【11】
薄氷の上にて

手足の感覚が徐々に鈍くなっていき、意識が闇に沈む感覚に蝕まれる。あぁ、これは『死』か。それでも本能は生き残る術を探ろうとしているのか、記憶が頭をめぐる。これは、トラシーウィザードになるまでの、『アイスミスト』としてのボクの記憶……。

***

母親が女王でありながら酔った勢いで他国の貴族と一夜を過ごした結果、出来てしまったのがボク。
そんな存在堕胎が妥当なはずだけど、検診で王位継承者の証である角が見つかったボクは無事この世に生まれた。だけどボクは国を支えられるか心配なほど体が弱くて、小さいころから入退院を繰り返し、あまり外出も出来ないためボクはかなり世間知らずだった。
ボクには兄がいる。頭が良くて運動も出来て、慈善活動に力を入れてスラムを回り孤児を助け、忙しい両親に代わってボクの世話をしてくれる兄が。異父兄弟だったけどボク達は仲良しで、お城にいるときはいつも一緒にいた。そんな中で兄さんを知れば知るほど辛くなる。純血の兄王子は魔法が使えず角も生えていないので、魔力が強くて角の生えた混血の弟が王位継承者という事実が。
だからボクはあの日、これ以上兄の人生を狂わせるのが嫌で、あんな行動をとってしまった。

「兄さん、これ」

「手紙?」

「いや、遺書。ボクが死んだら開けて」

「え……? 遺書? なんで……?」

「ボクは恐らく長くは生きられないでしょ? だから兄さんにボクの魔力を引き継いで、王様になってほしいと思って。ボクが死んだら魔力のみを移せないかと考えて遺書に魔法をかけたんだ」

「アイスミスト……? 何でそんな……」

「ボクは生きることを諦めた。もう面倒見てくれなくて大丈夫」

「え……?」

「上手くいくかは分からないけど、兄さん、これからの事を」

「――ざけんな……」

「え?」

「ふざけんなよ! アイスミスト!! 俺がお前の事どれだけ思ってるのか分かってるのか!?」

「だって兄さんの時間を奪ってしまうのも申し訳なくて……」

「お前が自分の事を大切にする気が無いなら俺もお前の願いを聞けない、答えはこれだ!」

兄さんは目の前で渡したばかりの遺書をビリビリに破る。最後にするための手紙が、目の前で『ゴミ』になっていく……。

「ひ……酷いよ!!」

「もう良い、しばらくお前とは口も利きたくない!!」

ボクが出来たのはその場で立ち尽くすことだった。そしてなぜ怒られたかよく分からないまま、ボクは兄さんと仲直りをするためにどうすれば良いか考えた。

「どうしたら兄さんと仲直り出来るんだろう……? あ! そうだ!」

前に内緒だよって一緒に食べた広場のたい焼き、あれを一緒に食べれば仲直りが出来ると思ったボクは深めに帽子を被って広場に出る。その時のボクは、護衛無しのお出かけがどれほど危険か分かっていなかった。
広場に付いたボクは無邪気にたい焼きを注文する。

「粒あんのたい焼き、二個下さい」

「はいよ! あー……でも今から作らないといけないけど待てる?」

「はい!」

近くのベンチでたい焼きの焼き上がりを待っている時に、それは起こった。

「見つけましたよ、王子」

振り向くのが早いか、首にちくりとした痛みが走るのが早いか、分からなかった。そこからの意識はない。目を覚ましたら真っ暗な狭い部屋、薬の効果を見誤ったのか特に拘束はされていない。話し声がする方に近付くと、あまりに恐ろしい会話が聞こえてきた。

「王子を攫ってきたが、どう処分するんだ?」

「適当に殺してスラム街にでも捨てておけ、あそこは警備もずさんだから我々がやったとは思わないだろう」

「混血のくせに王位継承権などを持つからこんな目に遭うんだ。恨むなら自分の運命を恨むんだな」

この会話で確信した。こいつら噂に聞いたボクの王位継承反対派の人間だ。だからと言ってここまでされるとは思わなかった。ここにいては殺される、そう確信したボクは反対側の壁に耳を当て外につながっていることを確信すると、魔法で壁を破壊してそこから逃げ出した。
長時間走れないけど自分に回復魔法をかけながら、追っ手に時に攻撃しながら逃げた。追っ手を撒いたところで肩で息をしていると、いきなり肩をつかまれる。

「うわぁっ!」

「うわぁっ! ……って大丈夫か?」

声をかけてきたのはボクより少し年上であろう子供。

「ん? その服装……、お前没落貴族ってやつだろ? 大変だったな、ついて来いよ」

「え? あ……うん……」

何かを察してくれたのか、彼はどこかへ案内してくれた。ボクは彼に付いていくまま、スラム街の古い建物に辿り着いた。通された奥の部屋にいたのは足の悪い青年、この人は誰だろう?

「雇い主ー、また捨て子拾ってきた」

「また? 今度はどんな子を……ってアイスミスト王子!?」

「えーっと……はい」

驚いた様子の青年に、これまでの事を説明する。

「それは……大変だったね、今すぐお城に帰ろう」

「待って! まだ誘拐犯が近くにいるかもしれない……見つかったら殺される……」

「……でも」

「兄さんはスラムの訪問もしています……。だから兄さんが訪問に来るまで匿ってもらえないでしょうか……」

青年が少し考えてくれる。

「ここは孤児が煙突掃除夫として働いている事務所だ、君もそれで自分の食い扶持は稼いでくれるかい?」

「はい!」

何をやるのかは全く分かっていなかった。でもボクはそれが最善だと思って、元気よく返事をした。

「じゃあ王子に偽名がいるね、何が良い?」

「え? えっと……」

「『トラシーウィザード』とかどう? 『低俗な魔法使い』って意味だから王子っぽさゼロじゃね?」

「いや、それはいくら何でも」

「や、それでいい!」

「え……? 君が良いなら良いけど……」

「あ、そうだこれ。これからつら~いきつ~い仕事になるからやるよ、歓迎の印」

差し出されたのは度数の高いお酒の入った小さなコップと、一本の煙草。

「子供はこれダメでしょう!」

「良いかい? 王子様。俺たちは明日死ぬかもしれない環境で大人と同等の仕事してんの、だから大人と同じご褒美を得る資格があるんだよ」

「……」

『明日死ぬかもしれない』それは小さいころから感じていた感情、そう思ったらこれらを受け入れる気になった。
小さなコップのお酒を飲み干すと、お酒が通ったところが熱くなって、指先まで冷え切っていた体が温まって行く。次に、先輩にあたる人物に教わりながら煙草を吸う。苦い煙で肺を満たしきる前に咳込んで煙を吐く。

「ケホケホッ……」

「まぁ、最初はそんなもんだ。徐々に慣れるよ」

「ケホッ……はい……」

それからは身分も角も隠し、煙突掃除夫として何本もの煙突を掃除した。
そのたびに先輩とお酒をかわし、煙草を吸い、笑いあった。あの日々は少し怖くもあったけど間違いなく楽しかった。それが崩れたのは、お酒と煙草の影響で声が変わり切った頃のあの日の事。

「ヤバイ……どうしよう……」

「先輩?」

次の仕事に行こうと合流した先輩が青い顔をしていた。

「この町のちょっと偉い人の煙突を壊しちまった……。修繕費請求されたけど、絶対払えねぇ……」

「修繕費か……、お金? それなら……」

それを聞いてボクは思いついた、この長い髪を売って恩を返そうと。先輩を連れて髪を売り、得たお金を渡す。さすが王子の髪、蓄積した魔力が多いのか高く売れた。

「ボク次の仕事あるから、はいこれ。使って」

「でもこの大金……」

「助けてもらったお礼だから」

「……ありがとう」

仕事を終えて帰ると、玄関前で先輩に強引に手を引かれた。

「先輩? 何の用?」

「シーッ……」

「?」

「だからアイスミストを出せと言っているだろう!!」

聞き覚えのある、恐怖を感じる声がする。この声は間違いなく、あの誘拐犯だ……。

「だから何のことですか?」

「この髪を売ったやつがここで働いてるかって聞いたんだ!」

「だから働いてませんよ、人違いでしょう?」

「しらばっくれるならお前らが王子を誘拐して殺した犯人にしちまうけど、それでもいいのか?」

「証拠が見つからなければそれはあり得ないでしょう」

「どうだかな!」

どうしよう、このままじゃ雇い主も先輩も、誘拐犯に仕立て上げられてしまう……。おびえるボクの肩を先輩が叩く。

「悪い、俺がしてやれるのはお前が逃げるのを見逃してやるだけだ」

「え?」

「俺たち仲間じゃん? ここは上手くごまかすから、ほら行けよ!」

「……ありがとう!」

そうしてボクは煙突掃除夫の下を去った。それからは食べるのも寝るのも大変で、次第に体力を奪われ魔力も尽きて、どんどん体調が悪くなっていく。

「……ゲホッ……え!?」

咳込んだ時に当てていた手が血で真っ赤に染まる、怖くなって近くの闇医者に駆け込む。ちゃんとした病院に行きたかったけれど、誘拐犯から逃げている以上それも叶わない。
闇医者があきれた表情で言う言葉はあまりに残酷だった。

「あのね、どんな事情があるかは知らないけど、ここで君に出来ることはないの。分かる? ちゃんとした病院に行って診察してもらうなり紹介状書いてもらうなりしな」

「でも……ッ! ゲホッゲホッ……」

更に血を吐いて床を汚す。闇医者はさっさと出て行って欲しいと言わんばかりの表情でボクを睨み、言う。

「ちゃんとした設備のある病院に行かなかったら、君はもう一~二ヵ月で死ぬよ」

「えっ……?」

止血剤と痛み止めだけを渡されて、絶望しながら病院を後にした。

「……助けて下さい……兄さん……ごめんなさい」

硬い地面で横になって呼吸と譫言と咳を繰り替えすボクの前にあいつが現れる。真っ黒な燕尾服に白い鳥の顔の仮面を付けた人物。

「あのー……生きてますか?」

「……誰……?」

「良かった! あなたにこちらを届けに参りました、読めますか?」

「えっと……、うん……」

重い体を無理やり起こし手紙を受け取ると、中にはこう書かれていた。

――この度は、「Mine Funeral」への参加権を取得いただきましたこと、誠にお悔やみ申し上げます。
つきましては、同封の書類の参加証明書に、参加もしくは不参加に丸をご記入の上、白色の皿をご用意いただき、風通しの良く煙が高く上がる場所にて、その皿の上で手紙を燃やしていただければ参加証明を受理させていただきます。
尚、不参加をご選択いただきました場合は、あなたの無難な人生をお約束します。
Mine Funeralに関しての説明は、同封のガイドブックをご覧ください。

Mine Funeral 総合管理委員会会長――

手紙の内容が理解できずゆっくりとガイドブックを隅々まで読み込む。少し内容が分かったところで視線を上げる。

「あなたの勧誘は急いだほうが良いと、ご主人様がおっしゃるものですから、直接来ました」

「……参加します」

「お早い決断ですね! ご主人様が急かすのも分かります。けれど本当に良いのですか?」

「もうこれしかないんだよ! ボクはまだ生きたい、生きて兄さんに謝りたい。それから、普通の子供みたいに色んな景色を見て遊んで、それから……」

「分かりました、ペンとお皿はこちらに用意してあるのでサインを書いてここで燃やしてください」

「……どの名前で?」

「この世界のルールに則って、アイスミストで良いですよ」

「分かった」

言われるがまま、名前を書いて招待状を燃やす。それを確認し終えるとボクが家で被っていた帽子を被ったそいつが言う。

「アイスミスト様、ご参加ありがとうございます」

「……トラシーって呼んでくれる?」

「分かりました、トラシー様、あなたには装備と武器は与えますし、戦える程度になるまで治療致します」

「……なんで?」

「スタートラインでこの状態では秒殺されてしまいますからね、それでは面白くないとご主人様が」

「……、そう……」

「申し送れました、私、バトラーと申します。あなたの専属執事です」

「……よろしく」

それからバトラーに連れられ扉を潜り、ボクはMine Funeral世界に来た。ボクはそこでバトラーの治療のおかげで戦える程度には回復した。ただ完全には治らなくて食事はとれなくなったけど。
それでも大会で勝てば何とかなると自分を奮い立たせて戦った、誤って人を殺して『秘密』も複数個知った。だからボクはシュンヤと行動を共にした。でもそれも、もうお終いだ、最後の意識が溶けていく。
初めて棗と会った日、この日も爆発しそうな不安と恐怖を収めようと煙草を吸おうとした瞬間だった。

「あ! 子供なのに煙草なんか吸っちゃダメでしょ!!」

「はぁ?」

「もしかして所謂ショタジジイなの?」

「ショタジジ……? お前何言ってんの?」

「とにかく煙草はダメ! 良いことないよ!」

「いやお前さ」

「お前じゃない! 私の名前は安藤棗! 棗ちゃんなの!!」

「じゃあ棗」

「私は名乗ったのに君は名乗らないなんて不公平じゃない?」

「えっと……トラシーウィザード……」

「そんな変な名前の人いるわけないでしょ!? 本名は! 何!?」

「……ゆ……雪波綾人……」

「よろしい! それじゃあユキちゃん、煙草はもう駄目、だからね! タバコ吸う前に咳こんでたのも知ってるんだから!」

「はぁ……?」

そう言い残すと棗はどこかへ行ってしまった。こっちからも言いたいことがあってモヤモヤしているはずなのに、暗い気持ちじゃない。これが恋だと知るのは二度目に会った時だけど。
……走馬灯もそろそろ終わりか……、本当に死んじゃうんだな……。
兄さん、あなたに謝罪したかった。それだけが心残りです。