氷川様ブランコ
松山神社境内に設置されていた遊具 (1954年)
(2019/08/30公開)
(2019/08/30公開)
※目印は撮影位置です
このブランコは、東松山市日吉町、氷川様とも呼ばれていた松山神社の境内にあったものです。同じではありませんが、2019年時点でもブランコがあります。次の写真をご確認願います。
2019年8月11日に撮影した同じ位置からの写真です。ブランコは3連から2連になり鎖の形状も異なります。ブランコ自体は後に交換された物です。左ブランコの後ろにある樹木は、幹の傾き具合からみて同じものです。その後ろの二股の絡み合う形の樹木も同じです。右ブランコ後ろの樹木(杉?)は無くなっています。さらに右にある建物は神楽殿です。せめてこのくらいは写り込むようにフレーミングしてほしかったところです。撮影者の意図は子どもたちにあったのでしょうけれども。ちなみに、神楽殿越しにに見えている屋根は松山神社ではなく、同じ境内にある大鳥神社(浅間神社)です。松山神社の社殿はさらに右側(フレーム外)になります。松山神社は、もともとは氷川社(創建当初)だった(出典:「埼玉の神社 大里 北葛飾 比企」埼玉県神社庁神社調査団編 埼玉県神社庁 1992年刊 )こともあり、地元では氷川様と呼ばれていました。
最初の写真に写り込んだ神楽殿の屋根です。ほぼシルエット状態ではありますが、うっすらと木組みの構造が読み取れます。
2019年の神楽殿の屋根です。1954年の写真と構造が同じであることが確認できます。補修されておらず痛々しい限りです…。
ブランコの他にも遊具がありました。はっきりとは写っていませんがシーソーでした。
2006年3月6日撮影の写真にジャングルジムが写っています。氷川様の遊具の変遷の詳細は不明です。
平成、令和と時代が変わり、下駄を履く子は見かけなくなりました。サンダルは、まだ「有り」ですが。
1950〜60年代、神社の境内に遊具が設置されていることは珍しいことではありませんでした。当時は公園や広場はほとんど無く(地域にもよりますが)、神社やお寺の境内は子どもたちの恰好の遊び場でもありました。神社に遊具があるのもその当時としては当たり前のこと、そんな感覚でした。2019年、令和の時代を迎え、氷川様で遊ぶ子どもたちの姿はほとんど見かけなくなりました。そこに集うのは昔、氷川様で遊んだであろう人たち、ゲートボール仲間です。時代により社会情勢も変わっていきます。下駄を履いた子どもたちがブランコに乗る光景はもう二度と見られないでしょう。そして、境内のゲートボールの光景もいつの日か無くなる…かもしれません。ただ、昔から続いている祭礼、7月14日の「初山」、12月15日の「お酉さま」だけはこれからも続いていくでしょう。(2019/08/30公開)