【15】
無防備な心の内

トラシーウィザードはクロを探すため川の流れに沿って歩いていたが、体力も魔力も限界に達してしまい、その場に座り込む。

「クソッ……ここが限界かよ……」

ぼんやり足元の規則正しく並ぶレンガを見つめていると、聞き慣れた声がした。

「ユキちゃん!!」

クロがトラシーウィザードに飛びつく。立っていられない程だったトラシーウィザードは、そのまま突き飛ばされる。

「ゴフッ!!」

変な叫び声を上げるとトラシーウィザードはその勢いでうつ伏せに倒れた。クロの助けも借りつつ何とか体を起こすと、安心したように微笑んだ。

「よかった、無事だったんだな……うっ! ゲホッ!! ゴホッゴホッ!!」

「わーっ!! ユキちゃんゴメン!! ごめんね!!」

「えほっ!!」

トラシーウィザードが変な音のする咳をすると、口元を押さえる手の隙間から血が垂れた。

「え?」

「はっ……はぁ……はぁ……」

荒い息でトラシーウィザードが自らの手を見つめる。

「シュンヤ……頼むから早く……」

そう呟くと彼はぱたりとその場に倒れた。

「ユキちゃん!?」

クロはトラシーウィザードを抱き上げ、その異常な状態をすぐに察した。燃えるように熱い体、直接心臓を抱き上げているかのように伝わる心音、浅く荒い息。辛うじて意識はあるがそれも途切れ途切れらしく返事に力がない。Dr.バルチャーがそっと彼の首に指を当てる。

「危ない状態でありんすね……」

「そんな!!」

「大丈夫だってこれぐら……あれ?」

「ユキちゃん!? どうしたの?」

「メガネ……メガネどこ……? なんか目がよく見えないんだけど……」

「え?」

トラシーウィザードのメガネは彼の耳にちゃんとかかっていた。疑問符を浮かべるクロの傍らで、Dr.バルチャーが冷静に質問をする。

「トラシーさん、血液型は何型でありんすか?」

「え……? A型……」

「A型でありんすね、わっちのお部屋に来てくんなまし」

クロがトラシーウィザードをおんぶし、彼らはDr.バルチャーの部屋に来た。そこは元はホテルだったと思われたが、大量の薬品が置いてあり、研究室や病室のような様相だった。

「そこに寝かせてくんなまし」

クロがトラシーウィザードをベッドに寝かせると、Dr.バルチャーが冷蔵庫から取り出した輸血パックをトラシーウィザードに繋いだ。
針が刺さる際一瞬だけ痛そうな顔をしたトラシーウィザードだったが、すぐにその表情は消えた。

「……悪いな」

「気にしないでくんなまし」

「……お前なら分かるんだよな? ボクあとどれぐらい生きられんだ?」

「っ……」

道具の始末をしていたDr.バルチャーが振り向く。

「わっちがいる限り死なせませんので、安心してくんなまし」

「そうか……? じゃあ……期待してる」

トラシーウィザードはそう言うと、ゆっくり息を吐き、目を瞑った。

「……ユキちゃんマジで目悪かったんだ」

それを聞いたトラシーウィザードが、メガネを外してクロのほうへ投げた。クロはメガネを受け取りかけてみるが、特に視界はぼんやりとせずはっきりしていた。

「……伊達だよ、それ」

「え? でもさっき」

「ああでも言わないとやってられなかったんだよ、認めたくない現実ってあるだろ?」

「……そうだね……、ねぇ……ユキちゃん」

「……ん?」

クロがベッドの側で告げる。

「もう頑張らなくて良いよ……。棄権して帰りなよ……、ね……」

薄く目を開けたトラシーウィザードは言う。

「……それは出来ない……。だって、あっちで死んだらさ……ゲホッ……」

クロが彼の口から垂れる血を拭く。トラシーウィザードは呼吸を整えながら続けた。

「……だってあっちで死んだら……もう二度と兄さんには会えないんだ」

「え?」

「元々ここへ来たのは、生きて家に帰るためでもあったんだ……だからさ……」

トラシーウィザードがベッドのシーツを強く握り、絞り出すような声を紡ぐ。

「ボクは……死にたくない……」

「……うん」

「死にたくない……まだ生きたい……。そんな些細な事なんだけどさ……、ボクの願いって」

「……」

「でも無理かもしれないんだね……」

トラシーウィザードが少しずつ、それでも大きく息を吸う。

「出来ることならさ、世界の色んな事知りたかったな」

「色んな事?」

「本の中だけでしか知らない海とか……森とか……、本物の花なんて見たこと無いし……あいつの言った通り、ボクは無知だ、どうしようもないほど無知だ」

「……ッ! ゲームが終わったら、シュンヤとも一緒に見に行こうよ! 私、素敵な場所いっぱい知ってるよ!! だから諦めないでよ……ねぇ……」

クロがトラシーウィザードの手を、祈るように強い力で必死に握り締めた。

「棗、痛い」

「ゴメン……」

それを聞いて、クロがぱっと手を放した。その様子をトラシーウィザードは微笑みながら見つめていた。

「ねぇ棗、ちょっと抱っこしてもらっていいかな?」

「え? うん、良いけど……」

クロがそうっと、トラシーウィザードを抱きしめる。折れそうなほど細い身体とそこから発せられる熱に、またしても心臓を直接抱えているかのような感覚に陥り戸惑ったが、クロはしっかりとトラシーウィザードの背中に腕を回した。
クロの胸に耳を押し当てたトラシーウィザードが、安心したように目を閉じる。

「……あったかい……。安心するな……兄さん……」

「……『兄さん』?」

「あっ……いや……、寂しいときとか辛い時、兄さんがこうして抱きしめてくれたなって……」

「……、そっか……」

「あのさ、シュンヤと初めて会った日、ホテルで『泣いてたの?』って聞いたよね?」

「え……うん」

「そうだよ、泣いてたよ。ボクは結構意地っ張りで、変なところで気を使うというか……。だからあの時もちょっとしんどくて、このまま死んじゃうんじゃないかとか思ったら不安でさ。無理してでも帰るべきだったのかなとか、こっちの世界の病院に行けばよかったなとか、色々考えちゃって……」

「そっか、別に辛かったら言ってくれれば良かったのに。根本的な解決にはならないけど、気は楽になるよ」

トラシーウィザードが一瞬驚いた顔でクロの顔を見つめたが、すぐに俯いて言う。

「ごめん、頼り方知らなくて……。その……、プライドが許さないとかそういうわけじゃなくて、何が迷惑で何がそうじゃないとかが分からなくて」

「本当にね、子供なんだからもっと大人に頼ってよ」

「……年上だけどお前もまだ子供だろ」

「……そうだったね。……ユキちゃん?」

トラシーウィザードはいつの間にか眠っていた。クロはゆっくりと彼をベッドの上へ横たえると、部屋を後にした。

「お願いだから生きて……」

扉を閉めると、祈るようにクロがその前に座り込んだ。そこにDr.バルチャーが声をかける。

「大丈夫?」

「……だって言いたいな」

「そっかぁ……」

座り込むクロの隣にDr.バルチャーも座る。

「どうしたの? ドクター……」

「ううん、わっちもね、たまには年相応の行動が取りたくなるんだ」

「っていうか言葉……」

「クロちゃんたちのおかげで覚えたんだ」

Dr.バルチャーが微笑んだ。クロもつられて微笑みながら訊ねた。

「年相応……ってドクターいくつなの?」

「わっち? わっちは八歳でありんすよ」

「え? 私より十一歳年下? ってもうすぐ年取るから十二歳かぁ……」

「そうなるね」

Dr.バルチャーが微笑んで肯定した。そして、深刻そうな顔で本題に入った。

「今ね、彼に止血剤と痛み止めを点滴してるけど、もう本当に良くないんだ」

「え!?」

Dr.バルチャーが唇に指を当て『静かに』とジェスチャーで示す。

「臓器へのダメージが大きいし、魔力も大分減っちゃってるから体を治癒する魔法も使えない……、そんな状態なんだ」

「そう……、なんだ」

「彼が自分の国にいた頃、そこって相当医療技術の発達した国だったんだろうね。私の知識じゃ追いつかないんだもん……」

「……」

クロがDr.バルチャーにそっと寄りかかる。

「どうしたの?」

「ううん……。出来ればみんなで生きて帰りたいなって……」

「……、実は……ジャクリーンさんとブレーズさんとキンバリーさんは……すでに敗北扱いで殺されてないにしろパワーもなく……」

「そんな……」

「彼も早く運命が変わらなければもってもう……」

「っ!!」

クロが抑えられないとばかりに立ち上がり、どこかへ走り出した。