日本
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2012年、日本、監督:降旗康男、舞台となる地域:日本
妻を亡くした主人公は、妻の遺言にしたがい、北陸から妻の故郷である長崎の港に向かい、漁船に乗って沖に出て、海に妻の遺骨を撒こうとする。道中でさまざまな出会いを経験しながら、彼は散骨の瞬間に、生前には語られることのなかった妻の本当の思いを理解する。海への散骨が物語の鍵として重要な役割を果たしている。
アブラクサスの祭
2010年、日本、監督:加藤直輝、舞台となる地域:日本
主人公の浄念は、うつ病と闘いながら法事などを手伝っている臨済宗の僧侶である。若いころロックミュージシャンを目指していたこともあって、音楽への思いが断ち切れない。そんな彼に周囲は振り回されるが、町でロックのライブを行うことを決意してから、彼の生活は充実したものとなっていく。「お坊さんだって、悩みはある!」という文句に代表されるように、作品を通して僧侶という存在を身近なものに感じることができるだろう。
ある朝スウプは
2004年、日本、監督:高橋泉、舞台となる地域:日本
東京の片隅のアパートに暮らす男女2人の生活をまるで定点観測のような冷静な視点で追う。パニック障害と診断された男は新興宗教にはまり、恋人の女は制止を試みるも失敗を重ねる。宗教的世界観で生きる男と世俗の論理で過ごす女。2人の世界観のずれが淡々と描かれている。
生きる
1952年、日本、監督:黒澤明、舞台となる地域:日本
市役所で市民課課長として書類に判子を押すだけの無気力な日々を送っていた渡辺幹治は、ある日、体調不良を感じ病院へ行った折、自分が胃癌で余命数ヶ月であることを悟る。突然自らの死に直面し、生きる意味を見失った渡辺は、仕事を無断欠勤したり、夜の歓楽街をさまよってみたりするが、虚しさが消えることはない。そうしたなか、市役所で部下として働いていた小田切とよと街中で偶然に遭遇する。彼女は退屈な市役所を辞めて玩具会社に転職するため、課長である渡辺の押印を必要としていた。自分の意思に忠実で自由な小田切の奔放さに惹かれ、ともに時間を過ごすうちに、生きる意味を求め渡辺は自身の余命のことを小田切に打ち明ける。小田切に励まされ自分にもできることがあると決意した渡辺は、たらい回しになっていた住民の要望である公園作りに残りの生涯を捧げることになる。映画の後半では、渡辺の通夜の会食で市民課の職員たちが渡辺の変化について話し合う。彼らは死を前にした渡辺の変化や熱意に心を動かされたものの、翌日からは相変わらず住民の要望をたらい回しにするお役所仕事を続ける。しかし渡辺の生前の熱意によって完成した公園だけは、子供たちの笑い声が溢れる場所としてあり続けるのだった。
遺体―明日への十日間
2013年、日本、監督:君塚良一、舞台となる地域:日本
2011年3月11日の東日本大震災で多くの死者が出たことにより、被災地では多数の遺体をどうしたらいいのか、深刻な問題が生じた。こうした実情を岩手県釜石市の遺体安置所での取材を基に映画化した作品。安置所で遺体と向き合う人々の様子を描く。
雨月物語
1953年、日本、監督:溝口健二、舞台となる地域:日本
上田秋成による読本『雨月物語』の中の「浅茅が宿」と「蛇性の婬」を原作とし、脚本を加えて一本の映画に仕上げた作品。貧しい農村で妻の宮木と息子とつつましく暮らす源十郎と、その義弟である藤兵衛・阿浜の夫婦をめぐる悲劇の物語。時は戦国時代、戦による活況で焼物が飛ぶように売れると知った源十郎と藤兵衛は、それぞれ金のため、侍になるという目的のために、平穏な暮らしを捨て城下へ向かう。市で出会った没落貴族の姫・若狭に心を奪われた源十郎は、妻子のことを忘れ若狭と夫婦の契りを交わす一方で、市で金を手に入れた藤兵衛は具足と槍を買って侍の軍勢に紛れ込み、偶然立てた手柄で出世する。しかし男たちが己の身勝手な欲望を満たすなか、宮木は落武者に殺され、阿浜は侍に辱められ遊女へと身を落としていた。のちに若狭は織田信長に滅ぼされた朽木一族の姫であり、死霊として源十郎に取り憑いていたことがわかるが、戦国時代という舞台を背景に、妖しさと欲望、愛憎が取り返しのつかない悲劇を生み出す様を描いている。
牛首村
2022年、日本、監督: 清水崇、舞台となる地域:日本
富山県に実在する心霊スポット、坪野鉱泉を題材とした創作ホラー映画。主人公は、坪野鉱泉で起こった自分に瓜二つの少女の失踪事件を追いながら、古くからの因習にとらわれた村の存在に近づいていく。坪野鉱泉で起こった怪異には、村において信仰される、「牛の首」に対する伝承と民間呪術が深くかかわっており、片方が人間、もう一方が牛の首の形をした二対の仏像や、家に置かれた牛の掛け軸・置物・御札などを通して、村における牛への信仰が随所で描かれている。民間伝承や呪術といった伝統的な信仰儀礼と、心霊スポットや心霊現象などの現代の怪異とが接続する形で進む本作からは、呪術や怪異に関する現代人の理解や、メディアにおける描かれ方を知ることができる。
おー!まい!ごっど!神様からの贈り物
2013年、日本、監督:六車俊治、舞台となる地域:日本
自殺の巻き添えで死んでしまった主人公は、天国と地獄の境界で天国に行くための課題をゴンゲン様から与えられる。それは、現世に戻って4人の女性を立派なレディーにするというもの。自称「天界のドラァグクイーン」ウメチャンの力をかりて、主人公はこの難局に挑む。ドラァグクイーンとダンサーたちが歌って踊る賑やかな「あの世」が描かれたミュージカル映画。
おくりびと
2008年、日本、監督:滝田洋二郎、舞台となる地域:日本
仕事を辞めて故郷の山形県庄内地方に帰り、納棺を行う会社に就職したところから物語は始まる。遺体を扱うという仕事を理解してくれない家族・友人との葛藤や、自身の知人・家族を納棺する際の戸惑いなどを通して、納棺夫として成長していく過程が描かれている。これまであまり取り上げられなかった職業に光を当てた一方で、宗教者は一貫して背景となっている。
お葬式
1984年、日本、監督:伊丹十三、舞台となる地域:日本
初めての葬儀を執り行うことになり戸惑っている喪主を主人公に、「お葬式」をめぐっての人間関係や人情などがコメディタッチに描かれている。葬儀において、死者を彼岸に送る「直接」の役である僧侶はもちろん登場するが、本作では黒子ともいえる葬儀屋に強く焦点が当てられ、現代における葬儀事情・葬儀トラブルの基などが反映されている。
親分はイエス様
2000年、日本/韓国、監督:斎藤耕一、舞台となる国:日本、韓国
対立する2つの暴力団にそれぞれ所属する2人のヤクザの妻はともに韓国人。2人の韓国人妻は教会で出会い互いに助け合うことになる。その後、二人の夫は組織を追われ、一人はキリスト教の信仰に目覚め宣教をおこなうようになるが、そこにもう一人のヤクザが立ちはだかった。実話をもとにした本作では、ニューカマーのコミュニティとしての教会や、キリスト教大国としての韓国が垣間見れる。
カインの末裔
2007年、日本、監督:奥秀太郎、舞台となる地域:日本
母を殺した罪で服役していた少年院を出て、電子部品を組み立てる小さな工場で働くようになった主人公は、部屋と工場を行き来するだけの平凡な日々をおくっ ていた。しかし、新興の宗教団体を率いる牧師からリモコン型拳銃の作成を命じられ、それを引き受けたことから彼の日常は大きく動き出し、醜さや暴力、不条 理に満ちた世界へといざなわれていくこととなる。一貫して不気味なものとして描かれる教祖や新宗教団体の姿には、オウム事件以降の日本の「新興宗教」に対 するイメージが反映されているとも考えられる。
カナリア
2004年、日本、監督:塩田 明彦 舞台となる地域:日本
オウム真理教とそれが起こした事件をモデルに、いわゆる「二世信者」(教団に自発的に入会した信者の子どもで、ときとして内面的に教団の教えに親しんでいる信者)を主人公にした作品。ある日、カルト教団「ニルヴァーナ」は無差別テロ殺人事件を起こす。主人公光一と妹朝子の母は特別指名手配犯となり、兄妹はバラバラに保護される。光一は施設を抜け出し朝子を取り戻しに行くが、その道中、元信者や朝子を保護している祖父たちと出会い、冷徹な現実を目の前にする。世俗の倫理と宗教の教義が乖離する中で、どのように若者が生きようとするかの葛藤が描かれている。
神様のカルテ
2011年、日本、監督:深川栄洋、舞台となる地域:日本
地域病院に勤務する一人の男性医師が主人公。大学病院の教授から見込まれた彼は、大学病院の医局に移るか地域の小さな病院に残るかの選択を迫られる。そんな中、余命わずかと宣告され大学病院から見放された一人の癌患者と出会うことによって、彼の心境に変化が生じる。主人公が妻とともに小さな神社の前で手を合わせるシーンがあるが、こうした描写は多くの日本人にとって自然な「神様」の在り方として捉えられることだろう。
奇談
2005年、日本、監督:小松隆志、舞台となる地域:日本
主人公の佐伯里見は、幼いころ預けられていた東北の隠れキリシタンの村・渡戸村で神隠しにあった経験をもつ。しかし、この事件に関する彼女の記憶は曖昧な ものであった。当時何が起こったのかを知るために彼女は渡戸村を訪れ、そこで知り合った考古学者・稗田礼二郎とともに村に伝わる神秘に触れることとなる。 キリスト教や日本の民俗信仰などさまざまな宗教的要素が絡み合いながら物語は進んでいく。
劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル
2010年、日本、監督:堤 幸彦、舞台となる地域:日本
死亡した霊媒師の後継者となる最強の霊能力者を選出するため、人里離れたとある村で「霊能力者バトルロワイヤル」が開催されることとなる。主人公の山田奈 緒子と上田次郎は、霊能者たちの中に紛れ込み彼らのインチキを暴こうとするが、次々と候補者が殺害される事態に巻き込まれていく。作品中に描かれている霊 能者たちの姿には、日本人が霊能者にもつイメージが少なからず反映されているといえよう。
ゲゲゲの鬼太郎
2007年、日本、監督:本木 克英、舞台となる地域:日本
歴史上の人物の怨念が閉じ込められた「妖怪石」をめぐって繰り広げられる鬼太郎と仲間の妖怪たちの物語。水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」は何度もアニメ化 や実写化が繰り返されており、妖怪と人間との交流を描く彼の作品が高い人気を保持していることがわかる。こうした作品を通して、日本の民俗信仰が再活性化 されているとも考えられる。
呉清源 極みの棋譜
2007年、日本、監督:ティエン・チュアンチュアン、舞台となる地域:日本、中国
昭和の天才棋士とうたわれた呉清源の生涯を描く作品。中国で生まれた呉は、その囲碁の才能を見込まれて日本に帰化するが、日中戦争や太平洋戦争といった波乱の時代を生きることとなる。彼は、当時メディアを騒がしていた新宗教、璽宇に入会し、それ以前には中国で諸宗教間の連帯・調和を目指す紅卍会に入会していた。勝ち続けることが求められる彼の棋士人生において、宗教がいかなる役割を果たしてきたのかを考えてみると興味深い。
里見八犬伝
1983年、日本、監督:深作 欣二、舞台となる地域:日本
静姫は、かつて城を滅ぼされた恨みによって怨霊となった玉梓に追われていた。彼女は、玉梓や他の怨霊を討つために、各地に散らばった仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の玉をもつ8人の犬士を集める旅に出る。滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』を大幅に翻案したストーリーの中には、怨霊、もののけ、異種婚、生まれ変わりなどの民俗信仰的要素が数多く盛り込まれている。また、それぞれの玉の名からも明らかなように儒教的要素も色濃く反映されている。
色即ぜねれいしょん
2009年、日本、監督:田口トモロヲ、舞台となる地域:日本
仏教系男子高校に通う、さえない主人公が音楽と旅と恋を通して成長していく様を描く青春映画。講堂にある法然像から浄土宗系の高校であることがわかるが、 宗教は中心的な主題になっていない。ただ、授業中に教師が色即是空の意味を「今を生きるということだ」と解説したことが、主人公の行動に大きな影響を与え ることとなる。
少年H
2012年、日本、監督:降旗康男、舞台となる地域:日本
ベストセラーとなった妹尾河童の自伝的小説を映画化したもの。第二次世界大戦前から敗戦直後までを生きた家族の姿が描かれる。主人公となる少年H(本名である肇のイニシャル)の母は熱心なクリスチャンであった。戦時中、キリスト教徒を母に持つ一家がどのような扱いを経験してきたかを垣間見ることができる。
スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ
2007年、日本、監督:三池崇史、舞台となる地域:日本
源氏と平家というギャングたちの抗争を西部劇風に描いた日本映画。劇中に登場する町はずれの鳥居は、物語が進むにつれ白にも赤にも塗り替えられ、また死体 がぶら下げられたりもする。この鳥居に死体がぶら下がっているというシーンがポスターに使われたことから、神社関係者の一部が抗議をするという事態が起 こった。ストーリー自体に宗教はあまり関係していないが、鳥居の表象をめぐるこうした議論は興味深いものだろう。
救いたい
2014年、日本、監督:神山征二郎、舞台となる地域:日本
東日本大震災の被災地を舞台に、震災で大切な人を失った人々の苦しみと復興への勇気を描く。中心となるのは麻酔科医の川島隆子と夫で同じく医師の貞一。貞一は震災後、被災地に診療所を立上げ、隆子もそこで悲しみを抱えながら生きる人々と向き合っていく。地元の祭りの復活が、復興への希望として象徴的に描かれる。
ステキな金縛り
2011年、日本、監督:三谷幸喜、舞台となる地域:日本
妻を殺した犯人として起訴された男にはアリバイを証明するたった一人の証人がいたが、それは落ち武者の幽霊であった。事件当日、この幽霊が被告人を金縛り状態にしていたために、彼には犯行が不可能であったのだ。主人公の女性弁護士はこの幽霊を法廷に立たせるが、幽霊の姿を見ることができるのは一部の人のみに限れらていた。死者との交流がコミカルに描かれている。
聖☆おにいさん
2013年、日本、監督:高雄統子、舞台となる地域:日本
中村光原作の人気コミックを映画化した作品。「休暇をとった」ブッダとイエスは、東京の立川市で同居し、買い物をしたり遊園地に行ったりと地域の人びとに混ざって日常生活を楽しむ。いろいろな場面で、キリスト教や仏教にかかわる観念や言葉がギャグへと転化して登場する。
11'9"01/セプテンバー11
2002年、フランス、監督:(11ヵ国を代表する11人の監督)、舞台となる地域:アメリカ、イギリス、日本、中東周辺
2001年9月11日の同時多発テロをテーマに、11人の著名な映画監督の「11分9秒」の作品をつなげたオムニバス映画。米国、英国、日本、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、メキシコ、フランス、イスラエル、イラン、インド、エジプト、ブルキナファソというそれぞれの国の監督が、独自の視点から9.11を描く。9.11直後、多くのメディアでは米国政府の主張が大きく取り上げられたが、世界中ではそれとは異なる多様な解釈、反応、思いが存在していたことがわかる。
千と千尋の神隠し
2001年、日本、監督:宮崎駿、舞台となる地域:日本
10歳の少女・荻野千尋は、両親と共に引越し先へと車で向かう途中、森の中の不思議なトンネルから通じる無人の町(いわゆる“異界”)へ迷い込み、「油屋」とよばれる湯屋で働くことになる。油屋は八百万の神々が湯治にやってくる場所で、様々な姿・形の神々が湯や食事を楽しみ、もてなされる様子が描かれている。油屋の主人で魔女の湯婆婆、蜘蛛の形をした釜爺、イガ栗のような黒い姿のススワタリなどのほか、大根の形をしたおしら様、泥に覆われたオクサレ様などの神様、ハクやカオナシなどの多様なキャラクターが登場する。作中で描かれる多種多様な神々の姿からは、人間、動植物のほか、あらゆるものに霊魂が宿るという日本のアニミズム的な宗教観が見て取れる。
禅 ZEN
2009年、日本、監督:高橋伴明、舞台となる地域:日本
日本曹洞宗の開祖である道元の生涯を描く。8歳で母を亡くした道元は、24歳で入宋し、そこで身心脱落という悟りの境地を体験する。日本に帰った道元は、旧勢力である比叡山から攻撃を受けるが、越前に大仏寺(のちの永平寺)を建立して修行をはじめる。本作のみによって道元の一生や禅について理解することは到底不可能であるが、さらなる学びの為の一つのステップになるだろう。
太陽
2005年、ロシア/イタリア/フランス、監督:アレクサンドル・ソクーロフ、舞台となる地域:日本
1945年8月の敗戦前後の昭和天皇の思いや行動などを描く。一般的に1946年の人間宣言によって天皇は現人神とはみなされなくなったとされている。家族を愛し、苦悩する一人の「人間としての天皇ヒロヒト」が、降伏後、マッカーサー司令官との会談や皇后との再会を経て、いかなる心持で人間宣言に至ったのかという過程に焦点があてられている。
旅の重さ
1972年、日本、監督:斎藤耕一、舞台となる地域:日本
16歳の「わたし」は、母と愛人が暮らす家を出て四国遍路の旅に出る。旅の途中でさまざまな出会いを経験し、その中で旅の重さをかみしていく。自分の性と生に向き合うことによって「わたし」は大人へと成長し、母を次第に理解し始める。弘法大師空海が修行しつつ開創したとされる四国遍路であるが、本作にみられるように、現代では宗教的目的以外でもさまざまな動機で人々が訪れている。日常からの分離、非日常の経験、そして日常への回帰という巡礼のもつ性格がよくあらわれている作品であるといえる。
沈黙―サイレンス―
2016年、アメリカ、監督:マーティン・スコセッシ、舞台となる地域:日本
遠藤周作の『沈黙』を映画化した作品。禁教期の潜伏キリシタンとその信仰を題材にしている。ポルトガル人宣教師のロドリゴとガルペは、棄教したとされる師を探すため、マカオで出会ったキチジローという日本人の案内で日本へ渡る。たどり着いた長崎で彼らは厳しい弾圧を目の当たりにし、やがてロドリゴ自身もキチジローの裏切りにより捕えられる。宣教師たちの苦悩や葛藤を通して、信仰の根源を問いかける作品。
【世界遺産長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産が舞台となっている。】
終の信託
2012年、日本、監督:周防正行、舞台となる地域:日本
不倫関係にあった同僚の医師に捨てられた女性医師の折井綾乃は、一人の男性患者江木との出会いによってその傷ついた心を癒していく。しかし、喘息を患っていた江木の病状は悪化。「最期は早く楽に」という江木の願いどおり、彼女は延命治療の中止する。その後、彼女の判断は殺人罪として検察によって激しく追及されることとなる。生命倫理の問題でもあり、また法的問題でもある尊厳死を軸に物語が展開されている。
憑神
2007年、日本、監督:降旗康男、舞台となる地域:日本
主人公の彦四郎が、江戸向島の有名な「三圍稲荷」と間違えて拝んだ「三巡稲荷」は、貧乏神・疫病神・死神という不幸の神々を招く社であった。神々がユーモラスな姿で次々と彦四郎のもとにやってきて、不幸をもたらしはじめる。そこで彦四郎は、修験の修行を始めた小文吾らとともに、祟りをよそへと振り替えようと試みる。作品中で描かれる神々と人間との近しい交流・交渉には、日本の民俗宗教的思考があらわれているといえるだろう。
ディスタンス
2001年、日本、監督:是枝裕和、舞台となる地域:日本
カルト教団「真理の方舟」が水道水にウィルスを混入し、多くの死傷者が出るという事件が起こる。実行犯たちは教団により殺害され、教祖も自殺。この時の「実行犯たちの遺族」たちと元信者の一人が再会し、互いに語り合いながら過去に向き合っていく過程が描かれる。加害者でありながら被害者でもある「実行犯の遺族」の複雑な心情を扱っている。1995年に起こったオウム真理教による「地下鉄サリン事件」をモチーフとしているのは明らかである。
典座 ―TENZO―
2019年、日本、監督:富田克也、舞台となる地域:日本
全国曹洞宗青年会製作の映画。禅の修行道場において食事を担当する「典座」の視点を中心に、2人の僧侶の日常を描く。フィクションを交えたドキュメンタリーであり、曹洞宗の僧侶が主要キャストを務めている。山梨県の寺院で暮らす智賢は、「食」に着目して仏教の教えを伝えようとさまざまな活動をしており、兄弟子の隆行は東日本大震災で自身の寺院が津波被害に遭っており、復興のために苦慮している。現代に生きる僧侶の抱えている悩みや新たな挑戦が克明に伝わってくる作品。
天地明察
2012年、日本、監督:滝田洋二郎 、舞台となる地域:日本
江戸時代に貞享歴を考案した渋川春海(安井算哲)をモデルとして、彼が暦を完成させていく姿を描く。算哲は垂加神道の創始者である山崎闇斎を師としていたが、その算術と天体観測の才を見込まれて、全国で北極星の高さを測るという任務を命じられる。本編では脇役にすぎないものの、主人公の師である山崎闇斎の存在は日本の思想・宗教史を考える上で重要であるといえる。
西の魔女が死んだ
2008年、日本、監督:長崎俊一、舞台となる地域:日本
中学生のときに周囲と馴染めず不登校になったことをきっかけに、山奥にある、イギリス人の祖母の家に預けられることになった主人公のまい。感受性が強く「扱いにくい子」であることを気にし、生きづらさを抱えていたまいは、自分が魔女の血筋を引いていると聞き、祖母に手ほどきを受けながら「魔女修行」を行うことになる。実はその「魔女修行」とは、まいが思い描いていたようなものではなく、規則正しい生活や、「何事も自分で決める力」を持つなどの基本的なことだったが、家事や畑仕事を手伝いながら自然と触れ合う生活をするなかで、まいは心身ともに健康を取り戻していく。「魔女」の教えにならい自分の意思で祖母との生活を終わらせることを決意したまいは、ある出来事をきっかけに祖母と仲違いしたまま祖母の家を去ることになる。ファンタジー小説に出てくるような「魔女」の姿はないものの、人の死や魂をめぐる語りは、祖母と主人公をつなぐ物語の中核にもなっている。
日蓮と蒙古大襲来
1958年、日本、監督:永田 雅一、舞台となる地域:日本
日蓮宗の開祖である日蓮の半生を題材に、元寇と神風のエピソードが、特撮を駆使してスペクタクルに描かれる。前半部では、日蓮の清澄における誓願(立教開宗)、鎌倉での法華経布教(辻説法)、幕府への立正安国論の提出(他国侵逼難の予言)、北条重時らによる草案の焼き討ち、伊豆流罪など、法華経流布の志を持ちながらも邪教の徒として扱われた日蓮の苦難の歴史が描かれる。後半部分では、他国侵逼難の予言的中譚としての蒙古襲来に焦点が当てられる。蒙古の襲来から日本を守る日蓮の姿として、日蓮の祈祷による神風、蒙古退治の様子が壮大な特撮シーンで表現される。
監督の永田雅一は熱心な日蓮宗の信仰者であり、大映社長として『羅生門』や、日本初の70ミリ映画『釈迦』の制作に関わったほか、この映画の後に続編映画として『日蓮』を手掛けている。
ノストラダムスの大予言
1974年、日本、監督:舛田利雄、舞台となる地域:日本
五島勉の同名の著書を原作とした作品。同書は1999年7月に「恐怖の大王」が襲来して世界が崩壊すると語り、世紀が変わるまでの「世紀末」の風潮の醸成に大いに影響した。映画で描かれる天変地異は超自然的なものではなく環境破壊や核戦争によるもので、奇形生物の発生、オゾン層の破壊による植物の枯死、異常気象などを描き、公害や環境問題に警鐘を鳴らすものとなっている。東宝特撮による迫力の映像で描かれる「終末」の様子は一見の価値があるが、諸事情により現在はソフト化が行われていない作品となっている。
母―小林多喜二の母の物語
2017年、日本、監督:山田火砂子 、舞台となる地域:日本
『蟹工船』で知られるプロレタリア文学作家、小林多喜二の母・セキの半生を描いた三浦綾子の小説『母』が原作となっている。セキは貧しい家の出自でありながらも、次男多喜二を学校へ行かせ、銀行員として勤めるまで育てあげた。しかし多喜二は高給取りでありながらも、貧しい人の暮らしに目を向け、反戦運動や労働運動、小説の執筆活動へとその軸足を移していく。多喜二の小説は治安維持法下で危険思想とみなされ、多喜二は特高警察の拷問によって29歳の若さで亡くなった。その折、セキは教会に誘われイエスの話を聞く。多喜二が悪いことをしていないと信じるセキは、何も悪いことをしていないのに処刑されたイエスに息子の姿を重ね合わせる。息子の死に直面した母の姿がキリスト教の信仰との関わりのなかで描かれる。
ファンシダンス
1989年、日本、監督:周防正行、舞台となる地域:日本
実家の寺を継ぐためにロックバンドのボーカルをやめ、宗派の本山に上ることになった主人公(陽平)の修行の日々を描くコメディ映画。陽平は、坐禅のみならず日常の作法が徹底的に叩き込まれる厳しい修行生活の中で、さまざまなトラブルに巻き込まれていく。物語の舞台は架空の禅寺となっているが、曹洞宗の大本山永平寺がそのモデルである。主人公をはじめとした若き未来の僧侶たちの苦悩が描かれている点でも興味深い。
筆子・その愛 天使のピアノ
2007年、日本、監督:山田火砂子、舞台となる地域:日本
明治時代、日本初の知的障害者施設の設立に尽力し、自らの子どもの知的障害とも向き合った石井筆子の生涯を描く。作品中ではそれほど強調されてはいないが、筆子とその夫の亮一はともにキリスト教徒(日本聖公会)であった。短時間ながらも筆子が子どものころに目撃したキリシタン弾圧の様子も描かれている。また、社会福祉的な活動に心血を注ぐ筆子の姿勢も彼女の信仰と無関係ではないだろう。
不惑のアダージョ
2009年、日本、監督:井上都紀、舞台となる地域:日本
一人の日本の修道女(シスター)を主人公にした作品。魅力的なバレエダンサーとの出会いや自分に付きまとう男性の存在が、人より早く更年期にさしかかった彼女の心身を苦しめ、迷わせていく。シスターをモデルとしながらも、宗教的な要素はあまり多くなく、むしろその苦悩する姿は女性一般に共通するものである。
ボクは坊さん。
2015年、日本、監督:真壁幸紀、舞台となる地域:日本
父が病に倒れたことを機に、実家である寺院を継ぐ決意をした白方光円の新米住職としての奮闘記を描いている。原作は四国八十八か所の第57番札所、永福寺の住職白川密成氏が『ほぼ日刊イトイ新聞』で連載していた記事をまとめた『ボクは坊さん。』(ミシマ社、2010年)である。書店員からいきなり住職になった光円は、父の葬儀や幼馴染の結婚式などを経て住職としての経験を積みつつも、幼馴染の引きこもりや出産、病といった個人的な問題にも関わっていく。葬儀や結婚式といった人生儀礼のみならず、生や死といった普遍的なテーマや、引きこもりといった問題にも関わりながら、弘法大師の教えを日々の暮らしのなかで解釈、実践し、成長する姿がコミカルに描かれている。
星の子
2020年、日本、監督:大森立嗣、舞台となる地域:日本
未熟児として生まれ、病気を繰り返していた“ちひろ”。両親は、藁にもすがる思いで使い始めた「特別な力を持った水」がちひろの病を治したと信じ込み、その水を販売している宗教団体を信奉するようになる。時が流れ、家や財産を手放し、ますます信仰にのめり込む両親の下で思春期を迎えたちひろは、学校に赴任してきた数学教師に恋心を抱くようになるが、彼の言動を通じて、世間が両親や自分の家庭をどのようにまなざしているのかをはっきりと自覚するようになる。この映画では新宗教の二世信者が世間のなかで葛藤を抱えながらいかに生きているのかが、ちひろの目を通じて丁寧に描かれている。映画のなかでは、二世信者同士の交友や、集会、教団施設での集団研修など、新宗教信者が過ごす宗教生活の一部にも触れられている。
マルタイの女
1997年、日本、監督:伊丹十三、舞台となる地域:日本
弁護士夫婦の殺人現場と犯人を目撃してしまった女優のビワコは、事件を主導していた新宗教教団「真理の羊」に命を狙われることとになる。彼女の護衛のため 派遣された二人の刑事が、教団の執拗な追跡から彼女を守り、事件の真実を証言すると宣言した彼女を法廷へと送り出すまでを描く。本作公開の2年前に起こっ たオウム真理教による一連の事件に着想を得て作成された作品である。
曼陀羅
1971年、日本、監督:実相寺昭雄、舞台となる地域:日本
さまざまな事情から日常生活を離れ、「ユートピア」にやってきた人々。山奥にある「ユートピア」では、農業の単純生産、エロティシズムの追及という理想を掲げて、巫女を中心とした共同生活が行われていた。農業中心の土着回帰やユートピア型コミューンが流行した当時の社会状況を背景としている。
巫女っちゃけん。
2017年、日本、監督:グ・スーヨン、舞台となる地域:日本
福岡県の神社を舞台に、アルバイト巫女として働く”しわす”と、神社に忍び込んで悪戯を繰り返す少年との交流と成長を描く映画。就職活動がうまくいかないしわすは、父親が宮司を務める神社で嫌々ながら働いているため、その巫女らしくない振る舞いをたびたび先輩巫女からたしなめられている。映画の主軸は育児放棄されている少年と、母親に捨てられた記憶から人間不信に陥っているしわすの交流であるため、神社や神道などの宗教文化は物語の舞台背景となっているが、主人公のしわすはほとんどの場面で巫女装束を着用しており、アイコンとしての巫女の位置付けがよく表れている。
水の声を聞く
2014年、日本、監督:山本政志、舞台となる地域:日本
在日韓国人のミンジョンは親友の美奈に誘われて、悩みを抱える人たちの相談に乗る巫女的な祖語とをアルバイト感覚でやっていた。韓国語で水槽に語りかけ、そこから得た答えを依頼者に告げる。それを繰り返しているうちに、信者たちが生まれ、ミジョンを教祖として「真教・神の水」が立ちあげられる。ミジョンも次第に「祈り」に目覚め始める。詐欺まがいの勧誘や金の問題など、宗教にまつわる負のテーマも描かれる。
もののけ姫
1997年、日本、監督:宮崎駿、舞台となる地域:日本
東北の人里に住む若者アシタカは、ある日タタリ神に呪いをかけられてしまい、呪いを解く術を求めて西の方向にある「シシ神の森」に向かう。森には、昼は鹿、夜はダイダラボッチの姿をし、生と死を司るとされるシシ神をはじめ、ヒロイン・サンを育てた山犬神、乙事主(おっことぬし)と呼ばれ多くの猪を率いる猪神、森の木に宿る「こだま」と呼ばれる精霊など、アニミズム的なキャラクターが多々登場する。作中では、動物の姿をした神々と、タタラ場に住み森を破壊しようとする人間たちとの闘いが描かれ、自然と人間の関係が主題となっている。
MON-ZEN
1999年、ドイツ、監督:ドーリス・デリエ、舞台となる地域:日本
妻に逃げられた兄と東洋宗教マニアの弟というドイツ人兄弟が日本で繰り広げる珍道中と彼らの禅寺での修行をコミカルに描く。撮影は実際に曹洞宗の大本山總持寺祖院(石川県輪島市)で行われており、修行の様子を垣間見ることが出来る。また、海外の人々が抱く「禅」や「日本」に対するイメージがうかがえる点でも興味深い。
靖国 YASUKUNI
2007年、日本/中国、監督:李 纓、舞台となる地域:日本
2007年の公開時には一部の上映予定館に右翼の街宣車が押し掛けたことから、上映予定の自粛が広がった。一時は「社会問題」として取り沙汰されたが、無事公開されてからは騒動は急速に収束したという。内容もさることながら本作をめぐるこうした動きにも「靖国」をめぐる緊張を見て取ることができる。
ラッシュライフ
2009年、日本、監督:真利子哲也/遠山智子/野原位/西野真伊、舞台となる地域:日本
孤高の泥棒、カルト教団の教祖を熱心に信奉する青年、不倫相手と一緒になるために夫を殺害しようとするカウンセラー、失業中のサラリーマンという4人の登 場人物の人生が交差していく様子を描く。作品中では、新宗教団体とその信者である青年の行動は異常でグロテスクなものとして描かれている。オウム真理教に よる一連の事件の影響により形成されたカルト宗教イメージが投影されているといえるかもしれない。
リング
1998年、日本、監督:中田秀夫、舞台となる地域:日本
見ると1週間後に死ぬという「呪いのビデオ」をめぐって繰り広げられるホラー映画。呪いの発端は透視能力をもつ志津子の娘、貞子の不幸な死にあった。志津子の能力を実証しようと試みる心理学者の存在や超能力の公開実験といったモチーフは、明治43年に実際に起こった千里眼事件を下敷きにしている。