鶴ヶ城太鼓門跡
天守閣再建前、鶴ヶ城の石垣(1958年頃)
(2019/09/04公開)
(2019/09/04公開)
※目印は撮影位置です
どこかの城跡だろうとは見当がつきますが、石垣以外に場所特定の手掛かりとなるものが写り込んでいません。仕方なく石垣の組み方(右上の丸い石あたり)に着目して探すことにしました。やっとのことで探し当てたのがストリートビューのこちら(2016年4月)です。石垣の組み方が一致しています。手前右に石垣があり、少し離れた左側にも石垣、やや奥にも石垣が見えている、状況も一致しています。撮影位置は、福島県会津若松市、鶴ヶ城案内所のすぐ東です。右に目を向ければ、天守閣が見える位置です。撮影者は、なぜ天守閣を背景に撮影しなかったのでしょうか? 城さえ写っていれば場所の特定に苦労することもなかったのに。しかし、それはできない相談でした。なぜなら、写真撮影時(1953年)には天守閣は無かったのですから。鶴ヶ城(会津若松城)が再建されたのは1965(昭和40)年、この写真の10年以上後のことです。
撮影位置を詳細に調べていくといろいろなことがわかってきました。「国土地理院の空中写真(2018年6月14日)」に撮影位置等を書き加えてみました。
まず、最初の写真の左右の石垣の間は昔「太鼓門」があったところです。手前右の石垣を左に回り込んだところに説明版(ストリートビュー2016年4月)が設置されています。
次に、奥の石垣の上に屋根らしきものが写っているます。これは「鶴ヶ城稲荷神社」(ストリートビュー2016年4月)です。右の石垣を右に回り込むと「武者走り」(ストリートビュー2009年10月)という石段があります。左の石垣の側面には「遊女石」(ストリートビュー2009年10月)というひときわ大きな石が組み込まれています。
太鼓門他の詳細につきましては、文末の参考サイトをご参照願います。
最初の写真に戻ります。撮影位置は、太鼓橋他、見どころがいくつもある場所周辺で、天守再建前の鶴ヶ城としてはなかなかの選択であったと思います。建物は無くとも高く聳える石垣、人の背丈より大きな石、それだけで見栄えがします。稲荷神社を背景中央に持ってくるなど、フレーミングにも工夫が感じられます。
余談ですが、鶴ヶ城の石垣の中にハート型の石が2つあるそうです。そのうちの一つは「武者走り」のストリートビューに写り込んでいます。左の階段の下から5段目近くを探してみてください。(2019/09/04公開)
国土地理院(地図・空中写真・地理調査-地図・空中写真閲覧サービス-地名又は経緯度検索-地名又は施設名検索-「鶴ヶ城」で検索)
会津若松市(市民の方へ-分野別-歴史-甦る鶴ヶ城 干飯櫓の復元)
会津若松観光ナビ(観光体験-鶴ヶ城天守閣(国指定史跡・若松城跡))
会津若松観光ビューロー(鶴ヶ城-城址公園のご案内-13遊女石/14太鼓門/15武者走)
ふくしま結婚・子育て応援センター(これまでの取り組み-縁結び福結びNAVI-縁起スポット巡り-福-「鶴ヶ城」で検索-鶴ヶ城「ハート形の石垣」)