その他

その他

あなたへ

2012年、日本、監督:降旗康男、舞台となる地域:日本

妻を亡くした主人公は、妻の遺言にしたがい、北陸から妻の故郷である長崎の港に向かい、漁船に乗って沖に出て、海に妻の遺骨を撒こうとする。道中でさまざまな出会いを経験しながら、彼は散骨の瞬間に、生前には語られることのなかった妻の本当の思いを理解する。海への散骨が物語の鍵として重要な役割を果たしている。


アポロンの地獄

1967年、イタリア、監督:ピエル・パオロ・パゾリーニ、舞台となる地域:ギリシャエジプト

現代のイタリアで、とある夫婦に息子が生まれる。母親は息子を可愛がるが、父親は自分の息子が妻の愛を奪いとるだろうという強い予感を抱く。舞台は一転して古代ギリシャに移る。荒野に置き去りにされた幼い赤子が拾われ、神からの授かりものとしてコリントス王のポリュボスと王妃のメロペーにより実の息子のように育てられる。オイディプスと名付けられ成長した青年は、自分が王夫妻の実子でないことを疑い、真実を得ようとアポロンの神殿に行くが、そこで「実の父親を殺し母親と情を通じるだろう」という不吉な予言を授かり、コリントスに戻れず放浪することになる。古代ギリシアの詩人ソポクレスによる、ギリシャ神話を題材にした悲劇『オイディプス王』を下敷きとするが、古代ギリシャの物語を現代の描写で挟み、我々に不気味なリアリティを突きつける構造となっていることがこの映画の特徴である。


アンジェリカの微笑み

2010年、ポルトガル・スペイン・フランス・ブラジル 、監督:マノエル・ド・オリヴェイラ、舞台となる地域:ポルトガル

カメラ好きの青年イザクは、若くして亡くなった美しい女性アンジェリカの遺体の撮影を依頼される。ウェディングドレスのような白い死装束に身を包む彼女にピントをあわせると、彼女はイザクに微笑みかけた。アンジェリカに魅せられたイザクは以来、ことあるごとにアンジェリカの幻影を見るようになる。寝ても覚めてもアンジェリカを忘れられないイザクは、夢うつつのなかで神経をすり減らしていく。本作はイザクが彼女の幻影に苛まれるという怪談のような設定の亡霊譚であり、死と生、彼岸と此岸(あの世とこの世)、夢と現実、精神と肉体、非物質と物質といった境界線が曖昧になる世界が幻想的に描き出されている。


生きる

1952年、日本、監督:黒澤明、舞台となる地域:日本

市役所で市民課課長として書類に判子を押すだけの無気力な日々を送っていた渡辺幹治は、ある日、体調不良を感じ病院へ行った折、自分が胃癌で余命数ヶ月であることを悟る。突然自らの死に直面し、生きる意味を見失った渡辺は、仕事を無断欠勤したり、夜の歓楽街をさまよってみたりするが、虚しさが消えることはない。そうしたなか、市役所で部下として働いていた小田切とよと街中で偶然に遭遇する。自分の意思に忠実で自由な小田切の奔放さに惹かれ、ともに時間を過ごすうちに、渡辺は生きる意味を求め自身の余命のことを小田切に打ち明ける。迫りくる自らの死を前に、生きる意味を切実に求める一人の男性の姿が描かれる。

遺体―明日への十日間

2013年、日本、監督:君塚良一、舞台となる地域:日本

2011年3月11日の東日本大震災で多くの死者が出たことにより、被災地では多数の遺体をどうしたらいいのか、深刻な問題が生じた。こうした実情を岩手県釜石市の遺体安置所での取材を基に映画化した作品。安置所で遺体と向き合う人々の様子を描く。


愛しのゴースト

2013年、タイ、監督:バンジョン・ピサヤタナクーン、舞台となる地域:タイ

タイの有名な伝説「プラカノーンのメー・ナーク」をベースにした作品で、タイ国内で大ヒットした。戦地からプラカノーン村に戻った主人公のマークは、妻のナークの様子が変わっていることに気付く。村の人々がナークを幽霊だと噂していることを知ったマークは、さまざまな方法でそれを確かめようとするという物語。悪霊や悪霊払いをめぐるタイの民間信仰が垣間見れる。


雨月物語

1953年、日本、監督:溝口健二、舞台となる地域:日本

上田秋成による読本『雨月物語』の中の「浅茅が宿」と「蛇性の婬」を原作とし、脚本を加えて一本の映画に仕上げた作品。貧しい農村で妻の宮木と息子とつつましく暮らす源十郎と、その義弟である藤兵衛・阿浜の夫婦をめぐる悲劇の物語。時は戦国時代、戦による活況で焼物が飛ぶように売れると知った源十郎と藤兵衛は、それぞれ金のため、侍になるという目的のために、平穏な暮らしを捨て城下へ向かう。市で出会った没落貴族の姫・若狭に心を奪われた源十郎は、妻子のことを忘れ若狭と夫婦の契りを交わす一方で、市で金を手に入れた藤兵衛は具足と槍を買って侍の軍勢に紛れ込み、偶然立てた手柄で出世する。戦国時代という舞台を背景に、妖しさと欲望、愛憎が取り返しのつかない悲劇を生み出す様を描いている。


牛首村

2022年、日本、監督: 清水崇、舞台となる地域:日本

富山県に実在する心霊スポット、坪野鉱泉を題材とした創作ホラー映画。主人公は、坪野鉱泉で起こった自分に瓜二つの少女の失踪事件を追いながら、古くからの因習にとらわれた村の存在に近づいていく。坪野鉱泉で起こった怪異には、村において信仰される、「牛の首」に対する伝承と民間呪術が深くかかわっており、片方が人間、もう一方が牛の首の形をした二対の仏像や、家に置かれた牛の掛け軸・置物・御札などを通して、村における牛への信仰が随所で描かれている。民間伝承や呪術といった伝統的な信仰儀礼と、心霊スポットや心霊現象などの現代の怪異とが接続する形で進む本作からは、呪術や怪異に関する現代人の理解や、メディアにおける描かれ方を知ることができる。


オッド・トーマス 死神と奇妙な救世主

2013年、アメリカ、監督:スティーヴン・ソマーズ、舞台となる地域:アメリカ

「オッド(奇妙な)」という風変わりな名前を持つ青年オッド・トーマスは、死んだ者の霊を見る特殊な能力を持ち、その力を活かして未解決殺人事件の犯人を捕まえる日々を送っていた。彼は死んだ霊とともに、凄惨な殺人の現場を好むボダッハと呼ばれる怪物を見ることができたが、ある日、彼はそのボダッハの動向から、彼と最愛の恋人ストーミーが住むピコムンドの町で大量殺戮事件が起こることを予期し、それを阻止するため独自に調査を進めることになる。本作の世界において、死者は生者に対し喋りかけることはできないものの、様々な方法を使って霊を見るオッドに語りかけ、彼の捜査を手助けする。死者を見ることができるオッドはまるで生きている人に対するように死者と交流し、死後の世界の存在についても明確に描かれる。


おー!まい!ごっど!神様からの贈り物

2013年、日本、監督:六車俊治、舞台となる地域:日本

自殺の巻き添えで死んでしまった主人公は、天国と地獄の境界で天国に行くための課題をゴンゲン様から与えられる。それは、現世に戻って4人の女性を立派なレディーにするというもの。自称「天界のドラァグクイーン」ウメチャンの力をかりて、主人公はこの難局に挑む。ドラァグクイーンとダンサーたちが歌って踊る賑やかな「あの世」が描かれたミュージカル映画。


おみおくりの作法

2013年、イギリス/イタリア、監督:ウベルト・パゾリーニ、舞台となる地域:イギリス

都会で孤独な死を迎えた身寄りのない人々の尊厳に向き合う作品。市役所の民生係ジョンは、孤独死した人々の親類縁者を探し出し、自分で弔辞を書いて葬儀を執り行うなど誠実に職務に取り組んできたが、丁寧すぎる仕事ぶりを批判され、事業の合理化のためと解雇を告げられる。今後は、遺体を流れ作業で回収、火葬し、遺骨をまとめて共同墓地に放り込むことに。映画は、ジョンが手掛けた最後の仕事を丁寧に描きながら、死と弔いを通じてつながり合う人間模様を浮き彫りにする。


神様のカルテ

2011年、日本、監督:深川栄洋、舞台となる地域:日本 

地域病院に勤務する一人の男性医師が主人公。大学病院の教授から見込まれた彼は、大学病院の医局に移るか地域の小さな病院に残るかの選択を迫られる。そんな中、余命わずかと宣告され大学病院から見放された一人の癌患者と出会うことによって、彼の心境に変化が生じる。主人公が妻とともに小さな神社の前で手を合わせるシーンがあるが、こうした描写は多くの日本人にとって自然な「神様」の在り方として捉えられることだろう。 


観相師―かんそうし―

2013年、韓国、監督:ハン・ジェリム、舞台となる地域:韓国 

人の顔を見ることで性格や運勢を見抜くことができる天才観相師のネギョンが主人公。15世紀半ば、朝鮮王朝を揺るがせた王位簒奪のクーデター事件を題材にしている。貧しい生活をおくっていたネギョンであったが、観相師としての評判が宮廷にまで伝わり、要職に抜擢される。反逆を警戒した王は重臣たちの人相をネギョンに判断させるが、それによってネギョンは王朝の覇権争いに巻き込まれていく。 


危険なメソッド

2011年、イギリス/ドイツ/カナダ/スイス、監督:デヴィッド・クローネンバーグ、舞台となる地域:スイス

精神分析医ユングと女性患者ザビーナとの男女関係を絡めながら、ユングとフロイトとの対立が描かれる。ユングとフロイトの手紙のやり取りや別れのきっかけとなった出来事等は、史実に基づき構成されている。宗教的象徴をめぐる両者の立場の相違、すなわち超常現象、オカルト的現象をどのように扱うのかという問いに立ち向かったユングと、あくまでも「科学的」研究の立場を堅持しようとしたフロイトの立場の対立は、今なおリアルな問題として存在しているといえる。 


黒いオルフェ

1959年、フランス/イタリア/ブラジル、監督:マルセル・カミュ、舞台となる地域:ブラジル

ギリシャのオルフェウス神話をモチーフにした恋愛悲劇。舞台はブラジル。若い娘ユリディスが謎の男に追われ、主人公オルフェが彼女を匿う。オルフェはユリディスに心奪われるが、オルフェには勝気な婚約者ミラがいた。ユリディスは嫉妬するミラから追い続けられるうちに、謎の男につかまってしまう。オルフェが助けに行くが、時すでに遅く、彼女は殺害される。オルフェはユリディスの遺体を運びながら憑霊集会に赴く。


劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル

2010年、日本、監督:堤 幸彦、舞台となる地域:日本

死亡した霊媒師の後継者となる最強の霊能力者を選出するため、人里離れたとある村で「霊能力者バトルロワイヤル」が開催されることとなる。主人公の山田奈緒子と上田次郎は、霊能者たちの中に紛れ込み彼らのインチキを暴こうとするが、次々と候補者が殺害される事態に巻き込まれていく。作品中に描かれている霊能者たちの姿には、日本人が霊能者にもつイメージが少なからず反映されているといえよう。


ゲゲゲの鬼太郎

2007年、日本、監督:本木 克英、舞台となる地域:日本

歴史上の人物の怨念が閉じ込められた「妖怪石」をめぐって繰り広げられる鬼太郎と仲間の妖怪たちの物語。水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」は何度もアニメ化や実写化が繰り返されており、妖怪と人間との交流を描く彼の作品が高い人気を保持していることがわかる。こうした作品を通して、日本の民俗信仰が再活性化されているとも考えられる。


恋する輪廻~オーム・シャンティ・オーム

2007年、インド、監督:ファラー・カーン、舞台となる地域:インド

脇役俳優の主人公のオームは、人気女優のシャンティに恋をする。しかし、シャンティは恋人のムケーシュに命を狙われていた。殺されそうになった彼女を助けるために命を落としたオームは生まれ変わり、超人気俳優になる。前世の記憶を次第に取り戻した彼は、ムケーシュへの復讐を心に決める。輪廻転生が物語の鍵となる。 


コッポラの胡蝶の夢

2007年、アメリカ/ドイツ/イタリア/フランス/ルーマニア、監督:フランシス・F・コッポラ、舞台となる地域:ルーマニア、スイス 

ルーマニア生まれの著名な宗教学者、ミルチャ・エリアーデの小説『若さなき若さ』を原作とした作品。雷に打たれて身体的な若さと驚異的な頭脳を手に入れた言語学者のドミニクと、同じく雷に打たれて前世の言葉を話すようになったヴェロニカ、二人が出会い、恋に落ちる。物語には、エリアーデが学んできた東洋思想(インド哲学等)のモチーフが織り込まれている。 


コンタクト

1997年、アメリカ、監督:ロバート・ゼメキス、舞台となる地域:アメリカ


地球外知的生命体の探査を行う科学者のエリーは、実用的でない研究という理由で理解を得られず研究費削減などの憂き目にあうが、逆境のなかで真実を追い求め、ついに26光年離れた惑星ヴェガからの信号受信に成功する。エリーを含めた科学者たちは、早速宇宙から送られてくるメッセージの解読に取り掛かるが、周囲では地球侵略や外交問題を懸念する国家、科学者を批判する宗教家、手柄をめぐる科学者の権力争いなど、地球外知的生命体をめぐって様々な駆け引きが狂騒的に繰り広げられる。そして常に合理性を重んじ宗教的懐疑論者の立場を貫いてきたエリーは、地球外知的生命体との接触を通じて、神秘主義に心を開いていく。後の様々なSF作品に大きな影響を与えた本作だが、物語の軸には科学と宗教をめぐる大きな問いが据えられている。


最高の人生の見つけ方

2007年、アメリカ、監督:ロブ・ライナー、舞台となる地域:アメリカエジプトインド

病院でたまたま同室となった自動車整備工のカーターと、病院経営者のエドワード。二人はともに余命いくばくもないことを宣告される。彼らは棺桶に入るまでにやりたいことのリストを作成し、次々と実行していく。信仰をもち家庭を大切にするカーターと俗的な楽しみを追及する富豪のエドワードという対照的な二人の対話には、現代アメリカ人の信仰や成功、倫理に関する考え方が垣間見られる。


ザ・シークレット

2006年、オーストラリア、舞台となる:オーストラリアアメリカ 

ポジティブな思考がポジティブな結果を生むという「引き寄せの法則」は、19世紀以降のアメリカで流行した大衆宗教思想、「ニューソート」の延長線上にあるものであり、現在も多くの自己啓発書等に認めることができる。本作は、再現映像やアメリカの自己啓発系・スピリチュアル系作家へのインタビューを通して、この法則の素晴らしさを訴えるものとなっている。


里見八犬伝 

1983年、日本、監督:深作 欣二、舞台となる地域:日本

静姫は、かつて城を滅ぼされた恨みによって怨霊となった玉梓に追われていた。彼女は、玉梓や他の怨霊を討つために、各地に散らばった仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の玉をもつ8人の犬士を集める旅に出る。滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』を大幅に翻案したストーリーの中には、怨霊、もののけ、異種婚、生まれ変わりなどの民俗信仰的要素が数多く盛り込まれている。また、それぞれの玉の名からも明らかなように儒教的要素も色濃く反映されている。


祝祭 

1996年、韓国、監督:イム・グォンテク、舞台となる地域:韓国

韓国の葬儀の習俗と、そこに集う家族が抱える問題を描く韓国映画。ストーリーのみならず、丁寧に再現された葬儀の様子は文化人類学的・民俗学的にも興味深いものとなっている。作品中で描かれるのは、現代韓国でも珍しくなった昔ながらの葬儀であり、死者の死出の旅の準備から納棺、歌手による手向けの歌、埋葬、慰霊儀礼と、その工程は3日間にわたる。


少林寺三十六房

1977年、香港、監督:リュー・チアリァン、舞台となる地域:中国

17世紀、清の時代の少林寺における修行の階梯と、それを乗り越えていく主人公の成長が描かれる。舞台とのなるのは、崇山少林寺である。この古刹には、達磨太子が壁に向かって9年間座り続けたという伝説が残っている。さらに、曹洞禅を伝えた寺としても知られている。ちなみに、崇山少林寺と日本少林寺拳法とはまったく別の組織であるが、日本少林寺拳法も曹洞禅の教えを一部取り入れており、両者は交流を続けている。


新少林寺

2011年、中国/香港、監督:ベニー・チャン、舞台となる:中国

20世紀初頭、軍閥同士の覇権争いに少林寺の僧たちも巻き込まれていく。拳法で知られる少林寺は禅宗であるが、劇中で死者への供養のため「南無阿弥陀仏」と唱えられている。それは中国では日本とは異なり、禅宗と浄土教が融合したためである。ストーリー自体はそうした宗教的背景を直接的に反映したものではないが、部分的に中国における仏教文化を感じることが出来る。


スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ

2007年、日本、監督:三池崇史、舞台となる地域:日本

源氏と平家というギャングたちの抗争を西部劇風に描いた日本映画。劇中に登場する町はずれの鳥居は、物語が進むにつれ白にも赤にも塗り替えられ、また死体がぶら下げられたりもする。この鳥居に死体がぶら下がっているというシーンがポスターに使われたことから、神社関係者の一部が抗議をするという事態が起こった。ストーリー自体に宗教はあまり関係していないが、鳥居の表象をめぐるこうした議論は興味深いものだろう。


救いたい

2014年、日本、監督:神山征二郎、舞台となる地域:日本

東日本大震災の被災地を舞台に、震災で大切な人を失った人々の苦しみと復興への勇気を描く。中心となるのは麻酔科医の川島隆子と夫で同じく医師の貞一。貞一は震災後、被災地に診療所を立上げ、隆子もそこで悲しみを抱えながら生きる人々と向き合っていく。地元の祭りの復活が、復興への希望として象徴的に描かれる。


ステキな金縛り

2011年、日本、監督:三谷幸喜、舞台となる地域:日本

妻を殺した犯人として起訴された男にはアリバイを証明するたった一人の証人がいたが、それは落ち武者の幽霊であった。事件当日、この幽霊が被告人を金縛り状態にしていたために、彼には犯行が不可能であったのだ。主人公の女性弁護士はこの幽霊を法廷に立たせるが、幽霊の姿を見ることができるのは一部の人のみに限れらていた。死者との交流がコミカルに描かれている。




千と千尋の神隠し


2001年、日本、監督:宮崎駿、舞台となる地域:日本


10歳の少女・荻野千尋は、両親と共に引越し先へと車で向かう途中、森の中の不思議なトンネルから通じる無人の町(いわゆる“異界”)へ迷い込み、「油屋」とよばれる湯屋で働くことになる。油屋は八百万の神々が湯治にやってくる場所で、様々な姿・形の神々が湯や食事を楽しみ、もてなされる様子が描かれている。油屋の主人で魔女の湯婆婆、蜘蛛の形をした釜爺、イガ栗のような黒い姿のススワタリなどのほか、大根の形をしたおしら様、泥に覆われたオクサレ様などの神様、ハクやカオナシなどの多様なキャラクターが登場する。作中で描かれる多種多様な神々の姿からは、人間、動植物のほか、あらゆるものに霊魂が宿るという日本のアニミズム的な宗教観が見て取れる。

 


ソング・オブ・ザ・シー 海のうた 

2014年、アイルランド・ルクセンブルク・ベルギー・フランス・デンマーク、監督:トム・ムーア、舞台となる地域:アイルランド 

アイルランドの神話をベースとして、妖精「セルキー」の母親と人間の間に生まれた兄妹を中心に話が展開する。セルキーはアイルランドやスコットランドなどにみられる神話上の生物であり、海中ではあざらしとして生活し、陸にあがるときは皮を脱いで人間の姿になると言われている。少年ベンは母から妖精セルキーや巨人の物語、歌などを聞きながら育ったが、母はベンの妹を産むと姿を消してしまう。大好きな母がいなくなったのは妹のせいだと思い込むベンの葛藤と成長、家族の再生が、精霊や妖精、巨人など、失われつつある神話や民話の世界観のなかで描き出される。 


旅の重さ

1972年、日本、監督:斎藤耕一、舞台となる地域:日本

16歳の「わたし」は、母と愛人が暮らす家を出て四国遍路の旅に出る。旅の途中でさまざまな出会いを経験し、その中で旅の重さをかみしていく。自分の性と生に向き合うことによって「わたし」は大人へと成長し、母を次第に理解し始める。弘法大師空海が修行しつつ開創したとされる四国遍路であるが、本作にみられるように、現代では宗教的目的以外でもさまざまな動機で人々が訪れている。日常からの分離、非日常の経験、そして日常への回帰という巡礼のもつ性格がよくあらわれている作品であるといえる。


食べて、祈って、恋をして

2010年、アメリカ、監督:ライアン・マーフィー、舞台となる地域:アメリカイタリアインドインドネシア

35歳で人生をリセットするために旅に出た一人のアメリカ人女性が主人公である。ローマでは食を満喫し、インドでは瞑想をし、インドネシアでは人生を左右するような占い師と出会う。世界を股にかけたグローバル時代の自分探しが描かれているといえるが、そこに登場する「外国」はあまりにステレオタイプ的であるといえよう。瞑想や占い師といったものに代表される「神秘的」な東洋というイメージが未だに根強いものであることがわかる。


終の信託

2012年、日本、監督:周防正行、舞台となる地域:日本 

不倫関係にあった同僚の医師に捨てられた女性医師の折井綾乃は、一人の男性患者江木との出会いによってその傷ついた心を癒していく。しかし、喘息を患っていた江木の病状は悪化。「最期は早く楽に」という江木の願いどおり、彼女は延命治療を中止する。その後、彼女の判断は殺人罪として検察によって激しく追及されることとなる。生命倫理の問題でもあり、また法的問題でもある尊厳死を軸に物語が展開されている。 


憑神

2007年、日本、監督:降旗康男、舞台となる地域:日本 

主人公の彦四郎が、江戸向島の有名な「三圍稲荷」と間違えて拝んだ「三巡稲荷」は、貧乏神・疫病神・死神という不幸の神々を招く社であった。神々がユーモラスな姿で次々と彦四郎のもとにやってきて、不幸をもたらしはじめる。そこで彦四郎は、修験の修行を始めた小文吾らとともに、祟りをよそへと振り替えようと試みる。作品中で描かれる神々と人間との近しい交流・交渉には、日本の民俗宗教的思考があらわれているといえるだろう。 


天国は、ほんとうにある

2014年、アメリカ、監督:ランドール・ウォレス、舞台となる地域:アメリカ

ネブラスカ州で実際に起こった事件を踏まえたもの。牧師を務める傍ら小さな修理会社を営むトッドには、3歳の息子コルトンがいる。ある日コルトンは病気になり、生と死の間をさまようことに。奇跡に助かったコルトンは、天国へ行きイエス・キリストに会ったという話をする。最初は真面目に受け取らなかったトッドだが、次第にコルトンが知るはずのない事実を語り始め、トッドの心は動かされていく。


天国への郵便配達人

2009年、韓国、監督:イ・ヒョンミン 、舞台となる地域:韓国

死んだ恋人に対する恨みの手紙を書いた主人公は、天国への郵便配達人を名乗る男性と出会う。彼はいわば「幽霊」で、死んだ人への思いが強い人だけに見える存在であった。彼の郵便配達を手伝うことになった主人公は、次第に彼に魅かれていく。フィクションの中で描かれる死者の姿を通して、現代人が死者をどのように考えているのかを垣間見ることが出来る。


天地明察

2012年、日本、監督:滝田洋二郎 、舞台となる地域:日本

江戸時代に貞享歴を考案した渋川春海(安井算哲)をモデルとして、彼が暦を完成させていく姿を描く。算哲は垂加神道の創始者である山崎闇斎を師としていたが、その算術と天体観測の才を見込まれて、全国で北極星の高さを測るという任務を命じられる。本編では脇役にすぎないものの、主人公の師である山崎闇斎の存在は日本の思想・宗教史を考える上で重要であるといえる。


ナンナーク

1999年、タイ、監督:ノンスィ・ニミプット、舞台となる地域:タイ

戦地に赴いた夫の帰りを待つ間に、お産によって命を落とした妻(ナーク)が、ピー(精霊・幽霊)となって帰ってきた夫を迎えるというタイの幽霊譚をもとにした物語。ピーである妻子とはじめのうちは平和に暮らしていた夫であったが、次第に彼女たちの正体に気付づいていく。高僧の聖なる力で夫は妻の悪霊からのがれることができ、妻の供養のために夫は出家を決意する。仏教と精霊信仰が結び付いたタイの宗教の姿をうかがうことができる。


西の魔女が死んだ

2008年、日本、監督:長崎俊一、舞台となる地域:日本

中学生のときに周囲と馴染めず不登校になったことをきっかけに、山奥にある、イギリス人の祖母の家に預けられることになった主人公のまい。感受性が強く「扱いにくい子」であることを気にし、生きづらさを抱えていたまいは、自分が魔女の血筋を引いていると聞き、祖母に手ほどきを受けながら「魔女修行」を行うことになる。実はその「魔女修行」とはまいが思い描いていたようなものではなかったが、家事や畑仕事を手伝いながら自然と触れ合う生活をするなかで、まいは心身ともに健康を取り戻していく。やがて「魔女」の教えにならい、自分の意思で祖母との生活を終わらせることを決意したまいは、ある出来事をきっかけに祖母と仲違いしたまま祖母の家を去ることになる。ファンタジー小説に出てくるような「魔女」の姿はないものの、人の死や魂をめぐる語りは、祖母と主人公をつなぐ物語の中核にもなっている。


2012 

2009年、アメリカ、監督:ローランド・エメリッヒ、舞台となる地域:未来

ノストラダムスが終末を予言したとされる1999年が無事に過ぎ去り、今度はマヤ歴に由来するとされる2012年終末説が人気を博している。キリスト教と終末論は切っても切り離せないものであり、2012年の人類滅亡を描いた本作の背景にもまたその影響が認められるが、マヤ暦や北米のホピ族の予言とされるものを取り入れながら終末を描いているところは現代宗教を考える上でも興味深い。


庭師

2012年、イギリス/イスラエル、監督:モフセン・マフマルバフ、舞台となる地域:イスラエル

監督親子(父:モフセン、息子:メイサム)が、世界における宗教の役割について考えるためにイスラエルに旅に出る。父子はハイファのカルメル山の斜面に作られたバハイ教の聖地(創始者バーブの廟と庭園)を訪れる。世界各地から聖地を訪れた信者たちと対話しながらその平和思想に魅かれていく父モフセンと、父のそのような姿勢を激しく糾弾する息子メイサム。口論の果てに、メイサムは撮影を放棄し、一人エルサレムに向かう。父子それぞれが現代における宗教と向き合い、それを分析していくドキュメンタリー作品に仕上がっている。


ノストラダムスの大予言

1974年、日本、監督:舛田利雄、舞台となる地域:日本

五島勉の同名の著書を原作とした作品。同書は1999年7月に「恐怖の大王」が襲来して世界が崩壊すると語り、世紀が変わるまでの「世紀末」の風潮の醸成に大いに影響した。映画で描かれる天変地異は超自然的なものではなく環境破壊や核戦争によるもので、奇形生物の発生、オゾン層の破壊による植物の枯死、異常気象などを描き、公害や環境問題に警鐘を鳴らすものとなっている。東宝特撮による迫力の映像で描かれる「終末」の様子は一見の価値があるが、諸事情により現在はソフト化が行われていない作品となっている。


パンズ・ラビリンス

2006年、メキシコ、スペイン、アメリカ、監督:ギレルモ・デルトロ、舞台となる地域:スペイン

1940年代、内戦で父親を失った少女オフェリアは、独裁政権陸軍のヴィダル大尉と再婚した母親に連れられ森のなかにある軍の砦に移り住む。ヴィダルはオフェリアの母親が妊娠している自身の息子にしか関心を持たず、孤独に過ごすオフェリアは、ゲリラたちとの戦闘に明け暮れる砦での生活のなかで次第に空想の世界にのめり込んでいく。ある日森の奥で出会った迷宮の番人であるパンに地底の王国の王女の生まれ変わりだと告げられたオフェリアは、自身が王女であることを証明するため三つの試練に挑むことになる。山羊の角を持った半獣半人のような姿をしたパンは、ギリシャ神話における牧神パーンをモデルにしているが、オフェリアを取り巻く環境が過酷さを増すにつれて次第に悪魔のような雰囲気を帯びるようになっていく。


ヒアアフター

2010年、アメリカ、監督:クリント・イーストウッド、舞台となる地域:アメリカフランスイギリスタイ

自らの持つ不思議な能力によってかつては霊能者として活躍していながらも、その能力ゆえに苦悶する青年。津波に襲われ死後の世界を垣間見たフランス人女性ジャーナリスト。双子の兄を事故で失って以来、兄との再会を求めてやまない少年。死や死後の世界という問題に向き合う3人の物語が次第に交差していく様子を描く。現代人にとって、死や死後世界がどのような意味をもっているのか考える機会を与えてくれる。


プロメテウス

2012年、アメリカ、監督:リドリー・スコット、舞台となる地域:その他

21世紀末という時代設定のもとに、神話の題材を用いたSF映画。科学者たちは、人類の起源を求めて宇宙に飛び立つが、彼らの乗り込んだ船には、ゼウスに取り上げられた火を地上の人間にもたらしたギリシア神話の神、プロメテウスの名が冠されている。


ブンミおじさんの森

2010年、タイ/イギリス/フランス/ドイツ/スペイン、監督:アピチャートポン・ウィーラセータクン、舞台となる地域:タイ

東北タイの村落を舞台に、肝臓を患い死期の近いブンミと精霊たちとの交流を淡々と映し出した作品。ブンミの元に亡妻の妹と甥が訪ねてくる。彼らが食事をしていると、19年前に亡くなったブンミの妻と、行方不明になっていた息子の霊がやってくる。ブンミの死まで彼らは共に過ごす。タイは仏教国であるが、精霊信仰も盛んである。現実の存在と死者の霊が非常に近しいものとして描かれている本作には、そうした精霊信仰の一端があらわれているといえるだろう。


幌馬車

1950年、アメリカ、監督:ジョン・フォード、舞台となる地域:アメリカ


19世紀、アメリカ東部から西部へ旅をした末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)の開拓者たちを題材にした作品。クリスタル・シティに馬を売りに来たトレヴィスとサンディの若者二人は、新天地を求め西へ向かうモルモン教徒の一団を率いるエルダーより、幌馬車隊の隊長としてユタのサンファンまでの護衛を頼まれ、彼らの旅に同行することになる。一行は町の人々からの差別を受けつつ、旅の途中で行き倒れた旅芸人の一座や強盗事件を起こした悪党、ナバホ族の戦士と出会うなど、様々な出来事を経験しながら新天地を目指す。映画の背景となっているのは、その独特の教義からアメリカ社会で異端視されたモルモン教徒が、二代大管長のブリガム・ヤングの時代である1846年に迫害を避けてイリノイ州からユタ州のソルトレイクシティまでの大移動を行い、当地を拠点に信仰共同体を形成していくという歴史である。


曼陀羅

1971年、日本、監督:実相寺昭雄、舞台となる地域:日本

さまざまな事情から日常生活を離れ、「ユートピア」にやってきた人々。山奥にある「ユートピア」では、農業の単純生産、エロティシズムの追及という理想を掲げて、巫女を中心とした共同生活が行われていた。農業中心の土着回帰やユートピア型コミューンが流行した当時の社会状況を背景としている。


ミッドサマー

2019年、アメリカ/スウェーデン、監督:アリ・アスター、舞台となる地域:スウェーデン

両親と妹を失い精神不安定気味の女子大生ダニーは、恋人のクリスチャンとその友人たちに連れられ、友人の一人であるペレの故郷、スウェーデン・ヘルシングランド地方の「ホルガ」と呼ばれるコミューンを訪れる。夏至が近づき夜でも明るい白夜のこの季節、ホルガでは90年に一度開催されるという夏至祭が行われようとしていた。ホルガの世界観と夏至祭は、メイポールやルーン文字、棄老の儀式、熊など、北欧に伝わる古代異教の神話や儀礼に出てくるモチーフがたびたび登場するが、現在実際に行われている夏至祭と異なり、この映画における祝祭はカルト的な狂気を帯びた恐ろしいものとして描かれている。


もののけ姫


1997年、日本、監督:宮崎駿、舞台となる地域:日本


東北の人里に住む若者アシタカは、ある日タタリ神に呪いをかけられてしまい、呪いを解く術を求めて西の方向にある「シシ神の森」に向かう。森には、昼は鹿、夜はダイダラボッチの姿をし、生と死を司るとされるシシ神をはじめ、ヒロイン・サンを育てた山犬神、乙事主(おっことぬし)と呼ばれ多くの猪を率いる猪神、森の木に宿る「こだま」と呼ばれる精霊など、アニミズム的なキャラクターが多々登場する。作中では、動物の姿をした神々と、タタラ場に住み森を破壊しようとする人間たちとの闘いが描かれ、自然と人間の関係が主題となっている。


ラスタファリアンズ 

2005年、アルゼンチン、監督:ニコ・ケイン、舞台となる地域:世界各地

ジャマイカを中心とした黒人の宗教運動であるラスタファリ運動は、旧約聖書に基づきながらも、エチオピア帝国最期の皇帝ハイレ・サラシエ1世をジャー(ヤハウェ)として崇拝し、実践者(ラスタファリアン)たちは独自の生活スタイルをもっている。その思想はボブ・マーリーと彼の音楽によって広く世界に知られるようになった。レゲエ音楽とラスタファリ運動の関係性を知ることが出来るドキュメンタリー作品である。


ラッシュライフ

2009年、日本、監督:真利子哲也/遠山智子/野原位/西野真伊、舞台となる地域:日本

孤高の泥棒、カルト教団の教祖を熱心に信奉する青年、不倫相手と一緒になるために夫を殺害しようとするカウンセラー、失業中のサラリーマンという4人の登場人物の人生が交差していく様子を描く。作品中では、新宗教団体とその信者である青年の行動は異常でグロテスクなものとして描かれている。オウム真理教による一連の事件の影響により形成されたカルト宗教イメージが投影されているといえるかもしれない。


リング

1998年、日本、監督:中田秀夫、舞台となる地域:日本

見ると1週間後に死ぬという「呪いのビデオ」をめぐって繰り広げられるホラー映画。呪いの発端は透視能力をもつ志津子の娘、貞子の不幸な死にあった。志津子の能力を実証しようと試みる心理学者の存在や超能力の公開実験といったモチーフは、明治43年に実際に起こった千里眼事件を下敷きにしている。


ローズマリーの赤ちゃん

1968年、アメリカ、監督:ロマン・ポランスキー、舞台となる地域:アメリカ


1967年に出版されたアイラ・レヴィンの同名小説を映像化した映画。売れない役者の夫・ガイとアパートに引っ越してきたローズマリーは、ある夜、悪魔に犯されるという奇妙な夢を見る。後日、待ち望んでいた妊娠がわかり喜ぶローズマリーだが、異常な痛みに苦しみ精神不安定になる。その一方、ライバル役者の突然の失明という不幸のおかげで出世したガイは仕事に忙しく、妻に寄り添おうとしない。疑心暗鬼になるローズマリーは、次第に隣人の夫妻が悪魔崇拝者であり、お腹の子どもを儀式の生贄にするため狙っていると信じ込むようになる。我が子を必死に守ろうとする母親の視点から、悪魔崇拝者の狂気や追い詰められる恐怖が描かれる。