新宗教

新宗教

ある朝スウプは

2004年、日本、監督:高橋泉、舞台となる地域:日本

東京の片隅のアパートに暮らす男女2人の生活をまるで定点観測のような冷静な視点で追う。パニック障害と診断された男は新興宗教にはまり、恋人の女は制止を試みるも失敗を重ねる。宗教的世界観で生きる男と世俗の論理で過ごす女。2人の世界観のずれが淡々と描かれている。


ガイアナ 人民寺院の悲劇

1980年、パナマ/スペイン/メキシコ、監督:ルネ・カルドナJr、舞台となる地域:アメリカ、ガイアナ

本作は、1978年に南米のガイアナで実際に起きた新興宗教「人民寺院(ピープルズ・テンプル)」の信者900人集団自殺を題材に作られた。教祖のジェイ ムスは、信者を引き連れてアメリカから「約束の地」ガイアナに移住した。そこでは、労働が強制させられ、逃亡者も増加する。実態調査をおこなった下院議員 を射殺し、次第に追い詰められたジェイムスは信者全員に毒を飲ませ集団自殺をおこなった。狂信的なこの集団自殺はカルト問題の一つとして衝撃を与えた。


開闢

1991年、韓国、監督: 林権澤、舞台となる地域:韓国

朝鮮王朝末期の1860年に興った宗教「東学」の第2代教主崔時亨を主人公とした映画。東学は当時の朝鮮王朝支配による社会を批判し、大衆の支持を受ける が、王朝からの弾圧を受け逃亡生活を続けていた。逃亡しながらも、東学の支持は拡大し、ついに甲午農民戦争が起こる。崔は、武力闘争に反対していたが、大 衆の動きは止められなかった。しかし、東学は敗北し、崔は処刑される。信者たちは「開闢(新しい世界の始まり)はいつなのか」と嘆くばかりであった。本作 では、日清戦争開戦のきっかけとなった甲午農民戦争を、東学内の葛藤に焦点を当てて描いている。


カインの末裔

2007年、日本、監督:奥秀太郎、舞台となる地域:日本

母を殺した罪で服役していた少年院を出て、電子部品を組み立てる小さな工場で働くようになった主人公は、部屋と工場を行き来するだけの平凡な日々をおくっていた。しかし、新興の宗教団体を率いる牧師からリモコン型拳銃の作成を命じられ、それを引き受けたことから彼の日常は大きく動き出し、醜さや暴力、不条理に満ちた世界へといざなわれていくこととなる。一貫して不気味なものとして描かれる教祖や新宗教団体の姿には、オウム事件以降の日本の「新興宗教」に対するイメージが反映されているとも考えられる。

カナリア

2004年、日本、監督: 塩田 明彦、舞台となる地域:日本

オウム真理教とそれが起こした事件をモデルに、いわゆる「二世信者」(教団に自発的に入会した信者の子どもで、ときとして内面的に教団の教えに親しんでい る信者)を主人公にした作品。ある日、カルト教団「ニルヴァーナ」は無差別テロ殺人事件を起こす。主人公光一と妹朝子の母は特別指名手配犯となり、兄妹は バラバラに保護される。光一は施設を抜け出し朝子を取り戻しに行くが、その道中、元信者や朝子を保護している祖父たちと出会い、冷徹な現実を目の前にす る。世俗の倫理と宗教の教義が乖離する中で、どのように若者が生きようとするかの葛藤が描かれている。


呉清源 極みの棋譜

2007年、日本、監督:ティエン・チュアンチュアン、舞台となる地域:日本中国

昭和の天才棋士とうたわれた呉清源の生涯を描く作品。中国で生まれた呉は、その囲碁の才能を見込まれて日本に帰化するが、日中戦争や太平洋戦争といった波乱の時代を生きることとなる。彼は、当時メディアを騒がしていた新宗教、璽宇に入会し、それ以前には中国で諸宗教間の連帯・調和を目指す紅卍会に入会していた。勝ち続けることが求められる彼の棋士人生において、宗教がいかなる役割を果たしてきたのかを考えてみると興味深い。


ザ・マスター

2012年、アメリカ、監督:ポール・トーマス・アンダーソン:アメリカ

第二次世界大戦後のアメリカで、心の病を抱えながら暮らす元海軍兵の主人公は、小さな宗教集団「ザ・コース」のリーダーである「マスター」と出会う。主人公はマスターの思想に傾倒していくが、「ザ・コース」の勢力が増していくにつれ、教団と社会との軋轢が目立ったものとなっていく。特にカルト問題に関心のある人には一見の価値がある作品である。


ディスタンス

2001年、日本、監督:是枝裕和、舞台となる地域:日本

カルト教団「真理の方舟」が水道水にウィルスを混入し、多くの死傷者が出るという事件が起こる。実行犯たちは教団により殺害され、教祖も自殺。この時の「実行犯たちの遺族」たちと元信者の一人が再会し、互いに語り合いながら過去に向き合っていく過程が描かれる。加害者でありながら被害者でもある「実行犯の遺族」の複雑な心情を扱っている。1995年に起こったオウム真理教による「地下鉄サリン事件」をモチーフとしているのは明らかである。


星の子

2020年、日本、監督:大森立嗣、舞台となる地域:日本

未熟児として生まれ、病気を繰り返していた“ちひろ”。両親は、藁にもすがる思いで使い始めた「特別な力を持った水」がちひろの病を治したと信じ込み、その水を販売している宗教団体を信奉するようになる。時が流れ、家や財産を手放し、ますます信仰にのめり込む両親の下で思春期を迎えたちひろは、学校に赴任してきた数学教師に恋心を抱くようになるが、彼の言動を通じて、世間が両親や自分の家庭をどのようにまなざしているのかをはっきりと自覚するようになる。この映画では新宗教の二世信者が世間のなかで葛藤を抱えながらいかに生きているのかが、ちひろの目を通じて丁寧に描かれている。映画のなかでは、二世信者同士の交友や、集会、教団施設での集団研修など、新宗教信者が過ごす宗教生活の一部にも触れられている。


マーサ、あるいはマーシー・メイ

2011年、アメリカ、監督:ショーン・ダーキン、舞台となる地域:アメリカ

若い女性マーサは、パトリックをリーダーとするカルト的集団のなかで暮らしていた。彼らは集団農場を営む裏で、盗みや殺人、リーダーとの性行為を繰り返していた。マーサはマーシー・メイの名を与えられ彼らと2年の月日を過ごす。しかし、ある日脱走を試み、姉のもとに身を寄せるようになる。日常生活に戻ってきた彼女であったが、マーシー・メイとして過ごした過去のトラウマが彼女を苛み周囲を戸惑わせる奇妙な行動を繰り返す。


マルタイの女

1997年、日本、監督:伊丹十三、舞台となる地域:日本

弁護士夫婦の殺人現場と犯人を目撃してしまった女優のビワコは、事件を主導していた新宗教教団「真理の羊」に命を狙われることとになる。彼女の護衛のため派遣された二人の刑事が、教団の執拗な追跡から彼女を守り、事件の真実を証言すると宣言した彼女を法廷へと送り出すまでを描く。本作公開の2年前に起こったオウム真理教による一連の事件に着想を得て作成された作品である。


水の声を聞く

2014年、日本、監督:山本政志、舞台となる地域:日本

在日韓国人のミンジョンは親友の美奈に誘われて、悩みを抱える人たちの相談に乗る巫女的な仕事をアルバイト感覚でやっていた。韓国語で水槽に語りかけ、そこから得た答えを依頼者に告げる。それを繰り返しているうちに、信者たちが生まれ、ミジョンを教祖として「真教・神の水」が立ちあげられる。ミジョンも次第に「祈り」に目覚め始める。詐欺まがいの勧誘や金の問題など、宗教にまつわる負のテーマも描かれる。