都幾川唐子橋

1954年頃の釣り用足場(東松山市)

(2019/08/11 )

※目印は撮影位置です

手前に人工的な何かが並んでいます。石で基礎を固め、2本の丸太を交差させ、その上に太い丸太を載せています。川に向かって丸太がせり出しているような構造です。何の目的で設置されたものでしょうか? まずは、そのあたりから確かめていこうと思います。なお、現在の風景の中から同じ場所を探し出すことは不可能です。橋は別の橋に架け替えられ、丸太の構造物の痕跡は一切残っていません。ストリートビューで近い位置を探すとこのあたり(2012年7月)になります。

人が大勢写っています

写真左側中央に人が写っています。川遊びをしているのでしょうか? 先端が川の中に入っている丸太があります。それでも、丸太の構造物が何であるかはわかりません。

「都幾川の清流」

写真とタイトルは「合併誌」(東松山市役所 1955年12月25日発行 p108)より転載しました。合併誌p104に「都幾、越辺川の渓流は鮎の香りも高く、其の他の魚族も多く都人の太公望に親しまれている」と記載されています。

合併誌の写真に交差させた丸太の上に長い丸太を載せた同じような構造物が写っています。丸太の上には釣りをする人の姿があります。白いワイシャツで釣りには似つかわしくない服装のように感じます。人物は写真撮影用に依頼された人、撮影年は合併誌発行日前の夏前後、1955(昭和30)年ではないかと推測されます。

「都幾川の流れ」という写真のタイトルから合併誌写真の川は都幾川、丸太の構造物の存在と後にある橋という共通点から最初の写真も都幾川でほぼ間違いないと思います。橋については結論から申し上げます。写真の橋は「唐子橋」です。唐子橋は、東松山市葛袋地内で、都幾川を南北にまたいでいる橋です。橋が唐子橋である根拠は撮影位置を特定する過程で明らかになります。まず、撮影場所の裏付けを確かなものにするため、もう少し引いた位置からの写真を示します。

子どもの写真(トリミングして足だけ)の背景に橋が写っています。ボケてはいますが、最初の写真の橋と同じように見えます。そして、右側の土手の下に何かが川に沿って並んでいるのがわかります。丸太で組んだ釣り用の足場と考えられます。さらに、土手斜面の盛り上がり方がよく似ています。この写真と最初の写真は撮影位置は離れていても同じ方向を向いて写したと見て間違いないでしょう。「都幾川」「唐子橋」「丸太で組んだ釣り用足場」、そこまでわかってきても、まだ判明しないことがあります。それは、撮影位置が橋の上流側か、下流側かという点です。釣り用足場がどの位置に存在していたのか明確な記録がないため、この写真だけでは上流側からの撮影、下流側からの撮影か特定することは困難です。

影と過去の空中写真から撮影位置を特定

太陽が教えてくれた撮影位置

これは前の写真のトリミング前のものです。唐子橋は南北に架けられていますので、この写真の右か左、いずれかが南方向になります。写真の影の出方から太陽はほぼ真上にあることがわかります。もう少し影を読み取ってみます。特に右側の少年の頭部の影にご着目願います。影が少しだけ左に傾いているのがおわかりでしょうか? そこに写った少年の影がわずかでも左に傾いているということは、太陽が写真右側に角度をつけている、つまり写真右が太陽のある側、南になります。そして写真は西から東を向いて撮影したことになります。地図と照らし合わせると、橋の上流側からの撮影です。

国土地理院の空中写真(1948年5月6日)

唐子橋近くの空中写真です。最初の写真より6年ほど前ですが、橋の西側に川幅が広がった淀状の部分があり、そこにまっすぐな川岸の土手が続いています。土手には川と直角方向に複数の起伏があるように見えます。識別はできませんが、釣りの足場かもしれません。土手を挟んで南側には人家があり、橋寄りに大きな木が確認できます。土手越しに木が写っている前の写真と状況が一致します。撮影位置が橋の上流側(西側)であることはほぼ確実です。また、写真の橋が唐子橋であることも間違いありません。

丸太の釣り足場の構造は?

横の丸太は結いてあるが…

だだ載っているだけではなさそうです。一応結いてあることがわかります。丸太の上に立つのはちょっと不安定そう。奥の丸太は釣り竿を仕掛けて釣り人は別のところへ?(写真は最初の写真と撮影時期が異なります。次の写真も同様です。)

大きめの石をネットに入れただけの岩場?

コンクリートで固めたものではなさそうです。ネットに大きめの石を詰め込み、それを並べただけのようです。台風などの増水には耐えられないでしょう。実際に釣りをするときは丸太にまたがったり、腰をおろしたものと思われます。

最初の写真に戻ります。撮影者は何を思ってこの写真を撮ったのでしょうか? 川や橋が狙いならもう少し川の中央寄りの写真になっていた気がします。手前に人物はいませんし、やはり、丸太で組んだ釣り用足場が並んでいる様に強い印象を持ったからだと思います。1955(昭和30)年前後、都幾川の唐子橋上流に、石をネットに入れて人工的な岩場を作り、丸太を載せた簡易な釣り用足場があったことは写真が示すとおりです。しかし、その後、丸太組の足場は無くなり、鉄筋コンクリート製の橋に架け替えられました。橋と並行して関越自動車道が通っています。撮影者が撮ろうとした印象は全くありません。川の流れだけは変わらなくとも、かつて唐子橋周辺にあった都幾川での釣りや水遊びの賑わいですら、2019年時点で、さらに上流に整備された「くらかけ清流の郷」に移ってしまっています。(2019/08/11公開)

■参考文献

合併誌 東松山市総務課編 東松山市 1955年刊 ※著作権が消滅しています

■参考サイト

東松山市立図書館(フォト歴史東松山-橋・坂・森の記憶-都幾川・唐子橋付近(昭和30年頃))

東松山市(組織から探す-環境産業部-商工観光課-観光-自然・公園-くらかけ清流の郷 / 市政の情報-市の概要-市制施行60周年-写真でふりかえる60年)

国土地理院(地図・空中写真・地理調査-地図・空中写真閲覧サービス-地名又は経緯度検索-地名又は施設名検索-「葛袋」で検索)