Modern Architecture:Former Chubu Gas Company Office, designed by Toshio Banno, built in 1930 by Daiken Koumuten

中部ガス本社屋 竣工:昭和5(1930)年 設計:坂野鋭男 施工:桑畑一志(名古屋市,大建工務店)

『中部ガス創立100周年記念誌』。2014年10月20日加筆

1.建設の経緯

中部ガスの前身である豊橋瓦斯は,明治42年10月の設立とともに,当座の本社を市内大字本14番地においた.ガス製造所用地は豊橋駅西側の市内大字花田字手棒に求め,製造施設は明治43年1月に完成した.同年12月には本社機能も製造所内に移したが,製造施設建設に多額の工費を使ったため,この初代本社建物は木造の簡素なものであった.花田字手棒の地名は,唯一現在,手棒橋に残っている.

豊橋瓦斯は豊橋の商工業の発展とともに販売を伸ばし,大正時代に入ると電気とともに一般市民にとっても必要不可欠な生活基盤の一つになった.そのため,社会が不景気になると電気・ガス料金が市民生活を圧迫することになり,大正後期から昭和初期にかけて数度の料金値下げを断行せねばならなかった.

そのような社会状況のもとで,豊橋瓦斯は昭和4年暮れに新社屋の建設を決めた.瓦斯事業が拡大する中で旧本社ビルが手狭であったことと,ガス燃料による近代的生活を人々に見せ示すために新しい建築が必要であった.

豊橋瓦斯を引き継いだ中部ガス(現サーラ)は戦前の施設営繕に関する記録を保管しており,戦災のために東海地方の戦前の建物がその記録ともに消失している中で,この中部ガス旧本社屋は昭和初期の建築活動を知る貴重な事例である.

2.設計者坂野鋭男とデザイン

設計は名古屋の建築家,坂野鋭男に任され,豊橋瓦斯支配人宛に昭和5年1月9日付けの手紙とともに設計案が同封されてきた.これが豊橋瓦斯側に残されている最初の記録であるが,これから社長福谷元治がすでに坂野とは面識があり,遅くとも前年の暮れに鉄筋コンクリート造建築の設計を発注していたことが分かる.坂野は現在判明しているだけで,昭和3年豊橋市商工会議所(写真2),次いで昭和4年に名古屋銀行津島支店(写真3)を設計しており,豊橋商工会議所建設を通して福谷と知り合い、信頼されるようになったと考えられる.

昭和初期に入ると,地方都市でも役所や学校などの公共建築だけではなく,銀行建築なども鉄筋コンクリート造で建設されるようになった.豊橋市内では,昭和2年に札木町に名古屋銀行豊橋支店(写真4)が竣工し,これは大きな箱形をしており,道路側に彫りの深い開口部をあけ,その陰影がファサードの唯一のアクセントとなっている.装飾らしいものは全くなく,商業建築として魅力に欠けるものであった.

それに対して,昭和3年に坂野の設計で竣工した豊橋商工会議所は,玄関の上に庇をかけ,またファサードをモールディングで飾り,豊かな表情を持っていた.さらに名古屋銀行津島支店では,玄関を古典式の双柱で飾り,坂野は公共建築とは異なる民間建築にふさわしいデザインを実現しつつあった建築家といえる.

3.豊橋瓦斯本社ビルの設計

豊橋商工会議所と名古屋銀行津島支店は完成後の姿しか分からないが,豊橋瓦斯本社ビルについては設計の決定過程が通信文と図面から判明する.手紙は昭和5年1月9日付けの手紙から同年6月までの間に11通,また葉書が4通残されている.最初の手紙が「豊橋瓦斯株式会社支配人」宛であるのに対して,1月11日の面会以後は「西川支配人」宛になっており,これ以後西川浅次郎が設計と建設責任担当者として対応したことが分かる.

その1月9日付の手紙で,坂野は所定の大きさの部屋を1,2階に適切に配置し,その設計図面を同封したことと,この案を検討するために同月11日に訪問する旨を伝えた.また,設計図では中心線で坪数を算定したが,有効寸法は鉄筋コンクリートの壁厚7寸を減じた値であると申し添えた.この時の打ち合わせで会議室の狭さが問題とされたが,同月13日の坂野の手紙では階上の会議室の幅を変更することは柱の関係上無理であると返答した.

豊橋瓦斯側が坂野にどのようなものを依頼したのか不明であるが,平面案を見る限り,通常の事務所建築にはない試験室が1階に,また陳列室が2階に配置され,少なくともこれが発注者側からの要求であったと考えられる.試験室は事務所機能とは異質であり,そのために事務室を通らずに出入りできるように,専用の玄関を用意した.また,陳列室は2階奥に配置したため,お客は1階の事務室を通って階段で上がることになり,一見不便な印象を受ける.この立地を考えると,今日の一般消費者向けのショーウィンドーを作ろうとしたのではなく,特定の顧客のためか、あるいは講習会の用などのために設けたと思われる.

2月7日付の手紙で,坂野は先に決定した平面図に基づき立面図案の作成に入ることを告げ,その後,2月10日付けの手紙で4案と配置図を同封してよこした.図案には順に⊕案(Fig.5),□案,○案と符号が付けられているが,四案目には何も付されていない.最初の三つの案の基本的相違は窓アーチ形のデザインにあり,⊕案はゴシック風の山形,□案の二階窓は半円形アーチ,そして○案の二階窓はフラットアーチとされ,またどれにも若干のモールディングが施されており,クラシック的な雰囲気を出している.いうなれば,これらは豊橋商工会議所や名古屋銀行津島支店と同じ系譜上のデザインであった.

それらに対して符号がついていない四つ目の案(Fig.6)は全くクラシックらしさがなく,縦長の窓を水平の枠で取り囲み,また2階壁に水平の溝を入れることによってさらに水平性を強調し,同時代に世界的に流行したアールデコを想起させる.この様式は、1920年代後半に工業製品の装飾芸術として生まれ、幾何学形態やストリームラインを特徴としており、ガス製造装置が並ぶ敷地内の建築を一段と引き立てるものであった。そのため、この図案は間違いなく坂野が「周囲との調和もとれ,かつ最新の様式」と考えた△案であり,豊橋瓦斯側に最も推したいものであったに違いない.彼がどこからこの最新様式を知り得たのは不明であるが,豊橋瓦斯もこの斬新なデザインを歓迎したのであろう.

その後,坂野は西川支配人と面談し,最新案を推薦したことは間違いなく,3月2日には最終設計図を敷地配置図とともに3月末に届けると連絡した.そして,3月31日に設計図と仕様書を送り,坂野は4月6日午後1時に来豊し,支配人と入札の打ち合わせを行った.この設計図書は配置図,1階平面図,2階平面図,東立面図,北・南立面図,西立面図,縦断面図,横断面図,外部詳細図,内部詳細図,中廊下詳細図,便所詳細図,基礎伏図,一階梁伏図,屋階梁伏図,柱配筋図,梁配筋図,梁配筋表,配筋詳細図,基礎配筋図,仕様書からなりたっている.

この最終図面と先の案との間には基本的相違はないが,立面図では庇,窓上,コーナーなどにモールディングが施され,玄関両脇に化粧付柱が添えられた.そのおかげでとてもモダンな設計案が古典風へと一歩回帰した印象を受ける.また,外装は設計の最初の段階から石張り腰壁の上をスクラッチタイル張りとすることが決まっていたらしく,仕様書にそのように指定された,

設計図書が完成すると,坂野は4月14日に県建築課への建築申請を準備することを告げ,さらに4月16日には未確定であった部分の仕様を送付してきた.この間に入札が行われていたことを意味し,入札業者からいくつかの細部仕様について質問が寄せられたのであろう.2階便所の床防水工事,階下窓両脇に用いるタイル,2階屋外床用タイルの三項目の仕様を定め,さらにこの手紙で,前回社長を交えての打ち合わせの際に「2階陳列室床リリノードを廃し板張り」とすることになっていたので,コンクリート床に根太を配置して,その上に楢板市松張りとすることにした.リリノードとはリノリウムのことであるが,衛生的で防水性はあるが,美観や耐久性の面で寄木張りに劣る.

4月20日付手紙で22日に来豊することを告げ,おそらくこのときに入札予定業者との最終確認を行なったのであろう.また,5月1日付手紙で同月2日の工事契約調印と地鎮祭に来ることを述べている.

4.入札と工事業者決定

坂野の手紙にあるように,4月6日には設計図面と仕様書が確定し,翌日豊橋瓦斯社長名で「事務所新築付見積照会紹案内」が志水正次郎(名古屋市),廣瀬久彦(名古屋市),桑畑一志(名古屋市,大建工務店),清水組名古屋支店,竹中工務店に送られた.坂野が直前に何度か福谷社長,神野常務,西川支配人らと会っており,入札業者の選定は坂野の助言によるものだったと思われる.下表が各社の応札金額明細である(表1).

坂野が見積もった2万4693円という予算額に対して,竹中工務店と清水組がそれを超えたが,名古屋の廣瀬,桑畑,志水は下回った.工事ごとの見積金額をみると,基礎・コンクリート工事,鉄筋コンクリート工事,左官工事の相違が小さく,昭和5年時点ですでに地方の請負業者も鉄筋コンクリート造建築に十分に対応できたことを示している.一方,金物・錺工事や装飾工事に見積金額に相違が大きいのは,仕様書に不明な点があったためで,そのため前述したように4月16日に坂野は仕様書細部を作成し直した.

豊橋瓦斯側は名古屋三社との値引き交渉に入り,4月17日に桑畑が来豊し「神野常務宅にて福谷社長列席交渉の結果更に金壱千円四百円値引」し,1万9800円で契約の一歩てまえまでこぎ着けた.他社とも値引き交渉を継続していたが,廣瀬は4月25日付で「イカンナガラ 二〇五〇〇ヨリネビキデキヌヒロセ」と打電してよこし,入札を断念した.最終的に,5月2日に大建工務店(桑畑一志)が1万9800円で契約し,県から5月8日付で建築許可(建築認可第二九七九号)がおりたので,同17日に着工した. 桑畑一志(大建工務店)が,この建物以外にどのような請負をしていたのか不明である.一方,入札に参加した志水正太郎は志水建築業店を組織し,大正から昭和時代の愛知県内で多数の鉄筋コンクリート造建物を手がけた.また,廣瀬久彦の方は明治30年(1897)年2月に工手学校を卒業(16回)し,名古屋の廣瀬商会として坂文種報徳会(昭和6年)などの建物を建設した.

5.実施設計と工事

完成した建物を子細に見ると、最終案からさらに手が加えられたことがわかる。大きな変更の1つは玄関庇の支柱とコーニスに繰形装飾がついたこと、二つ目は水平線を強調する笠木や窓台などをスクラッチタイルと同色にしてしまったことであろう。あまりにも前衛的なデザインは受け入れられなかったということなのであろうか。

6.完成

工事自体どのように進んだのかは不明であるが,記録によれば建設工事が始まる4月25日に大倉商事名古屋出張所にラジエーター社のガスボイラーを発注し,6月16日に大阪電気商会と電気工事契約を結び,そして名古屋の山田タイルに外装タイルを納入させたことがわかる.工事は順調に進んだと思われ,県へは11月10日付で竣工届けを出し,11月26日に新社屋での業務が始まった.

昭和5年11月に竣工した豊橋瓦斯会社事務所は,クラシック系からモダニズムへの移行を示す意欲的なデザインであり,豊橋瓦斯会社という近代指向の企業の理解があったからこそできたものであった.

Fig.1 中部ガス本社屋全景 水平線が強調されている

 

Fig.2 玄関ポーチ Fig.3 コーナー部のスクラッチタイルの納まり

[スクラッチタイルや窯変タイルなど、上質のものを用いている]

 

Fig.4 室内腰壁の窯変タイル Fig.5 外部床のクリンカータイル

 

Fig.6 名古屋銀行津島支店   Fig.7 同左

[双柱や窓枠にクラシック様式の要素が残り、なおかつ垂直性が強い]

 

Fig.8 豊橋商工会議所      Fig.9 同左

[窓枠にクラシック様式要素が残り、垂直性が強い]

 

Fig.10 平面設計案1階 Fig.11 2階

  

Fig.13 ファサード案A Fig.14 ファサード案B Fig.15 ファサード案C

Fig.16 最終案