【16】
降臨したのは天使だけでなく
クロは耐えかねしばらく駆けていたが、外が見える場所で足を止め、窓から街を見下ろした。すっかり外は真っ暗で、月明かりだけが寂しく町並みを照らしていた。
「……なんでなのかな……? 私みたいなクズが死ねばいいのに……なんでユキちゃんが……」
「君はクズなんかじゃないよ」
何かが羽ばたく音が聞こえた。クロが声の方向を向くとそこには紛れもなく少女が、確かに羽を伸ばして浮遊していた。銀色の髪に青い瞳、胸元に輝くピンクの色の羽のアクセサリー、一際目立つ背中から生えているであろう白い翼。
「……天使?」
「そう。私はコハネ、音無小羽」
コハネが静かにそう言った。クロはしばらく浮遊する彼女を見つめていた。
「……トラシーくんね……、きっと大丈夫だよ……。ここは天使や悪霊の影響を受けない空間だから……本当はもうとっくに死んでるんだよ、彼」
「え? とっくに……?」
「うん、一応自分の立場の権限で調べさせてもらったの。数十人の管理下の住民が姿を消したって、まぁ表向きにはその調査に来たんだ」
「あ……そう……っていうか表向きには?」
コハネが窓の枠に腰をかけ会話を続ける。
「うん……実は私ある人を探しに来たんだ……」
「ある人?」
「うん、そうだよ」
コハネが口を開こうとした矢先、トラシーウィザードが部屋から飛び出してきた。輸血のスタンドが倒れる音が響き渡る。
「……!?」
「ユキちゃん!? 大丈夫なの?」
「シュンヤ……?」
質問に応えずここにいない人の名前を呼ぶトラシーウィザードを、クロは心配そうに見つめる。
そこにシュンヤが帰ってくる。
「……」
顔を上げたシュンヤは笑顔で言う。
「終わりました……Mine Funeral……。終わりました……」
「え……? 本当に……?」
「うん、だからホラ……、みなさん運命変えられましたよ!!」
「シュンヤ……?」
「こっ……小羽さん!?」
「え? 何? その気持ち悪い呼び方は?」
「気持ち悪い呼び方?」
「普段あんた私のこと『さん』付けじゃないじゃん、それに何? そのダッサイ服装は……」
「これはその……」
「え……? どういう事……?」
「これは本来のシュンヤじゃないよ……、私の知ってるシュンヤじゃないよ!!」
それを聞いて、一瞬真顔になったシュンヤが顔を上げにんまり笑う。
「あーあ、黙ってたら運命変えて無事に帰してあげたのにな。ま、能力は返してもらうけどね」
「シュ……シュンヤ?」
「でもまぁ、運命は変えてあげるよ。さすがの俺もそこまで外道じゃないさ」
シュンヤが指を鳴らす。すると、トラシーウィザードが胸や体のいたるところに触れ、瞬きを繰り返す。
「ユキちゃんどうしたの?」
「いや……病気の慢性的な痛みとか胸の苦しさが無いし……、視界がめちゃくちゃはっきりしてる……?」
「え?」
「そりゃそうだよ、彼には健康体をプレゼントしてあげたからね。君だって嫉妬心消えてるだろ?」
「あ!?」
「まぁ、まさかコハネに邪魔されるなんて思ってなかったけどな。あーあ、俺も大分抜けちゃったねぇ」
口調の変わったシュンヤは不気味な笑顔を浮かべながらそう言い、大会参加前にコハネから受け取った笛を取り出すと、それを地面に落とし踏み割った。
「えっ!? シュンヤ……?」
「この世界に来たからには、幼馴染とはいえ許さないからね」
そうつぶやくとシュンヤは金色の音符のペンダントをポケットから取り出し、音符に軽く口づけた。するとシュンヤの背中から左側にだけ白い翼が生える。その姿をみたトラシーウィザードが息をのむ。
「そんなまさか……都市伝説、だろ……? 本当に存在したっていうのか……! カタヨクが……!?」
「え? なにそれ……?」
「えと……それは……」
「その名前で俺を呼ぶんじゃねぇ!!」
シュンヤがそう叫ぶが早いか、窓ガラスが派手に割れトリックスターが飛び込むのが早いか。床に散らばるガラス片を見つめ、シュンヤが冷静になる。
「トリックスター!? 狼であるあんたって死んだはずじゃ……?」
「クラウンヘッドの願いのおかげだよ、あいつは俺の願いを叶えたいってのが願いだったんだ。だから生きていられた」
「よぉ、二つ目。中々似合ってんじゃねえか」
「ありがとう、それはクラウンヘッドにも言って上げてよ」
「……」
そこに立っていたのは赤い目と青い目のクラウンヘッドだった。トリックスターに続いて入ってきたのだろう。
「なるほどな、お前の目だろ?」
「うん」
「もとからそこにあったかのようにピッタリだな」
「……ありがとう」
「ふふっ……クロエやっと笑ってくれたね」
「ガスパール!!」
恥ずかしそうにクラウンヘッドがトリックスターに抱きつく。シュンヤはその光景を見ながら露骨に嫌そうな顔をする。
「なぁ、自分の立場分かってんの? 君達」
「た……立場……?」
「あぁ分かってるさ、主催者さん」
トラシーウィザードがゆっくり立ち上がりながらシュンヤに返事をする。出来る限り冷静に、言葉を選んで口を動かした。
「え? 主催者?」
クロが状況を理解できていないのか、混乱したような声で言った。それもそうだ、ほんの数時間前まで仲間だった人間が突然こうなったのだから。そんなクロを落ち着かせるため、トラシーウィザードが言葉を重ねた。
「あぁ、ボクの知ってる秘密で『全員が運命を変更するためには殺人犯である狼を殺せ』ってのがあるんだ。でも秘密を他人に話すのは禁止」
「それで?」
「でもシュンヤはそれを知る手段がないのに『トリックスターを殺せば戦いは終わる』、そう言ったんだ」
「え? 何でトリックスターを殺せば試合が終わるの?」
「狼だからだ、狼って言うのは金の瞳に黒の目を持っているんだけど、これはボクがとある人を殺して手に入れた秘密だ。つまりもうこの世にいないそいつとボクしか知らない情報だ、だからそれをシュンヤは知らないはず。ずっとそれに違和感があったんだが、案外簡単な理由だったな、それ知ってんの」
「そ、俺はこの『Mine Funeral』の主催者で、この世界を作り出した天使とも人間ともいえない存在さ」
「カタヨク……つまり、天使と人間の間にまれに生まれる翼を片方しか持たない歪な存在、実在するなんて思わなかった……」
トラシーウィザードが沈痛な面持ちで何かを抑えるように呟いた。間髪入れず、クロが重い口を開きシュンヤに問いかける。
「……シュンヤ、……何でこんなことをしたの……?」
「……世界はいつだって……異端を許さないんだ」
「え?」
「……例えば、『白い肌の夫婦から生まれたのが黒い肌の子供だった』、『黒髪の両親から生まれたのが白髪の子供だった』。家族っていう狭い範囲ではその存在を受け入れてもらえるかもしれない、だけど一歩その輪から外れてしまったら……。あとはもう、迫害されて傷つけられるのを待つだけなんだよ……」
「そんな……」
ショックを隠せないクロの言葉を遮るようにシュンヤが続ける。まるでそれが当たり前のことで、それを不思議がる方が異常だとでも言いたげに。
「だってそうじゃん、そんなことになったら真っ先に女は浮気を疑われ軽蔑される、男は憐みの眼を向けられる。んで、やがてその眼は子供にも向くんだよ、心無いおせっかいをわざわざ口にする奴らのせいでね。最も……異端すぎた俺には、それすらなかったけどな」
シュンヤは音が出そうな程奥歯を噛み締め、異端でない、自分と比べればふつうのひとたちを見た。
「俺は……生まれてからずっと……いろんな感情に耐えてきたんだよ。悪意にも憎しみにも、あらゆる負の感情を向けられてきたんだよ。……両親が生きているうちは、どれほどの悪意を持たれていようとも、俺は耐えられたんだ! それらを向けられても両親だけは愛してくれてたからな」
シュンヤが大きく息を吸い込んだ。元には戻らない、やるせない怒りを何処かへぶつけるように、左側からしか生えていない、白い大きな翼を揺らして、叫ぶ。
「だけど両親は殺されたんだよ!! 天使が!! アンヌ・カドーの使用を恐れて!! 両親が乗ってた飛行機は墜落したんだよ!! 天使の襲撃で!! 母さんはアンヌ・カドーで人を傷つけたりなんてしなかった!! むしろその力で人々を喜ばせてた……! それなのに……あいつらは……。父さんも母さんも!! 骨も残らないような形で殺したんだ!! 写真ですら、身から離さず持っていた一枚以外みんな、穢らわしいって燃やされた!!」
「『アンヌ・カドー』……?」
「シュンヤのお母さんが持ってた、数百を超える不思議な力のこと……、なんでそんなことになったかは分からないけど……」
取り乱すシュンヤに代わり、コハネがクロにささやいた。
「ま、この大会の参加者ってのはな、母さんが死ぬ直前に解放したアンヌ・カドーに恵まれた人間か、魔法使い、または人を傷つけた過去をある奴らだ」
「じゃあ……この絵の実体化能力って……」
「アンヌ・カドーだけど? ……あのさ、クロ」
「え?」
「ここまでこれば、俺が何を言いたいか分かるよな?」
「!! クロちゃん逃げて!!」
「え!?」
コハネがクロを突き倒す形でシュンヤの攻撃を避けさせる。シュンヤが物体浮遊の力で投げたそれは、コハネが旅立ちの日に渡したあの笛の欠けらだった。先程踏み割られたそれは人肌を切るには十分な威力を持っていた。笛は壁に当たり、見る影もなくなった。
「シュンヤ……? なんでこんなことを?」
シュンヤが左手をクロに向けながらこの場に似合わない穏やかな表情で言う。
「返してよ、アンヌ・カドー。俺の母さんの力なんだよ、それ」
「……返すって……どうやって?」
「んー……、大体の連中はそうだな」
シュンヤがテーブルの上のナイフを手に取りクロにゆったりとした歩調で迫る。ナイフを握っているのは左手だった。左利きの天使は、同じ天使からでも嫌われる傾向のある利き手であり、実際左利きの天使は他の天使と馬が合わず迫害されることも多い。――シュンヤもその一人だった。
刃を見せつけるようにクロの頬に当て、言う。
「殺して奪い取ってきたよ、研究員を造って殺さず済む方法も探したけど、あそこまでべっとり能力張り付いてたらもう無理なんだって」
「なっ!! やめてっ!!」
クロがシュンヤを渾身の力で突き飛ばす。盛大に尻もちをついたシュンヤがゆっくりと立ち上がり、言った。
「もう……いいや」
「な……何が?」
「ここにいる奴ら生かして帰すより、世界ごと立て直した方がいいや、きっと母さんもそのためにこの力をくれたんだよ!! アンヌ・カドーの全回収のために!!」
「違う……違うよシュンヤ!!」
「止めんなコハネ!! これは俺の問題だ……。だからこの世界はぶっ壊す、お前ら諸共」
「やめて……やめてよシュンヤ!!」
「……、そうだな……。ほら、あの真ん中の塔、見えるか?」
「え……うん……」
「あそこの最上階で待ってる。お母さんの作ったあの歌を聴きながら、ね」
「……分かった、何としても止めてやるから……!!」
「そう、やれるもんならやってみな」
シュンヤはそう言い残すと、ゆったりとした歩調でみんなの前から消えた。