ローマ記念碑

飯盛山、白虎隊の墓近くにある記念碑(1953年頃)

(2019/08/04公開)

※目印は撮影位置です

「何だ、この不細工なニワトリ(右向いてコケコッコー!)は?」この写真の偽らざる第一印象です。どこぞの観光地、丸い石柱の上に鳥が載っているオブジェのあるところ、そこを探せば撮影地はすぐ判明するかも? ほどなく撮影地は白虎隊で有名な飯盛山の一画、石柱と鳥は「ローマ記念碑」であることがわかりました。

まずひとつ訂正を、石柱の上の鳥はニワトリではなく「鷲(ワシ)」です。前の木の枝葉が被り取り(鳥)違えてしまいました。ほぼ同じ位置からのストリートビューがこちら(2017年4月)です。当時の光景がほとんど変わらず残っていました。さすがに足元は石畳に変わっていましたが。さて、鷲は尾が手前に来た後ろ姿です。鷲の像に重なっていた木の枝は桜だったようです。写真の方の桜は葉を落と始めています。季節は秋、10月頃と思われます。写真の一行は社員旅行か何か、白虎隊の墳墓を後にし「白虎隊士自刃の地」に向かう途中、鷲の像を背景に記念に一枚(撮影)といったところでしょう。一人だけ命を取り留めた白虎隊士の墓が左手方向にあるのですが、墓碑が建てられたのが1957(昭和32)年、一行が目にすることはありませんでした。

ローマ記念碑は、ローマ碑、イタリア記念碑、ローマ市寄贈の碑、紹介しているサイトにより呼び名が異なります。この石碑が、白虎隊精神に感銘を受けたローマ市より贈られたが1928(昭和3)年のことです。第二次世界大戦後、石碑に災難が降りかかることになります。鷲の左足部分と碑文周り5か所のマサカリが取り外され、碑文も削り取られてしています。寄贈されるまでも一悶着あったようですが、詳細は文末参考サイトをご参照願います。

マサカリを取られた鷲

このローマ記念碑の鷲は、左足で抱えていたマサカリがありません。元々の碑と鷲の写真は、次のサイト「緑の覚書(再起編)」で見ることができます。

白虎隊墳墓前の狛犬

碑と日の間に見えるのは、中央に狛犬、白飛びしていて位置関係が把握できませんが、石灯籠もあります。

白虎隊殉難詩碑

現地の案内図には載っていませんでした。飯盛山の紹介サイトでも省かれがちな石碑です。松平容保(誰?)の歌が刻まれているそうです。

この写真は古いアルバムに貼ってあったもので、誰が撮影したのかわかりません。社員旅行の際に撮影されたものらしく、五色沼を背景にした写真や宴会の写真も残っています。サイト内で紹介した青沼の写真も同じ福島旅行のときのものである可能性が出てきました。当初、青沼はネガがあったので撮影者が自分のカメラで撮ってもらったと思っていました。しかし、その前後の旅行のネガが全く無いので、青沼はネガごと譲り受けたと考えた方が筋が通ります。撮影者がカメラを購入したのは1954(昭和29)年1月29日(領収書の日付)です。同年秋頃旅行した水上周辺ではカメラを持ち込み、須田貝ダムひがきホテル宝川温泉汪泉閣など、多くの写真(ネガ)を残しています。また、ネガが残っているからと言って1954(昭和29年)年以降の撮影とは限りません。鎌北湖のように映像資料から撮影年が1953年に遡った例(カメラ本体は借用?)もあります。福島旅行の写真については、カメラ購入以前だったため持ち込めなかったと考えた方がより自然です。(2019/08/04公開)

■参考サイト

飯盛分店(飯盛山のみどころ-イタリア記念碑)

ザ・戊辰研マガジン2018年09月号 vol.11-会津飯盛山白虎隊墓地とローマ碑

緑の覚書(再起編)(旅行・地域-より以前の記事一覧-飯盛山のローマ碑のオリジナル写真 2014.07.02)

宮城の句碑歌碑詩碑(福島県の文学碑-白虎隊殉難詩碑)