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目次
2019年、アメリカ、監督:ジョーダン・ピール、舞台となる地域:アメリカ
幼少期、両親と訪れたサンタ・クルーズの遊園地で迷子になり恐ろしい体験をしたことがトラウマとなっていたアデレードだが、のちに結婚して二人の子どもを授かり、裕福で幸せな生活を送っていた。夏季休暇を彼女のトラウマのあったサンタ・クルーズにて過ごすことになった一家は、その夜、彼らとそっくり同じ顔をして赤い服を着た奇妙な4人組に襲われる。逃げ込んだ友人宅でも友人たちと同じ顔をした赤い侵入者たちが一家を惨殺しているのを目にしたアデレードたちは、赤い服を着た彼らの正体に気づき始める。宗教を主題とするよりも、アメリカにおける人種差別や貧富の差を根底的なテーマとして描いたホラー映画だが、作中の重要なシーンで旧約聖書のエレミヤ書11章11節が効果的に使われ、彼らに襲い来る災厄を暗示している。
2013年、フランス/イギリス、監督:スティーヴン・フリアーズ、舞台となる地域: アイルランド、 アメリカ
1952年のアイルランド、未婚のまま10代で身ごもった主人公のフィロミナは、体面をおもんばかった父親の意向で修道院に入れられる。男児を出産したものの、息子はある日、車でどこかへ連れ去られてしまう。50年後、フィロミナは出会ったジャーナリストと息子探しをはじめ、修道院によって息子がアメリカの家庭に売られていたことを知る。アメリカに渡った彼女たちは、次第に真実を明らかにしていく。家族の愛というテーマの他に、信仰についても観客に深い問いを投げかけるものとなっている。
2017年、アメリカ、監督:スチュアート・ヘイゼルダイン、舞台となる地域:アメリカ
熱心なクリスチャンの妻との間に3人の子どもを授かり幸せに暮らすマックだったが、ある日子どもたちと出かけた湖で、末っ子のミッシーを誘拐犯によって殺害される。遺体も見つからないまま、マックは神を疑い絶望のなかで生きるが、ある雪の日彼は家のポストに入れられた不思議な手紙に導かれ、奇跡に満ち溢れた「小屋」を訪れる。信仰を持ち誠実に生きながらも悲劇に見舞われるのはなぜかという「神義論」に正面から取り組んでいる本作では、キリスト教の家庭に育ちながらも幼少期の体験から熱心な信徒とは言えないマックの目を通じ、信仰を持たない人からも共感を得られるような再生の物語を描いている。一方、小屋で出会った3人の関係性や随所に散りばめられた聖書のモチーフなど、キリスト教的知識なしには深く理解できない場面も多い。
1934年、アメリカ、監督:フランク・キャプラ、舞台となる地域:アメリカ
ボーイフレンドとの結婚を父親に反対されていた大富豪の令嬢エリーは、軟禁されていた船から脱出しマイアミからニューヨークへ向かう夜行バスに乗り込む。彼女はバスで偶然隣り合わせた新聞記者のピーターと、最初は反目しあうも次第にお互い惹かれていく。途中、バスが大雨で立ち往生してしまったため、二人は新婚夫婦と偽ってキャンプ場の一室に泊まるはめになるが、その夜、ピーターはお互いに干渉しないよう部屋の真ん中にロープを渡して毛布をかけ、これを「エリコの壁」と呼ぶ。エリコの壁とは、ユダヤ教の正典であるヘブライ語聖書(旧約聖書)に出てくる城塞都市エリコが、モーセの後継者であるヨシュアが率いるイスラエル人に対して固く門を閉ざした故事に由来し、「絶対に崩れないもの」の喩えで使われる。しかし、エリコの壁が最終的には角笛の音によって崩れ落ちたように、ピーターとエリーの気持ちが通じ合ったとき、二人の間のエリコの壁も崩れ去るのである。エリコの壁は二人の関係を象徴する言葉として、この映画ではたびたび口にされるモチーフとなっている。
1940年、アメリカ、監督:ジョン・フォード、舞台となる地域:アメリカ
1930年代、世界恐慌下のアメリカ。殺人の罪で4年間服役し、仮出所して故郷のオクラホマに戻ってきた青年トム・ジョード。途中で出会った元説教師のケーシーとともに実家に戻るが、あたり一帯の小作農家は砂嵐による不作と機械化による人員の削減で、何十年も暮らした土地の立ち退きにあい、仕事を求め西へ移動してしまったあとだった。途中でジョード一家と合流したトムとケーシーは、一家とともに貧しいオクラホマを離れ、期待を胸に「乳と蜜の天地」カリフォルニアを目指す。表題の「怒りの葡萄」は新約聖書「ヨハネの黙示録」中にある、神に背いたため神の怒りによって踏み潰される人間たちの引喩であることをはじめ、映画のなかには聖書のモチーフや台詞が度々使用され、物語に深みを与えている。
1973年 (2000年、ディレクターズカット版)、アメリカ、監督:ウィリアム・フリードキン、舞台となる地域:アメリカ
悪霊が憑いたとされる少女とそれを祓おうとする神父2人の格闘の物語。イラクの悪霊に少女がとり憑かれ、陰惨な事件を起こす。近代医療も見放した少女に対して、神父2人が身を賭しながらも少女を救おうとする。本作は、1971年代以降のオカルトブームとの関連が深く、欧米を善、東洋を悪としながら、両者の戦いを描く。
2007年、アメリカ、監督:トム・シャドヤック、舞台となる地域:アメリカ
下院議員に当選したエバンの前に神を名乗る人物が現れ、方舟を作るように命じる。初めは拒絶していた彼であったが、周囲には不思議と動物が集いだし、ま た、ひげが伸び始めるなど次第にノアを思わせる風貌に変化していく。エバンはやむなく方舟を作りだし、彼の姿はメディアなどでも大きく取り上げられるよう になる。ちなみに、劇中たびたびあらわれる614という数字は、創世記6章14節のノアの方舟の話の一部を指すものであり、こうした些細な点にも聖書の世 界を背景とした物語であることが明示されている。
2013年、アメリカ、監督:スティーヴン・ソマーズ、舞台となる地域:アメリカ
「オッド(奇妙な)」という風変わりな名前を持つ青年オッド・トーマスは、死んだ者の霊を見る特殊な能力を持ち、その力を活かして未解決殺人事件の犯人を捕まえる日々を送っていた。彼は死んだ霊とともに、凄惨な殺人の現場を好むボダッハと呼ばれる怪物を見ることができたが、ある日、彼はそのボダッハの動向から、彼と最愛の恋人ストーミーが住むピコムンドの町で大量殺戮事件が起こることを予期し、それを阻止するため独自に調査を進めることになる。本作の世界において、死者は生者に対し喋りかけることはできないものの、様々な方法を使って霊を見るオッドに語りかけ、彼の捜査を手助けする。死者を見ることができるオッドはまるで生きている人に対するように死者と交流し、死後の世界の存在についても明確に描かれる。
1980年、パナマ/スペイン/メキシコ、監督:ルネ・カルドナJr.、舞台となる地域:アメリカ、ガイアナ
本作は、1978年に南米のガイアナで実際に起きた新興宗教「人民寺院(ピープルズ・テンプル)」の信者900人集団自殺を題材に作られた。教祖のジェイムスは、信者を引き連れてアメリカから「約束の地」ガイアナに移住した。そこでは、労働が強制させられ、逃亡者も増加する。実態調査をおこなった下院議員を射殺し、次第に追い詰められたジェイムスは信者全員に毒を飲ませ集団自殺をおこなった。狂信的なこの集団自殺はカルト問題の一つとして衝撃を与えた。
1999年、アメリカ、監督:ダニエル・ペトリー、舞台となる地域:アメリカ
1925年のアメリカ・テネシー州の町デイトンで実際に起こった宗教と科学が対決した裁判(モンキー裁判)の話。テネシー州は聖書に反する理論を教えていけないという法律がある。しかし、教師のケイツが学校で進化論を教えたため、逮捕され裁判にかけられることになる。原告側弁護士は熱心なクリスチャンであるブレイディ。一方ケイツの弁護士はブレイディの友人でもあるドラモンド。ハイライトは裁判でのこの2人の応答であり、結果的にケイツは有罪に終わるが、原理主義者たちがいかに社会と乖離しているかということがあらわになった裁判であった。
2014年、アメリカ、監督:ハロルド・クロンク、舞台となる地域:アメリカ
物語は、無神論を標榜する大学教授とその講義を受けていた学生のとの間で展開する。哲学のクラスで、教授から神はいないという宣言書を提出するようにいわれた学生たち。単位が取れないことを危惧して学生たちは宣言書を提出していくが、ジョッシュだけが納得できずにいた。教授は学生たちの前で、ジョッシュに神の存在を証明しろと迫る。神の存在証明をめぐる議論が深められるというよりも、作品全体を通して、神を信じないと不幸になるというトーンが色濃い。
2000年、アメリカ、監督:マーク・フォースター、舞台となる地域:アフガニスタン、アメリカ
1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻前のアフガニスタンを舞台に物語は始まる。主要人物となる2人の少年は、一人がパシュトゥーン人(スンナ派)のアミール、一人がハザラ人(シーア派)のハッサン。2人は仲が良かったが、ある時ハッサンが性的暴行を受けそれをアミールが見て見ぬふりをした。アミールはハッサンを避けるようになり、お互い離散したまま時が経つ。大人になりアメリカで生活をしていたアミールは、ある電話をきっかけにハッサンを探しにアフガニスタンに向かう。そこにはタリバーン政権による残虐な統治があった。イスラム教の理念と現実、民族間の対立の過酷さなどが詰まった作品である。
1999年、アメリカ、監督:フランク・ダラボン、舞台となる地域:アメリカ
刑務所での出来事を通じて、命の尊さや善悪の不条理などをテーマにしている作品。主人公で刑務所看守のポールのもとに、黒人大男の囚人が送られてくる。彼の罪は双子の若い姉妹を強姦・殺人したこと。死刑の執行までの期間、彼のまわりで不思議なことが起きる。彼は「癒し」の能力を持っていた。ポールは彼は無罪でないかと考える。善とは何か、悪とは何か、正義とは何かという問いが投げられている。
1985年、アメリカ、監督:ピーター・ウィアー、舞台となる地域:アメリカ
主人公の刑事ジョン・ブックがある事件がきっかけでアーミッシュの親子とアーミッシュの生活をすることになった。ジョンは、その事件の容疑者が警察内部にいることが判明し、警察内部から追われることになってしまった。アーミッシュの村に逃げ、アーミッシュの人々と一緒に生活をするようになる。まるで昔にタイムスリップしたような暮らしにいつしか親しみを覚える。平和主義と伝統的な生活を守るアーミッシュの生活状況が初めて映画化された話題の作品。
2004年、アメリカ、監督:ロブ・ハーディ、舞台となる地域:アメリカ
R&B歌手として成功していた主人公が父の病をきっかけに帰郷し、父が牧師を務めていた教会の立て直しをはかる。アメリカの黒人たちの宗教歌であるゴスペルソングが劇中を彩り、主人公はゴスペルを通して対立してきた父との関係や自らのルーツについて考えていくようになる。ゴスペルのもつ躍動的なリズムと、宗教と音楽の深い結びつきを感じ取ることができる。
2002年、アメリカ、監督:カメル・アメッド、舞台となる地域:アメリカ
微罪で留置所に送られた民族、宗教の異なる男たちの会話を中心とした作品。留置所には、自称ミュージシャンの黒人、その友人のプエルトリコ人、アラブ系タ クシー運転手、アジア系ビジネスマン、その同僚のイギリス人、ユダヤ系、イタリア系、アイルランド系の米国人という異なる文化的背景を抱えた人々が収容さ れ、それぞれの民族、宗教、歴史に関する激しい罵りあいを繰り広げる。そこにいた一人の男は、自らが神だと名乗りだしたことによって物語は展開していく。
2005年、アメリカ、監督:フランシス・ローレンス、舞台となる地域:アメリカ
幼いころから人ならざる存在を感知する能力を持っていたジョン・コンスタンティンは、その力を活かし人間に憑りついた悪魔を祓う探偵としてロサンゼルスで活動していた。しかし、彼は生まれ持った自身の力に悩み、10代のときに一度自殺未遂をはかったことがあり、そのせいで死後は地獄へ行くことが決まっていた。実は彼が行う悪魔祓いは、善行を積み神の恩赦を得ることで、その地獄行きの運命を変えるという利己的な目的が絡んでいた。そうしたなか、彼はある日突然、長期にわたる喫煙を原因とする肺ガンにより余命数ヶ月であるという宣告を受ける。あと少しで地獄に行くという運命を突き付けられたジョンは、ある女性の自殺事件から悪魔が人間界に侵攻しようとしていることに気づき、運命に抗うため事件の真相を追う女性刑事アンジェラとともに奔走する。作品の世界観では、天国、人間界、地獄の3つの世界があり、天使は天国に、人間は人間界に、そして悪魔は地獄にそれぞれ住まい、決して相互の世界を自由に行き来できないことになっている。しかし天使と人間、悪魔と人間の中間的な存在である「ハーフ・ブリード」が人間界には密かに住んでおり、ジョンをはじめとする人間たちに様々な干渉を行っている。天国・地獄の存在という設定や、自殺者は地獄へ行くという描写など、数々のキリスト教的な世界観が物語の軸になっている。
2007年、アメリカ、監督:ロブ・ライナー、舞台となる地域:アメリカ、エジプト、インド
病院でたまたま同室となった自動車整備工のカーターと、病院経営者のエドワード。二人はともに余命いくばくもないことを宣告される。彼らは棺桶に入るまで にやりたいことのリストを作成し、次々と実行していく。信仰をもち家庭を大切にするカーターと俗的な楽しみを追及する富豪のエドワードという対照的な二人 の対話には、現代アメリカ人の信仰や成功、倫理に関する考え方が垣間見られる。
2006年、オーストラリア、舞台となる:オーストラリア、アメリカ
ポジティブな思考がポジティブな結果を生むという「引き寄せの法則」は、19世紀以降のアメリカで流行した大衆宗教思想、「ニューソート」の延長線上にあるものであり、現在も多くの自己啓発書等に認めることができる。本作は、再現映像やアメリカの自己啓発系・スピリチュアル系作家へのインタビューを通して、この法則の素晴らしさを訴えるものとなっている。
2012年、アメリカ、監督:ポール・トーマス・アンダーソン:アメリカ
第二次世界大戦後のアメリカで、心の病を抱えながら暮らす元海軍兵の主人公は、小さな宗教集団「ザ・コース」のリーダーである「マスター」と出会う。主人公はマスターの思想に傾倒していくが、「ザ・コース」の勢力が増していくにつれ、教団と社会との軋轢が目立ったものとなっていく。特にカルト問題に関心のある人には一見の価値がある作品である。
1947年、アメリカ、監督:ジョージ・シートン、舞台となる地域:アメリカ
クリスマス商戦まっただなかの百貨店に、豊かな白ひげをたくわえたクリス・クリングルという老人が雇われる。子どもたちにやさしく接し、大人の客には適切なプレゼントのアドバイスをする彼は、次第に人気者となっていく。しかし、彼を敵視する会社専属のカウンセラーは、彼がサンタの妄想を抱く凶暴な男であるとして、精神病院への強制収容を裁判所へ申し立てた。彼は本物のサンタクロースであるか否か。法廷では異例の裁判がはじまることとなる。
1998年、アメリカ、監督:ボアズ・イェーキン、舞台となる地域:アメリカ
主人公は、宗教上の習慣や戒律を強く守っているアメリカのユダヤ人社会で生まれ育った女性である。閉鎖的な社会の中での彼女のストレスは、義兄との不倫という形であらわれる。また、次第に宝石商としての才能を開花させていく。しかし、そうした彼女の活躍は周囲のユダヤ人たちの反感を買い、ユダヤ人社会から締め出されてしまうこととなる。正統派ユダヤ教の生活がわかりやすく描かれている点でも興味深い作品である。
2006年、アメリカ、監督:、舞台となる地域:アメリカ
ミズーリ州のベッキー・フィッシャーという福音派の女性牧師が主催するサマーキャンプの様子を中心としたドキュメンタリー作品。2006年にアメリカで作 成された。キャンプは子どもたちを対象としたものであり、キリスト教の正しさや進化論の否定、堕胎反対等をテーマとした過激な説教が繰り返され、子どもた ち涙を流しながらそれに聞き入る。攻撃的な主張とそれに呼応する人々の熱狂の様子は衝撃的である。
1994年、アメリカ、監督:フランク・ダラボン、舞台となる地域:アメリカ
自分の妻とその愛人を射殺した罪で終身刑を宣告され、冤罪にもかかわらず悪名高いショーシャンク刑務所に送られた元銀行員のアンディ。彼は刑務所にはびこる暴力や不正を耐え忍び、調達屋のレッドをはじめとした囚人仲間と友情を育むかたわら、20年の服役の末に恐ろしく綿密な脱獄計画を決行する。刑務所所長は囚人たちを「罪人」と呼び、規律と聖書によって彼らを統治することを宣言するが、刑務所では理不尽な悪意や暴力が蔓延し、所長を筆頭に刑務官たちの間でも横領や所得隠し・殺人などの不正が公然と行われていた。聖書を小道具として使って脱獄を成功させたアンディの所長に対する最後のメッセージは、信仰が暴力と不正の容認に利用されることへの皮肉でもある。
1962年、アメリカ、監督:オットー・プレミンジャー、舞台となる地域:アメリカ、オーストリア、バチカン
第二次大戦前夜、枢機卿に叙されることになったアメリカ人司祭が、米国、バチカン、オーストリアで聖職者として過ごした半生を振り返る。若き日の彼は、難産になるとわかっていても、堕胎が認められないために命を落とした妹の存在や、魅力的な女性への恋心によって心を揺るがされるが、聖職者として生きることを決意する。米国では黒人差別と戦い、またオーストリアではナチズムが人々の信仰と人間性を破壊していく様を目撃する。カトリック教会とさまざま社会問題との関わりを垣間見ることが出来る。
1946年、アメリカ、監督:フランク・キャプラ、舞台となる地域:アメリカ
1945年のクリスマスイブの日、人生に行き詰まった主人公のジョージ・ベイリーは橋の上から投身自殺を図ろうとする。自身の夢を諦めてでも他者のために尽くし、善良な生き方を貫いてきたジョージだが、運悪く経済恐慌の煽りや町一番の富豪であるポッターに圧力をかけられ、いっそこの世に生まれなければよかったのだと自らの人生を悲観したのだ。しかし彼の行方を心配する家族や友人たちの祈りを聞き届けた天の主は、翼のない見習い天使のクラレンスを遣わし、ジョージに「彼のいない世界」を見せ、彼の人生がどれほど重要で幸せに満ちたものであったのかを気づかせようとする。
2015年、アメリカ、監督:トム・マッカーシー、アメリカ(ボストン)
ボストン・グローブ紙の新聞記者たちが、カトリック神父による性的虐待と教会組織による隠蔽工作の実態を調査し、報道するまでの過程を描いている。2001年の夏に新しくボストン・グローブ紙の編集長に着任したバロンによって、ある神父による性的虐待事件を詳しく掘り下げ、特集記事欄「スポットライト」として取り上げる方針が打ち出された。記者たちの地道な取材で明らかになったのは、大勢の神父が同様の罪を犯している実態と、それを地元ボストンのカトリック教会が組織ぐるみで隠蔽してきたスキャンダルであった。カトリックの根付く地元ボストンにおける教会の権力の大きさと、聖職者による児童虐待という衝撃的な事件の詳細がリアルに描かれている。
2002年、フランス、監督:(11ヵ国を代表する11人の監督)、舞台となる地域:アメリカ、イギリス、日本、中東周辺
2001年9月11日の同時多発テロをテーマに、11人の著名な映画監督の「11分9秒」の作品をつなげたオムニバス映画。米国、英国、日本、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、メキシコ、フランス、イスラエル、イラン、インド、エジプト、ブルキナファソというそれぞれの国の監督が、独自の視点から9.11を描く。9.11直後、多くのメディアでは米国政府の主張が大きく取り上げられたが、世界中ではそれとは異なる多様な解釈、反応、思いが存在していたことがわかる。
2007年、アメリカ、監督:ポール・トーマス・アンダーソン、舞台となる地域:アメリカ
20世紀初頭、石油採掘による一攫千金を狙い、一人息子をつれて各地をめぐっていた主人公ダニエルは、ある男の情報をもとに石油を掘り当てることに成功する。しかし、土地の元所有者である牧師に約束していた金を払おうとしなかった。その後、採掘現場で相次いで事故が発生し、牧師はダニエルが金を払わないことと、その不信心さを不幸の原因として非難した。宗教が主題となっている作品ではないが、聖霊による癒しを説く牧師の存在が物語の鍵となっている。
1997年、アメリカ、監督:ブライアン・スパイサー、舞台となる地域:アメリカ
テーマパーク会社の社長として成功し贅沢三昧の生活をしてきた夫婦が、脱税の容疑で追われる身となり、ある場所に身を隠す。そこは、「規則(オルドヌンク)」を重んじるアーミッシュのコミュニティであった。電子機器の使用は禁止され、また服装をはじめとした生活のあらゆる面に規則が及ぶコミュニティの中で、夫婦は自らも他のコミュニティからやってきたアーミッシュであると偽りながら過ごしていく。伝統的規律を重んじる共同体として広く知られているアーミッシュコミュニティの生活を垣間見ることが出来る。
2008年、アメリカ、監督:ジョン・パトリック・シャンリィ、舞台となる地域:アメリカ
1964年のニューヨーク、厳格な指導で知られるシスターが校長を務めているあるカトリック学校が舞台となっている。シスターは進歩的で開かれた教会を目 指すフリン神父が、ある黒人の男性学生と性的関係をもったと疑い、根拠がないにもかかわらず彼を執拗に非難する。1960年代は、カトリックがリベラルな 方針へと転換しようとしていた過渡期であり、そうした時代背景を理解すると両者の対立に関しても理解が深まるだろう。
2010年、アメリカ、監督:ライアン・マーフィー、舞台となる地域:アメリカ、イタリア、インド、インドネシア
35歳で人生をリセットするために旅に出た一人のアメリカ人女性が主人公である。ローマでは食を満喫し、インドでは瞑想をし、インドネシアでは人生を左右 するような占い師と出会う。世界を股にかけたグローバル時代の自分探しが描かれているといえるが、そこに登場する「外国」はあまりにステレオタイプ的であ るといえよう。瞑想や占い師といったものに代表される「神秘的」な東洋というイメージが未だに根強いものであることがわかる
2014年、アメリカ、監督:ランドール・ウォレス、舞台となる地域:アメリカ
ネブラスカ州で実際に起こった事件を踏まえたもの。牧師を務める傍ら小さな修理会社を営むトッドには、3歳の息子コルトンがいる。ある日コルトンは病気になり、生と死の間をさまようことに。奇跡に助かったコルトンは、天国へ行きイエス・キリストに会ったという話をする。最初は真面目に受け取らなかったトッドだが、次第にコルトンが知るはずのない事実を語り始め、トッドの心は動かされていく。
1992年、アメリカ、監督:エミール・アルドリーノ、舞台となる地域:アメリカ
クラブの歌手でマフィアのボスの愛人でもあった主人公(デロリス)は、愛人が側近に殺される場面を目撃してしまったことから、マフィアに追われる身となる。担当刑事によって、修道院につれていかれ、そこで修道女としてかくまわれることになったデロリスであったが、規律の厳しい修道院での生活は彼女にとって非常に窮屈なものであった。彼女は次第にゴスペルをロック調にアレンジした曲を歌い始め、地域の人々から人気を博す。彼女の歌をきっかけに修道院はより地域に開けたものとなっていく。
2014年、アメリカ、監督: スコット・デリクソン、舞台となる地域:アメリカ
実在する元ニューヨーク市警の巡査部長で、悪魔憑きについての調査も行っていたラルフ・サーキの手記をもとにした映画。映画では警察官であるサーキが、次々と起こる異常な事件に遭遇する。現れたイエズス会の司祭メンドーサは、それらの事件の犯人は悪魔に憑りつかれていると語る。さまざまに起こる奇妙な現象から悪魔の存在を確信したサーキは、犯人に対する悪魔祓いを試みることを決意する。本作では現在でも行われているカトリックの悪魔祓いの様子が、迫力の映像で描かれている。
2000年、アメリカ、監督:ビクター・サリン、舞台となる地域:アメリカ、イスラエル
旧約聖書、新約聖書(とくにヨハネの黙示録)には、信仰をもつ者は天に挙げられ(携挙)、信仰をもたない者はこの世に取り残されるという考え方がみられる。こうした携挙の考えをベースに、人間が次々と消えていく様子を描いたパニック映画。原作は牧師でもある作家の小説であり、そのストーリーには福音派の終末観が反映されているといえる
1994年、アメリカ、監督:クエンティン・タランティーノ、舞台となる地域:アメリカ
ファミレスで強盗計画を立てるカップルのシーンから始まり、ギャングの殺し屋であるヴィンセントがボスの妻とデートをする話、ギャングのボスに八百長を持ちかけられたが裏切り逃走するボクサーの話、ヴィンセントと相棒の殺し屋ジュールスが起こす騒動という3つのストーリーが通常の時系列とは異なる順序で語られる。このうち、殺し屋の一人であるジュールスは殺しを行う前に、どこかの映画で使用された旧約聖書のエゼキエル書25章17節をモデルとする独自の台詞を暗唱するのを常としてきたが、映画の終盤ではその日にあった出来事から「神の奇跡」を感じて改心し、狂騒的な映画のラストを静謐なシーンで飾ることになる。
2010年、アメリカ、監督:クリント・イーストウッド、舞台となる地域:アメリカ、フランス、イギリス、タイ
自らの持つ不思議な能力によってかつては霊能者として活躍していながらも、その能力ゆえに苦悶する青年。津波に襲われ死後の世界を垣間見たフランス人女性 ジャーナリスト。双子の兄を事故で失って以来、兄との再会を求めてやまない少年。死や死後の世界という問題に向き合う3人の物語が次第に交差していく様子 を描く。現代人にとって、死や死後世界がどのような意味をもっているのか考える機会を与えてくれる。
2003年、アメリカ、監督:ジョナサン・リン、舞台となる地域:アメリカ
アメリカ南部、ジョージア州モンテカルロにあるバプテスト教会を舞台に、教会のクワイア(聖歌隊)を南部のゴスペル大会で優勝させるために奮闘する主人公ダリンの活躍を描く。映画のモデルとなっている南部バプテスト教会は、アメリカのキリスト教の中でも大きな勢力をもつ教派である。ゴスペルやR&Bといった音楽であふれる賑やかなコメディ映画であるが、黒人コミュニティにおける教会の存在感をうかがうことができる。
2008年、アメリカ、監督:セス・ゴードン、舞台となる地域:アメリカ
アクシデントによってクリスマスの旅行がキャンセルになり、両家族のもとでクリスマスを過ごさざるを得なくなった一組のアメリカ人カップルの物語。お互いの両親は離婚しているために、計4つに家のクリスマス(フォー・クリスマス)に付き合うこととなる。家族のドタバタコメディーではあるが、現代の米国において人々がどのようにクリスマスを過ごしているのかをうかがうことができるだろう。
2006年、アメリカ、監督:ヘンリー・シンガー、舞台となる地域:アメリカ
「9・11」の同時多発テロの際、ツインタワーから飛び降り降下しつつある男性の写真が公開された。本作は、この男性が誰であるのかを探し出そうとするドキュメンタリーである。最初にその当人であると目された男性の家族が登場するが、彼らは怒りをあらわにし、その写真の男は他人であると主張する。なぜなら、飛び降りたというその行為は「自殺」であり、敬虔なキリスト教徒である彼らにとって自殺は認められないからである。死をめぐる宗教的信念に根ざした規範がいかに強固なものかを垣間見ることが出来る。
2018年、アメリカ、監督:スパイク・リー、舞台となる地域:アメリカ
1970年代のアメリカ、コロラド州コロラド・スプリングス。アフリカ系アメリカ人として初めて警察巡査に採用されたロンは、いまだ根強く残る黒人への差別や偏見と闘いながら、同僚のフリップとともに、白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)へ潜入捜査を試みる。KKKはプロテスタント・アングロ・サクソン人を中心とした反黒人主義的団体だが、のちにキリスト教原理主義とも結びついているため、反ユダヤ人的側面も持つ。黒人のロンと、白人だがユダヤ人のフリップは、潜入捜査のなかで様々な危険に直面しつつも、黒人集会を狙ったKKK過激派のテロ行為を食い止めようと奔走する。コメディ調で描かれる本作だが、そのテーマは重くアメリカ社会の根深い問題を痛烈に風刺している。本作の最後には2017年にバージニア州で行われた極右集会での実際の映像が流され、この映画が決して単なるフィクションではなく、過去の出来事でもないことを改めて視聴者に突きつけている。
2000年、アメリカ、監督: エドワード・ノートン 、舞台となる地域:アメリカ
カトリックの神父・ブライアンとユダヤ教のラビ・ジェイクそして敏腕ビジネスウーマンのアナという幼馴染3人をめぐるラブコメディ―。ブライアンとジェイクは久しぶりに再会したアナに恋心を抱くが、カトリックにおいて神父の妻帯は認められておらず、またユダヤ教においても非ユダヤ教徒と結婚することについては困難が伴うことが多い。コメディー映画ではあるものの、自らの信仰と恋愛の間で揺らぐ聖職者の葛藤という重いテーマが核となっている。
2010年、アメリカ/スペイン、監督:エミリオ・エステべス、舞台となる地域:アメリカ、スペイン
アメリカ・カリフォルニアに住むトムは、ある日一人息子のダニエルがスペインにあるサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼中に亡くなったという訃報を受け取り、スペインとフランスの国境沿いの町まで亡骸を引き取りに行く。眼科医として真面目に生きてきた自負のあるトムは、学業を放棄し旅に出た息子の行動が理解できず、不和のまま別れることになってしまったが、火葬された息子の遺灰を受け取り帰国しようとしたそのとき、息子の果たせなかった巡礼の旅に自らが向かうことを決意する。サンティアゴ・デ・コンポステーラは12使徒のひとり聖ヤコブの遺骸を祀ったキリスト教の聖地であり、そこへ至る巡礼路はフランスからピレネー山脈を越え800㎞にも及ぶ。巡礼路とは言っても、近年ではこの映画の登場人物たちのように、キリスト教徒だけでなく、自分探しやスピリチュアルな体験を求める人々が多く訪れている。
【世界遺産サンティアゴ・デ・コンポステーラとその巡礼路が舞台となっている。】
2006年、アメリカ、監督:ラリー・チャールズ、舞台となる地域:カザフスタン、アメリカ、イギリス
カザフスタンのテレビレポーターが、アメリカで繰り広げる珍道中をドキュメンタリー風に描いた作品。マイノリティに対する差別ネタや下品なジョークが続き、評価が分かれる映画である。特にユダヤ人に対する過激なジョークが繰り広げられる。反ユダヤ主義的発言は許されないという風潮を風刺したものであるともいえるが、米国のユダヤ系団体からは差別的であるとして憂慮の声明が出された。
2010年、インド、監督:カラン・ジョーハル、舞台となる地域:インド、アメリカ
アスペルガー症候群のハーンを主人公にしたインド映画。彼は弟を頼ってアメリカに渡り、そこで知り合ったヒンドゥー教徒の女性と恋に落ちて結婚する。幸せ な日々を送っていたが、「9・11」が起こりアメリカ社会はムスリムに対して非常に厳しい眼差しを向けるようになる。ハーンはムスリムの名字であるため に、彼と彼の家族にも差別の目が向けられるようになる。ユーモアを交えながらも、宗教や民族の違いがもたらす差別という深い問題を扱っている。
2002年、アメリカ、監督:ジョエル・ズウィック、舞台となる地域:アメリカ、ギリシャ
ギリシャ系米国人女性トゥーラと、典型的な白人中流階級の男性イアンが、家族の反対や文化の違いを乗り越えて結婚するまでの道のりをコミカルに描く。イアンがギリシャ正教徒になるために洗礼を受けるシーンや二人の結婚式のシーンには、ギリシャ正教の儀礼が行われる。また、トゥーラの家族の日常を通して、祖国の宗教伝統と深く結びついた移民たちの暮らしぶりも描かれている。
2011年、アメリカ、監督:ショーン・ダーキン、舞台となる地域::アメリカ
若い女性マーサは、パトリックをリーダーとするカルト的集団のなかで暮らしていた。彼らは集団農場を営む裏で、盗みや殺人、リーダーとの性行為を繰り返していた。マーサはマーシー・メイの名を与えられ彼らと2年の月日を過ごす。しかし、ある日脱走を試み、姉のもとに身を寄せるようになる。日常生活に戻ってきた彼女であったが、マーシー・メイとして過ごした過去のトラウマが彼女を苛み周囲を戸惑わせる奇妙な行動を繰り返す。
1952年、アメリカ、監督:フレッド・ジンネマン、舞台となる地域:アメリカ
クェーカーのエミイと結婚したばかりの保安官・ケーンは、5年前に自分が逮捕、投獄したミラーが保釈され、復讐のために町にやって来ることを知る。ミラーは弟と仲間を連れて複数人で来るため、ケーンは町の人々に手助けを頼むものの、断られてしまう。また、クェーカーの非戦・非暴力の信仰ゆえに、エミイは闘いを避けケーンを置いて町を出てしまう。孤立無援のなか、覚悟を決めてミラーたちと対峙するケーンの死闘を描く西部劇映画。クェーカーの信仰とケーンへの愛で揺れるエミイが、決闘の行方を左右する。
1992年、アメリカ、監督:スパイク・リー、舞台となる地域:アメリカ
アフリカ系アメリカ人の解放運動家として、キング牧師と対比的に語られることの多いマルコムX。その生涯を自伝をもとに映像化したもの。悪事に手を染めていた彼は、刑務所の中でネーション・オブ・イスラムという教団に出会いイスラームに改宗する。戦闘的な主張によって知られたが、ネーション・オブ・イスラムを離れ、その後メッカ巡礼をおこなうことによってムスリムとしてのアイデンティティを再確認し、他の人種や民族とのより融和的な主張を行うようになっていく。
1956年、アメリカ、監督:ウィリアム・ワイラー、舞台となる地域:アメリカ
1650年代ジョージ・フォックスによって開始されたキリスト教の一教派であるクエーカーは、その敬虔な生活と非戦・非暴力で知られる。そのクエーカーの一家が、南北戦争の只中、南軍が押し迫まっている状況でどのように信仰と向き合っていくのかが描かれる。
2006年、アメリカ、監督:ポール・グリーングラス、舞台となる地域:アメリカ
「9・11」でニューヨークのツインタワーに2機の飛行機が激突した後、ユナイテッド機93便が乗っ取られピッツバーグ郊外に墜落した。同機内では、乗客 が犯人に立ち向かい、飛行機が標的にぶつかることを防いだといわれる。残された資料や証言をもとに、機内の様子を描いたのが本作である。「9・11」以 降、事件に関する映像作品が多数作成されているが、そこでの宗教の描かれ方については批判的に検証していく必要があるだろう。
2009年、アメリカ/イギリス/ニュージーランド、監督:ピーター・ジャクソン、舞台となる地域:アメリカ
14歳の少女が連続殺人犯に殺害される。犯人も遺体も発見されないまま、家族は彼女の死によってばらばらになっていく。殺害された少女は、美しいあの世で楽しく過ごしていたが、事件の真実と家族の崩壊に心を痛め、あの世から家族に必死に訴えかけようとする。家族もその気配を感じ取り、次第に犯人が明らかになっていく。生と死についての伝統的理解を離れた、現代的死生観の一端があらわれていると言えるだろう。
1993年、フランス/イギリス、監督:ベルナルド・ベルトルッチ、舞台となる地域:ブータン、ネパール、アメリカ
チベット仏教のトゥルク(化身、転生者)信仰に基づき、ブータンの僧が師の生まれ変わりを探す過程が描かれる。中心となるのは、生まれ変わりの一人として選ばれたシアトル在住のアメリカ人少年とその家族の葛藤と成長である。背景となる輪廻思想やトゥルク信仰のみならず、仏陀の生涯、チベット仏教の現状なども垣間見ることが出来る。