狩野川台風の爪跡

1958年9月27日関東を襲った台風による水害の記録

(2018/10/06公開 2019/12/10修正加筆)

※目印は撮影位置です

狩野川台風について気象庁のホームページからの引用です。「この台風は、24日に中心気圧877hPaを観測するなど、大型で猛烈な台風となった(中略)東京で日降水量371.9mmを観測するなど、東海地方と関東地方では大雨となり、土砂災害や河川の氾濫が相次いだ。」(出典:気象庁データ資料 狩野川台風)ちなみに日降水量の記録は「徳島県上那賀町海川で日降水量1317mmを観測」(出典:気象庁 台風第10・11号平成16(2004年))これが日本最大(2018年の時点で)のようです。ただし、気象庁ではなく四国電力の記録のため、「気象庁の歴代全国ランキング 日降水量」には入っていません。日降水量ランク20位でも600mm以上です。371.9mm(東京の日降水量)はランク外、そんなに珍しくないのかもしれません。

この写真は被害の大きかった伊豆地方のものではありません。場所の特定はほできています(詳細は後述)。1958年と2019年現在では、災害に対する備えも違っていますし、台風の進路予測精度も高まっています。自治体の作成しているハザードマップを見れば浸水の危険度も読み取れます。今では、できることが格段に違うはずです。まずは、自分の足元を見直すことが大切かと思います。(2018/10/06公開 2019/12/10一部修正)

吉祥寺北町の洪水

同じ日、同じ場所で撮影された別の写真がみつかりました。むさしの墨友会ブログ(文末参考サイト参照)内の写真です。当写真よりやや左方向に向けて撮影されたものですが、浸水した同じ家、同じ消防車が写っています。ブロクには「狩野川台風による北町地区の洪水」という文章が添えられています。北町地区とは武蔵野市吉祥寺北町のことです。写真の撮影位置は北町近くに絞り込まれました。ところが、吉祥寺北町周辺には河川、水路等はありません。写真の洪水は堤防の決壊や河川の氾濫によるものではないということになります。

武蔵野市が公開している「浸水予想区域図」(文末参考サイト参照)で確認すると、北町保育園(吉祥寺北町1丁目)、青葉公園(吉祥寺北町2丁目)一帯が水色(1m〜2m浸水のおそれ)に塗られています。地元の人であればすぐわかることですが、吉祥寺北町の一部が窪地状の地形となっていおり、窪地に雨水が流れ込み写真のような被害が生じたというということでしょう。なお、その後、雨水貯留施設設置等により浸水リスクは軽減されたようです。

西方向の窪地にカメラを向けて撮影

写真の撮影位置は吉祥寺北町1丁目または2丁目近く、ということまでは絞り込まれました。影の出方に着目し最初の写真を再確認してみました。消防車のホースの影は右側に出ています。つまり太陽は写真の左方向に位置していることになります。建物の屋根の影の出方から見ても、太陽は写真左方向、しかもかなり高い位置のあることがわかります。つまり写真左方向がおおむね南という解釈になります。とするならば、撮影者は、西方向の窪地にカメラを向けてシャッターを切ったことになります。つまり撮影位置は窪地の東側のはずです。仮定した撮影位置はストリートビューのこの位置(2019年3月)、吉祥寺北コミュニティセンターの交差点を少し西に進み左手に北町保育園が見えるあたりです。残念ながら、1958(昭和33)年当時の面影は残っていません。ただ、道路右側の敷地が高くなっていることがわかります。最初の写真で右側に見物人が大勢写っています。当然その場所は水没を免れた高い位置、ストリートビュー右の敷地が高くなていることと共通点があると言えなくもありません。かなり強引な解釈にはなりますが…。

家の並びを手掛かりに撮影位置を特定

国土地理院の空中写真(1957年10月10日)

googleストリートビューでも1958年まで遡るのはさすがに無理。そこで、国土地理院の空中写真から当時の吉祥寺北町付近の様子を探ってみることにします。最初の写真より1年ほど前(1957年)の空中写真(赤丸は筆者補記)です。最初の写真左側の家の並びにご着目願います。手前から2軒までと3軒目以降の家の向きが少し異なっていることがわかります。空中写真の赤丸(撮影位置)から左方向に位置する家の並びが一致していることがわかります。手前2軒の道向かい方向は家が無く空間が広がっています。そして少し奥の離れた位置に2階建ての家があります。その状況も空中写真と一致しています。2階建てと思われる家は空中写真でも影が長く出ています。2階建ての家は浸水程度がやや軽いように最初の写真に写っています。2019年3月のストリートビュー同様道路右の土地が少し高くなっていたとしたら、それもありうる話です。遠方の家が高い位置にに写っているのは、浸水した場所が窪地である証拠です。それとは別の話ですが、当時撮影者の住んでいた家が空中写真に写っています。赤丸とそう離れていない位置です。幸い家まで水は来なかったけれど近くの窪地の家が浸水被害にあった、その驚きとともにカメラに収めた1枚の写真であったような気がします。写真中央の水面下には道が通っていて、左の並びの家は吉祥寺北町1丁目(後の吉祥寺北町保育園あたり)、右の2階建ては吉祥寺北町2丁目、後ろを振り返った先には武蔵野市立第四小学校、という位置関係にあります。

余談:もう1枚の水害写真

「武蔵野市市勢要覧2017」(武蔵野市公式ホームページ内で公開)55ページに狩野川台風の水害写真が掲載されています。写真説明を引用すると「昭和33年、吉祥寺東町/第22号狩野川台風による雨水氾濫の被害。」となっています。吉祥寺北町の東に隣接する吉祥寺東町でも浸水被害があったということで、写真には、ボートを浮かべて救助に向かう(または帰る)様子が写っています。ちょっと気になるのがその背景の一部浸水した建物、それが最初の写真右の2階建ての家によく似ているのです。武蔵野市浸水予想区域図を見る限りでは、吉祥寺東町に広く窪地になっている場所はなさそうです。1958年と2017年では状況も事情も異なりますので、これ以上は確かめようがありません。だだ、最初の写真が吉祥寺北町であることは、同様写真の存在、浸水予想区域図、国土地理院の当時の空中写真、撮影者の居住事情による裏付けがあります。これは間違いないものと考えています。(2019/12/10加筆)

■参考サイト

気象庁 (各種データ・資料-災害をもたらした気象事例-災害をもたらした気象事例(昭和20~63年)-狩野川台風)

むさしの墨友会 (バックナンバー-2012年3月-武蔵野界隈Ⅱ 絶対必要なもの(下水道)-3枚目の写真)

武蔵野市 (くらしのガイド -安全・安心 - 防災 - 防災情報マップ及び浸水予想区域図について / 市政情報-市政資料-平成29年度市政資料-広報・広聴-2017武蔵野市市勢要覧)

国土地理院(地図・空中写真・地理調査-地図・空中写真閲覧サービス-地名又は経緯度検索-地名又は施設名検索-「吉祥寺北町」で検索)