【03】
出発と出会い

次の土曜日、シュンヤは特に変わりなく、いつも通りに目覚ましが鳴る前に起きた。
朝食代わりにビスケットを頬張る。何枚か食べ終わったぐらいで、窓にコツコツと何かが当たる音がした。シュンヤがカーテンを開けると、窓の外にバトラーがいた。そのまま窓も開けると、シュンヤはバトラーに話しかけた。

「それで、何の用ですか?」

「準備が整いました。今すぐ行きますか?」

「ん…… 、ちょっと考えさせてください。持っていって良いものと、そうでないものはありますか?」

「特に指定はありませんよ、お好きにどうぞ」

「そりゃどうも」

手短に礼を伝えてシュンヤは窓際を離れた。リュックに携帯食料、飲料水、財布を詰め、窓際へと戻る。

「あー…… お金ですか」

「持って行っちゃだめですか?」

「あ、いえいえ。必要ないってだけです。専用通貨にて経済が機能しております故」

「そうですか」

部屋に財布を置きに戻ると、ふと目に入った唯一の家族写真。亡くしてしまった両親と、幸せだった頃の自分。シュンヤは無意識のうちにそれに触れて、一瞬ためらったのちにその写真もリュックに入れた。

「バトラー、お願いします」

「はい。では、私の案内はここまでとなります。わたくしどもはあちらにもおりますので、不明点等あればお気軽にお尋ねください」

シュンヤの目の前に、扉が出現した。もうシュンヤは驚きもしなかった。ためらいも無しに飛び込んだシュンヤの後ろで、「ご健闘を」とバトラーが呟いた気がした。

***

「へっ!?」

シュンヤの間抜けな声が響いた。それもそのはず、シュンヤは宙を舞っていた。
曇った茶色の空と、色味は違うものの同じく茶色の建物。得体の知れない機械の散りばめられた蒸気機関、遠くに霞んでいる近代的なビル。大小様々な建物がある中、真下に見える煉瓦造りの広場。空から見えるこの世界の情報を認識し、それから現状を理解するのに、体感時間で数十秒、実際は一秒未満。

「うっわああああああああ!!!!」

残念ながらこの世界にも重力はあるようだった。どんどん落下し、地面が近づいてくる。激突する、と覚悟し目をつぶると、ぎりぎりのところで何かに受け止められた。

「っあ!?」

どうやら巨大なシャボン玉のようなものに、受け止められたらしい。バクバクと耳元で心臓が鳴っている。いつの間にか止めていた呼吸を再開し、一息つくと、側で女の子の声がした。

「危なかったね、大丈夫だった?」

そちらを見ると、赤いベレー帽を被った黒髪の女の子がいた。背後にちらちらと見えるしっぽや、耳と思われる髪の横側に生えているものからして、生粋の人間ではなさそうだった。

「あ…… 、ありがとうございます!!」

人間であろうとなかろうと、助けてくれた恩人だ。土下座する勢いで頭を下げると、彼女は笑顔を浮かべ、こう言った。

「お礼なんて良いんだよ。私のことはクロって呼んで。君は?」

「シュンヤ…… です」

「そう、よろしくシュンヤ」

クロと名乗った少女が手を差し出し、シャボン玉からシュンヤを降ろしてくれる。
今度は軽くお礼を言う。クロは特に咎める様子もなく、逆に威張るような態度も取らなかった。

「じゃー、早速だけど戦う?手を組む?」

「へ?」

シュンヤが間抜けな声を出すと、クロは優しく微笑んだ。

「その様子じゃ特に考えてないみたいだね」

「すいません…… 」

「いや、いいよ。私は仲間探ししてたところだし」

「ちょっと待ちなさいよ」

少し離れたところから、別の女性と思われる声がした。その声にシュンヤとクロが振り向くと、長い髪を二つに結んだ少女と、その子を取り巻くように少年が二人、立っていた。

「私たちの誘いは断るのに、そんな子と手を組むの?」

「うん」

「私が誘ってあげたのよ!!素直に受け入れなさいよ!!」

「うー…… ん、申し訳ないんだけど、そういう訳にはいかないの。自分のことは自分で選ぶから」

「あっそう!!じゃあぶっ潰す!!」

みるみるうちに激昂する少女に、傍らにいた少年が口を開いた。

「おいおいジャクリーン、お前そう言ってこの間負けただろ?一回負けたらもう挑めないんだぜ」

「ブレーズ、正しい」

「んもうっ!!じゃああんた達がやりなさいよ!!」

「やだよ、あんだけ強いって分かってるのに。なあキンバリー?」

「異議なし」

少年たちのやる気のなさと、ジャクリーンと呼ばれた少女のテンションは反比例するかのようだった。事前に知らされないルールも存在するんだなとシュンヤが考えていると、少女がこちらを指差した。

「じゃあそこの新入り!!」

「え?あ…… はい」

「私と戦え!!」

「えぇ!?」

「シュンヤ、残念だけどこれは断れないよ。死にかけたら助けてあげるから、行って来て」

クロに背中を押され、渋々前に出たシュンヤに、一方堂々とジャクリーンが名乗りを上げた。

「私はジャクリーン、風を操る」

「えと…… 黒瀬俊也、物体浮遊…… 」

これもルールの一つだろうかと、シュンヤは見様見真似といった様子で名前と能力を述べる。

「んじゃ行くぞ!!」

その宣言の直後、シュババッと風が刃のように空を切り裂く。どう考えても当たったら痛いであろう音を立てるそれを、シュンヤは避ける。避ける。避けるしかない。

「わああああああ!!」

近くに浮かせられるようなものはない。手立てすらないシュンヤは恐怖やら困惑やらを混ぜた悲鳴をあげながら、ひたすら攻撃を避け続ける。そんなシュンヤに向けて、クロが叫んだ。

「シュンヤ!!避けてばっかじゃなくて戦って!!」

「無理無理無理無理!!」

「あーもうしょうがないなぁ!!」

このままでは埒があかないと、クロが絵筆を振るった。すると、シュンヤの近くに一枚の壁が現れた。意図を理解するよりも早く、シュンヤはその壁の後ろに反射的に飛び込み、近づいていた風の刃をしのいだ。

「シュンヤの能力、物体浮遊って言ってたよね?だったら、この壁を浮かせて風をガードしながら進んで。あとは何なり任せる」

「えっと、分かりました!!」

シュンヤはクロの手助けの意図を汲み、間合いを詰めてジャクリーンの側まで来ることができた。

「あと少し…… !」

「くっ…… !」

シュバババッ!一際大きな風の音が、壁越しに聞こえた。ジャクリーンの最大出力と思われる風ですら、その壁は壊れなかった。シュンヤがそのまま壁をぶつければ、
ジャクリーンは壁の下敷きになり、風の音はにわかに静かになった。

「ジャクリーン!!」

「あぁ、大丈夫。これ見た目より軽いから」

勝負はついたと判断したのだろう、壁を作った張本人であるクロが壁を持ち上げる。
ジャクリーンは大きな怪我もなく、自分でむくりと起き上がると、叫んだ。

「あーもうっ!!最近私の勝率低すぎ!!」

「大丈夫だった?怪我とかしてない?」

クロが尋ねながら手を伸ばすが、ジャクリーンはさっさと立ち上がり、返事もせず少年たちと共に行ってしまった。
それを見送ったあと、ふいにクロが言った。

「シュンヤ、私今日寝るところ探してくるね。なるべくここから動かないでよ、合流できなくなったら困るからね」

「あ!クロ!!」

一度戦ったこともある相手だからだろうか、特に気にも留めない様子で、クロは今後の方針を固めたようだった。
シュンヤが引き留めるように名前を呼んだが、軽快な身のこなしのクロの背中は、すぐに見えなくなった。