宝川温泉汪泉閣
吊り橋と熊のいる温泉旅館(1954年頃)
(2018/11/05公開)
(2018/11/05公開)
※目印は撮影位置です
撮影位置の特定の確信に至ったのはストリートビューのここ(1970年8月)(※注)
です。建物から吊り橋方向に突き出た屋根の構造にご着目ください。折り重なった小さめの2つの屋根、下側の屋根は右半分だけの構造です。そして上側の屋根の右に位置する小窓(換気窓?)、構造と位置関係が完全に一致します。汪泉閣本館自体も、写真では木の影に隠れて判別できない部分もありますが、同じ建物とみなすのに大きな破綻はありません。旅館脇に吊り橋があり、飼われている熊がいた…となれば、真っ先に思い浮かぶのが宝川温泉汪泉閣、となるはずでした。しかし、この写真撮影者の関心はもっぱら熊に向けられていたようで、平凡なスナップ写真という印象が払拭できず、しばらく放置していた写真でした。後ろに和服の人物が2人写り込んでいます。向かい合って写真を撮影しようとしているように見えます。
この吊り橋、2018年時点の白鷹橋とは構造が少し異なっています。木製支柱の太さも違いますし、ワイヤーの固定の仕方も違っています。橋は、後に架け替えられたものと思われます。吊り橋は東西方向に架けられており、写真に写っている袂が東方向、橋の行く先が西方向、その正面に旧館(2018時点では「お食事処竹庭」)が位置しています。旧館から吊り橋を渡り、右に100m程行ったところに摩訶の湯(露天風呂)があります。汪泉閣と露天風呂の位置関係については、宝川温泉汪泉閣「施設のご案内」をご確認ください。さて、影の方向と長さから、太陽は南西方向に位置し傾きつつある時間帯と推測されます。11月から12月の午後3時前後の撮影と思われます。
(※注)ストリートビューの撮影日については疑義があります。まず、1970年当時、360°パノラマ撮影が可能であったかどうかということです。また、葉を落とした樹木から判断しても8月の撮影とするには無理があります。撮影日はミス表示と思われます。googleには報告済みです。
屋根の重なり方と右上の窓(黒い四角)をご確認ください。ストリートビューと一致しています。その手前にある吊り橋の支柱に「白鷹橋」の文字はありません。
橋の行く先に横に広がる屋根が確認できます。そこに建物があることがわかります。ところで、人物が手にしている包装紙に「ひがきホテル」とあったため、当初は水上温泉付近の写真と勘違いしていました。
完成前の須田貝ダム
最初の写真の撮影年を1954年頃としていますが、ひとつ矛盾があります。撮影位置特定の根拠とした汪泉閣本館が出来たのが1955年(出典:宝川温泉汪泉閣「伝統と由来」)だからです。ここで、撮影者の足取りを推測してみます。撮影者は水上温泉ひがきホテルに宿泊したと仮定します。その当日か翌日、撮影者は須田貝発電所を訪れ、打設中の須田貝ダム(当サイト「須田貝ダム」参照)を視察(撮影)しています。須田貝発電所の運用開始が1955(昭和30)年9月(出典:東京電力ホールディングス株式会社 須田貝発電所)ですので、1955年9月より後では完成前のダムの写真は撮ることができないのです。その後、撮影者は宝川温泉汪泉閣に宿泊に訪れます。午後3時頃、ひがきホテル包装紙にくるまれた何かを持って熊と出会ったという推測です。もしかしたら、その時点で汪泉閣本館の建物は完成していた(ただしオープン前)可能性も考えられます。事実がどうあれ、この写真が、1954〜1955年頃の宝川温泉の1シーンを捉えたものであることに変わりはありません。(2018/11/05公開)
宝川温泉汪泉閣 (伝説と由来ほか)
ググっと群馬 (温泉を探す-利根沼田エリア-宝川温泉)
群馬県・熊のいる温泉(ニコニコ動画)(1953(昭和28)年NHKテレビジョンニュース ※1953年公開の映画の著作権は消滅しています。)
水力ドットコム (水力発電所ギャラリー-都道府県別水力発電所ギャラリー-都道府県別水力発電所ギャラリー-群馬県-須田貝)