小湊 誕生寺

日蓮聖人ご幼像の縁(えにし)(1940年代初期)

(2018/11/20公開 )

※目印は撮影位置です

最初はどこで撮影したものか全くわかりませんでした。後ろに写っている子どもの像が一番の手がかりですが、よそ者には見当がつきません。何とか松とお寺(石灯籠があるので)をヒントに探し当てました。ここは鴨川市にある小湊誕生寺の境内、子どもの像は「日蓮聖人ご幼像」です。同じように松の枝の間から覗く像の写真はみつかりませんでしたが、大きく広がった松の枝の間から見え隠れするという記載が、小湊誕生寺公式サイト内にありました。(出典:小湊山史の散策 9.境内の日蓮聖人ご幼像)この銅像の建立は、1935(昭和10)年(出典:同前)ですので、写真撮影当時5年程しか経っていないことになります。立派な松は今(2018年)も健在です。写真の石畳を右に進むと祖師堂、左に戻ると仁王門、そんな位置関係になっています。さて、写っているのは二人の学生と先生でしょうか? 撮影者は人物を中心に据え、大きな松と銅像をフレームに入れてシャッターを切っています。斜めに枝を張った松が印象的だったので記念写真の撮影場所に選んだのでしょう。

ところで、ひとつ疑問が生じました。調べる過程で、大人の日蓮上人の銅像が写っている古い絵葉書(リンクは略します)がありました。日蓮聖人ご幼像と相向かいの位置に配置されていたようです。しかし、大人の日蓮上人の銅像はありません。なぜでしょうか? そのヒントはサイト内にありました。少し長くなりますが引用します。

この銅像は、その後数奇な運命をたどることになります。第二次世界大戦の激化によって、多くの金属製品と共に戦時供出されることとなったのです。そして、戦争も終わったある日、偶然にもほとんど無傷で発見されたのです。それは、一人の篤信者が、東京の両国駅で電車の窓から、構内に置かれていた多くの戦時供出品をながめていたときでした。左手を欠いたお像が、そのなかにあったのです。関係方面への働きかけが実り、誕生寺へとお像が還り、元のように安置されたのは、昭和21年8月27日のことです。欠けていた左手も、修復されました。(出典:小湊山史の散策 9.境内の日蓮聖人ご幼像

大方想像がつきますが、誕生寺公式サイトが触れていないので余計な詮索はしないこととします。ただ、ここで紹介した写真は、戦時供出される前のものであり、その後、日蓮聖人ご幼像不在の時期を経て現在に至ります。ご幼像が写真の撮影場所特定の決め手となり、その数奇な運命を知ることになったのも何かの縁(えにし)かもしれません。(2018/11/20公開 )

■参考サイト

大本山小湊誕生寺公式サイト (小湊山史の散策-9.境内の日蓮聖人ご幼像

鴨川市 (観光-観光・レジャー-観光施設-誕生寺)

鎌倉タイム (寺と神社-誕生寺)