【05】
それぞれの事情

シュンヤ、クロ、トラシーウィザードの三人は走っていた。目指す場所があるわけではなく、ただひたすら攻撃を避けるために。
長い間使われていなさそうなホテルの綺麗な一室に入ると、全員床に座り込んだ。三人とも、肩で息をしている。

「はぁ……はぁ……、私もう走れない……」

「誰だってそうに決まってるだろ……、あれだけ走れば」

「そう……ですね、でもここなら大丈夫ですよ」

「なんでさ?」

「ほら、このステッカー見てください。ここはバトル禁止エリアみたいです」

「はぁ……そりゃ良いや」

トラシーウィザードはそう呟くと、部屋内のソファに横になる。それを見てクロが安心したようにため息をつくと、すぐに彼女のお腹の音が鳴った。

「はぁ……お腹空いたなぁ……」

「ったく、ほら。これでも食えよ」

トラシーウィザードがポケットから取り出した何かを投げた。見ると、栄養補助食品のクッキーバー、味はプレーンのようだ。

「わあっ! ありがとう!! でもユキちゃん大丈夫なの?」

「何が?」

「だって……、食べ物だって自分で集めなきゃならないこの状況下でこれは……」

「だからだよ。良いから食えよ、ボクは大丈夫だからさ」

そう言うなり、仰向けの状態になりタバコを吸い始めた。

「病弱無知の癖にそれだけはやめないんだから……。お願いだからこのホテル火事にだけはしないでよ」

「なってもボクの魔法で鎮火するから大丈夫だって」

「もう……」

「えーっと……どうやら一番近いマーケットはここの地下のようですね、行きますか?」

「あ、うん行く、ってなわけでこれは返すよユキちゃん」

「返すなよかさばる……」

トラシーウィザードがけだるそうに返した言葉に、クロは不審に思ったがクッキーバーをポケットに入れることにした。

「じゃあ……、貰っちゃうけど良いの?」

「良いんだよどうせボクは食べないから」

「えぇ!?」

「だ……大丈夫なんですか?」

「はぁ? 食べられないもの持ってて何の意味があるんだ?」

「……どういうことそれ?」

「あえて言わなきゃならない意味を言え」

「えー……?」

クロとシュンヤは不可解そうな顔をしたが、どうにもお腹が空いたので、切り替えて買い物に行く話に戻した。

「あー……じゃあユキちゃん何か買って来て欲しいものある?」

「チューハイ」

「あー……、うん、分かった」

いつも通りだなあと、少々呆れた様子でクロが答えた。

「そういえば、この世界でお金を使うのは初めてなんですよね」

「えっそうなの? でも大丈夫、指紋認証で払えるから、お財布とか持ってなくても買い物できるよ!」

楽しそうに会話をしながら出て行くシュンヤとクロの背中を見送った後、トラシーウィザードはタバコの火を靴のかかとで消しながら言った。

「ねぇ、窓の外の人、もうボクしかいないから出て来て良いぞ。まぁ、ここはバトル禁止だからどうにもなんないけどな」

その発言から数秒して、窓から人影が飛び込んでくる。シュンヤと勝負して負けた、ジャクリーンだった。次のタバコをくわえると、不機嫌をあらわにトラシーウィザードが呟く。

「ストック切れた、はぁ……やっぱ本数減らすべきか? ゲームマネー全額タバコにつぎ込んでも一日ワンカートンは多いかぁ……」

「それで、あんたは秘密を持ってるか?」

「んー?」

トラシーウィザードがタバコの箱を握りつぶしその辺に捨てつつ、とぼけたように応えた。呼んでおいて、まるで今気付きましたと言わんばかりの態度に、ジャクリーンは苛立った。

「タバコくれる?」

「……分かったよ、ほら」

ジャクリーンが手持ちのタバコを箱ごと投げつける。それをトラシーウィザードは投げ返す。

「ボクが好きなのこれじゃないんだけど。悪いけどこれじゃあ教えられないね」

「んだよ、タバコならなんだって良いだろ」

「ミントのスースー嫌い」

「分かったよ、買い直してきたら秘密を教えてくれるんだよな?」

「うん」

「チッ……」

面倒だと言わんばかりに舌打ちを残して、ジャクリーンは去って行った。

「なーんてね。ああやって秘密のこと聞き出そうとするなんて、秘密持ちなのかな彼女」

トラシーウィザードは、ジャクリーンの名前も知らない。会ったのも初めてだった。分かるのは、敵だということぐらいだった。少しだけ考え込んで、ひとまずニコチンが足りないなと思ったトラシーウィザードは、被っていた帽子からタバコを取り出し火をつけた。

「じゃあ、そういうことだからお二人さん」

「ばれてたのか」

どこかから、誰かが言った。姿は見えない。ジャクリーンと同じように窓から入ってきたのは、予想の通り、確かに二人。ブレーズとキンバリーだった。

「あぁ、バレバレだ」

「……、ね、君何者?」

「ボク? うーん……そうだなぁ、なんだと思う?」

「分からない……でも、……何か偉い人」

「良い線いってる、正解にしておいてあげるよ」

にやりと笑った時、トラシーウィザードは足音を耳にした。この場で歩いている人といえば、帰ってきた二人に違いない。

「わっ!! もう帰りなよ!!」

「そうする!! また今度普通に話聞かせてくれよ!!」

「気が向いたらな」

ブレーズとキンバリーが慌ただしく帰っていくのを見送ると、トラシーウィザードは糸が切れたかのようにソファで眠りについた。

***

「トラシーただいまー」

「チューハイこれで良かっ――」

トラシーウィザードが熟睡しているのを発見したシュンヤとクロは、二人で顔を見合わせた。

「えーっと……、とりあえず、食事作りましょうか?」

「え? 良いの?」

「はい、こう見えて料理できるんですよ」

シュンヤが料理を始める背後で、クロがトラシーウィザードをベッドルームへ運んだ。遠くに汽車の音が響いている気がした。

「危険が無いとは言え、安心なわけでもないからね。あ、窓開けて良い?」

「はい、どうぞ」

クロが窓を開けると、どうやら汽車が通った直後だったらしい。煙が彼女の顔を直撃した。

「ん!? エホッケホッ!!」

「ん? あぁ、気をつけてくださいね……」

遠くだと思っていた汽車は案外近く、かといってこの世界に常識が通じるかと言うとそうでもないとクロは感じたので、素直にこう返事をした。

「うん、次からはそうする……」

煙による涙目を拭って、クロがシュンヤのほうを見て言う。

「それよりいー匂いするね! 何作ってるの?」

「フレンチトーストです。さあどうぞ」

シュンヤがフレンチトーストの乗った皿を差し出すと、クロは嬉しそうにそれを受け取り、席について手掴みで頬張った。シュンヤは彼女の様子を、何とも言えない顔で見つめる。

「何?」

「いや……手掴みなんですね……」

「え? そんなに変?」

「いえ、お好きにどうぞ」

そう言うと、シュンヤが自分の分のトーストに手をつける。ただ焼いただけの、普通のトーストのようだ。

「あれ? シュンヤの分は普通のトーストなんだ?」

「んー、たんぱく質系のものって魚以外苦手なんですよね」

「へー……」

興味がないことを隠さない相槌を、クロが返した。

「あ、これユキちゃん食べるかな?」

「トラシーの分も別にありますので、それはあなたがどうぞ」

「わーい」

食事がひと段落したクロは、席を立ちシュンヤにこう声をかけた。

「ちょっとユキちゃんの様子を見てくるね」

「あ、はい」

洗い物をしているシュンヤは、クロに背を向けたまま簡易的な返事をした。
クロが寝室のドアをそうっと開け、中の様子を伺うと、何やら声が聞こえてくる。隙間から目を凝らすと、トラシーウィザードが何かに話しかけているように見えた。それは、少し嗚咽が入ったような、こもったような声で、クロはそれを認識すると部屋に立ち入った。

「……ユキちゃん? どうしたの?」

「なっ……なんでもない」

「何でもなくないよ! ……なんで泣いてたの?」

「……お前には関係ない」

トラシーウィザードはそう告げ黙り込んだ。クロはその様子を見て、こぶしを握って小さく呟いた。

「まただ……、また、私喜んでる……。友達が泣いてるのに……」

音を殺しつつも大きな溜息を一つつき、クロは自分に言い聞かせた。

「……いくらユキちゃんが私より願いをかなえられる可能性があるからと言って……、消えてしまえとかそのまま死ねって思って良い理由なんてないんだから」

いつの間にかクロの視界には床しか映っていなかった。ぶつぶつと呟いて、再度溜息をついて憂鬱を吐き出して、視線を上げたらちょうどトラシーウィザードがこちらを向くところだった。

「棗? どうしたんだ?」

「ううん、何でもないよ」

笑顔を取り繕って、クロが答えた。そのいつも通りな笑みを見て、お互い『なんでもない』ばかりだな、とトラシーウィザードは思ったが、今すぐ何かが変わるわけでもないので、蓋をすることにした。
トラシーウィザードが寝室を出ると、シュンヤがそれに気づいて声をかけた。

「あ! トラシー、フレンチトースト食べますか?」

「いらない」

「え!? でも何か食べないと毒ですよ!!」

「食べる方が毒、消化機能あんまりしっかり働いてないから、食ったら確実にゲロ吐くよ」

「そう……なんですか……、ではこれをどうぞ、さっき作ったオレンジゼリーです」

「オレンジゼリー……? 食べてみる」

シュンヤとクロが見守る中、トラシーウィザードはそれを口にし、頷いた。

「うん、これなら大丈夫そう。故郷のリマンみたいな味がする」

「……リマン? あ、」

シュンヤは手を自分の背に隠すようにして、指を鳴らすように指先を擦った。

「トラシー、何の味がするって?」

「え? レモンだけど」

「ええ? ユキちゃんさっきリマンって言ってたじゃん」

「リ……? は?」

「なるほど、たぶん、この世界の翻訳機能が上手く作用しなくて、彼の国の言語が出てしまったのでしょう」

「あぁ? なんだそりゃ」

「そのままの意味です」

それ以上の情報を話さなさそうなシュンヤに、トラシーウィザードは現状を頭の中で整理した上で、今からのことのほうが重要だと判断した。

「はぁ……まぁいいや……、とにかく今日はたっぷり休むぞ、明日はエリア移動するからな」

「エリア移動ですか?」

「あぁ、ここのエリアは狭いし建物が多いし、迷路みたいになってるから何かと不便だと思う。だから移動した方が有利だろうってな」

「そうですね、分かりました」

シュンヤが頷くと、トラシーウィザードは二人の顔を順番に見た。

「で、ベッドどうすんだ? 一個しかねーけど」

先程見渡した二つの顔が困ったような表情になるのを見て、トラシーウィザードはこう言った。

「……はぁ、わーったよ、棗ベッド、シュンヤソファな」

「え? トラシーは……?」

「キッチンに椅子があるだろ? そこ座るから大丈夫だ」

シュンヤはトラシーウィザードの体が弱いことを知っている。案は浮かばないがひとまず異議を唱えようと口を開いた時、クロが先に言った。

「ユキちゃん、じゃあ一緒に寝ようよ」

「あ? お前な、契りを交わす前の男女が同じベッドに寝るとかないわ」

「いやいや、ユキちゃんまだ子供なんだから寝ていいんだよ……っていうか寝かせるからね」

クロがトラシーウィザードを抱え、寝室への扉へと向かった。

「あ、ごめんねシュンヤ、ソファで良かった?」

「あ、はい、大丈夫です」

思い出したようにシュンヤに声をかけ、クロは寝室へと入って行った。

***

寝室のドアが閉まる。ベッドに座ったトラシーウィザードが、不機嫌そうに言う。

「で、強引に連れ込んだのにはなんか理由があるんだろ? 言えよ、それともあれか、さっき泣いてたか泣いてなかったかを改めて尋問する気か?」

「え? いや……単純に年下をそんな風に寝かせたくなかっただけだけど……」

警戒して尋ねた分、クロの返事を聞いてトラシーウィザードは拍子抜けした。力が抜けた分、眠気もやってくる。

「あぁ……そう……はぁ、いいや寝る」

「あ、うん、おやすみ」

クロは、ベッドに寝転んだトラシーウィザードと、手に握った絵筆を交互に見つめた。

「棗。ここはバトル禁止エリアだから、殺しももちろんだめだからね」

「……分かった」

トラシーウィザードがクロの事情をどこまで知っているのかは分からない。けれど、明日もまた体力を使うであろうことは確定していて、寝たほうが良いのも分かる。クロもベッドに寝転び、そのまま二人は早々に眠りについた。