【06】
心のキャンバス

ドロドロ……、ドロドロ……。思考が真っ黒に支配されていく、白いキャンバスに黒い絵具を垂らすように。
それは少なくともこの大会中、その感情は常に私の中にあった。『嫉妬』『妬み』『ひがみ』。私が閉じ込めてきた感情が、あふれ出て止まらない。
あぁ、私はどうなりたかったんだっけ……?

***

小さいころから絵を描くことが大好きだった。白い紙の上に自由にクレヨンで絵を描いていくのが、自分の世界が具現化されてるみたいで楽しかった。両親や先生も絵を描けば褒めてくれるのが嬉しくて、私は何枚も何枚も絵を描いた。思い返せば私が心から絵を描くのを楽しんでいたのはこの時だけだったかもしれない。

小学生になって突き付けられたのは、図工の成績や同級生からの評価。下手の横好きで絵を描いていた私には、才能が無かった。図工の成績は積極性こそ認められる物の技術が無くて満点は取れない。同級生からは絵を描くのが上手な友達といつも比較されて……。

「棗ちゃんと〇〇ちゃん、絵描いてるの?」

「うわ~! 〇〇ちゃんイラスト上手~!!」

「本当? ありがとう」

「棗は~、うっわ!絵下手すぎ! ありえないんだけど!」

「えっと……」

「あ、うちのクラスで絵上手い子ランキング作ろうよ、一位はもちろん〇〇ちゃん!」

楽しく描いていた絵が、真っ黒に塗りつぶされる気分だった。
絵を貶されることが苦しかった。一緒に絵を描いている友達が褒められているのも悔しかった。
泣きそうになるのをこらえて無理やり笑って相槌を打つ。その後の会話に、私の存在は一切なかった。それでもこの時はまだ、褒められて良いなって気持ちだけで止まっていた。自分がクズに染まっていくのは中学に入ってからだった……。

私の通う羽目になった中学校は、スポーツに力を入れている学校で、唯一の文化部である美術部は運動部に入らない子用に作られているようなもので、その部にすら顧問教師を付けるのが惜しいらしく廃部の危機らしかった。まぁ廃部の危機は噂だから聞き流すとして、美術部は見下されていると言う前提があったせいで私の心は黒い絵の具で満たされていく。

狼獣人だから確かに運動はそれなりに出来るよ、でも好きじゃないから全然うまくないし興味も沸かない。だから団体スポーツで足を引っ張りまくってしまう。
体育の授業でそんなことを繰り返していたら、ある強豪運動部に所属する同級生の放った言葉。この言葉は、長い時間……そして今も、私を苦しめ続けている。

「下手な絵なんか描いてないでちゃんとやって! みんな真面目にやってるのが分からないの?」

私は真面目に絵を描いてきた、それだけの事なのに『団体スポーツが壊滅的に出来ない』だけでなぜここまで言われなければいけないのだろう?
スポーツが得意なのがそんなに偉いのか? 私の絵にはそんなに価値が無いのか?
同じく団体スポーツが苦手な友達は、絵を描くことを楽しめている上に褒められている。それなのに扱いにも実力にもなんでこんなに差が生まれるのかとまた嫉妬心が増す。

この日、私の心のバケツから黒い絵具があふれ出した。あたり一面が真っ黒になった私はまともに絵を描けなくなった。そしてその友達の欠点を探しては自分の中で安心した。どんなに絵が上手くてもこんなダメな面があるんだよね~なんて。
高校は絵に関係のない所に進学して、関係のない部活に入部したけれど、なんと言うか類は友を呼んでしまうのか、高校の友達も絵を描くことが好きな子が多かった。絵から離れるために入った部活だけれど、本当は美術部の友達が羨ましかった。その感情を上書きするように私は友達の絵を心の中で罵った。

そんなある日のことだった。美術部で何度も賞を取っている友達が事故に遭って利き手を損傷したのは。
コンクールに出す作品の締め切りまで残すところ一ヵ月、利き手は全治二ヵ月、どう考えてもそのコンクールには間に合わない。そのコンクールは大学進学にも関わってくるレベルの高いコンクールで、それにかけていた友達は毎日泣いていた。

「大丈夫! きっとまた次があるよ、それにこれまでの受賞歴を見たら実力分かってもらえるよ!」

口先だけの慰めを投げかける。本心はそんなこと一切思っていない。それどころか私は友達の不幸を喜んでいた。

『才能だけで上位に行くからそんな目に遭うんだ! ざまぁみろ!!』

そんな感情すら私の中にはあった。それを悟られないように、今日も笑顔で会話を乗り切る。――心のバケツを壊さないように、自分を守るために、あふれ出る黒い絵の具に染まりながら。

そんな日々を過ごしたある日、美術部所属の友達に誘われて行った美術大学の見学でのことだった。作品を見て感じたワクワクした気持ち、手を動かしたくてじれったい感じ――私は自分が絵を諦められていないことに気づく。今から勉強をして入れる美大があるか心配だったけれど、そこは元美術部、レベルは高くない半分遊びみたいな大学だったけれど私は合格を勝ち取った。
これできっと私の苦しみも解消される! ……なんて考えたら少しだけ、黒く染まった自分の絵の具が落ちた気がした。

でも世界はそんなに甘くなかった。周りは少なからず前からしっかり勉強してきた人で、最初の授業の作品提出の時点でクオリティの差を見せつけられた。
ショックだった。スタートラインすらも違っていたことが。教師も周りの生徒も優しくしてくれたけど、いつも作品を誉められるのは一番成績の良いあの子。
ねぇ、私、生まれてこの方あなたみたいになれたことが無いの。ずっと絵と向き合ってきたはずなのに、環境はそれを許してくれなかったの。
あぁ……私も上手な絵を描いてちやほやされたい! なんであんな子ばっかり褒められるの? 私の絵描き歴をもっと見てよ! もっと褒めてよ!!

そして私の荒探しと人の不幸を探す癖が、どんどん悪化していく。私は取り返しがつかないほど黒く染まってしまった。絵に関係のあることからないこと、嫌なクラスメイトから仲のいい友達、すれ違う人、とにかく人の荒を探して不幸を喜んだ。
本当は分かっている、こんなことをしても自分は少しも前進していないって。でもやらずにはいられなかった。抱えた嫉妬を、妬みを、ひがみを表に出さないために、自分を守るために必死だった。

そんなある日の事だった、あの招待状が届いたのは。
私は家に来たその招待状を開封すらせずごみ箱に捨てた。だって、心当たりも無ければ差出人が怪しかったから。
そして大学で絵を描いているときに、そいつはやってきた。

「ずいぶんと暗い絵を描くのですね」

「え?」

モチーフは青い空に青い海、空には光がこぼれていて普通に見たら明るい絵に見えるのに……。
いや、その前に真っ黒な燕尾服に白い鳥の顔の仮面を付けたこの不審者はどうやってここに?

「あの……、モチーフは明るいですよね?」

「ですが、込められている感情はこれでもかと言うほどどす黒いですよね?」

「え?」

「見えますよ、嫉妬に妬み……おや、少々恨みも込められていますか?」

「何言ってるか分かんない」

話よりも、警備員を呼ばなければ。そう思っているとその不審者は私に手紙を差し出してきた。
その封筒は、間違いなく朝、家のゴミ箱に捨てた物で……。

「……え?」

「人生を変えたくはありませんか? これはその招待状です」

言われるがまま、私は手紙を開けて読み込む。

――この度は、「Mine Funeral」への参加権を取得いただきましたこと、誠にお悔やみ申し上げます。
つきましては、同封の書類の参加証明書に、参加もしくは不参加に丸をご記入の上、白色の皿をご用意いただき、風通しの良く煙が高く上がる場所にて、その皿の上で手紙を燃やしていただければ参加証明を受理させていただきます。
尚、不参加をご選択いただきました場合は、あなたの無難な人生をお約束します。
Mine Funeralに関しての説明は、同封のガイドブックをご覧ください。

Mine Funeral 総合管理委員会会長――

手紙を読み進めるうちに興味を持ち、ガイドブックにも目を通した。

「なにこれ? ふざけてるの? 私には特別な力なんて無いよ」

「おかしいですね? この招待状は特別な力の無い方には送られませんよ」

「だったら私は不参加で良い、自分の能力が分かんないなら参加する意味ないもん」

「ふむ……ではあなたに能力を自覚させましょう」

不審者が絵筆を握る私の手を握り、さっきまで描いていたキャンバスの海に筆先を触れさせる。するとキャンバスから水があふれだし、教室に広まった。

「うわぁっ!」

とっさに絵筆を空中で振り、何とか水を止めるイメージをする。するとキャンバスから出た水は一か所にまとまり水槽のようになった。

「な……なにこれ……?」

「これがあなたの力ですよ」

この力があれば……私もあの子みたいに褒められるかもしれない。それどころか手放しでチヤホヤしてもらえるかもしれない……。そんな気持ちが湧いてきた。

「分かった、大会に参加する」

「そうですか! それはさぞご主人様も喜ばれます!」

私がサインを書いていると、不審者は私のものとそっくりの赤いベレー帽を被る。

「……何してるの?」

「申し送れました、私、バトラーと申します。あなたの専属執事です……と分かるように目印を」

「あー……そう……」

若干納得はいかないけれど了承する。
この時の私は、この大会で優勝すれば自分が満たされる、そう信じて疑わなかった。
私はのちのち知ることになる。自分がどれほどクズな考えでここに来たのか。自分以上にこの大会にかけている人がたくさんいると言う事も。そしてそれにすら嫉妬心を抱いてしまう、自分の嫌な部分を……。

私が準備を終えて扉を開けてすぐに出会ったのは、小柄な少年。口に煙草を咥えて火をつけようとしている場面だった。

「あ! 子供なのに煙草なんか吸っちゃダメでしょ!!」

とっさに出た言葉だった。

「はぁ?」

「……もしかして所謂ショタジジイなの?」

我ながらこれはいったいどういうツッコミなんだろう?

「ショタジジ……? お前何言ってんの?」

「とにかく煙草はダメ! 良いことないよ!」

適当に説教をする、だって本当は……。

「いやお前さ」

「お前じゃない! 私の名前は安藤棗! 棗ちゃんなの!!」

そう言えばこの名前、大嫌いなアンドーナツと似てて嫌いだったな、次の人には偽名を名乗ろう。どうせこの世界だけの関係だし。

「じゃあ棗」

「私は名乗ったのに君は名乗らないなんて不公平じゃない?」

「えっと……トラシーウィザード……」

「そんな変な名前の人いるわけないでしょ!? 本名は! 何!?」

私は本名を名乗ったんだよ、そっちは偽名なんてフェアじゃないじゃない。

「……ゆ……雪波綾人……」

「よろしい! それじゃあユキちゃん、煙草はもう駄目、だからね! 煙草吸う前に咳こんでたのも知ってるんだから!」

「はぁ……?」

そう言って私は、納得していなさそうなユキちゃんを置いてその場を離れる。
説教なんてらしくないことを……いや、ある意味私らしいや。私はあの子の事を本気で心配したり、常識を知らないのかって嫌悪感を覚えたりって事はしていなくて、ルールや一般常識を破れるだけの度胸に嫉妬して、それに八つ当たりをしたんだ。
それに気が付いたとき、こんな気持ちがバレてしまったら自分は終わるって感じた。こんなみっともない自分、誰も褒めてくれるわけがない、人気者にはなれない。
だから明るく元気な性格を装ってこの大会で過ごすことを決めた。まさかの再会を果たして、仮面を張り付け続ける自分が嫌になる。
だってね、私、たった今死にかけているユキちゃんにすら、同情してもらえる事情があることに嫉妬して、自分より苦しんでる相手がいることを喜んでるんだ。

……でも、それで本当に良いの? 本当に後悔しないの? もう分かっているはずだ、無理に演じた明るいキャラ、真っ黒に染まった私の心のキャンバス。
――私もこの大会で少しは変われたみたいだね……。今の思いを、感じたままに口にする。

「……出来る事なら私は、この黒い気持ちを向上心に変えられる私になりたい……」

 まぁ、一番はチヤホヤされたいって気持ちだから、向上心は今回の変えたい運命じゃないだろうけどね。