜかという「神義論」に正面から取り組んでいる本作では、キリスト教の家庭に育ちながらも幼少期の体験から熱心な信徒とは言えないマックの目を通じ、信仰を持たない人からも共感を得られるような再生の物語を描いている。一方、小屋で出会った3人の関係性や随所に散りばめられた聖書のモチーフなど、キリスト教的知識なしには深く理解できない場面も多い。
2006年、イギリス、監督:マイケル・アプテッド、舞台となる地域:イギリス
讃美歌「アメイジング・グレイス」は、元奴隷船長のジョン・ニュートンによって作成された。本作は、18世紀後半にイギリスの議会で奴隷廃止運動のため奔走した実在の人物で、ニュートンの友人であるウィルバーフォースの半生を描いた作品である。宗教的なテーマは中心ではないが、「アメイジング・グレイス(素晴らしき恩寵)」がそのタイトルに冠されている通り、信仰心の問題も物語の背景となっている。
2009年、スペイン、監督:アレハンドロ・アメナーバル、舞台となる地域:エジプト
現在エジプトはイスラーム圏であるが、古代にはキリスト教が一大拠点を築いた地であった。その中心がアレクサンドリアで、古代より学術が栄えたことで知られる。4世紀末、この地に実在していた女性天文学者ヒュパティアの生涯を描いたのが本作である。古代の神々への信仰の弾圧やユダヤ教徒とキリスト教徒の間の激しい対立が、すぐれた美貌と知性を有していた彼女の運命に悲劇的な結末をもたらす。
1967年、ソ連、監督:アンドレイ・タルコフスキー、舞台となる地域:ロシア
15世紀初頭のモスクワ公国に生きたイコン画家であり修道士であるアンドレイ・ルブリョフの生涯と苦悩、模索を描く長編作。宮廷画家となったルブリョフであったが、タタール人の襲撃を受けた城で少女を救うために敵兵を討つ。それ以降、後悔から絵を描くことをやめ、口をきくこともなくなったルブリョフの前に、鐘の鋳造を志す少年が現れる。現在ではルブリョフは正教会の聖人として知られ、彼の作品もロシア各地で見ることができる。
1940年、アメリカ、監督:ジョン・フォード、舞台となる地域:アメリカ
1930年代、世界恐慌下のアメリカ。殺人の罪で4年間服役し、仮出所して故郷のオクラホマに戻ってきた青年トム・ジョード。途中で出会った元説教師のケーシーとともに実家に戻るが、あたり一帯の小作農家は砂嵐による不作と機械化による人員の削減で、何十年も暮らした土地の立ち退きにあい、仕事を求め西へ移動してしまったあとだった。途中でジョード一家と合流したトムとケーシーは、一家とともに貧しいオクラホマを離れ、期待を胸に「乳と蜜の天地」カリフォルニアを目指す。表題の「怒りの葡萄」は新約聖書「ヨハネの黙示録」中にある、神に背いたため神の怒りによって踏み潰される人間たちの引喩であることをはじめ、映画のなかには聖書のモチーフや台詞が度々使用され、物語に深みを与えている。
2013年、ポーランド/デンマーク、監督:パベウ・パブリコフスキ、舞台となる地域:ポーランド
第二次世界大戦中に孤児となり、修道院で育てられた18歳のアンナは、初請願を前に叔母に会うため初めて外の世界に出る。叔母は、アンナが本当はユダヤ人でイーダという名前であると告げ、両親の墓に参りたいと言うアンナに「戦争で死んだユダヤ人には墓もない」と言い放つ。イーダの両親が住んでいた村を訪ねる旅に出た2人は、ポーランドのユダヤ人が辿った運命、そして「戦争」が自らに残した深い傷と向き合う。中世以来、住民の1割がユダヤ人であったポーランドの地で、人々が経験した戦争体験とは被害と加害、善行と悪行といった二分法では到底割り切れないものであった。 監督のパヴリコフスキもポーランド生まれのユダヤ人だが、14歳で母国を離れ、ポーランドでの撮影はこれが初めて。
2016年、アメリカ、監督:ロン・ハワード、舞台となる地域:イタリア(フィレンツェ・ヴェネツィア)、トルコ(イスタンブール)
ダン・ブラウンの小説『インフェルノ』を原作とする本作では、ダンテの「神曲」地獄篇を基に描かれたボッティチェリの「地獄の見取り図」を題材として話が展開する。生化学者ゾブリストは、人類の半数を滅ぼしてしまうウイルスの開発に成功し、増えすぎた人口を減らすために大量殺人を計画する。宗教学者のラングドン教授は、ウイルスの拡散を阻止するため、ゾブリストによって与えられた手がかりである、「地獄の見取り図」の中に隠された暗号を解き明かしながら、そのありかを突き止めていく。映画には、中心に据えられているダンテの「神曲」(地獄篇)のみならず、フィレンツェやヴェネチアの名だたる大聖堂、宗教画、またトルコのアヤ・ソフィアなども登場し、宗教建築や宗教美術に関する知識を深めることもできる。
2010年、イギリス/オーストラリア、監督:トム・フーパー、舞台となる地域:イギリス
兄のエドワード8世が退位したことを受け、ジョージ6世が英国国王に即位することとなった。彼は吃音に悩み、スピーチを苦手としていたが、言語療法士の指導のもとで治療を始め、ナチスドイツとの開戦のスピーチに挑むこととなる。英国国教会を国教とするイギリスでは、国王は国教会の首長でもある。離婚歴のある女性との結婚を認めていない国教会の立場が、エドワード8世の退位と深く関係している。
1973年 (2000年、ディレクターズカット版)、アメリカ、監督:ウィリアム・フリードキン、舞台となる地域:アメリカ
悪霊が憑いたとされる少女とそれを祓おうとする神父2人の格闘の物語。イラクの悪霊に少女がとり憑かれ、陰惨な事件を起こす。近代医療も見放した少女に対して、神父2人が身を賭しながらも少女を救おうとする。本作は、1971年代以降のオカルトブームとの関連が深く、欧米を善、東洋を悪としながら、両者の戦いを描く。
2014年、アメリカ、監督:リドリー・スコット、舞台となる地域:エジプト
旧約聖書(ヘブライ語聖書)の「出エジプト記」に記されたモーゼの生涯をベースにし、最新のVFX技術を駆使して作成されたアドベンチャー作品。エジプト王家で養子として育てられたモーゼと兄弟同然に育てられたエジプト王ラムセスとの確執を物語の軸に据え、勇ましい闘将としてモーゼを描くなど、「出エジプト記」を題材にし独自の視点で構成されている。
2007年、アメリカ、監督:トム・シャドヤック、舞台となる地域:アメリカ
下院議員に当選したエバンの前に神を名乗る人物が現れ、方舟を作るように命じる。初めは拒絶していた彼であったが、周囲には不思議と動物が集いだし、また、ひげが伸び始めるなど次第にノアを思わせる風貌に変化していく。エバンはやむなく方舟を作りだし、彼の姿はメディアなどでも大きく取り上げられるようになる。ちなみに、劇中たびたびあらわれる614という数字は、創世記6章14節のノアの方舟の話の一部を指すものであり、こうした些細な点にも聖書の世界を背景とした物語であることが明示されている。
1998年、イギリス、監督:シェカール・カプール、舞台となる地域:イギリス
英国国教会の基盤が確立した時期のイギリス女王エリザベスとその周囲の人間の愛憎劇。映画はエリザベスの女王即位から始まる。国力が弱まっていた中、ローマ教会やスコットランドからの攻撃に対してどのようにエリザベスが戦ったか。カトリックとプロテスタントとの争いが背景に描かれる。
2005年、フランス/スイス/ドイツ、監督:フィリップ・グレーニング、舞台となる地域:フランス
カトリックの感想修道院の中でも最も厳しい戒律で知られるカルトジオ修道会。映画は、普段は訪問者が入ることの許されないアルプス山中のグランド・シャルトルーズ修道院の日常を描く。修道士に会話が許されるのは日曜日の午後の散歩の時間のみ。1日3度のミサのほかは、日課に従い、一人で祈り、労働、聖書の研究を行う。グレーニン監督は1984年に撮影を申し込んだが時期尚早と謝絶された。16年後、「準備が整った」との連絡を受け、6か月間、修道士と同じ生活をしながら1日に49分だけ許された空き時間に撮影を行った。
2000年、日本/韓国、監督:斎藤耕一、舞台となる国:日本、韓国
対立する2つの暴力団にそれぞれ所属する2人のヤクザの妻はともに韓国人。2人の韓国人妻は教会で出会い互いに助け合うことになる。その後、二人の夫は組織を追われ、一人はキリスト教の信仰に目覚め宣教をおこなうようになるが、そこにもう一人のヤクザが立ちはだかった。実話をもとにした本作では、ニューカマーのコミュニティとしての教会や、キリスト教大国としての韓国が垣間見れる。
1999年、アメリカ、監督:ダニエル・ペトリー、舞台となる地域:アメリカ
1925年のアメリカ・テネシー州の町デイトンで実際に起こった宗教と科学が対決した裁判(モンキー裁判)の話。テネシー州は聖書に反する理論を教えていけないという法律がある。しかし、教師のケイツが学校で進化論を教えたため、逮捕され裁判にかけられることになる。原告側弁護士は熱心なクリスチャンであるブレイディ。一方ケイツの弁護士はブレイディの友人でもあるドラモンド。ハイライトは裁判でのこの2人の応答であり、結果的にケイツは有罪に終わるが、原理主義者たちがいかに社会と乖離しているかということがあらわになった裁判であった。
2010年、フランス、監督:グザヴィエ・ボーヴォワ、舞台となる地域:アルジェリア
1996年に、アルジェリア南部の町チビリヌで実際に起こったトラピスト会の修道士殺害事件を題材としたフランス映画。修道士たちは地元の人々の生活を支える活動を続けていたが、イスラーム過激派が近辺でテロを拡大させていくようになる。アルジェリアに残るか否かの選択が迫られるなか、修道士たちは自らの恐怖や動揺、そして信仰に向き合っていく。イスラーム武装グループと修道士たちのやりとりも描かれており、興味深い。
2015年、フランス/ベルギー/ルクセンブルク、監督:ヴァン・ドルマル、舞台となる地域:ベルギー(ブリュッセル)
「神様」がベルギーのブリュッセルで家族(女神、息子、娘)とともにアパートで暮らしているという設定のもと、神の娘のエアという少女を中心に物語は展開する。神は日々自室のパソコンを通して世界を管理し、暇つぶしに人々に災厄をもたらす悪趣味で意地の悪い存在として描かれている。人間に運命に縛られることなく生きてほしいと思ったエアは、パソコンを操作して地上にいる人間たち全員の余命をメールで送信する。これにより地上は大混乱に陥るが、自らの生きがいを見つけようとする人々、それに手を差し伸べようとするエアの姿が描かれる。
作中では「神が水の上を歩こうとして溺れる」など、聖書のパロディも多くみられる。聖書を10歳の少女の目を通して描き出すことが、カトリックにおける女性の位置づけについての問題提起にもなっている。
2014年、アメリカ、監督:ハロルド・クロンク、舞台となる地域:アメリカ
物語は、無神論を標榜する大学教授とその講義を受けていた学生のとの間で展開する。哲学のクラスで、教授から神はいないという宣言書を提出するようにいわれた学生たち。単位が取れないことを危惧して学生たちは宣言書を提出していくが、ジョッシュだけが納得できずにいた。教授は学生たちの前で、ジョッシュに神の存在を証明しろと迫る。神の存在証明をめぐる議論が深められるというよりも、作品全体を通して、神を信じないと不幸になるというトーンが色濃い。
2005年、日本、監督:小松隆志、舞台となる地域:日本
主人公の佐伯里見は、幼いころ預けられていた東北の隠れキリシタンの村・渡戸村で神隠しにあった経験をもつ。しかし、この事件に関する彼女の記憶は曖昧なものであった。当時何が起こったのかを知るために彼女は渡戸村を訪れ、そこで知り合った考古学者・稗田礼二郎とともに村に伝わる神秘に触れることとなる。キリスト教や日本の民俗信仰などさまざまな宗教的要素が絡み合いながら物語は進んでいく。
2005年、アメリカ、監督:リドリー・スコット、舞台となる地域:イスラエル、パレスチナ
十字軍とサラディン軍が衝突する12世紀エルサレムが舞台である。鍛冶屋バリアンは、キリスト教徒とイスラム教徒が平和共存する「天の王国」聖地エルサレムを守れとの遺言を残した父の遺志にしたがい、十字軍としてエルサレムに向かう。エルサレムでは十字軍とサラディン軍の衝突が続いていた。バリアンは、劣勢ながらも機転を利かせてサラディン軍の猛攻を防ぎ、対話による平和を目指すため和平交渉に臨んだ。本作では宗教に中立な立場をとるバリアンが善として、宗教者や宗教にかかわる者は悪として描かれていることが特徴的である。
【世界遺産エルサレムの旧市街とその城壁群が舞台となっている。】
1999年、アメリカ、監督:フランク・ダラボン、舞台となる地域:アメリカ
刑務所での出来事を通じて、命の尊さや善悪の不条理などをテーマにしている作品。主人公で刑務所看守のポールのもとに、黒人大男の囚人が送られてくる。彼の罪は双子の若い姉妹を強姦・殺人したこと。死刑の執行までの期間、彼のまわりで不思議なことが起きる。彼は「癒し」の能力を持っていた。ポールは彼は無罪でないかと考える。善とは何か、悪とは何か、正義とは何かという問いが投げられている。
2004年、アメリカ、監督:アーサー・アラン・シーデルマン、舞台となる地域:イギリス
著名なチャールズ・ディケンズの小説を原作としたミュージカル。守銭奴のように生きるスクルージが、過去、現在、未来の精霊にいざなわれて自分の姿を見つめなおすというその物語は、長年にわたって多くの人々に親しまれてきた。教会でのミサに加えて、クリスマスが家族団欒の大切さを感じる行事になっていく上で、同作品の果たした役割は大きい。
2010年、ノルウェー/ドイツ/スウェーデン、監督:ベント・ハーメル、舞台となる地域:ノルウェー
クリスマスの夜にノルウェーの小さな町で起こったさまざまな出来事を重ね合わせている群像劇。路上生活者やイスラームの女の子に恋をする少年、落ちぶれた元サッカー選手など、多様な背景をもつ人びとの物語が紡がれる。ノルウェーなどの北欧諸国は、ルター派のプロテスタントが国教となっているが、教会離れも指摘されている。クリスマスを描いた本作においても宗教的な問題は背景にとどまっている。
1947年、イギリス、監督:マイケル・パウエル、エメリック・プレスバーガー、舞台となる地域:インド
インド・カルカッタの女子修道院で暮らしていた尼僧のクローダーは、ある日ヒマラヤ山中にある修道院の院長に任命され、診療所と学校を運営することになる。クローダーはブライオニー、フィリッパ、ブランチ、ルースの四人の修道女とともにヒマラヤを訪れるが、そこで目にしたのは、かつて将軍の後宮として建てられた、寂れた屋敷だった。彼女たちは荒れ果てた施設の手入れに加え、厳しい高地の環境、押し寄せる患者や生徒の相手、現地の人々の慣習や信仰の違いに心身ともに疲弊する。しかし、彼女たちの本当の試練は、広大な自然のなかで奔放に暮らす人びとや、異国の地で魅力的な異性を知ったことによる、神への献身と禁欲の揺らぎであった。
1985年、アメリカ、監督:ピーター・ウィアー、舞台となる地域:アメリカ
主人公の刑事ジョン・ブックがある事件がきっかけでアーミッシュの親子とアーミッシュの生活をすることになった。ジョンは、その事件の容疑者が警察内部にいることが判明し、警察内部から追われることになってしまった。アーミッシュの村に逃げ、アーミッシュの人々と一緒に生活をするようになる。まるで昔にタイムスリップしたような暮らしにいつしか親しみを覚える。平和主義と伝統的な生活を守るアーミッシュの生活状況が初めて映画化された話題の作品。
2012年、ルーマニア/フランス/ベルギー、監督:クリスティアン・ムンジウ、舞台となる地域:ルーマニア
2012 年カンヌ映画祭で脚本賞と女優賞を受賞した同映画は、2005 年にルーマニア正教会の修道院でおきた「悪魔憑き事件」に着想を得たもの。宗教の名の下での善意が招いた「犯罪」を題材に、集団ヒステリーやパニックの恐怖、地域や組織の閉鎖性、他者への不寛容や無関心といった問題を掘り下げた同作品は、時代や地域を超えた普遍性を孕んでいる。
2004年、アメリカ、監督:ロブ・ハーディ、舞台となる地域:アメリカ
R&B歌手として成功していた主人公が父の病をきっかけに帰郷し、父が牧師を務めていた教会の立て直しをはかる。アメリカの黒人たちの宗教歌であるゴスペルソングが劇中を彩り、主人公はゴスペルを通して対立してきた父との関係や自らのルーツについて考えていくようになる。ゴスペルのもつ躍動的なリズムと、宗教と音楽の深い結びつきを感じ取ることができる。
2002年、アメリカ、監督:カメル・アメッド、舞台となる地域:アメリカ
微罪で留置所に送られた民族、宗教の異なる男たちの会話を中心とした作品。留置所には、自称ミュージシャンの黒人、その友人のプエルトリコ人、アラブ系タクシー運転手、アジア系ビジネスマン、その同僚のイギリス人、ユダヤ系、イタリア系、アイルランド系の米国人という異なる文化的背景を抱えた人々が収容され、それぞれの民族、宗教、歴史に関する激しい罵りあいを繰り広げる。そこにいた一人の男は、自らが神だと名乗りだしたことによって物語は展開していく。
2005年、アメリカ、監督:フランシス・ローレンス、舞台となる地域:アメリカ
幼いころから人ならざる存在を感知する能力を持っていたジョン・コンスタンティンは、その力を活かし人間に憑りついた悪魔を祓う探偵としてロサンゼルスで活動していた。彼は10代のときに一度自殺未遂をはかったことがあり、そのせいで死後は地獄へ行くことが決まっていた。実は彼が行う悪魔祓いは、善行を積み神の恩赦を得ることで、その地獄行きの運命を変えるという利己的な目的が絡んでいた。そうしたなか、彼はある日、肺ガンにより余命数ヶ月であるという宣告を受ける。あと少しで地獄に行くという運命を突き付けられたジョンは、ある女性の自殺事件から悪魔が人間界に侵攻しようとしていることに気づき、運命に抗うため事件の真相を追う女性刑事アンジェラとともに奔走する。作品の世界観では、天国、人間界、地獄の3つの世界があり、天使は天国に、人間は人間界に、そして悪魔は地獄にそれぞれ住まい、決して相互の世界を自由に行き来できないことになっている。しかし天使と人間、悪魔と人間の中間的な存在である「ハーフ・ブリード」が人間界には密かに住んでおり、ジョンをはじめとする人間たちに様々な干渉を行っている。天国・地獄の存在という設定や、自殺者は地獄へ行くという描写など、数々のキリスト教的な世界観が物語の軸になっている。
2014年、フランス、監督:フィリップ・ドゥ・ショーヴロン、舞台となる地域:フランス
フランス人のヴェルヌイユ夫妻には4人の娘がいる。夫妻は保守的なカトリック信者であり、娘たちには教会で結婚式を挙げてほしいと願っているが、長女、次女、三女が結婚したのはアラブ人、ユダヤ人、中国人で、カトリックではないため、結婚式は市役所であげざるを得なかった。その後も宗教や食文化、歴史認識など、異文化への気遣いや婿同士のいさかいで疲れ果てる夫妻のもとに、いよいよ四女がカトリックの恋人を連れてくるが……。国際結婚を題材に、宗教間の違いや文化の違い、人種差別といった問題に、ユーモアを交えながら切り込んだ本作には、ユダヤ教の割礼式や、意気投合した婿たちが協力してハラール・ビジネスを立ち上げる場面などもあり、諸宗教や宗教文化の理解の手助けにもなる。
1988年、アメリカ、監督:マーティン・スコセッシ、舞台となる地域:中東周辺
イエスの生涯を描いた作品であるが、そのストーリーは聖書に基づく伝統的な筋書きとは異なっている。イエスは人間的欲望と神への信仰の間で激しく苦悶する存在として描かれ、十字架での刑を生き延びてマグダラのマリアと家庭を築く。しかし、イエスがその生涯を閉じようとするとき、真実が明らかにされるのであった。一人の人間としてのイエスを描いた本作は、キリスト教徒からの激しい抗議を招いたことでも知られる。
【世界遺産エルサレムの旧市街とその城壁群が舞台となっている。】
1928年、フランス、監督:カール・テオドール・ドレイエル、舞台となる地域:フランス
カトリック教会における聖人であり、祖国フランスでも敬愛される「オルレアンの乙女」ジャンヌダルクが、イギリス軍の捕虜となり、異端裁判にかけられ刑死するまでを描いた白黒無声映画。裁判の様子などはできる限り史実や文献に基づいて描かれ、また全編を通して表情のクローズアップが多いことから、裁判の緊迫感やジャンヌの感情の機微が効果的に伝わるようになっている。また、祖国を導く力強い英雄としてのジャンヌではなく、拷問に苦しみ、涙し、火刑を避けるために一旦は神を裏切ってしまう人間らしい姿が描かれている点も印象的である。
2011年、アメリカ、監督:ミカエル・ハフストローム、舞台となる地域:イタリア
実在のアメリカのエクソシストをモデルにした作品。若き神学者マイケルは一流のエクソシストと名高いルーカス神父のもとで悪魔祓いの手伝いをすることとなるが、彼を待ち受けていたのは想像を超える恐るべき出来事であった。1973年の映画『エクソシスト』以来、カトリックにはエクソシストという悪魔祓いを行う神父がいることが広く知られるようになったが、近年その需要は増加しているともいわれている。
【作品の大部分がローマ歴史地区で撮影されている。】
2014年、アメリカ、監督:クリストファー・スペンサー、舞台となる地域:イスラエル
アメリカ「ヒストリーチャンネル」で放送され人気を博したテレビシリーズ「The Bible」の劇場版。イエス誕生から復活までを描く。イエスの生涯を題材にした映画は多数あるが、本作では人間味あふれる偉大な指導者としてイエスを捉えているのが特徴となっている。イエスに関する映画としては他に『奇跡の丘』『パッション』『最期の誘惑』などがある。
2005年、フランス、監督:コリーヌ・セロー、舞台となる地域:フランス、北アフリカ、スペイン
スペイン北西部のサンティヤゴ・デ・コンポステーラは、聖ヤコブの遺体が葬られたとされるキリスト教の聖地であり、そこへの巡礼は現在でも根強い人気を保持している。物語は、母の遺言により仕方なく巡礼をすることになった仲の悪い3人兄弟、心に傷を負った女性、メッカ巡礼と勘違いしているイスラーム教徒の高校生やピクニック気分の女子高生など、動機も目的も異なる8人が1500kmの巡礼路をともに歩き、次第に心を通わせていく過程を描く。
【世界遺産サンティアゴ・デ・コンポステーラとその巡礼路が舞台となっている。】
1947年、アメリカ、監督:ジョージ・シートン、舞台となる地域:アメリカ
クリスマス商戦まっただなかの百貨店に、豊かな白ひげをたくわえたクリス・クリングルという老人が雇われる。子どもたちにやさしく接し、大人の客には適切なプレゼントのアドバイスをする彼は、次第に人気者となっていく。しかし、彼を敵視する会社専属のカウンセラーは、彼がサンタの妄想を抱く凶暴な男であるとして、精神病院への強制収容を裁判所へ申し立てた。彼は本物のサンタクロースであるか否か。法廷では異例の裁判がはじまることとなる。
2007年、フィンランド、監督:ヨハ・ウリオキ、舞台となる地域:フィンランド
家族を事故で失い一人になってしまった幼いニコラスを、村人たちは一年交代で育てることにする。ニコラスは器用さを活かして、お世話になった家に木で作ったおもちゃをそっと置いていくようになる。彼がのちのサンタクロースである。サンタクロースの物語は、聖ニコラウス伝説に由来するものであるというのが定説になっている。しかし、本作では聖ニコラウスの伝説に基づくことなく自由なサンタクロースの誕生秘話が展開されている。
2006年、アメリカ、監督:、舞台となる地域:アメリカ
ミズーリ州のベッキー・フィッシャーという福音派の女性牧師が主催するサマーキャンプの様子を中心としたドキュメンタリー作品。2006年にアメリカで作成された。キャンプは子どもたちを対象としたものであり、キリスト教の正しさや進化論の否定、堕胎反対等をテーマとした過激な説教が繰り返され、子どもたちは涙を流しながらそれに聞き入る。攻撃的な主張とそれに呼応する人々の熱狂の様子は衝撃的である。
1973年、アメリカ、監督:ノーマン・ジュイソン、舞台となる地域:イタリア、イスラエル
イエスの受難をロック調で演出したブロードウェイミュージカルを映画化した作品。登場人物たちは現代的な衣装を身にまとい、イエスも「神の子」としてよりはむしろ民衆の「スーパースター」として描かれている。それ以外にも、イエスを裏切るユダの心情が詳細に描かれていることなどが本作に特徴的な点としてあげられる。ミュージカルは劇団四季によって日本語でも上映されている。ポップな「スーパースター」としてのイエス像は日本人にも受け入れやすいものなのかもしれない。
1994年、イギリス、監督:アントニア・バード、舞台となる地域:イギリス
リバプールに着任した熱意あふれる若き司祭の物語。家族からの性的暴力に苦しむ女学生の告解を受けながらも、内容を他言してはならないという司祭の務め上、彼女を助けることができないこと。また、バーで出会った男性と関係をもってしまったことなど、現地で生じるさまざまな問題にぶつかりながら、一人の人間としてのあり方と、聖職者としての役割の間で揺れる司祭の葛藤が描かれる。
2009年、フランス/ベルギー、監督:ステイン・コニンクス、舞台となる地域:ベルギー
60年代に世界中で大ヒットした「ドミニク」を歌ったシスター・ジャニーヌの生涯を、事実に基づいて描いた作品。家庭を飛び出し、ドミニコ会修道院での生活をはじめたジャニーヌであったが、厳格な規律に従って静かな生活を送る修道院の生活は彼女にとって苦痛であった。そんな中、彼女がギターを抱えて歌う姿がテレビで紹介され、彼女の歌はレコード化され大ヒットを記録する。この成功が、彼女の運命を変えていくこととなる。
1999年、フランス/アメリカ、監督:リュック・ベッソン、舞台となる地域:フランス、イギリス
フランス北部がイングランドに占領されていた百年戦争の中、神の声を聞き、フランスを救うために立ち上がった少女ジャンヌ・ダルクの運命を描く。奇跡的な勝利をおさめ、オルレアンを解放したジャンヌ・ダルクであるが、イングランドによって宗教裁判にかけられ、異端として火刑に処される。ジャンヌ・ダルクの生涯は、これまで複数の映画や小説で扱われてきたテーマであるが、本作では自らの残虐な行いに苦悩する一人の人間としてジャンヌが描かれている。
2012年、日本、監督:降旗康男、舞台となる地域:日本
ベストセラーとなった妹尾河童の自伝的小説を映画化したもの。第二次世界大戦前から敗戦直後までを生きた家族の姿が描かれる。主人公となる少年H(本名である肇のイニシャル)の母は熱心なクリスチャンであった。戦時中、キリスト教徒を母に持つ一家がどのような扱いを経験してきたかを垣間見ることができる。
1994年、アメリカ、監督:フランク・ダラボン、舞台となる地域:アメリカ
自分の妻とその愛人を射殺した罪で終身刑を宣告され、冤罪にもかかわらず悪名高いショーシャンク刑務所に送られた元銀行員のアンディ。彼は刑務所にはびこる暴力や不正を耐え忍び、調達屋のレッドをはじめとした囚人仲間と友情を育むかたわら、20年の服役の末に恐ろしく綿密な脱獄計画を決行する。刑務所所長は囚人たちを「罪人」と呼び、規律と聖書によって彼らを統治することを宣言するが、刑務所では理不尽な悪意や暴力が蔓延し、所長を筆頭に刑務官たちの間でも横領や所得隠し・殺人などの不正が公然と行われていた。聖書を小道具として使って脱獄を成功させたアンディの所長に対する最後のメッセージは、信仰が暴力と不正の容認に利用されることへの皮肉でもある。
1962年、アメリカ、監督:オットー・プレミンジャー、舞台となる地域:アメリカ、オーストリア、バチカン
第二次大戦前夜、枢機卿に叙されることになったアメリカ人司祭が、米国、バチカン、オーストリアで聖職者として過ごした半生を振り返る。若き日の彼は、難産になるとわかっていても、堕胎が認められないために命を落とした妹の存在や、魅力的な女性への恋心によって心を揺るがされるが、聖職者として生きることを決意する。米国では黒人差別と戦い、またオーストリアではナチズムが人々の信仰と人間性を破壊していく様を目撃する。カトリック教会とさまざま社会問題との関わりを垣間見ることが出来る。
【主人公が按手されている場面でローマ歴史地区にあるサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会が登場する。】
1946年、アメリカ、監督:フランク・キャプラ、舞台となる地域:アメリカ
1945年のクリスマスイブの日、人生に行き詰まった主人公のジョージ・ベイリーは橋の上から投身自殺を図ろうとする。自身の夢を諦めてでも他者のために尽くし、善良な生き方を貫いてきたジョージだが、運悪く経済恐慌の煽りや町一番の富豪であるポッターに圧力をかけられ、いっそこの世に生まれなければよかったのだと自らの人生を悲観したのだ。しかし彼の行方を心配する家族や友人たちの祈りを聞き届けた天の主は、翼のない見習い天使のクラレンスを遣わし、ジョージに「彼のいない世界」を見せ、彼の人生がどれほど重要で幸せに満ちたものであったのかを気づかせようとする。
2015年、アメリカ、監督:トム・マッカーシー、アメリカ(ボストン)
ボストン・グローブ紙の新聞記者たちが、カトリック神父による性的虐待と教会組織による隠蔽工作の実態を調査し、報道するまでの過程を描いている。2001年の夏に新しくボストン・グローブ紙の編集長に着任したバロンによって、ある神父による性的虐待事件を詳しく掘り下げ、特集記事欄「スポットライト」として取り上げる方針が打ち出された。記者たちの地道な取材で明らかになったのは、大勢の神父が同様の罪を犯している実態と、それを地元ボストンのカトリック教会が組織ぐるみで隠蔽してきたスキャンダルであった。カトリックの根付く地元ボストンにおける教会の権力の大きさと、聖職者による児童虐待という衝撃的な事件の詳細がリアルに描かれている。
2007年、アメリカ、監督:ポール・トーマス・アンダーソン、舞台となる地域:アメリカ
20世紀初頭、石油採掘による一攫千金を狙い、一人息子をつれて各地をめぐっていた主人公ダニエルは、ある男の情報をもとに石油を掘り当てることに成功する。しかし、土地の元所有者である牧師に約束していた金を払おうとしなかった。その後、採掘現場で相次いで事故が発生し、牧師はダニエルが金を払わないことと、その不信心さを不幸の原因として非難した。宗教が主題となっている作品ではないが、聖霊による癒しを説く牧師の存在が物語の鍵となっている。
2019年、ポーランド・フランス、監督: ヤン・コマサ、舞台となる地域:ポーランド
少年院に服役中のダニエルは、仮釈放中に立ち寄った村で新任の司祭と勘違いされ、まったく訓練を受けていないのに司祭を演じることになる。ダニエルは、村人の悩みに寄り添い、形式よりも人々の心に訴える説教で徐々に信頼を獲得していくことになる。彼は村で過去に起こった事故について知り、その悲しみから人々を癒そうと奔走するが、ダニエルの過去を知っている男が現れ、正体をばらすぞと脅される。しかしダニエルは自らの正体が明かされることを恐れず、とある行動に出る。犯罪者の若者が人々を救う聖職者になるという意外性や、ダニエルが自らの経験を生かして人々の悩みに答える様子が面白い。ポーランドの田舎における、カトリックの司祭のあり方や役割がよくわかる作品。
2013年、日本、監督:高雄統子、舞台となる地域:日本
中村光原作の人気コミックを映画化した作品。「休暇をとった」ブッダとイエスは、東京の立川市で同居し、買い物をしたり遊園地に行ったりと地域の人びとに混ざって日常生活を楽しむ。いろいろな場面で、キリスト教や仏教にかかわる観念や言葉がギャグへと転化して登場する。
1997年、アメリカ、監督:ブライアン・スパイサー、舞台となる地域:アメリカ
テーマパーク会社の社長として成功し贅沢三昧の生活をしてきた夫婦が、脱税の容疑で追われる身となり、ある場所に身を隠す。そこは、「規則(オルドヌン ク)」を重んじるアーミッシュのコミュニティであった。電子機器の使用は禁止され、また服装をはじめとした生活のあらゆる面に規則が及ぶコミュニティの中 で、夫婦は自らも他のコミュニティからやってきたアーミッシュであると偽りながら過ごしていく。伝統的規律を重んじる共同体として広く知られているアー ミッシュコミュニティの生活を垣間見ることが出来る。
2006年、アメリカ、監督:ロン・ハワード、舞台となる地域:イギリス、フランス
宗教学者のラングドン教授と暗号解読官のソフィーが、絵画や彫刻等に隠されたメッセージを手掛かりに、連続殺人事件の謎を解いていく。事件の裏には、イエスがマグダラのマリアと結婚し、子どもをもうけたという教会を揺るがす大スキャンダルが隠されていた。本作の原作となった小説の前書きには、「この小説は真実に基づいている」との記述があり、そのため欧米のキリスト教会では本作に対して反感を抱く人も多かった。
2008年、アメリカ、監督:ジョン・パトリック・シャンリィ、舞台となる地域:アメリカ
1964年のニューヨーク、厳格な指導で知られるシスターが校長を務めているあるカトリック学校が舞台となっている。シスターは進歩的で開かれた教会を目指すフリン神父が、ある黒人の男性学生と性的関係をもったと疑い、根拠がないにもかかわらず彼を執拗に非難する。1960年代は、カトリックがリベラルな方針へと転換しようとしていた過渡期であり、そうした時代背景を理解すると両者の対立に関しても理解が深まるだろう。
2016年、アメリカ、監督:マーティン・スコセッシ、舞台となる地域:日本
遠藤周作の『沈黙』を映画化した作品。禁教期の潜伏キリシタンとその信仰を題材にしている。ポルトガル人宣教師のロドリゴとガルペは、棄教したとされる師を探すため、マカオで出会ったキチジローという日本人の案内で日本へ渡る。たどり着いた長崎で彼らは厳しい弾圧を目の当たりにし、やがてロドリゴ自身もキチジローの裏切りにより捕えられる。宣教師たちの苦悩や葛藤を通して、信仰の根源を問いかける作品。
【世界遺産長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産が舞台となっている。】
2009年、アメリカ、監督: ロン・ハワード 、舞台となる地域:イタリア、バチカン、スイス
『ダ・ヴィンチ・コード』の主人公でもあるロバート・ラングドンが、核エネルギー以上の力をもつとされる反物質をめぐって引き起こされた殺人事件の謎を解明していく。バチカンでは次の教皇を決めるコンクラーベが開催されていたが、有力候補の枢機卿たちも、この反物質をめぐる陰謀に巻き込まれ次々と殺害されていく。秘密結社やカトリック等の宗教的モチーフをちりばめたエンターテイメント作品である。
【バチカン市国が舞台となっているが、撮影禁止であったため、多くのシーンがローマ(ポポロ広場、アンジェリカ図書館など)で撮影されている。】
1992年、アメリカ、監督:エミール・アルドリーノ、舞台となる地域:アメリカ
クラブの歌手でマフィアのボスの愛人でもあった主人公(デロリス)は、愛人が側近に殺される場面を目撃してしまったことから、マフィアに追われる身となる。担当刑事によって、修道院につれていかれ、そこで修道女としてかくまわれることになったデロリスであったが、規律の厳しい修道院での生活は彼女にとって非常に窮屈なものであった。彼女は次第にゴスペルをロック調にアレンジした曲を歌い始め、地域の人々から人気を博す。彼女の歌をきっかけに修道院はより地域に開けたものとなっていく。
2005年、アメリカ、監督:アンドリュー・アダムソン、舞台となる地域:神話的世界
ロンドンに住む4人の兄弟姉妹が、衣装ダンスによってつながれた別世界(ナルニア国)で国を救うために繰り広げる冒険を描く。ナルニアの住人達の中には、ヨーロッパの神話をモチーフにしたフォーンやケンタウロス等が見られる。また、「救い主」であるライオン(アスラン)の犠牲と復活というストーリーは、新約聖書で語られるイエスの生涯と重なるものである。本作には、それ以外にもキリスト教的要素が端々に織り込まれており、キリスト教の知識をもつことによって異なる角度から鑑賞することができるだろう。
2014年、アメリカ、監督: スコット・デリクソン、舞台となる地域:アメリカ
実在する元ニューヨーク市警の巡査部長で、悪魔憑きについての調査も行っていたラルフ・サーキの手記をもとにした映画。映画では警察官であるサーキが、次々と起こる異常な事件に遭遇する。現れたイエズス会の司祭メンドーサは、それらの事件の犯人は悪魔に憑りつかれていると語る。さまざまに起こる奇妙な現象から悪魔の存在を確信したサーキは、犯人に対する悪魔祓いを試みることを決意する。本作では現在でも行われているカトリックの悪魔祓いの様子が、迫力の映像で描かれている。
2000年、アメリカ、監督:ビクター・サリン、舞台となる地域:アメリカ、イスラエル
旧約聖書、新約聖書(とくにヨハネの黙示録)には、信仰をもつ者は天に挙げられ(携挙)、信仰をもたない者はこの世に取り残されるという考え方がみられる。こうした携挙の考えをベースに、人間が次々と消えていく様子を描いたパニック映画。原作は牧師でもある作家の小説であり、そのストーリーには福音派の終末観が反映されているといえる。
2012年、イタリア/フランス、監督:マルコ・ベロッキオ、舞台となる地域:イタリア
映画は、2009年にイタリアでおきた尊厳死をめぐる国民的議論に着想を得たもの。当時、17年間植物状態にある娘の延命措置の停止を求めた父親をカトリック教会や政治家が糾弾したことから、国論を二分する激論が巻き起こった。映画では、「生命に対する罪」として尊厳死を禁じるカトリック教会が社会に絶大な影響を与える様子が描かれる。
2014年、アメリカ、監督:ダーレン・アロノフスキー
旧約聖書「創世記」の第6章から8章にかけて記されるノアの箱舟の話を実写化したもの。大洪水が来ることを知らされたノア一家が船を造って生き残るという話の大枠は聖書に依りながらも、独自のストーリーが盛り込まれている。たとえば、ノアとドバルカイン率いる集団との戦いの場面があるが、ドバルカインについては、創世記の4章で「彼は青銅や鉄のすべての刃物を鍛える者となった」という記述があるのみで、ノアとの争いという劇中の物語は聖書の記述とは無関係である。
2011年、フランス/スペイン、監督:ドミニク・モル、舞台となる地域:スペイン
17世紀、スペインのカプチン会修道院で暮らす修道士アンブロシオの前に仮面をつけた男バレリオが現れる。バレリオのもつ悪魔の力は、信仰深い修道士として知られていたアンブロシオを欲望の道へと陥れる。カプチン会は16世紀にフランシスコ会から分かれた修道会であり、厳密な修道生活を送る。こうした修道会の性格を知ることで、物語への理解も深まることだろう。
2012年、ドイツ、監督:トミー・ヴィガント、舞台となる地域:イタリア、バチカン
熱心なカトリックのドイツ人女性が主人公。罪を告白するためローマ教皇への謁見を切望する彼女が、住んでいたカナダの田舎からバチカンを目指す。一人ローマへ辿り着いた彼女にはさまざまな出会いがおとずれ、その出会いを通して生きる喜びを見つけていく。思いがけない形で教皇との謁見が叶うまでの彼女の道のりがコメディタッチで描かれる。
2004年、アメリカ/イタリア、監督:メル・ギブソン、舞台となる地域:イスラエル
イエスが十字架で処刑されるまでの最後の一日は伝統的に「パッション」(受難)と呼ばれる。本作品は、そのイエスの受難を「忠実に」描写することを目指したものであり、ローマ兵による鞭打ちや十字架への磔、苦痛にゆがむイエスの表情などが生々しく描かれている。受難を描くということは、イエスによる贖罪というキリスト教にとって非常に重要なテーマを描くということであり、本作の公開時にはその描き方の賛否をめぐって議論が巻き起こった。
【世界遺産エルサレムの旧市街とその城壁群が舞台となっている。】
2017年、日本、監督:山田火砂子 、舞台となる地域:日本
『蟹工船』で知られるプロレタリア文学作家、小林多喜二の母・セキの半生を描いた三浦綾子の小説『母』が原作となっている。セキは貧しい家の出自でありながらも、次男多喜二を学校へ行かせ、銀行員として勤めるまで育てあげた。しかし多喜二は高給取りでありながらも、貧しい人の暮らしに目を向け、反戦運動や労働運動、小説の執筆活動へとその軸足を移していく。多喜二の小説は治安維持法下で危険思想とみなされ、多喜二は特高警察の拷問によって29歳の若さで亡くなった。その折、セキは教会に誘われイエスの話を聞く。多喜二が悪いことをしていないと信じるセキは、何も悪いことをしていないのに処刑されたイエスに息子の姿を重ね合わせる。息子の死に直面した母の姿がキリスト教の信仰との関わりのなかで描かれる。
1987年、デンマーク、監督:ガブリエル・アクセル、舞台となる地域:デンマーク
19世紀、デンマークの田舎町。敬虔なルター派牧師の父を持つマーティーネとフィリパの姉妹は、若いときにはその美貌から多くの男性たちを惹きつけ求愛を受けたが、父親に付き従って信仰の道を歩むため、結婚することなく、清貧な暮らしのなかで静かに歳を重ねていった。父が亡くなってずいぶんたったある日、姉妹のもとにパリ・コミューンによる反乱で家族を亡くし、デンマークへ亡命してきたフランス人女性のバベットが転がり込んでくる。バベットを哀れに思った姉妹は彼女を家政婦として雇う。そうしたなか、姉妹は父親が亡くなってから信徒たちの間で信仰の翳りが目立つことに気づき、父親の生誕100周年を記念した食事会を開くことを思いつく。一方、宝くじに当たったバベットは、この食事会に自前でフランス料理を振る舞いたいと申し出る。自らの恋愛や幸せよりも、寒風吹き荒ぶ厳しい田舎町で他者に奉仕する人生を選んだ姉妹と、実はパリで料理人として大成したが全てを失ったバベットの人生が交錯する様が描かれる。
2012年、オーストリア/ドイツ/フランス、監督:ウルリヒ・ザイドル、舞台となる地域:オーストリア
熱心にキリスト教(カトリック)を信仰する妻の元に、事故にあって半身不随となったムスリムの夫が2年ぶりに帰宅する。夫の留守中、妻は信仰にのめりこみ、聖母マリア像を抱えひたすら伝道にエネルギーを傾けるようになっていた。そうした妻の姿に夫は驚きを隠すことができず、2人は激しくぶつかり合う。人間の弱さ、宗教と性などの問題について描かれている。
1984年、フランス/イタリア/西ドイツ、監督:ジャン=ジャック・アノー、舞台となる地域:イタリア
山上のベネディクト修道院を訪れていたフランシスコ修道会のウィリアムと修道士見習いのアドソは、修道院で発生した謎の連続殺人事件の解明を依頼される。ウィリアムは、事件の鍵が修道院の中の閉ざされた図書館にあると考えるが、教皇派の異端審問官は、元異端の修道士と村の娘の魔術のせいであるとし、彼らの処刑を命じる。作品中では、中世における修道院の生活や異端をめぐる対応などをうかがうことができる。
1994年、アメリカ、監督:クエンティン・タランティーノ、舞台となる地域:アメリカ
ファミレスで強盗計画を立てるカップルのシーンから始まり、ギャングの殺し屋であるヴィンセントがボスの妻とデートをする話、ギャングのボスに八百長を持ちかけられたが裏切り逃走するボクサーの話、ヴィンセントと相棒の殺し屋ジュールスが起こす騒動という3つのストーリーが通常の時系列とは異なる順序で語られる。このうち、殺し屋の一人であるジュールスは殺しを行う前に、どこかの映画で使用された旧約聖書のエゼキエル書25章17節をモデルとする独自の台詞を暗唱するのを常としてきたが、映画の終盤ではその日にあった出来事から「神の奇跡」を感じて改心し、狂騒的な映画のラストを静謐なシーンで飾ることになる。
2003年、アメリカ、監督:ジョナサン・リン、舞台となる地域:アメリカ
アメリカ南部、ジョージア州モンテカルロにあるバプテスト教会を舞台に、教会のクワイア(聖歌隊)を南部のゴスペル大会で優勝させるために奮闘する主人公ダリンの活躍を描く。映画のモデルとなっている南部バプテスト教会は、アメリカのキリスト教の中でも大きな勢力をもつ教派である。ゴスペルやR&Bといった音楽であふれる賑やかなコメディ映画であるが、黒人コミュニティにおける教会の存在感をうかがうことができる。
2008年、アメリカ、監督:セス・ゴードン、舞台となる地域:アメリカ
アクシデントによってクリスマスの旅行がキャンセルになり、両家族のもとでクリスマスを過ごさざるを得なくなった一組のアメリカ人カップルの物語。お互いの両親は離婚しているために、計4つの家のクリスマス(フォー・クリスマス)に付き合うこととなる。家族のドタバタコメディーではあるが、現代の米国において人々がどのようにクリスマスを過ごしているのかをうかがうことができるだろう。
2006年、アメリカ、監督:ヘンリー・シンガー、舞台となる地域:アメリカ
「9・11」の同時多発テロの際、ツインタワーから飛び降り降下しつつある男性の写真が公開された。本作は、この男性が誰であるのかを探し出そうとするドキュメンタリーである。最初にその当人であると目された男性の家族が登場するが、彼らは怒りをあらわにし、その写真の男は他人であると主張する。なぜなら、飛び降りたというその行為は「自殺」であり、敬虔なキリスト教徒である彼らにとって自殺は認められないからである。死をめぐる宗教的信念に根ざした規範がいかに強固なものかを垣間見ることが出来る。
2019年、イギリス/アメリカ/イタリア/アルゼンチン、監督:フェルナンド・メイレレス、舞台となる地域:イタリア/アルゼンチン
2013年、当時のローマ教皇ベネディクト16世が、1415年のグレゴリウス12世以来、初めて本人の自由意志により教皇職を辞任し、史上初のアメリカ大陸出身教皇としてベルゴリオ枢機卿が新教皇に就任するという事件があった。この歴史的交代劇を、実話をベースにフィクションも交えて描いた映画である。当時のカトリック教会は、神父による児童性的虐待や、内部機密文書漏洩(バチ・リークス)など、その体制を揺るがす様々な問題の渦中にいた。ただし、この映画で保守派のベネディクトと進歩派のベルゴリオという対照的な二人が織りなす対話は、政治的問題よりは彼らの信仰の内面に迫っており、現代における教会や聖職者、宗教のあり方を深く考えさせられるようになっている。
2007年、日本、監督:山田火砂子、舞台となる地域:日本
明治時代、日本初の知的障害者施設の設立に尽力し、自らの子どもの知的障害とも向き合った石井筆子の生涯を描く。作品中ではそれほど強調されてはいないが、筆子とその夫の亮一はともにキリスト教徒(日本聖公会)であった。短時間ながらも筆子が子どものころに目撃したキリシタン弾圧の様子も描かれている。また、社会福祉的な活動に心血を注ぐ筆子の姿勢も彼女の信仰と無関係ではないだろう。
1972年、イタリア/イギリス、監督: フランコ・ゼフィレッリ、舞台となる地域:イタリア、バチカン
中世イタリアにおける最も著名なカトリックの聖人「アッシジのフランチェスコ」(フランシスコ修道会を興したことでも知られる)の半生を描く。イタリア・アッシジの裕福な家に生まれた彼は、十字軍の遠征から戻ったある日、教会にある木製のイエス像の目が開いたことに気づき、何かに目覚める。身につけているものすら捨てて生まれ変わったことを宣言した彼は、家族のもとを離れ、サン・ダミアノ教会で少数の弟子たちと信仰生活を始める。地上の権威を否定し、清貧を説く彼の言葉には、ローマ教皇さえも心を動かされたのであった。
2018年、アメリカ、監督:スパイク・リー、舞台となる地域:アメリカ
1970年代のアメリカ、コロラド州コロラド・スプリングス。アフリカ系アメリカ人として初めて警察巡査に採用されたロンは、いまだ根強く残る黒人への差別や偏見と闘いながら、同僚のフリップとともに、白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)へ潜入捜査を試みる。KKKはプロテスタント・アングロ・サクソン人を中心とした反黒人主義的団体だが、のちにキリスト教原理主義とも結びついているため、反ユダヤ人的側面も持つ。黒人のロンと、白人だがユダヤ人のフリップは、潜入捜査のなかで様々な危険に直面しつつも、黒人集会を狙ったKKK過激派のテロ行為を食い止めようと奔走する。コメディ調で描かれる本作だが、そのテーマは重くアメリカ社会の根深い問題を痛烈に風刺している。
2009年、日本、監督:井上都紀、舞台となる地域:日本
一人の日本の修道女(シスター)を主人公にした作品。魅力的なバレエダンサーとの出会いや自分に付きまとう男性の存在が、人より早く更年期にさしかかった彼女の心身を苦しめ、迷わせていく。シスターをモデルとしながらも、宗教的な要素はあまり多くなく、むしろその苦悩する姿は女性一般に共通するものである。
1992年、イギリス、監督:ピーター・リチャードソン、舞台となる地域:バチカン
教皇の死去に伴い、次の教皇を選出するコンクラーベが開催される。そこで選出されたのは、マフィアと手を組んだ枢機卿であった。しかし、耳の遠い書記官のミスで名前が誤って記載され、田舎の陽気な司祭が次期教皇となってしまう。これまでにない自由な言動をする新しい教皇とその失脚をもくろむマフィアとの闘いが描かれる。現実離れしたコメディではあるが、カトリック教会の政治性、避妊や女性司祭をめぐる問題などに対する鋭い批判が盛り込まれている。
2005年、韓国、監督:シン・ドンイル、舞台となる地域:韓国
信仰をもつ者と持たざる者の交流を描いた韓国の作品。妻と別れワンルームですさんだ生活を送る無職のホジュンは、ある日浴室に閉じ込められ気を失いかける。助けを求める彼の微かな声を聞きつけたのは、宗教の勧誘に来たケサンであった。二人は少しずつ親しくなるが、ケサンが勧誘を目的に近づいてきたのではないかというホジュンの警戒は消えない。しかし、彼との交流を通してホジュンは自らのすさんだ生活を見直していく。
2000年、アメリカ、監督: エドワード・ノートン 、舞台となる地域:アメリカ
カトリックの神父・ブライアンとユダヤ教のラビ・ジェイク、そして敏腕ビジネスウーマンのアナという幼馴染3人をめぐるラブコメディ―。ブライアンとジェイクは久しぶりに再会したアナに恋心を抱くが、カトリックにおいて神父の妻帯は認められておらず、またユダヤ教においても非ユダヤ教徒と結婚することについては困難が伴うことが多い。コメディー映画ではあるものの、自らの信仰と恋愛の間で揺らぐ聖職者の葛藤という重いテーマが核となっている。
2010年、アメリカ/スペイン、監督:エミリオ・エステべス、舞台となる地域:アメリカ、スペイン
アメリカ・カリフォルニアに住むトムは、ある日一人息子のダニエルがスペインにあるサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼中に亡くなったという訃報を受け取り、スペインとフランスの国境沿いの町まで亡骸を引き取りに行く。眼科医として真面目に生きてきた自負のあるトムは、学業を放棄し旅に出た息子の行動が理解できず、不和のまま別れることになってしまったが、火葬された息子の遺灰を受け取り帰国しようとしたそのとき、息子の果たせなかった巡礼の旅に自らが向かうことを決意する。サンティアゴ・デ・コンポステーラは12使徒のひとり聖ヤコブの遺骸を祀ったキリスト教の聖地であり、そこへ至る巡礼路はフランスからピレネー山脈を越え800㎞にも及ぶ。巡礼路とは言っても、近年ではこの映画の登場人物たちのように、キリスト教徒だけでなく、自分探しやスピリチュアルな体験を求める人々が多く訪れている。
【世界遺産サンティアゴ・デ・コンポステーラとその巡礼路が舞台となっている。】
2002年、アメリカ、監督:ジョエル・ズウィック、舞台となる地域:アメリカ、ギリシャ
ギリシャ系米国人女性トゥーラと、典型的な白人中流階級の男性イアンが、家族の反対や文化の違いを乗り越えて結婚するまでの道のりをコミカルに描く。イアンがギリシャ正教徒になるために洗礼を受けるシーンや二人の結婚式のシーンには、ギリシャ正教の儀礼が行われる。また、トゥーラの家族の日常を通して、祖国の宗教伝統と深く結びついた移民たちの暮らしぶりも描かれている。
1952年、アメリカ、監督:フレッド・ジンネマン、舞台となる地域:アメリカ
クェーカーのエミイと結婚したばかりの保安官・ケーンは、5年前に自分が逮捕、投獄したミラーが保釈され、復讐のために町にやって来ることを知る。ミラーは弟と仲間を連れて複数人で来るため、ケーンは町の人々に手助けを頼むものの、断られてしまう。また、クェーカーの非戦・非暴力の信仰ゆえに、エミイは闘いを避けケーンを置いて町を出てしまう。孤立無援のなか、覚悟を決めてミラーたちと対峙するケーンの死闘を描く西部劇映画。クェーカーの信仰とケーンへの愛で揺れるエミイが、決闘の行方を左右する。
2006年、アメリカ、監督:キャサリン・ハードウィック、舞台となる地域:中東周辺
天使ガブリエルによる受胎告知からイエス誕生までを中心に聖母マリアの半生を描く。新約聖書の4つの福音書ではイエスが十字架にかけられるまでが中心となっているため、その母であるマリアに関する記述は少ないが、カトリックや正教会の信徒の間ではマリアに対する崇敬は非常に篤く、その半生も良く知られたものとなっている。本作は、そうした聖母マリアの物語について学ぶきっかけとなるだろう。
2006年、アイルランド/イギリス/フランス、監督:ケン・ローチ、舞台となる:アイルランド、イギリス
北アイルランド紛争はカトリック(アイルランド)とプロテスタント(イギリス)の間の対立という側面を強くもっている。主人公のアイルランドの青年は、イギリス兵士たちに抵抗する人々の姿に心うたれアイルランド独立のための闘いへと身を投じていく。1921年に停戦、講和条約が結ばれるが、今度はこの条約をめぐってアイルランド内部で対立が起こり、主人公はかつての仲間との争いを余儀なくされる。
1975年、イギリス、監督:テリー・ギリアム、テリー・ジョーンズ、舞台となる地域:イギリス
キリスト教文化の下で生まれたアーサー王伝説を、コメディ集団であるモンティ・パイソンがパロディ映画化した作品。アーサー王が聖杯を探すために妖精や魔法使いの手助けを受けて旅をするというストーリーは伝説に沿っているが、馬に乗る代わりに従者が足音をココナッツの実をこすり合わせて出しているなど、どこかおかしなものになっており、とりわけ「黒騎士」「キラー・ラビット」「聖なる手榴弾」のシーンは有名。それでもキリスト教の終末論的集団である鞭打ち苦行団のシーンがあるなど、中世ヨーロッパの雰囲気は再現されている。後にミュージカル化もされたが、その際には映画ライフ・オブ・ブライアンの劇中歌が用いられている。
1979年、イギリス、監督:テリー・ジョーンズ、舞台となる地域:エルサレム
イギリスのコメディ・グループのモンティ・パイソンによる、イエス・キリストが生きた時代を舞台にしたコメディ映画。偶然キリストと同じ日に隣の家で生まれた平凡な男ブライアンは、勘違いした東方の三賢者から祝福を受けたり、ローマ人からの逃亡中に適当に行った説教によって民衆から救世主に祭り上げられるなどし、しまいには十字架にかけられ命を落としてしまう。キリスト教を風刺したような映画のプロットは宗教関係者を中心に強い反発を引き起こしたが、磔刑の場面で歌われた劇中歌「Always Look on the Bright Side of Life」は2012年のロンドンオリンピック閉会式でも使用されるなど、いまやイギリスの国民的ナンバーになっている。
2005年、フランス、監督:ラデュ・ミヘイレアニュ、舞台となる地域:イスラエル、エチオピア、スーダン
エチオピアには黒人のユダヤ人が住んでいる。聖地エルサレムへの帰還は彼らの夢であり、それを実現させるために1984年彼らを空路でイスラエルへと連れていく作戦(モーセ作戦)が行われた。主人公はその計画の際、ユダヤ人と偽ってイスラエルへと里子に出された少年である。本当はユダヤ人ではないことへの負い目、黒人に対する差別、そして彼を送り出した母への思いなどが、宗教や民族という問題を背景にしながら展開される。
【嘆きの壁のシーン等で世界遺産エルサレムの旧市街とその城壁群が登場する。】
2009年、フィンランド、監督:クラウス・ハロ 、舞台となる地域:フィンランド
殺人罪で終身刑となっていたレイラは恩赦を受けて出獄し、年老いた牧師のヤコブに引き取られる。ヤコブは、自分の元に届いた信徒からの手紙に返事を書くことを日課としており、レイラに手紙を読み上げを依頼をする。レイラにとってその仕事は煩わしいものであった。ところが、ある日を境にヤコブの元に手紙が一通も届かなくなり、生きがいを失ったヤコブは急激に衰えはじめる。レイラは、ヤコブもまた心に深い悩みを抱えていることを知り、彼に対して次第に心を開いていく。
1956年、アメリカ、監督:ウィリアム・ワイラー、舞台となる地域:アメリカ
1650年代ジョージ・フォックスによって開始されたキリスト教の一教派であるクエーカーは、その敬虔な生活と非戦・非暴力で知られる。そのクエーカーの一家が、南北戦争の只中、南軍が押し迫まっている状況でどのように信仰と向き合っていくのかが描かれる。
1967年、ソ連、監督:アレクサンドル・ブトゥシコ、舞台となる地域:ロシア
神学校の学生ホマーと魔女との戦いを描くロシア映画。魔女は円陣の中で祈祷文を読み上げるホマーに触れることも、また彼を見ることもできないが、あらゆる魔物たちの手を借りてホマーを執拗に攻撃する。神学生ホマーに代表される正教会の伝統と、魔女や魔物といったキリスト教が普及する以前のロシアの民間信仰的要素が混在している点が興味深い。
2011年、イタリア、監督:エルマンノ・オルミ、舞台となる地域:イタリア
映画の舞台は、人々に無用とされ取り壊しが始まったイタリアの教会。50年間教会を守ってきた老司祭が悲嘆にくれるところへ、アフリカからの不法移民が逃げ込んできた。神父は「慈善を施すのが危険なら、その時こそ慈善を施すべき時」と彼らを受け入れる。十字架まで撤去された教会で、カトリックの典礼を知らない移民たちと向き合い、信仰の本義に返ろうとする老司祭の姿を描いた寓話的作品。
2009年、アメリカ/イギリス/ニュージーランド、監督:ピーター・ジャクソン、舞台となる地域:アメリカ
14歳の少女が連続殺人犯に殺害される。犯人も遺体も発見されないまま、家族は彼女の死によってばらばらになっていく。殺害された少女は、美しいあの世で楽しく過ごしていたが、事件の真実と家族の崩壊に心を痛め、あの世から家族に必死に訴えかけようとする。家族もその気配を感じ取り、次第に犯人が明らかになっていく。生と死についての伝統的理解を離れた、現代的死生観の一端があらわれていると言えるだろう。
2009年、オーストリア/フランス/ドイツ、監督:ジェシカ・ハウスナー、舞台となる地域:フランス
聖母マリアの出現で知られカトリックの有名な巡礼地となっているルルドには、治癒を求めて多くの人が集う。本作では、手足の不自由な主人公の若い女性がルルドを訪れ、その後奇跡的に手足の自由を得る。彼女の身に起こったことを奇蹟であると受け止める人もいれば、なぜ信仰心の薄い彼女にそうした奇蹟が生じたのか、羨望と妬みのまなざしを向ける人もあらわれる。信仰や奇蹟、神の力について考えさせる内容になっている。
2011年、イタリア/フランス、監督:ナンニ・モレッティ、舞台となる地域:バチカン,イタリア
人間味あふれるカトリック聖職者の姿を描いたモレッティ監督のコメディ映画。ローマ教皇の死後、コンクラーベ(次期教皇を選出する選挙) が行われるが、候補となる枢機卿は、みな「どうか私が選ばれませんように」と祈っている。ようやく選ばれたメルヴィル枢機卿は重圧に耐えかね、自分には無理と叫びローマの町に逃げ出してしまう。町をさまよい、「休日」を楽しみながらも、自分の人生は何だったのかと内省する枢機卿。権威的なバチカンへの皮肉とともに、人間の弱さを愛すべきものとして描いた人間賛歌になっている。
1941年、アメリカ、監督:ジョン・フォード、舞台となる地域:イギリス
19世紀末、ウェールズの炭鉱町に暮らすモーガン一家の行く末を、厳しくも美しい谷の生活とともに描いた作品。モーガン家の末っ子ヒューは、炭鉱で働く父親と5人の兄、しっかり者の母と姉と賑やかな毎日を過ごしていた。しかし、炭鉱主による突然の賃金引下げをきっかけに、谷には不安が立ち込め、人々と家族の生活は大きく様変わりしていく。物語の冒頭で、初老になったヒューが思い出すかつての幸せな日々は、尊敬される牧師と日曜日に教会へ集う人々、聖書を朗読する厳格な父親など、生活に根ざした信仰のあり方とともに描写される。
2006年、韓国、監督:ソン・ペソン、舞台となる地域:韓国
自殺を繰り返す元歌手のユジョンと死刑囚ユンスの交流を通して、「罪」や「赦し」といったテーマを描く韓国映画。物語のなかで神父やシスター、牧師がごく自然に登場するシーンには、キリスト教信者が3割を超える韓国の宗教事情がよくあらわれている。