【10】
『狼』

「ユキちゃん……、『こいつは殺せない』って……?」

「……最も遭遇したくない相手……って言うのが分かりやすいか?」

トラシーウィザードが箒を構え直して言う。隣でクロも絵筆を構えた。

「ふふっ……、感じるよ。表面上は真っ白だけど、心の中は黒いものでいっぱい。表面上は真っ黒だけど、心の中は真っ白い」

「あぁん? お前何言ってるんだ?」

「あぁ、気にしないで。君たちの過去をちょーっとばかし調べさせてもらったんだ」

クロがその言葉にびくりと反応する。

「……!」

「棗、ここは何とかして勝つか逃げるぞ。まぁ防御系でもちょっと努力すりゃ何とかなんだろ、だから援護を――」

「見透かされちゃったんだ、ユキちゃん以外の人に」

「はぁ?」

クロは力が抜けたようにその場にぺたんと座り込む。

「……ユキちゃん以外の人にも分かるぐらい……、私……、私……!」

「棗!! 今はそんな事言ってる場合じゃない!! 愚痴ならあとでいくらでも聞くからまずは現状を何とかすることを考えてくれ!!」

「……逃げてどうするの? 人間、根本的なものなんて変わらないよ。それにたとえそれが変わったとしても、周りからの評価なんて変わらない」

「っ!! バカ!! じゃあ今まで何のために頑張ってきたんだよ!!」

「……ユキちゃんには分からないよ!! 私のことなんて!!」

「そりゃ分からないけどな、お前は……」

「――クロちゃんが、なんだい?」

トリックスターがトラシーウィザードに微笑みかける。全てを見透かした目で、ひたりとナイフを首に当てているかのような緊張感を放っている。
トラシーウィザードがぞっとした顔をし箒を構える。

「あれ~、なんで俺に向かってそんなの構えてるの~? 酷いなぁ、俺は非武装なのに」

「お前マジシャンだろ? どこにでも武器は隠し持てる」

「あぁ、ばれてたのか、でも……その魔力の尽きそうな体で何ができるの?」

「!?」

「知ってるよ、君本当は腕を上げるのもしんどいぐらい弱ってるのを魔法で補ってるんだよね? でももう魔力足りないんじゃないの?」

「黙れ……」

「目の下、真っ黒じゃないか! 魔法使いの魔力回復は睡眠からしかできないんでしょ? それに」

「だっ……黙れ狂人!! なんでお前がそんなこと知ってるんだ!! お前狼かよ!!」

トラシーウィザードが叫ぶ。すると、トリックスターからすっと笑顔が消える。

「へぇ……、俺のことよく分かってんじゃん……」

「やべっ!!」

トラシーウィザードは逃げ出す体勢を取ろうとしたが、クロの状態を再度見て、箒を構え直した。トラシーウィザードは体が震え歯が鳴るような本能レベルの恐怖に耐え、ゆがんだ笑顔をトリックスターに見せ、必死に平常心を装っていた。

「『弱い犬ほどよく吠える』って言葉知ってるかい?」

「はっ……この場合弱い犬はお前ってわけか?」

「えー、俺はそんなに怖がってないよー。怖がってるのは君の方でしょー?」

「……」

「そりゃそうだよねー、君は狼である俺を殺せないもんねー、今ここで攻撃食らったら死んじゃうもんね、アイスミストくん」

「その名前で呼ぶな!! この愚民風情が!!」

その言葉を耳にした瞬間、トリックスターがトラシーウィザードを突き飛ばし首を絞める形で押さえつけた。トラシーウィザードが箒を握っていない方の手で自らの首を絞めている手に抵抗した。見るからに苦しそうな顔でトリックスターを凝視する。

「うるせえんだよ、何も知らない反抗的なクソガキの癖して偉そうな口きいてんじゃねえよ」

「っ……ぁっ……! ボ……クは……何も知らない反抗的なガキじゃ……ない!!!!」

トラシーウィザードが箒でトリックスターの足を刺し、直接凍らせるとトリックスターは手を放した。
その隙にトリックスターの束縛から抜け出すとすぐにその場でむせ返る。

「ゲホッ!!!! ゴホッ……」

トラシーウィザードはなんとか息を整えると、再度箒を構えた。一方トリックスターはそれを待つ形になってはいたが、余裕はあまり無さそうであった。たん、たん、と足を鳴らしているかと思えば、貼り付けたような笑顔を引き攣らせ、こう言った。

「あーあ、まだ生きてたんだ。俺は全員死んでくれないと困るのに……」

「ふざけるな!!」

トラシーウィザードが大きく息を吸った。そして、叫ぶ。

「ここにいるやつらはみんな何かしら自分を変えたいからここへ来たんだ!! 自らの墓前に祈りを捧げるつもりで、自ら首をつるつもりで!!!!」

トラシーウィザードは箒を振るい、何度も何度もトリックスターを狙ったが、トリックスターはそれを全て何事もなかったかのような足取りで避けた。

「君の魔法、新人のナイフ投げみたいだ」

トリックスターはそう呟き、自らの眼帯を外して髪を整えた。今まで見えなかった彼の顔が現れる。金色の瞳に、黒い白目。何より特徴的なのは、髪の隙間から三つ目の目が見えていることだった。

「お……狼……? 本当に狼だったのか……?」

「へぇ……、四番目の秘密持ちなんだ君……って事は君、俺に殺されるわけにはいかないんだね」

「うっ……」

「……驚いた。もしかして九番目も知ってる?」

「……だったら、なんだよ……」

「……子供を殺すのは気が引けるんだけど……本当に生かしておけない状況になったね」

「……お前……、何でそんな悲しそうな顔してるんだ?」

「……そりゃあ……殺したくはないからね」

「……」

「でもこれで俺の願いはわかっただろ……? 俺は、この三つ目を治したいんだ。だから負けられない。出来れば、クラウンヘッドの一つ目も一緒にね」

「…………」

「それに、俺も同じ気持ちだよ。君の言う通り、生きるために死ぬ気でここに来た」

「っ……!」

トラシーウィザードは驚いた表情を浮かべたが、すぐに冷静な顔に戻り、タバコをくわえた。間を入れずトリックスターがそのタバコを奪った。

「なっ!! 返せ!!」

トリックスターがひらひらとタバコの箱を見せると、トラシーウィザードはすぐさま自分のポケットを確認した。

「おいストックまで取りやがって!!」

トラシーウィザードはタバコを取り返そうとするが、ひょいひょいと躱されてしまう上、そもそも上背が足りていなかった。

「クソッ……ニコチン切れでイライラする……」

「じゃあこれあげるよ」

投げ渡されたのはミントガムだった。トラシーウィザードは何を渡されたかを確認した後、それをそのまま地面に捨てた。

「良いからそれ返せ、常に吸ってないと落ち着かないんだよ」

「君、死にたくないからここにいるんでしょ? 病気で長くないこと知っちゃったからさ」

「だったらなんだ? 大会に勝って生き残ればどっちにしろ同じ話だろ?」

「……、それはすなわち……俺をシュンヤくんに殺させなきゃいけないってことだよね?」

ぽつりと呟いて、トリックスターは笑顔でタバコを握りつぶした。露骨に顔をしかめてトラシーウィザードがそれを見つめた。

「なんでシュンヤのことを……?」

「んー……まぁ見てたからね、君たちの行動をある程度」

「マジかよ……タバ……あぁそうか……」

「この後に及んでまでタバコね……。でもまあ、もう吸う必要は無いよ」

「あ?」

「だって、もう数分後には呼吸の要らない体になるからね」

「っ!!」

「まぁ生かしてあげても良かったんだけどさー。そんなに生意気な態度取られて生かしてあげようなんて思えるほど、俺大人じゃないんだよね」

トリックスターがどこから取り出したのか大量のナイフを投げつける。トラシーウィザードが箒を構えトリックスターの攻撃を防ごうとするが、そのナイフの威力は強力で、作り出した氷の盾すら突き破った。もう守りのないトラシーウィザードの体にナイフが刺さる。追い討ちのように、砕けた氷の破片も体をかする。

「痛っ……!」

傷口を押さえ隙が出来た瞬間に、彼の懐にもぐりこんだトリックスターがトラシーウィザードの腹部に殴りかかる。その衝撃で仰向けに倒れた彼の右腕を思い切り踏みつけ骨を折った。そしてその手のひらにナイフを差し込み動けないようにした。

「っ!!」

トラシーウィザードの声にならない悲鳴が短く響いた。
その痛みにもだえる表情を見てトリックスターは冷たく微笑み、わざと調整してトラシーウィザードのギリギリ手の届かないところまで飛ばした箒を足で踏み折り始めた。何とかナイフを抜こうとしていたトラシーウィザードの左手が止まる。

「箒が……!」

「残念、これで魔法は使えないね。だって魔力暴走してこの街ごと全破壊しちゃうかもしれないもんね」

「くっ……」

トリックスターが一転冷たくも見える冷静な表情で問いかける。

「君はもっと生きたかったんだよね?」

「だったらなんだよ……勉強たくさんしたいしもっと体動かしたい、ただ健康になりたいっていう些細な願い事を持つことは悪いことか?」

「ううん、人として当然だよ。俺は……、平凡な生活が欲しかったなぁ……」

トリックスターはそう呟き、ナイフをトラシーウィザードの胸の上に構えた。

「バイバイ、アイスミスト君。いや……こう呼ぼう、雪波綾人君」

トラシーウィザードは追い詰められて尚、本名を呼ばれたことで戦意を取り戻したかのようにトリックスターをにらみつけ、放心状態のクロのことを思い出す。咄嗟にトリックスターの足を払い転ばせると、刺さっていたナイフを勢いで貫通させる形で引き抜きクロの元へ全速力で移動した。
クロの手に握られた筆を彼女の手ごと握る。一瞬ためらった表情を見せたが覚悟を決めたように自分の胸へと深く突き刺した。

「がっ……うっ…………」

言葉にならない悲鳴を上げると、手元で響いたその声でクロが我に返った。

「ユキちゃん……!?」

「棗……これでボクの知ってる秘密は君のもの……だから……」

ゆっくりと胸から筆を抜くと脈を打つ心臓の音にあわせて血が何度か噴き出した。明らかに動揺する様子を見せているクロを見つめると、トラシーウィザードはクロを優しく、それでも確実に川へと突き飛ばした。

「え?」

勿論、重力に従ってクロは川へと落下する。

「棗……お前は逃げ切れ……」

トラシーウィザードが息も絶え絶えに、祈るようにクロへと言葉を捧げると、受け身も取れず倒れた。泣いているような笑っているような顔で目を開いたまま倒れているトラシーウィザードを乱雑にひっくり返すと、トリックスターはトラシーウィザードの瞳孔を確認し、呟いた。

「あーあ、自ら死を選ぶなんてね」

心底つまらないと言わんばかりのそれを聞く者はいなかった。
トリックスターは先程とは違い優しい手つきでトラシーウィザードの目を閉じさせた。トラシーウィザードの私物を彼の元に集めたが、数秒迷った後、タバコはあえて置かずに持っておくことにした。トラシーウィザードを前に、帽子を脱いで一礼すると、トリックスターはその場を離れた。